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月のない夜は  作者: 麗華
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欲しいものは

「月のない夜は鬼がでるからね。空を見てはいけないよ」


 紅く染まる空を見ながらそう呟いたお祖母ちゃん。悲しそうな顔に幼い胸は締め付けられ、真意を問うこともできずに頷いた。闇から逃れるために閉めた雨戸が、やけに重かったのを覚えている。


 新月の夜は、闇が訪れるよりもずっと早くに部屋の雨戸を締め切り、朝まで部屋からでることはなかったお祖母ちゃん。

 それなのに、お祖母ちゃんが旅立ったのは星だけが明るく輝く新月の夜だった。


 お祖母ちゃんを送った夜、賑やかすぎる家から逃げるように暗い庭へおりると真直ぐで細い背中が闇にたたずんでいる。

「誰?」

 振り返った姿に、一瞬で意識は奪われた。陶器のようなすべらかな肌、星の光を集めて輝く長い髪、悲しさを秘めたように濡れた瞳、血のように紅い唇、そして二本の細く艶やかな月色の角。鬼だ。危ういほどに美しい、鬼。まだ幼かった私は、呼吸すら忘れて鬼を見つめていた。


「百合子、逝ったのねぇ」

 少し高い澄んだ声は、愛おしそうにお祖母ちゃんの名を呼ぶ。どうして、知っているの?

「あなたは、誰?」

私の問に答えることなく、紅い唇が弧を描く。

「これ、貴女にあげる」

 細く白い指に絡められた私の小さな手に、紅葉の簪が握らされた。紅い紅葉の簪は何故かとても冷たく、触れた途端に胸に穴が開いたような気分になる。とても悲しい、簪。

「もう、貴女のものよ」

 私の手を握っていた細く白い手は、簪を残して闇に溶けていった。

 確かに鬼はいた。しなやかで、怖いほどに美しい鬼。誰かに言いたくて、わかって欲しくて、それでもなぜか私は鬼に会ったことを誰にも言えなかった。

 鬼がくれた紅葉の簪を机の引き出しにそっとしまい、私だけの宝にしたのは何故なのか今でもわからない。


 あれから何年たったのだろう。もう、お祖母ちゃんの顔すら思い出せないのに、今でもあの鬼の顔は、夢に見る。美しい鬼。あの美しさがあれば、私は何より欲しいものを手にすることができるだろうか。





「明日会える?」

「ごめん。友達と約束してるんだよね。また誘うから、呑みに行こう」

 もうこれで何度目か。優人とのLINEのやり取り。一晩おいてからの返信なんてまだ可愛いほう。

 呑みには行く。二人でカラオケにも、映画にも行く。LINEに書かれている通り、優人から誘ってくれることも、たくさんあった。優人には男女問わず友達がたくさんいる。わかっている。知り合った時からそんなヤツだった。決して女遊びが激しいわけじゃなくて、ただ友達が多いだけ。みんなとワイワイ呑むのが好きなだけ。私も、楽しく遊べる友達の一人。

 最初からそんな関係だったのに、それが寂しいと気づいてしまった。

 女としての好意を持たれない、一晩だけの相手にもなれないことが、切ない。

 私を見て。私に触れて。そう思うのに、言葉にできない。

 私がモタモタとしている間に、優人はたくさんの友達に囲まれるよりも、一人の女性といる事を好むようになってしまった。


 律儀な優人は、約束したのに会えなかったことなんてなかった。それが、いつの間にか約束を交わした順ではなく、常に彼女が優先されるようになった。『友達』だと言っているが、私に求めているのとは別の意味の『友達』なのはすぐにわかった。

 優人は、彼女には友達以上を求めてる。私には、求めていない。ただそれだけが、私が思うように優人に会えない理由だ。


 フワフワとした少し明るい色の長い髪。柔らかそうな白い肌。愛らしいピンクの唇。彼でなくとも、誰もが好ましく思えるだろう。私も彼女を好きになれれば、もう少し諦めもつくのかもしれない。でも、時折見せる女としての勝ち誇った顔がどうしても好きになれないのだから仕方ない。


「優人は、さぁ。みんなと仲良くしたいんだよなぁ」

 そういったのは、優人に連れられて呑みに行くようになったBAR『黒猫』のマスター。最近は、もっぱら一人で来るようになったが、店のドアが開くたび優人ではないかと身体を固くして耳を澄ます私を見て、困ったように笑う。

