近づく
「紅葉! 紅葉!」
紅葉は、いつも気まぐれに私の側に現れる。でも、お祖母ちゃんは新月の夜闇にまぎれて紅葉を呼んだ。それなら、私も紅葉を呼べる?
「そんなに大声出さなくても聞こえるわよ」
いつの間にか、クスクスと笑う紅葉が後ろにいた。ああ、来てくれた。私の美しい鬼。
どう伝えていいのかわからない。優人が、私を呼んでくれた。美華と一緒にいるのに。悔しいのか悲しいのか嬉しいのか、自分の感情すらわからない。今、紅葉に何をして欲しいのかすらも全くわからない。でも、どうか助けてほしい。
気持ちが溢れて、気がついたらボロボロと涙を流して床にうずくまっていた。私の気持ちに気づきもしないで美華と一緒にいながら私を呼ぶ優人。私の気持ちを知っているのに、私を呼ばせた美華。悔しい。悔しい。
逢いたい。
「麻衣は、どうしたいの?」
小首をかしげた紅葉に、胸も頭も熱を持つ。
「優人に、逢いたい。でも、美華と一緒なんて、嫌」
「そう」
呼んでもらえただけでもいい。女として見られてはいないのかもしれないけれど、一緒に呑みたいとは思ってもらえてる。それだけでも、とても嬉しいことだ。以前の私なら、きっとそれだけで充分だとすら思っていただろう。
でも今は違う。紅葉は約束をしてくれた。肌も髪も美しくなり、瞳は輝きを持っている。鬼を味方につけた私に、優人が手に入らないなんておかしい。
「私を、紅葉にしてほしい」
「麻衣は、鬼になりたいの?」
面白そうに微笑む紅葉の愛くるしさが、私の次の言葉を誘った。
「優人が手に入るのなら」
だって、紅葉の魅力を分けてもらうだけでは、人のままでは優人は手に入らない。優人が手に入るなら人になど戻れなくともいい。そう思うのに、迷いなんて無いはずなのに、夢に見たお祖父ちゃんの背中が頭の中に浮かんでは消えて、を繰り返す。
鬼になっても、私は優人の背中しか見れなくなるということ? でも、たとえ背中しか見えなくても、私は優人が欲しいの。邪魔しないで、お祖母ちゃん。
「残念だけど、麻衣は、鬼にはなれない」
残念ねぇ、と呟きながら真直ぐに私を見る。紅葉は嘘などつかない。私は鬼にはなれないのだ。
「優人が、欲しいの」
「鬼にはなれなくても約束は守るわ。私の魅力は麻衣にあげる。今麻衣が持っていないもので、何が欲しい?」
私が持っていない魅力なんて、ありすぎる。私がもらったのは艶やかな髪に白くきめ細かい肌。紅葉のような濡れた大きな瞳も、筋の通った小さな鼻もない。細く綺麗なうなじに真直ぐに見える鎖骨も。
「今私が見ている紅葉の全てが、欲しい」
「いいわ」
紅葉は、ゆったりをした動作で私の顔、首筋、鎖骨と触れていく。紅葉の指先が触れた場所は、ピリピリと電気が走るように痛んでいくが、不思議と恐怖はかけらもなかった。
私はどれだけ紅葉に近づけるのか。私が気になるのはそれだけだった。
どのくらい経ったのだろう。肌に触れる空気に冷たさを感じた途端、電気を帯びたような紅葉の手が私から離れていった。
「これで、どう? 」
紅葉は自信たっぷりに笑うが、手で触ったくらいでは顔の作りなんてわからない。慌てて鏡に向うと、そこにいたのは私ではなかった。
濡れた大きな瞳、綺麗に通った鼻筋に小さな小鼻。陶器のようなすべらかな肌に真直ぐで美しい鎖骨。
「これ、私?」
「誰だかわからないって程じゃないわ。ちゃんと麻衣よ」
確かに、私であることに変わりはない。でも、今までの私ではない。
「さ、行きましょう? 顔を洗って、化粧は少しでいいわね」
ニコニコとしながら干してあったタオルを手渡された。ええと、紅葉も?
「暇つぶしの、相手をしてくれるんでしょう?」
「ええ、それは、そうだけど……」
充分すぎるくらいに魅力をもらったが、それでも紅葉の横に立てば当然引き立て役に近くなる。紅葉は、魅力をあげると言っているがお祖母ちゃんにあげて、私にもくれて、それでも紅葉の魅力は減ることは無い。
「大丈夫よ、私はあの面白い子に会いたいの」
「面白い子? 美華?」
「そう、美華って言ったかしらね。あの子に会いたいの」
「……どうして?」
一瞬、心臓が止まった気がした。紅葉はまだ退屈している? 私だけでは、足りない?
