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「完全に不審者だよな……」
双眼鏡を片手に持ちながらつぶやく。もう片方の手にはアンパンマンの顔型のあんぱん(こしあん)。味はそれほどでもない。
さっきからずっとリビングの窓から塾の方を見はってるが石田が出入りしている姿は観察できない。こんなことを初めてかれこれ三日である。ずっと学校を無断欠勤しているからさっさとけりをつけたい。
トイレや食事をしている間に見逃しているのかもしれない。
いやそんなことってあるか? そんなワーストタイミングなことがあるものか?
しかしそうはいっても一瞬たりとも目を離さずに見張っていることはできない。どこかで見落としているのだろう。
……。
……やばい。
眠くなってきた……。
「……! いかんいかん。こんなところで眠ったら教師失格だぞ」
しかし眠い。それに何か飲みたい気分だ。あんぱんが思ったよりもさもさしてて喉が渇いた。
一石二鳥のカフェインを摂ろうかとも思ったがコーヒーが切れていたからあきらめる。酒なんか飲んだら一発で眠ってしまう。酒は週末だけだし。となると水しかない。
ミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出してペットボトルのままがぶ飲みするため口をつけようとした瞬間。
「あ! いた!」
遠くに石田亮介の姿を発見した。塾の前の道をこっち(おそらく塾)側に向かってくる。
どうする? どうする⁉
見つけた後のことをまったく考えていなかった。俺は慌てて押し入れからライフルを取り出す。足を狙撃して動きを止めようか。
いや、だめだ。麻酔弾が手元にないし、そもそも話をすることが目的なのであって捕獲することは違う。何考えてるんだ俺は。
携帯用ナイフを持って家から飛び出した。いや、待った。またいつもの癖が出てしまった。
ドアから中にナイフを投げ入れてそのまま鍵をかけずに走り出す。
話し合いに武器なんて必要ない。
「……なんか用ですか、先生? 僕これから塾なんですけど」
塾(俺のアパート)から二百メートルくらい行ったところでようやく追いついた。石田は私服に小さめのリュックを背負い、こっちをジト目で見てくる。
「いやいや……、あれだよ。ほら。その……君、今平日の午後一時だし。学校ないの?」
補導する警官みたいだ。公務員という点では共通している。
「……それはこっちの台詞ですよ、先生。先生こそなんで平日の真っ昼間に学校行かずにこんなとこにいるんですか?」
君を見はってたからだ、なんて言えない。恥ずかしいし。
「俺はこの近くに住んでるんだよな~。それでさっき君の姿を見つけてさ……。どうしたのかなと思って」
「答えになってないですよ」
まったくもってその通りである。
「ああ、君の言うとおりだな。今度からそうするよ。質問にはきちんと答えるようにね、しないとだめだな、うん」
不審者をみるような目でこっちを見てくる。しまった。変な人だなんてイメージを与えてしまったかもしれない。
「僕はこれからちょっと用事があるので、失礼します」
お辞儀をして俺の脇を通り抜けていってしまった。
……。
棒立ちしてる場合じゃない。追いかけないと。
振り向くと石田が塾の中に入っていくのが見えた。
塾の中に部外者の俺が入るのはさすがにまずい。ここはいったん引こう。
そうしよう。
5月下旬の山梨は暑い。俺は汗を拭いアパートに帰ることにした。
教師が生徒と信頼関係を築くのは、そう簡単なことではないなと思った。
塾の中に入ったということはいずれ出てくるということだ。塾の中で寝泊まりする生徒なんてさすがにいない。平日の営業時間は午後一時から午後十時。それまでの九時間、ずっと塾の入口を見はっていればいい。となると夜は眠ることが出来そうだ。窓の近くにソファを引っ張って来て設置する。ずっと固い床に座っているのはしんどい。
現時刻午後三時二十分。
いやそれにしても。
眠い。
別に夜眠れていないわけではない。睡眠時間なんて無断欠勤し始める前よりも多いくらいだ。ただずっと何もせずにただ一点を見張り続けるのはどうしようもなく退屈なのだ。
そういえば高校の頃もこんなことがあった。
