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月のない夜は  作者: 麗華
11/28

埋めた心


「麻衣。そろそろ起きたら?」

 昨日と同じように、お母さんがカーテンを開ける。うん、と答えたものの動く気配のない私に、溜息をつきながら部屋を出ていった。お母さんの背中に、夢の中の『美樹ちゃん』の姿が重なる。

 

「おはよう」

「おはよう」

 子供の頃から変わらない風景。私にとって当たり前の朝の挨拶を、幼かったお母さんはどれだけ欲したんだろう。奪ってしまったことに、お祖母ちゃんはどれだけの後悔をしたんだろう。

 欲しい物を得る事は、何かを奪う事。私も、これからそんな後悔をする時がくるんだろうか。


「紅葉には、会えたの?」

「……うん」

「そう」


 お母さんは、自分の母の死を望んだ人を義母と呼び、同じ家に暮らすことに戸惑いはなかったのだろうか。『優しい人だった』と言ったのは、本心からだったのだろうか。『人の心は、どうしようもない』のなら、恨む気持ちも憎む気持ちも『どうしようもない』のでは? 

 何一つはっきりとさせる事はできないくせに、疑問ばかりが頭に浮かぶ。


「お祖母ちゃんは、愛されたかったのよ」

 私の視線に耐えかねたように、お母さんが呟いた。

「え?」

「わからなければいいのよ。片付かないから食べちゃって」


 近所のパン屋で買ってきた焼き立てパン。私がいた頃から、休日の朝はお父さんが散歩のついでに買いに行き、『焼き立て』と書かれ湯気がでているようなパンを種類買ってくる。昔、焼き立てでなくてもいいから好きな種類を買ってきてほしいと訴えたことも懐かしい。


「焼き立てじゃなかったけど、麻衣の好きなパンがあったぞ」

 誇らしげにお父さんが差し出したのは、小さい頃に大好きだったチョココロネ。思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえた。お父さん、私をいくつだと思っているんだろう。

「明日まで居れるのか? せっかく来たんだ、どこかに行くか?」

 行きたいところはあるけれど、それがどこだかわからない。お祖母ちゃんが紅葉の簪を埋めた場所を知りたい。


「近所をぶらぶら散歩しようかと思って。久しぶりだし、普段あんまり陽の光を浴びないから、日光浴したいの」

「そうか」

 わかりやすくしょぼくれたお父さんに罪悪感が募り、今出来る、私がしたい親孝行を絞り出す。

「お父さんも、一緒に行かない? 朝の散歩コースでいいから、一緒に」

 誘った私が戸惑うぐらいに嬉しそうな顔をしたお父さんに、チクリと胸が痛んだ。誘ったのは、お父さんなら知っているかもしれないと思ったからなんて、口が裂けても言えないな。




 私が小さい頃から、お父さんは休みの朝は1時間ほど近所を歩いている。ウォーキング、なんてものではなく、ただの散歩。小学生の頃に一度だけついていった事があったけど、あまりの長距離とただ歩くだけの時間に飽きて、二度と一緒に行くことは無かった。それが、今は隣を歩くお父さんの昔話に耳を傾けながら歩き、退屈など欠片もしない。この町のどこかにお祖母ちゃんが簪を埋めたはず。お祖父ちゃんが贈った、紅葉の簪。

 夢の中では、ただ下を見ていたから景色はわからないが大きな木の根元に植えたはず。


 

「このお地蔵様は、山に入った子供が迷わないように守っているんだ。麻衣も、小さい頃お参りをしてから山に登っただろう? 覚えていないか?」

「なんとなく、かな?」

 いつだったか、町内の子供達みんなで登ったことがある。その時引率していたお爺ちゃんも、この山は昔から多くの子供を迷わせていたのだと言って、一人一人にお参りをさせていた。



「少し登ってみるか?」

 なんとなく覚えているのは、結構な登山だったこと。散歩のついでに登れるような山ではなかった気がするけれど……。

「少し登ったところに見晴らしのいい場所がある。そこまでなら大した距離じゃないし、今は道も整備されているから、犬の散歩に来ている人も多いよ」

 それなら、と思ってお地蔵様の脇の小道を登り始めた。お祖母ちゃんが簪を埋めた木がないか、見渡しながら。

 

 嘘つき……。

 登り始めて十分少々。確かに、道は整備され、急な場所には階段や手すりも設置されている。が、キツイ。山の中なので、木陰になっているがそれでも汗が噴き出す。日頃運動不足の身体はあっという間に悲鳴を上げ、足はこれ以上進みたくないと訴える。それでも、私の口からは帰りたい、という言葉は出てこない。どうしてか、簪を埋めたのはこの先だと、確信があった。


「ほら、あまり登っていないのに、いい景色だろう? この辺りまではきちんと整備されているから、人もよく来るんだ」


 涼し気に笑うお父さんと違って私は顔をあげることもできずにいる。今の私ぐらい、半死半生と言う言葉が似合う人はいないんじゃないか、なんて情けない事が頭をよぎる。

 展望台、とは言えないが見晴らしがよくなるように整備され、柵の手前にはベンチが置かれ水飲み場まで設置されている。人がよく来るというのは本当なのだろう。水道でハンカチを濡らし、ベンチで汗をぬぐうとやっと少し呼吸が落ち着いてきた。


「いつ頃から、こんな風になったの?」

「いつだろうなぁ。麻衣が出ていく頃には、もう整備されていたんじゃないか。でも、ここまでだ。ここより上は昔ながらの山道で、整備する予定もないんだろうな。まぁ、登山って程大きい山でもないし、散歩ついでに登るならこの辺りが限界なんだろうなぁ」

