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月のない夜は  作者: 麗華
19/28

引かない

 定時には間に合わなかったが、六時半には仕事を切り上げ会社の近くのcafeに入った。『遅くなる』というのはどのくらいなのかわからない。携帯を気にしながら途中のコンビニで買った雑誌を広げるが、書かれていることは情けない位に頭に入って来ない。ファッション誌を広げているのに、私の頭の中は、優人とどこに行こうか、何を食べようか、何を話そうか。こんなことなら、クーポンが一杯乗ったフリーペーパーでも持ってくれば良かった。


―遅くなってごめん。仕事終わった。どこにいる?―

―駅で待っていて、すぐに行く―

 すっかり冷めたコーヒーを飲み干して席を立つ。『遅くなってごめん』そんな気づかいがたまらなく嬉しい私は、どうしたって美華のようにはなれないのだろう。


「お疲れ。今日忙しかったの?」

「週末はこんな感じかな。明日に持ち越しができないからさ」

「そうかぁ。お疲れ」

 残業の少ない一般事務を仕事に選んだ私は、優人の大変さは理解してあげられない。営業事務でバリバリ働くことを選んだならもっとわかってあげられたのだろうと、身の丈に合わない後悔をする。

「何食べたい? 俺なんでもいいから、麻衣が決めて」

「いいの? じゃぁ」

 駅前にあるチェーンの焼き鳥屋。週末らしく混み合っているけれど、二人で呑むにはこの混雑が落ち着く。

「麻衣、ここの焼き鳥好きだよなぁ」

 ニコニコと笑いながらメニューを選ぶ優人。別に、ここが特別美味しいと思っているわけではない。周りが騒がしいから、会話をするのに自然に距離が近づくし、優人が一生懸命に私を見ながら話すのを見るのが好き。そんなこと、きっと優人は一生気づかないんだろう。


「一週間お疲れ様」

 ビールで乾杯するのは、いつ以来だろう。最近は、一軒目は美華と優人、私とは2軒目で会って三人で呑む。その時はすでにお互いビールじゃない。ビールで乾杯ができるだけでも、すごく嬉しい。優人にもそう思ってほしいと言うのは、贅沢な望みなんだろうか。

「お疲れ様。二人でこの店くるの、久しぶりだよね」

「そうだっけ?」

 にこにこと笑いながらビールを飲み干す姿が、嬉しくて悔しい。優人は、1軒目から私と二人で呑むのが久しぶりだなんて、気づいていない。

「……久しぶり、だよ」

 悔しい気持ちはビールと一緒に呑み込み、目の前の優人が笑ってくれる話題を一生懸命に探す。紅葉のおかげで、テレビや雑誌で見た事を面白く話すことも出来るようになった。

 優人に、喜んでほしい。



「次、どうする? 黒猫行く?」

 日付が変わるより早く閉店になる焼き鳥屋は、あっという間にラストオーダーの時間になってしまった。『黒猫』かぁ。マスターは、私が変わったことあんまり好ましく思っていないみたいだったし、美華がいたら嫌だし……。

「たまには、違う店行ってみない?」

 スマホで近くのBARを検索してみる。一人で行くのも優人と行くのも、いつも同じ店ばかり。美華がいるかもしれない店、美華と優人を知っている店には行きたくない。

「ここ、どう?」

 検索した中で一番惹かれたのは、『BAR 桜』。名前は田舎のスナックみたいだけど、掲載されている写真は、モノトーンのシックな店内に、年配のマスター。カクテルはどれも綺麗で美味しそう。チャージが1500円、カクテルは500円から。価格も黒猫と変わらなくて、始発が動く時間までは営業しているみたい。

「いいんじゃない? 行ってみるか」

 その名の通り、優人は優しい。私が行きたいと言った店に行かなかったことは無いぐらい。でも、それは私が特別なわけではないことぐらい知っている。美華といるときは、どうなんだろう。

「うん」

 考えない、考えない。今は、優人の隣にいられる事を喜びたい。



「いらっしゃいませ」

 金曜夜の終電間際。カウンターはついさっきまですべて埋まっていたのだろう、グラスが置かれたままになっていた。

「二人? すぐに片付けるから少し待っててくれる?」

 白髪のマスターが慌てたようにグラスをまとめ始めた。すぐに洗う余裕はないらしくとりあえず2席を開けるために、ひたすらカウンターの隅にグラスをまとめて常連客らしき人に笑われている。なんか、黒猫と似てるかも。