あれは確かの隣の県の高校である「梅毒商業高校(略して梅商)」を制圧したときのことだ。梅商の全校生徒を校舎の中に閉じ込めておき、生徒たちを救助しようとする軍人と機動隊を待ち伏せするために今みたいにスタンバっていた。あの当時はもう引退も近く、番長(司令官)の役目を後輩の二年生に委託していたので俺は末端の役割を引き受けたのだった。
あの時は気を抜いたら射殺されたり逮捕される危険があったので眠気なんて感じる暇がなかった。
あれが俺の不良としての引退試合だった。
そうだ。懐かしいな。
高校時代が俺の全盛期だったように思う。元気も思い切りもあって今みたいに残念系キャラじゃなかった。
……っておい。
ダメだ、そんなことを考えてる場合じゃないだろ! 俺のなすべき使命。それは石田の問題を解決することだ。
金ザモ先生なら、この状況にどう対応するだろうか。
多分、生徒を拉致監禁して催眠術にかけてそれで解決するだろう。精神も肉体も傷つけることなくスピード解決でハッピーエンドだ。
でも俺は金ザモ先生のように催眠術も使えない。そもそもあれはドラマの話なのであって現実味に乏しい。
俺が金ザモ先生から学び、真似できることはただ一つしかない。
生徒に無償の愛を注ぐことである。
夜。午後十時。
石田亮介が塾から出てきた。
それを確認すると俺もすぐさま荷物を取り、家を出る。
追跡開始だ。
あれから色々と考えたのだが、最初にやらなければならないことは石田本人のことを知ることである。ただ有無を言わせず学校に来いとだけ言っても反発されて無視されて終わりである。話し合いだ信頼関係だなんだといっても、心から正直に会話することが出来なければどうしようもない。まずは本題を避けて軽い話題から話してみる。その会話が少しでもスムーズにできるように彼自身のことを調べなければならない。彼が何を好み、どういった生活をしているのかを。
石田の後方五十メートルくらいのところを近づきすぎず、遠ざかりすぎず、程よい距離感で歩く。
しかしここで異変に気付いた。彼の向かっている方向は彼の家とはまったくの反対方向だ。俺はすっかり家に帰るものだとばかり思っていたのだが、彼はどうやらどこかに寄り道していくつもりらしい。駅の方へ向かっているようだ。電車に乗られたらまずい。電車賃持ってきてないぞ。
駅が見えてきた。俺の住むここ乾市はそれほど都会なわけではないが山梨県の中では発展しているほうだ。当然駅前はビルや人通りも多く、こんな時間でも賑やかだ。
石田は駅の中には入らなかった。駅の向こうの繁華街の方に向かっている。現時刻は夜十時半。もしこのまま繁華街に行って、長居するようなら補導されてもおかしくない。
正確に言えば繁華街ということはなかった。繁華街をもう少し行って少し外れたところの、廃ビルのようなところに石田は入っていった。
「……」
中で何をやっているのだろうか。
麻薬をやっている、とかが浮かんだがすぐに打ち消す。悪い事を考えるな。生徒を信頼しなくてはだめだ。
ビルは五階建てで玄関の他にも裏側に非常口があった。ドアノブを触ると鍵がかかっているのか開かない。
非常口の周りはちょうど路地裏で明かりも乏しく、暗い。肝心の路地の方は人通りは少なく、車がちょこちょこ通るだけである。
これなら、いけるかもしれない。
ばれないうちに。
俺はポケットから針金を取り出すとすばやく鍵穴に差し込む。ガチャガチャやってみたが全然開かない。
当然である。ピッキングなんて初めてなんだから。
今まで建物に突入するときは爆弾を使うか、ライフルでノブを壊すかしていたのでそういう技術はもっていなかった。しかし、今は大きい音を立てるわけには行かない。中の奴に気付かれたら終わりだ。
ビルの正面玄関から直接侵入してはどうだろうか。いや、もしそれを石田の仲間にでも見られたらまずい。そうするつもりなら裏口になんか最初から来ない。
人に見られず、聞かれずに侵入する方法は、今のところ一つしか思いつかない。
俺は持ってきたバッグを開けてスナイパーライフルを取り出す。麻酔弾を装填し、路地に向かって構える。
一台の自動車の近づいてくる音。
狙えるのはほんの一瞬。
スコープをのぞく。片目で。
3……、
2……、
1……、
ファイア! 引き金を引く。
発射された弾丸は自動車の運転席に横から突っ込みガラスを貫き、運転手の脳天に直撃した。操縦不能になった自動車はブレーキがかかるはずもなく……。