「そんな顔しないでいいのよ。こんなに綺麗になった麻衣を見て、あの子がどんな顔をするか見たいだけ。麻衣も見たいのでしょう? 一人で楽しむ気?」
紅葉の言葉が胸を貫いた。優人に私を見て欲しいから、美華よりも魅力的な女性になりたいと願った。
ただそれだけだと思いたかったのに、私の方が綺麗なのだと美華に言いたい私がいる。綺麗になった私に美華がどんな顔をするか見たいと思っている。
卑怯な手を、使っているくせに。
「何かを欲しがるって言うのは、そういう事でしょう?」
ニコニコと笑う紅葉の言葉は、真実だ。わかっている、けど。
「優人にそれ、言わないでね」
知られたくない。手に入るなら背中しか見れなくてもいいとすら思うのに、この黒い気持ちを優人に知られるのは嫌。優人には、明るく優しい女性だと思っていて欲しい。
私はどれだけ卑怯なのだろう。
「人は、面倒ね」
クスリと笑う紅葉に、何も言い返せなかった。
「いいのよ。面倒だからこそ、退屈しないわ」
「それなら、良かった」
十時を少し過ぎた頃、何度も何度も通ったBAR『黒猫』の前で足を止める。この中に優人がいると思うと胸が躍るが、美華がいると思うと指先が冷たくなる。そして、横に並ぶ美しい鬼は私の心臓を早鐘のように走らせる。
初めて一人で来た時のように、指先に力を入れてドアを押した途端、中から甘ったるい声が飛んできた。
「麻衣ちゃん久しぶり! 早かったねぇ」
「本当久しぶり。焼き鳥屋さん以来だよね? 元気だった?」
「うん。この間の美人さんは元気?」
「紅葉? ええ、今日も一緒なの」
美華は私のことを敵視なんてしていない。私よりも美華の方がずっとずっと可愛いから。でも、紅葉の事は、この間はっきりと敵視していた。その場にいた全員の目を奪った美しさに、嫉妬していた。
今夜も、私一人だと思っていた時と、紅葉も一緒だと知った時の美華の表情は全然違っている。抑えても抑えても、お腹の底から笑いがこみあげてくる。こんな汚い自分、知らなかった。
「こんばんは。覚えていてくれて嬉しいです」
私の後ろからひょっこりと顔をだした紅葉の顔を見た時の美華は、なんとも表現しがたい絶妙な笑顔。無理やり嬉しそうな顔をして、また会えて嬉しいなんて思ってもいない事言っちゃって。
誰とでも仲良くできる明るい子でいたいんだろうな。媚びる女の考えることはわからない、なんて思っていたのに今はその気持ちが手に取るようによくわかる。美華も、努力しているんだよね。
「二人か、じゃぁこっち座りなよ」
何も気づかない優人がニコニコしながら自分の席の隣を指す。私一人だと思っていたからだろう、カウンターの端から二番目に美華、その横に優人、優人の横はいくつか席が空いている。
これ、私一人で来たら美華の横だったんだよね。私のことずっと下に見てるのに、優人の隣は座らせないってずるくない? でも、ここで怒った顔しちゃ、駄目。
気にしない気にしない。結果隣に座れるんだから、と自分に言い聞かせて笑って優人の横に並ぶ。紅葉の、柔らかい笑顔をイメージしながら。
「ありがとう」
マスターが、ニヤニヤとしているが気が付かないふりをしておこう。
「何呑む?」
「私ビール、紅葉は何がいい?」
メニューを見せると興味深そうに見てはいるが、中々決まらない。そういえば、この間もよく分からないって言っていたな。
「紅葉、どんなの呑みたいか言ってくれたらマスター作ってくれるよ? 甘いのがいとかサッパリとか」
「そうね、あ、ねぇ。彼女が呑んでいるの、なに?」
興味深げな視線の先には、美華が呑んでいるグラス。中に果物が入っているみたいだけど、女の子らしいカクテルを飲むことはほとんどない私にはよく分からない。
「サングリア。桃が入っているから少し甘いけど、甘いカクテルとか大丈夫なら美味しいよ」
美華の優しい声色に、若干の刺を感じたのは、きっと私だけだろうな。桃の入った白のサングリア。『女の子』って感じの飲み物だけど、優人も好きそう。
「呑んでみたら? 駄目なら優人が呑んでくれるよ」
ね? と優人に笑いかける笑顔に背中が凍る。一瞬見せた、射るような視線にはひとまず気づかなかったことにしよう。
「かんぱい」
グラスを合わせて、ビールで喉を潤す。ついこの間まで、美華に笑いかける優人を見ているだけで十分だったのに、紅葉と出会ってから随分贅沢になってしまった。欲しがりで、怖がりで、見栄っ張りだった私。今は、欲しがりの私だけが残っている。優人の隣にいるのは私だけがいい。美華なんて、どこかに行ってしまえばいいのに。こんな強い気持ち、私の中のいったいどこにあったんだろう。
「これ、美味しい」
サングリアを半分近くまで呑んだ紅葉が、感心したようにグラスを持ち上げた。
「そうだろう、自家製サングリアだ。白ワインに桃を入れるだけなんだけどな」
上機嫌になったマスターが、サングリアが入っている瓶を数本持ち上げた。入っている果物の違いなのか、微妙に色の違うサングリアが数本。目を輝かせた紅葉は、全部呑みたそうにしている。鬼ってやっぱりお酒強いのかな。大目に持ってきたつもりではあるけれど、お金足りるんだろうか。ちょっとだけ心配してみたが、当の紅葉は涼しい顔でオレンジのサングリアを呑み始めている。鬼って、お金持ってはいないよね。
「大丈夫よ、私の分は気にしなくても」
私の心を読んだように小さく呟かれた声。 呆気に取られている私にクスクスと笑う紅葉。
「大丈夫」
……紅葉との会話は一方通行だ。紅葉は私の言いたいことを言葉にしなくても理解するくせに、私は紅葉の言いたいことを言葉にされても理解できない。理解できないことを知っていて、それを楽しんでいる様子さえもある。腑に落ちないけど、仕方ない。紅葉が大丈夫というのなら、大丈夫なのだろう。




