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石田は半笑い半泣きで立っていた。まるで夢でも見ているかのように、何かぶつぶつつぶやいている。よく見ると白目で、小便を漏らして下半身がびちょびちょだった。
なんて声をかけてあげたらいいんだろう。
俺がそう思いながら彼に近づいていくと、
「はあああああああ~、はあああああああ~」
訳の分からないかすれ声をあげて大きく震えだした。
「えっと……君の友人だけどさ……すごいじゃないか。皆怖がらずに俺に立ち向かってきて……。君のために、さ。あと二人多かったらたぶん俺やられてたと思う」
これは事実である。あのとき両足も拘束されていたら間違いなく俺は死んでいただろう。
「うううううぇええええ‼ は、は、はああ~‼ あ、あ、あ、あああああ~あ!」
ぶんぶんと振り子のように体を左右に振り始めた。お遊戯会の子供みたいな動作だ。
後ろを振り返ると大量の死体が転がっていた(ちなみにさっき俺の左腕を拘束していた敵には腹を刺すだけでは物足りないのできちんととどめを刺しておいた)。土手の上の街灯に照らされて、血で地面の草が真っ赤になっているのが見える。
俺は今、素手である。ナイフと拳銃はさっきのとこに置いてきた。
石田とは素手で決着をつけたかったからだ。
言葉では無理だったから。
せめて男同士。拳で分かりあいたい。
「よし! じゃあ、行くぞ!」
俺はまたスタンディングスタートで石田に向かって、走り出す。石田は今度は体を前後に振り出した。まるでデスメタルのバンドみたいだ。石田の服をつかんで放り投げる。
その腹めがけて拳を叩き込もうとしたのだが……。
あ。
どっぼーん。
勢いあまって川に投げ込んでしまった。
やっべ。
石田は真っ黒な川の底に沈んでいった。
と思ってしばらく水面を見ていると、石田が浮かんできた。水の中に顔を突っ込んだまま、ぷかぷかと浮かんで、下流にどんぶらこ~どんぶらこ~と流れていってしまった。桃太郎じゃないけど。
あーあ。
行ってしまった。
はあ……。
ま、でもこれでよかったのかもしれない。俺がわざわざ手を下さなくても、ああやって川で頭冷やしたらちょっとは反省するだろう。
……。
生きていれば、の話だけれど。
「生きろよ……強く、強く」
彼はまだ高校2年生なんだ。人生これから、もっと強くなってほしい。そう、死んでいった仲間たちの分まで。
「解決……したのかな……」
思い描いていた結果とは違ったけれど。石田を反省させることはできた、だろう。多分。そうだと思いたい。
一息ついてから。
「うっわ!」
俺は自分が全身血まみれなことに気付いた。こんな格好では歩いて帰れない。血が俺のアパートについてしまったら殺人事件でも起きたとか、大騒ぎになる。それに壁に血が付いたら引っ越すときに修繕費をとられるかもしれない。
となると……。
「よし! ここで洗おう」
ちょうど目の前には川があるんだ。
服を脱いで、この川の水で返り血を落とすことにする。乾かしてる暇はないので全身びっちょびちょで帰宅することになるだろうが、血でびっちょびちょよりは何倍もましだ。
Tシャツとジーンズを脱ぐ。パンツまで血まみれだった。
「橋の下なら……」
暗い橋の下に移動した。ここなら人に見つからないだろう。パンツも脱いで、俺は全裸になった。川に入る。初夏。軽い運動の後の水浴びはなかなか気持ちがいい。
しかし、もし今この状況を見られて、通報されたら。確実に捕まる。
いや、さっき土手の上を見たけど誰も通らなかった。腕時計を見ると今は夜の十二時半。
こんな夜中には誰も出歩かないだろう。多分。
そう結論づけて安心して服をまとめて川につけて洗っていると、
うーーーーーーーーーーーーぅぅぅぅぅぅぅぅんんん
サイレンが、聞こえてきた。しかもパトカーの。
……。
えっ。
どうやら近づいてきているようだ。
えっ、誰かに見られて、通報された⁉ いや、まさか。偶然に決まっている。偶然こっちの方で何か事件が起きて、誰かが通報したとかだ。
ますます近づいてくる。
これは……!
まずい。とにかく服を着ないと。
川から上がってすぐに着替えよう。服を先に陸に上げようとすると。
服が、なかった。
……えっ?
そんなはずはない。ずっと手で握っていたはずだ。
手を見た。
手には、何も握られていなかった。
「……えっ、なんで?」
消えた?
これはミステリーだ。というかファンタジーだ。
「ううううわわわわわわわ、やばいやばいやばいやばいやばいやばい」
慌てふためきながら、それでも俺は一つの答えにたどり着いた。
流されたんだ。
さっきパトカーのサイレンが聞こえたとき、驚いて手を離してしまった。川の下流を見るともう服の姿は見えなかった。流れて行ってしまった。
パトカーが橋の上で停まる音がした。何人かの警官の足音。
そして、その中の一人が橋の下の川につかっている全裸の俺に気付いたようだ。
「すいませーーーーーん。そこの人何やってるんですかーーーーーーーー‼」
一人の警官が声をかけてきた。しかもよりにもよって婦人警官だ。
もう、無理だろう。俺は生徒に体罰を振るう教師と同じくらい、性犯罪を犯す教師を軽蔑していた。電車で痴漢したり、女子トイレにカメラを仕掛けたり、援助交際したり。そんな教師にだけは絶対にならないと、誓ったはずだった。
それなのに。
俺は公然わいせつ罪で捕まってしまうのだろう。
言い逃れは出来ない、この状況。
もう……こうなったら。
やけである。
「何をやっているのですか、と聞いています! 質問に答えなさい!」
河川敷に降りてくる婦警。そして、しばらく歩いてから俺の格好に気付いたようだ。
「……⁉ ちょっと、あなた、いったいここで何を?」
俺は裸のまま陸に上がった。この段階で下半身を完全に露出させていることがばれた。裸足のまま、裸のまま、俺はゆっくりと、婦警に近づく。真夜中に身長190センチ近い男が迫ってくるのはなかなか恐怖だろう。
「……! あなた、とまりなさい! さもないと発砲します!」
婦警がピストルを構える。俺は止まることなく近づいていき、加速した。そして婦警に発砲させる隙を与えることなく見事押し倒すことに成功した。
「むううう~⁉」
口に腕を突っ込んで声を出させないようにする。ちょうど衣替えの季節なので婦警は夏服だった。暴れるのでやや苦労したが何とか上だけでも脱がすことに成功。
「俺が何者か、だって? 俺は世界を渡り歩くヌーディスト、アツシ・クロモリだ! 今宵も若い女を食い物にするために夜のパトロールをしてたってえわけだああああああ……」
婦警の耳元でささやいた。
ふと上を見上げた。頭上には橋があるがその向こうには満天の星空が見える。流れ星が光った。まるでこの惑星に落ちてくるみたい。俺の頬にそのひとかけらが流れ落ちた。
「ふふふふふふふふふふふふふふふ…………あーはっはははははははははははははあああ」
俺は夜空に向かって大きく吠えた。そこには性欲と破滅衝動のままに生きる一匹の哀しき獣の姿があった。
あ。
何者かに腕をつかまれて、後ろに手を回された。
かくして獣は捕獲されたのだった。