変化
切り替えてしまえば、久しぶりの優人の隣は楽しかった。お互いの仕事や最近行った美味しいお店の話をしているだけなのに楽しくて楽しくて。
久々に実家に行ったら、お父さんが私が小学生の頃に好きだったパンを買ってきた、なんて話も優人はニコニコしながら聞いてくれる。優人も、きっと私と話すのが楽しいと思ってくれているんだろう。
「親ってそうだよなぁ。俺も、いまだに実家に行くと揚げ物ばっかりすごい量出てくるんだよな。せっかく作ってくれたのに、と思うとそんなに食えないっても言えなくて。実家に行った後はしばらく胃の調子悪いんだよなぁ。美華の所は?」
「私は一緒に住んでいるから。でも、今でも誕生日にはホールケーキ買ってくるんだよね。今は妹がいないから、私とお母さんで三日がかりくらいで食べるの。あれはキツイなぁ」
なんだろう。紅葉といるせいか、美華との会話さえも楽しい。もちろん、優人が美華に笑いかけることは嫌なんだけど、優人が笑っているこの空気が、嬉しくて楽しい。その空気を作っている美華すら、好きになってしまいそう。優人がこちらを向いた瞬間、私も自信を持って笑える。関係は今までと何も変わっていないのに、紅葉からもらった魅力が私の気持ちを変えた。そして、睨むように私を見る美華の瞳がさらに自信をつけてくれる。
紅葉にもらったものは、外見だけではない。美華を前にしても卑屈にならない自信をくれた。大丈夫。これなら、きっと。
「麻衣、なんか綺麗になったよなぁ。なにか始めた?」
私たちのやり取りを一歩引いてみていたマスターが、私の顔を覗き込んだ。なんで、マスター?
「早く寝るようにしました。あとは、内緒です」
「それで最近来ないのかぁ。俺は以前の麻衣の方が可愛いと思うぞ」
「マスター、それ営業ですよね……」
わかりやすく笑わせてくれたマスターに、優人は笑ってくれたが美華は『なにか始めた?』の答えを聞きたくて思い切り反応して、答えない私に苛だった様子を隠せずにいる。美華の顔を見たいと言ってついてきた紅葉は満足げに微笑んだ。
いつの間にか店内は混み合い、カウンターは一杯になっていた。店の常連客とも親しい優人は、常連のお兄様方に呼ばれてボックス席に移動、私は当初予定されていたらしきカウンターの一番奥、紅葉はさっきまで優人が座っていた場所に席を移し、美華を挟むような形になった。
「なんか、美人二人に挟まれて、引き立て役になったみたい」
明るく言ってはいるが、笑顔がひきつっている。少しの罪悪感に、たくさんの優越感。私は、自分が思っている以上に嫌な女だった。
「美華だって可愛いじゃない。私、いつも羨ましかったんだから」
「そんなこと……」
「ううん。いっつもね、服も髪型も、可愛いなぁって思ってたの。私もそうなりたくて紅葉に協力してもらって頑張っちゃった」
「ああ、なんか麻衣ちゃん、紅葉さんに雰囲気似てきたよね。血がつながっているからかなぁ」
「似てはいないんだけどさ、紅葉に肌の手入れとか化粧とか教えてもらっているの。今まで何もしてこなかったから、今すごく楽しい」
「へぇ、いいなぁ。ねぇ、紅葉さん。私にも教えてくれない?」
「必要ないんじゃない?」
柔らかく笑う紅葉の瞳は、美華ではなく私を見ている。今、私はどんな顔をしているんだろう。指先の感覚がなくなっていくのを感じながら、黙って美華の言葉を待っていた。
「そんなこと言わないで。ねぇ、簡単なのでいいから、私にも教えてくれない」
予想通りの言葉。小さな声ではあるが必死さが伝わるのは、誰より私がその気持ちがわかるから。そして、紅葉の答えもわかっている。
「そう、ねぇ。簡単なのでよければ」
楽しそうに笑う紅葉。そう、紅葉は退屈しているのだから、なにも私でなくてもいいんだ。美華を『面白い子』といったのだから、興味を持ったのだろうことはわかっていた。『見たいだけ』は約束ではない。