 確かに、産まれたときからこの町に住んでいた私だって、この山に登ったのは一度だけ。男の子達は虫取りだの肝試しだので、夏になると来ていたみたいだけど、私は興味を持たなかった。そもそも、ここは子供だけで行ってはいけない場所に指定されていた気がする。こんなに近いのに。


「この先に山桜があって、春にはそれは綺麗に花を咲かせるんだ。せっかくなんだからそのあたりまで整備してくれたら、毎年春には散歩ついでにお花見ができたのになぁ」

「桜?」

「そう。普通の山桜よりもずっと艶やかな花をつけるんだ」

「艶やかな、花?」


 先に続く獣道を懐かしむように見つめるお父さんに、何故か胸が痛む。

「ちょっと行ってみる。先に戻っていて」

 一緒に行こうかというお父さんの言葉を遮って歩き始めた私は、すでに考える力など無くしていたのだろう。

 この先へ。桜の側へ。

 ただそれだけが、私の足を動かしていた。


「きっつ……」

 登り始めてどのくらいたったんだろう。私の口からは、何度も何度も泣き言が出てくる。もともとかなり急な上、整備なんて全くと言っていいほどされていない。草が生えていないし、木もないからこれが道なんだろうな、って程度のまさに獣道。雨水を含んだ土は滑りやすく何度も転びかけるのに、それでも、もう帰ろうとは思えない。確かめないと帰れない。


「……あった」

 獣道から少し外れた場所に立つ桜の木。周りよりも少し細い幹にしなやかな印象を持った。腰近くまでを覆う草に戸惑いながらも、乱雑に立っている木々を支えに少しずつ山桜に近づいていく。


 大きく盛り上がった木の根、間違いなく夢に出てきた場所だ。ここに、お祖母ちゃんは簪を埋めたはず。でも、どうして。

 考えるよりも先に手が動いていた。雨で緩んでいるはずなのに土は固く、夢と同じように指で土を掻くが、あっという間に指は悲鳴を上げ始めた。それでも、簪が欲しい。


「どうして、掘るの?」

 背中から聞こえる声にゆっくりと振り向けば、呆れたような顔をした紅葉が立っていた。

「ねぇ、どうして掘るの?」

「ここに、簪が埋まっているの」

「だから、どうして掘るの?」

 まっすぐな言葉に息がつまる。考えなかったわけではない。お祖母ちゃんが埋めたのは理由があっての事。冷たい雨の中こんな場所まで来て埋めたものを、私が勝手に掘り起こすだけの理由は? 『百合子は、教えたくないみたいよ』闇を見つめて呟いた紅葉の言葉が胸をさすが、それでも……。

「知りたいの。どんな気持ちだったのか。私が、この後味わうかもしれない気持ちだから」

 そう。それでも私は知りたい。優しかったお祖母ちゃんを責める行為かもしれない。心を踏みにじるような、許してもらえない行為かもしれない。

 それでも、美しい鬼に縋り、望みを叶えた代償を知りたい。夢だけではなく、現実のものとして。簪には、お祖母ちゃんの心が刻まれているような気がするのだ。

 紅葉は黙って私の横にしゃがみ込み地面を指した。指された場所を、恐る恐る掘り進めている。一度痛みから離れたせいか、再度掘り始めた時の指の痛みは尋常じゃない。爪はきしみ、指も手首も痛む。この指じゃ来週仕事できないかも、なんて事が頭をかすめたが私の身体はもう言うことを聞かない……。

 どうして、こんなにまでするのか私にもわからない。それでも、引けない。


「これ、だ。この簪」

 紅葉が私にくれたのと同じ、お祖父ちゃんがお祖母ちゃんに贈った簪。土の中に埋まっていたせいで鮮やかだった紅葉の葉は土色に汚れ、欠けてしまっている。それでも、簪に目を奪われる。簪を埋めた時のお祖母ちゃんの心が、私に流れ込む。

「どうして埋められていたか、わかった? 」

 真直ぐな瞳が、私の胸を冷やしていく。

「お祖父ちゃんが、お祖母ちゃんに贈ったものだから」

 お祖母ちゃんは自分が愛されていないと思っていた。お祖父ちゃんが本心から愛したのは桜子さん。だから、桜子さんに簪を贈った。同じ簪を持つ桜子さんは、自分よりも愛されている。お祖母ちゃんがそう思ったのが、私にはよく分かる。

 『なにも考えてなかったの』お母さんの言葉は、他人だから言える事。夢の中で見た桜子さんは綺麗だった。とても柔らかく笑い、真直ぐに人を見る。愛されることに慣れているからこその真直ぐな瞳。自分の力だけで愛される自信のないお祖母ちゃんに、桜子さんの笑顔はどれだけ妬ましい物だったのだろう。

 それでも、お祖母ちゃんだって桜子さんを好きだった。大切だった。だから、愛しい夫が桜子さんを想うなら、それを許そうとした。愛しい夫が自分にくれた、優しさと愛情をここに埋めて、自分の存在が邪魔にならないようにと願った。


「お祖母ちゃん、優しかったんだよねぇ」

 思わず声が漏れる。『優しい女性だったのよ』お母さんは、心からそう言った。自分の心を埋めることができる優しさを持っていた。

 私は、お祖母ちゃんと似ている? いや、似てなんていない。私は、優人が欲しい。美華になんて、渡さない。渡したくない。優人が私にくれたものを、こんなところに埋めたりはしない。私はずるい。お祖母ちゃんみたいに、愛しい人に汚い自分を伝えたりはしない。



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