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月のない夜は  作者: 麗華
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すてきな出会い

「麻衣?」

 鈴の鳴るような可愛らしい声に闇は払われ、私は私に戻ってきた。眠ってはいなかったのだろう。紅葉を前にぼんやりと立ち尽くしていた自分に気が付く。

 今のは、お祖母ちゃんの記憶。お祖母ちゃんが、私に後悔を伝えてくれたのだろう。

「大丈夫?」

 クスクスと笑う姿は闇夜によく映え、背筋が寒くなるほどに美しい。何をしても美しい存在というのは、本当にいるのだ。この魅力が、欲しい。


 誰が何を思っていたって、私は優人が欲しいし、手に入るなら何を犠牲にしたって泣くことなどない。

 お祖母ちゃんは、後悔したかもしれない。生涯、罪悪感もあったかもしれない。それでも、何より欲しい男性(ヒト)を手に入れた。

「紅葉。私、優人が欲しいの。誰が傷ついてもいいから、欲しい」

 紅葉は面白そうに眉を動かし私の頬を撫でる。

「本当に、よく似ている」

「似てなんか、いない」

 私だったら、あんなに苦しむことはない。彼女の死を望んでいたなんてこと誰にも言わず、幸せに暮らせる自信がある。それで優人が手に入れられるなら、なんてことはない。お祖母ちゃんは鬼の魅力を手に入れるには優しすぎた。私と、似ているはずなどない。

「百合子も、きっとそう思っていたのでしょうね」

 クスクスと笑う紅葉に、お祖母ちゃんの胸をかきむしりたくなるような痛みを思い出す。お祖母ちゃんも、何を犠牲にしても欲しいと思った? それでも、悔いた。それなら、私も悔やむ? 

 どんな事をしても優人が欲しいと願う強い気持ちと、それでいいのだろうかと迷う気持ちが波のように交互に私の胸に押し寄せ、抱えきれない想いが頬を伝う。

「お祖母ちゃんと、話したい」

「もう、いない」

 紅葉の瞳が切なげに揺れ闇を捕らえた。お祖母ちゃんがもういないのなら、私はどうしてお祖母ちゃんの記憶をたどっているの? あの夢は、誰が見せているの?

 不満気な顔をしたのであろう私に、紅葉はクスクスと笑う。

「居ないのだけどね、麻衣を想う気持ちはまだ残っているのよ」

 私を想う気持ち。それが、あの夢を見せているのだろうか。お祖母ちゃんは、私をどこに導こうとしているのだろう。

「私を想う気持ちだけでは、会えない?」

「知らない」

 こくんと首を傾げて笑う。おどける様なしぐさとは対照的に、その笑顔は切なく歪んだように見えた。紅葉はお祖母ちゃんをとても大切に想っていた。それでもお祖母ちゃんは紅葉に想いを残さなかった。それは……。

「鬼も、辛いね」

 思わず口から出た呟きに、紅葉が目を丸くした。

「そんなことないわよ。楽しかったわ」

 面白くなさそうにこちらを向く瞳は、まるで小さな子供のよう。微笑ましく見ていれば紅葉は突然闇に溶けた。ああ、意外に子供っぽいんだ。

 紅葉が消えた途端襲ってきた睡魔に、カーテンを閉めることもせずにそのままベッドに潜り込む。明日には、家に帰らなくちゃいけない。




「麻衣、今日は何時の電車で帰るの?」

 3日連続、お母さんが私の部屋に起こしに来る。実家の朝も、今日で最後。

「ん、お昼前には出る。帰って家片付けないと」

 洗濯やら買い物やら、一人暮らしとはいえそれなりにやることはある。早めに帰ってやるべきことはやらないと。

「……もう十時過ぎてるけど?」

 呆れたようなお母さんの声に飛び起きて携帯を見れば、すでに十一時に近い。家主の居なくなったこの部屋には時計がない。実家に来てたった三日なのに、すっかり朝寝坊な生活になったうえ、昨日は山に登って疲れたこともあって全く起きられなかった。

「お昼過ぎたら、帰る」

 もう掃除は諦めた。買い物も、今週はスーパーじゃなくてコンビニで。洗濯は、夜でも出来るでしょ。こんな時、大雑把な性格で良かったと心から思う。

「早めにお昼ご飯にするから、朝はいらないわね? お父さんが買ってきたパン、夜に持って帰りなさい」

「はぁい」

 この年で、親に朝寝坊で呆れられるなんて……。

 