紅葉の言葉は私に届かなくなり、二人が席を立つのを、黙って見送るしかできなかった。
「二人、どこか行ったの?」
忙しそうにしていたマスターが戻ってきて、一人ぽつんと座っている私に気付いてくれた。
「うん。ちょっと、コンビニに行くって。スキンケアに使えるもの探してくるみたいよ」
なるべく明るい声をだすが、油断すると目の前が滲んでくる。少し考え込むようにしていたマスターが、常連さんに囲まれていた優人を呼び戻してくれた。
「二人ともコンビニ行ったって? こんな時間まで呑んでて、スキンケアも何もなくない?」
呆れたように呟く優人に、少しホッとした。
「麻衣は、行かなくて良かったのか?スキンケア教室」
「ああ、私はもういいの」
「そう、か」
まじまじと私を見る優人に心臓が跳ねる。もっと見てほしいと思う。真直ぐに優人を見つめ返して、にっこり笑う事もできる気がした。
「なんか、雰囲気変わったよなぁ」
「それ、この間も聞いた」
「そうだよな、何がどう変わったか分かんねぇんだけど、変わったよなぁ。なんか、麻衣じゃないみたい」
「そう? 変?」
「いや、そうじゃなくて。うん、綺麗になったとは思うよ。でも、なんか変わったなぁって」
変わってなんかいない。私を残す限り、これ以上紅葉に近付くことはできない。今が私のままでできる限界だろうことは自分でよく分かっている。美華ならどうするのだろう。紅葉が魅力をあげると言ったら、たとえ自分じゃなくなっても、紅葉の魅力を欲するのだろうか。
私にできない事を美華がしたら、紅葉は私よりも美華を面白いと思うのではないか。紅葉がここに来ると言った時の不安が、胸の中で広がっていく。
「俺、嫌なこと言った?」
目の前には心配そうな優人の顔があった。どうやら私は黙りこくって表情を固めていたらしい。
「ううん、違うの。変わったって、良い意味でしょう?嬉しいよ。ただ、ちょっと考え事していて」
「それならいいけど」
以前の私なら、優人の前でぼんやりすることなんてなかった。優人が無表情で黙る私を見たのは初めてだったのだろう。ごめんね、と繰り返す優人がなんだか新鮮だった。
「一人で呑んでてもつまんないだろ? あっち男ばっかりだけど来ない?」
「行く!」
久しぶりに、美華のいないところで優人と呑める。喜んで男だらけのボックス席に移動する。
紅葉と美華が戻ってきたときには、私はすっかりご機嫌でビールを片手に優人とケラケラと笑っていた。
「大丈夫? まさか、ちょっといない間にこんなになるなんて」
「ふふ、紅葉にも、予想できない事もあるのねぇ」
フワフワとした体でご機嫌な私は、紅葉に心配されることすら楽しいと思った。カウンターに戻され、お水を出されたけど今のこの酔いを冷ましたくなんてない。
「大丈夫かぁ? 明日辛いぞ」
マスターに心配されるのも、久しぶり。以前は、よく優人と一緒になって呑みすぎて心配されてたな。酷いときは、ボックス席で寝ちゃうなんてこともあったなぁ。つい数か月前のことなのに、懐かしい。
「今夜は帰りましょうか?」
「……嫌」
これだけ酔っているのだから帰った方がいいだろう、なんて判断は酔っぱらっていない人だから出来る事だ。すでに面倒な酔っ払いと化した私には、帰るなんて選択肢は存在すらしない。だって、優人がいるのに。せっかく、楽しく過ごしているのに。ここで帰ったら、次はいつ会えるかわからないんだから。
「すぐに会えるのに」
自信たっぷりの紅葉の言葉に、すこしだけ頭がさえた。
「紅葉、美華と何を話したの?」
「……ここでしばらく酔いを醒ましているといいわ」
私の疑問に答える事なく、紅葉は優人のいるボックス席に移動してしまった。美華も、そこにいる。あれだけいた客もすでに引いて、カウンターには私一人だけ。