「別に、ただの呑み友だし。女ができれば、そっち優先なのは仕方ないからいいんだ」

 我ながら、バレバレの嘘。『仕方ない』なんて全然思っていない癖に。

 それでもそう言ってしまうのは、私だけが好きで、優人には何とも思われていないことをよく知っているから。失恋確実な可哀そうな私の恋心。せめてもう少しだけ、守ってあげたい。

 勢いよくグラスをあけた私に、マスターは、そうかそうかと笑っている。

「カンパリソーダ」

 優人の嫌いなカクテル。『なんか、薬っぽくない?』って言って、眉間に皺を寄せるのが面白くて、一緒に来ると最初の1杯は必ずこれを頼む。『呑んでみなよ~』って進めるのがいつもの流れ。

 

 これを呑んだら、今日はもう帰ろう。今夜も、会えなかったな。



「あれ? 麻衣?」

「麻衣ちゃん? 久しぶり~」

 聞きたくて聞きたくて仕方のなかった声と一緒に聞こえてきたのは、一番聞きたくなかった声。甘ったるい声と香りを振りまきながら、嬉しそうに私の横に並んだのは優人ではない。

「カンパリ呑んでるの? 麻衣ちゃんそれ好きだよねぇ。なんか薬っぽくない?」

 したかったやり取りは、アンタとじゃない。そう思うのに、なにも言えない。そばで優人が笑っているなら隣じゃなくても充分、なんて思ってしまうあたり私は本当に臆病なんだと思う。

「これ呑んだら、もう帰ろうと思っていたの」

 溜息交じりに会計をしてくれたマスターに申し訳ない気持ちはあったが、無言で店を出た。




 頭、痛い……。

 昨日、私どうやって帰ってきたんだろう……。

 たしか、カンパリ呑んですぐに店を出た。でも、帰りたくなくて、優人に会いたくて、携帯眺めながらウロウロと歩き回って。そのままお店に戻ったんだ。もう一杯呑みたくなったぁ、なんて馬鹿な事言って……。

 で、すっかり記憶喪失。

 私、お金払った? マスター、呆れたかな? 優人に、嫌われてないかな? 

 ああ、なんかもう、死にたいかも……。



 1ヶ月たっても優人からの連絡は一度もない。嫌われたかもしれない、と思うと自分から連絡を取る事もできず、呑みにでることもなくなった。

 もう1カ月以上、仕事以外は外出をしない日が続いている。

 休日は一人で本を読んだりテレビを見たり。少しずつ、気持ちが落ち着いてきた。

「週休二日も、いらないなぁ」

 『週休二日』は私が仕事を探すときの絶対条件だったのに、今は余計なものに感じてしまう。

 また週末が来る。次は私は何をして過ごすんだろう。


 窓を開けて肺一杯に冷たい空気を吸い込む。駅から少し離れたこのマンションは街灯が少なく、柔らかい月の光がよく届く。静かで、穏やかで、切ない夜。こんな夜は、お祖母ちゃんを思い出す。お祖母ちゃんは月の光が好きで、満月の夜は必ず月を愛でていた。穏やかで柔らかいその姿を、幼心に何故か怖いと思った。


 逝ってしまった新月の夜。誰にも言えなかった美しい鬼。

 何年たっても消えることのない紅葉の簪が、夢ではなかったことを私に告げる。

 実家にいた時は、机にしまい込んでいた紅葉の簪。実家をでるときに、何故か持っていかなければいけない気がして、悩んだ結果引越しの段ボールに放り込んだ。

 十数年、机の引き出しにしまわれていたのに、今は壁のコルクボードに飾られている。

 

 あの鬼のように綺麗だったら、もっと自信を持てたんだろうか。

 

『月のない夜は鬼がでるからね。空をみてはいけないよ』

 

 お祖母ちゃんの残した言葉に逆らい、月のない夜に何度も空を見上げたが鬼が現れることはなかった。鬼ですら私には会いたくないのだろうか。そう思うと目の前が少し、滲んできた。



「想像だけで泣けちゃうところ、百合子にそっくりねぇ」

 呆れを含んだ、澄んだ高い声が部屋に響く。勢いよく振り返った私のすぐ目の前で口の端を上げているのは、あの日から少しも変わらない、美しい鬼。

 陶器のような白い肌、月の光を集めて輝く長い髪、紅い唇。そして、月色の細い角。


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