「コーヒー飲む?」

「うん」

 来るときに来ていた服は綺麗にアイロンがかけられ、丈夫そうな紙袋にはパンやらお菓子やらが大量に詰め込まれている。要らない、なんて言っても無駄だろうな。家を出てからというもの、電車で数時間かかる実家には年に二度帰ればいい方の私。たまに帰った時ぐらい、と帰省のたびに大量のお土産を持たせたがる。


「突然の里帰りの目的は、はたせたの?」

 コーヒーを落としながら呟いたその声が何故か私の胸に深く刺さり、心細げに揺れる瞳が頭をよぎる。聞きたい、けど。

「お母さんは、結婚前に紅葉とは会わなかったの?」

「あんな美しい鬼、居ることも知らなかったわ」

 紅葉は、お祖母ちゃんの義娘(ムスメ)になったお母さんにしか、姿を見せなかった。お祖母ちゃんの義娘になったから、紅葉に会えた。

「結婚前に、会いたかった?」

 違う男性を想っていたのだろうお母さん。あの時紅葉の力を借りれたら、と思うことは無かったのだろうか。

「そう、ねぇ。もし、会えたらどうなっていたかな、とは思うかな。でも、会えなくて良かったんだとも思う」

 考え込みながらも一つ一つの言葉を紡ぐのは、大人だから? 今が幸せだから? 

 お母さんは、お祖母ちゃんが紅葉から魅力をもらってお祖父ちゃんを手に入れた事を、知っている? それでも、紅葉に会えなくて良かったと思えるのだろうか。にっこりと笑いながらマグカップを置く姿からは、憂いた瞳でうつむく花嫁の姿は想像がつかない。いつから、こんな風に笑えるようになったのだろう。どんな気持ちで、ここに居たんだろう。

「麻衣は、紅葉に会えた。結果はどうあれ、とても素敵な出会いよ。大切にしなさい」

「……うん」

 お祖母ちゃんは、私が紅葉に会う事がないように麻衣と名付けた。その気持ちを知ってもなお、素敵な出会いだと言い切るのは、お母さんには強さがあるからだ。私は、この女性(ヒト)の娘……。


「お盆は帰ってくるのか?」

 駅まで送ってくれるお父さんの小さな声に、申し訳なさが募る。

「お盆は友達と旅行に行くから、厳しいかなぁ」

 一緒に旅行に行くような友達は、お盆に彼氏の実家に挨拶に行くと言っていた。それでも、もしかしたら優人と会えるかもしれないという希望に縋って、なるべく連休は自宅にいたい。肩を丸めた姿に少し罪悪感を覚えて、慌てて付け足す。

「有休が余っているから、また連休作って帰ってくるよ。世間のお休みとずらした方が電車も空いているし、交通費も安く済むし」

「そうか、まぁ、そうだな」

 わかりやすく上がった顔に、さらに罪悪感が増した。めったに帰らなくなって、ごめんね。


 電車の窓を流れる景色が、毎年変わっていく。畑だらけだったところが住宅地になり、大型スーパーが何件もできている。たった数年でもこれだけ変わり、私の知っている場所ではなくなったような気すらするのに、紅葉はどんな気持ちで変わっていく土地や人を見ていたんだろう。お祖母ちゃんの事を、知らない人のようだと思った事は、無いのだろうか。




「ただいまぁ」

 誰も居ない部屋で、電気をつけながら声をだす。小さなころからの習慣というのは大人になってからは中々消えないもので、一人暮らしを初めてもう何年も立つが、玄関を開けるときは必ず声がでる。もちろん返事なんて期待していないんだけど、今日は何故だか紅葉からの返事があるのではないかと思ってしまい耳を澄ます。

 空気の動かない静かな部屋からは、返事どころか隣室の物音すらも聞こえない。

「そりゃ、そうだよね」

 疲れた足をパンプスから解放し、もらってきた荷物を整理する。朝買ったパン以外にも、いただき物らしきお菓子やら、レトルト食品やら。重かったわけだ。いつまでも、食事の心配が必要な娘で、ごめんね。

 窓の外に浮かぶ細い月が、切なげに笑う紅葉の姿に重なった。私も、紅葉にあんな顔をさせる日が来るのだろうか。



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