轟音。どこかの建物に突っ込んだらしい。
その音に紛れて俺は銃床でドアノブを破壊し、ドアを開けて中に入った。
「うっわ、やっべえな、あれ」
「すげえ音」
廃ビルの五階、数人の若者たちが窓から外の様子を眺めている。車は数十メートル先の建物に突っ込んだようで煙が上がっているのが見える。
裏口の先は非常階段があり、そこから声のする階まで登ってきた。幸いにも若者たちは自動車事故の方に集中していて足音は聞かれなかったようだ。
五階は大きなホールのようになっており、一室しかない。非常階段とホールの間はドアが一枚あるだけだ。ドアは半開きになっていて閉めると気づかれるかもしれないのでドアと壁の隙間に身を隠す。廃ビルには電気が通っているようで中は明るく、様子をうかがうことができる。文字通りの「廃ビル」そのものではっきりいってそんなにきれいな場所ではない。
それよりもまず最初に気付くのが異臭である。
あきらかに普通ではない臭い。俺はバッグからガスマスクを取り出してつける。顔がばれないようなフルフェイスのものだ。
この臭い。
馴染みはないが、嗅いだことのある臭いだ。
部屋の中には男が五人、うちの一人は石田だった。残りの四人の年齢はよく分からないが二十歳前後といったところだろうか。石田以外は髪を派手な色に染めている。五人は窓から外の様子を眺めている。
そして女が一人。全裸で両手を縛られてベッドに拘束されていた。口に何か突っ込まれていて声が出せないのだろう。目は虚ろで、体中に青黒い痣がある。
……。
なんとなく彼らがここでなにをやっているのかを把握した。
いや、これは。困ったことになった。考えたくないが石田を含む五人はここで夜な夜なエクスクスタシーレイプでもやってるのだろう。本当にやばい。事態は俺の思っていたよりも深刻なのかもしれない。
五人はまだ外を見ている。窓から室内の臭いに混ざって事故によって発生した煙の臭いが俺のところにまで漂ってきた。燃えているのだろうか、少し外が明るい。
五人は何か話して、げらげらと笑った。一人がおどけたように何かポーズをとる。それを見て、石田も笑っている。
正直、これ以上見たくないと思った。この空間ははっきり言って異常だ。これ以上ここにいたくない。
昔の自分を見ているようだから?
いや、それは違う。
昔の自分の「敵」を見ているようだから。高校時代に、俺が制圧した他校の不良生徒を見ているようで……だから体がうずくんだ。
これ以上彼らを見てはいけない。
昔の自分が……過去の自分が、出てきてしまう。
よし。
ならば帰ろう。。
いつまでもここに隠れているわけにはいかないし。
大体の事情は分かったし。長居する理由はない。
ライフルを持ち、俺は振り返らずにその場を後にする。
帰りは行きよりもずっと楽だった。忍び足で階段を降り、壊れたドアを開けて外に出た。
自動車事故で周りはパニックになっていて路地裏から出てきた俺を見て怪しむ者は一人もいなかった。
翌日。今日も俺は塾の入口を見張る。やはり無断欠勤四日目となると学校からの電話も激しくなっていた。しかし居眠りしそうになったときに電話が鳴ると目が覚めるのでありがたいといえばありがたい。
昨夜は石田が夜に何をしているかを知った。
そして、今日やること、今日のミッションは「塾での石田を知ること」である。
あれだけの悪い行為をしておきながらなぜ石田は塾に通い続けるのだろうか。塾は学校と違って強い拘束力を持たない。そりゃ無断で休み続けたら家に電話くらい入るだろうが、学校よりは軽い。それなのになぜ、真面目に塾に来る? それを知る必要がある。
今日も午後一時に石田は塾に入った。午後一時といえば塾の営業時間の最初。つまりは塾が開くやいなや速攻でやってくるわけだ。そして昨日は夜十時に出てきた。営業時間ぎりぎりまで彼は中にこもっていたことになる。
……。
そういえば今日やることは夜からだ。
今こうして見張ってる意味はないっちゃない。今は午後四時。本日のミッションはあと六時間後に開始だ。
無駄な時間を過ごしてしまった。
「金ザモ先生でも見よっかな……」
ソファをテレビの前に移動させる。元の位置だ。DVDプレイヤーを起動して、DVDを挿入。今日は神回と呼ばれる(金ザモ先生は毎回が神回だと思うけど)三話を見よう。