「何にする?」

「ええと、ハイボール」

「カンパリソーダ」

「はい」

 老紳士、といった雰囲気のマスターが、にこやかにお酒の準備を始める。その細い後ろ姿を見ながら優人が笑った。

「麻衣、カンパリ好きだよなぁ。飽きたりしないの?」

「飽きないよ、美味しいもの。私の一番好きなお酒だし。一口あげようか?」

「いらない。薬っぽいじゃん。俺健康だからいらない」

「薬っぽいから明日二日酔いにならないかもよ?」

「いや、薬っぽくても酒でしょ? 二日酔いはなるんじゃない?」

 この会話が、したかったの。私が涙をこらえなきゃいけないほど喜んでいるなんて絶対わかってもらえないんだろうな。優人にも、紅葉にも。

 優人と美華を知らないこの店で、私達はどんな風に映るんだろう。



 気がついたら、優人は赤い顔でカウンターに頬杖をついている。少しペースが早いなとは思っていたけどいつも楽しく酔っぱらう優人だから気にしていなかった。いつのまにこんな風になっていたのか、全然気が付かなかった。

「……もう、呑めないや」

へにゃりと笑った優人が愛おしくて胸が痛くなる。

「じゃぁ今日はタクシーだね。ここからなら方向一緒だし、優人の家経由で帰るからちょっと割引にしてあげる」

 本当は今月ちょっと厳しいんだけど。『悪いね』と笑う優人にそのぐらいならいいかと思ってしまう自分が情けない。

 タクシーに乗った瞬間からウトウトとする優人に、『寝るな~、頑張れ~』と声をかけ続けたがあえなく撃沈。規則正しい寝息を立てながら窓にもたれかかっている。

 ……どうしよう。



「優人、ほら部屋ついたよ。鍵は?」

 結局、一緒にタクシーから降りて、腕をつかみ身体を支え何とか優人の部屋の前までたどり着いた。

「ん、これ」

半分寝ているかのように鍵を差し出された。私に、開けろって? 本だのCDだのを借りるために何度か来たことのある優人の部屋。鍵を差し出されたんだから、開けちゃうよ。中、入っちゃうよ。

 優人の腕をとり、引きずるように部屋の中に入る。散らかった部屋の中に広がる優人の匂いを胸一杯に吸い込んだ。ここに、美華は来たことがあるんだろうか。

「優人、勝手に開けるよ」

 声をかけながら冷蔵庫を開けて、ぼんやりと座り込んだ優人にペットボトルの水を渡す。ありがとう、と口を動かすけど声は出ていない。こんな優人、初めて見る。

「優人、何かあった?」

「ん」

「美華に、フラれた?」

 期待を込めた少し意地悪な質問に優人の肩が落ちた。うなだれてしまった顔は見えないが、泣いているのだろうか。

「……わかんない」

「そっか……。でも、まだわかんない程度なんでしょう? 大丈夫かもしれないよ」

 心にもない事が口から出てくる。情けないけれど、私は『親身になって話を聞いてくれる友人』の立場を捨てられない。親身になって慰めながらも、『上手くなんていかなければいい』と思っていることを知ったら、優人はどう思うだろう。絶対、知られたくない。

「ありがとう」

 うつむいたまま優人が私の手を取った。初めて触れた、暖かくて大きい手。でも、今この手か求めているものは私の手ではない。

 『代わりでもいい』と訴えかける素直な私を『もうすぐ手に入るのだから』と制する私がいる。手に入る? 本当に? 紅葉の魅力をこれだけ手に入れても、優人は私を欲してはくれていない。

 私に、価値などないのだろうか。


「優人、私帰るね。ちゃんと水いっぱい飲んで寝るんだよ」

「うん、ごめん」

 謝っているけど、明日この記憶あるのかな。なければ、いいのに。

 このまま美華の代わりになるのは、あまりにも惨めだ。優人を欲して、鬼から魅力をもらって、それでも美華の代わりなんて。

 もう、引けない。鬼になっても、引けない。


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