この回は金ザモ先生の先輩教師が生徒にリンチされ、それを金ザモ先生が止めに入る回だ。一話と二話ではまだ金ザモ先生が催眠術を使っておらず、普通に教師をやっていた。つまりは三話までは普通の学園ドラマだったということだ。ためにためた第三話。大どんでん返し。
金ザモ先生は格闘技などを習っていたわけではないので、はっきりいって体格的には不利だ。敵生徒はその数二十人。火炎放射器やククリナイフを保有しており、金ザモ先生の圧倒的不利。すでに先輩教師は四肢が切断され、大量出血で死にかけている。
絶体絶命の大ピンチ。
そこで金ザモ先生が覚醒し、究極の催眠術能力「魔神の眼」が発動。
『お前たちは今すぐに仲間割れがしたくな~る~、お前たちは今すぐに仲間割れがしたくな~る~』
その眼を見たものは催眠術にかかり、その命令に絶対に従う。
二十人は互いに殺し合いをはじめ、全滅。
最後に二人は無事に脱出してエンディング。
「いつ見てもいい話だな~」
俺は男ながら涙を流してしまった。ハンカチでぬぐうこともせずに、思う存分泣く。
先輩(ちなみにこの先輩教師は第五話で不倫騒動を起こす)を思う気持ちが奇跡を起こす。素晴らしい友情だ。
この回はネットでも大いに話題になっていた。それだけみんな感動したということなのだろう。
時計を見るともう午後十一時になっていた。無意識のうちにかれこれ七回はリピートしていたことになる。
再び窓の前に向かい、塾の方を見る。中の明かりは消え、誰もいないのが確認できた。
今日持っていく物は懐中電灯と超高熱棒。そして念のためのピストル。
指紋を残さないように手袋を装着。
よし。作戦開始だ。
さすがに塾のドアをたたき割って侵入するわけにはいかない。夜だし、そんな大音を立てたら警察に通報されてしまうかもしれない。塾の建物は三階建てで、面積はそれほど広くない。ちょうど立方体のような形をしている。
表側の道路からは見えにくい建物の裏側に移動する。窓があり、その内鍵の前のガラスに持ってきた超高熱棒を押し当てた。しばらくするとガラスが融けてきて穴が開いた。そこから指を入れて錠をはずす。これで侵入できる。
右手に超高熱棒。左手には懐中電灯。そして見つかりにくいように全身黒ずくめの格好。
これじゃまるで泥棒みたいだ。実際は高校教師なのに。
窓を開けて中に入る。どうやらそこは事務室のようだ。おそらく塾講が使っているのだろう。いくつかのデスクに、本棚。壁には合格体験記が張ってある。○○中学校合格、なるほど一階は小学生用の塾になっているらしい。見張り中にやたらと小さい子供が出入りしていたのはそういうことだったのだ。
事務室を出て廊下をしばらく進むと階段があった。高校生用の塾は二階か三階だろう。
二階。○○高校合格。中学生用。
三階。○○大学合格。ここだ。
階段の先は一階や二階と同じく廊下。廊下の右手には自習室。左手には講義室と書かれている。つきあたりには塾講の事務室があった。廊下の壁には個人ロッカーが設置されている。そのうちの一つを開けてみると難なく開いた。鍵穴こそついているものの誰も鍵なんかかけていないのだ。もしくはただの飾りか。
ロッカーには個人名が振り当てられており、その中からお目当ての名前を探す。
『石田亮介』
見つけた。中を開けると参考書の類がびっしりと詰まっている。数学や英語、化学などの参考書、問題集、ノートだ。
すべてを取り出して廊下の床に並べてみた。その中の何冊かをめくって中身を見てみる。ところどころに書き込みがしてあり、紙はぼろぼろになっていた。
ふむ。
どうやら彼は高二にしてはかなり発展的な勉強をやっているようである。そこにあるのは高三がやるようなものばかりだった。
そういえば化学の中間テストでも彼は高得点を取っていた。クラスの生徒のデータベースによると化学以外の教科の成績もいい。特に全国模試の結果はすごかった。
つまりは彼は勉強ができる。
「ふむ」
なぜ彼が学校に来ないのか大体分かった気がする。高校の授業が遅れていて一人で自習しているほうが効率的だと考えているのだろう。完全に俺の想像だけど。
さて。
もう用は済んだ。出した本をロッカーに綺麗にかたずけて階段を降りる。一階の塾講室の入ってきた窓から脱出。
順調にミッションをこなしている。
残るミッションは一つ。
これが最も危険で難しいだろう。
明日の夜、実行に移そう。