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黒森教室  作者: 森林晶昌
第一章 高校教師、黒森篤と生徒たち
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 俺のクラスには「石田亮介」という男子生徒がいる。俺の化学の授業にもいないし、朝のホームルームにもいない。出席簿を見れば二年生になってからまったく学校に来ていないことが分かる。

 つまりは不登校だ。

 不登校になる理由として多くの人が「いじめ」を連想するかもしれない。しかしそれだけではない。周りにうまく馴染めない、友達がいない、勉強についていけない、外に出たくない、周りの目が怖い、面倒くさい。色々あるが、どのような理由であれ「問題」であることには変わりない。そして問題である以上教師、それも担任教師の俺は「解決」する必要がある。完全な解決でなくてもいいから。少しでもその子にとってより良い状況に変わってくれれば、それでもいいから。

 四月のうちはずっと体調が悪い、という報告を受けていた。体調、つまりは体のことを医者でもない俺がつっこむことはできなかった。

 しかし五月、ゴールデンウィークが明けるとその連絡すらも来なくなった。完全なる音信不通。これは問題だ。放っておくことはできない。何かしらの事情がある。担任の仕事として、ということももちろんあるのだが一人の大人としても、この問題に向き合わねばならない。

「ここか……」

 土曜日の昼。俺は地図(スマホの地図だが)から顔を上げて目の前の建物を見る。二階建て、灰色で、大きくもなく、小さくもない。どこにでもある普通の民家だ。駅から少し歩いたところの住宅地にある民家。玄関についているインターホンを押す。あらかじめ親御さんにアポをとっているので大丈夫だろう。時間にも遅れていないし。

「はーい」

 ドアが開き、中から五十歳くらいの中年の女性が出てきた。俺は軽く頭を下げてから名乗る。

「こんにちは。先ほど電話させていただきました、亮介君の担任の黒森です。本日はお忙しいなか失礼いたします」

 玄関から家の中に入り、居間に通された。古い家のようで廊下の所々がきしんで音を立てた。

 居間のソファに腰掛ける。

「どうぞ……」

 石田母が俺にお茶を差し出す。そして彼女自身もお茶を飲む。彼女は話し方が弱弱しく心配になる。俺はそれをもらうと早速本題に入ることにした。

「本日お伺いしたのは、電話でも申しましたが、亮介君のことについてです」

「……」

 石田母は俺の斜め前のソファに座り、コップを持ち、顔を伏せながら俺の話を聞く。

「四月のうちは体調不良ということでしたが、ゴールデンウィークから連絡がまったくない状況です。ご家庭の方では亮介君の様子はどのようでしょうか。入院している、とかいうことではないと思うのですが……」

「……ええ、その……肉体的にしんどいとか……そういうことではない、と思います。毎日ご飯も食べていますし。ただ……毎日昼前になるとどこかに出かけて行ってしまい……そこから先のことは私にも分かりません。夕方に帰ってくることもあれば、私が寝た深夜に……いつの間にか帰ってきていることもあります。最近はその後者の方が……多くなってきている気がします」

 つまりは部屋から出ない「引きこもり」ではないということか。非行に走っている、というのが可能性として大きいか?

「そうですか。それで今日もここには亮介君はいない……?」

「……はい、その通りです。今朝もいつも通りに出て行って……それっきりです。それでですね……塾の方には行っているみたいなんですけれど……」

 塾には行っている……。非行に走っているわけではない? それなら学校に馴染めない、という線だろうか。

「その塾というのはどこの塾なのでしょうか」

 塾の情報をメモする。その後も少し話をしたが切り上げて石田宅を出た。

 幸いにも石田宅とその塾は高校と同じ市内にあって、歩いて行ける距離だ。

「非行や引きこもりじゃないのなら、少しは楽かな……」

 そうつぶやく。別に根拠があるわけじゃない。ただの勘だ。とりあえず今考えられることとしては、高校にうまく馴染めない、高校の授業よりも受験勉強を優先したい、といったところだろうか。 

 しかしここで石田亮介が夜遅くに帰ってきている、というところが気になる。家にいづらいのか、本当に非行の道に走って夜は遊びまわっているのか、だろう。

 考えても仕方がない。手っ取り早いのは本人に直接接触することだろう。幸いにも明後日、月曜日は中間試験があるから彼が学校に来る可能性も高いはずだ。そのときに……。

「これはこれで……」

 ドラマみたいじゃないか? そう言おうとしてやめた。石田亮介にとってこれは深刻な問題だ。それを俺の自己満足に利用するのは教育者として最悪だ。

 だがしかし。

 休日もこうして個人的に仕事をしているんだ。少し、やりがいを感じてやる気を出すのはそう悪いことじゃない気もする。

「よし!」

 両手で顔をパチっと叩く。喜んではいけないが、やる気は出す。自分のためじゃなくて生徒のために。ひとまず学校の自分のデスクに戻ることにした。



 石田亮介は優秀な生徒だった。予想に反して、ではないが。そもそも予想なんて最初からできなかったし。目の前の答案を見てふとそんなことを思った。

 96

 大きく赤字でそう書かれている。俺が書いたんだけれど。

 96点のうち間違いは化学反応式の係数のミスと、計算結果の有効数字間違い。一問二点で四点減点。それだけである。

 二年五組のクラス平均は54点。二年生理系クラス全体での平均は53点だから石田はかなり優秀な部類に入るはずだ。それぐらいの点数をとる生徒は学年に十人くらいはいるし、それほど珍しいわけではない。しかしそのうちの半分以上が理数科の生徒だ。パソコン上のデータでも二年五組内の化学の試験順位は石田が一位と出ていた。

 その本人。石田亮介が俺の前、教卓の前に立っていてじっとこっちを見ている。俺は思い出したように慌てて彼に答案を渡した。そして次の生徒の名前を呼ぶ。石田の出席番号は一番だった。

 全員に答案を配り終えて授業に取り掛かる。授業内容としてはテストの解説なのだが真面目に聞いている生徒は半分くらいだ。聞いていない側は点数に落ち込んでいたり、終わったテストに興味なんてありませんよ~みたいな表情でぼーっとしていたり、普段の授業と同様に寝てたり、英単語覚えていたり、といったところだろう。石田は……たぶん聞いてない。

 五十分の授業を終えるチャイムが鳴り響いた。解説もきりよく終わったので授業を延長なしで終えた。この後は普通に放課なので生徒たちは掃除係の仕事として掃除に向かう者、部活に向かう者、帰る者のそれぞれに分かれて身支度をし始める。

 ……。

 石田は……三つ目か。

 あの後、テスト最終日のことだが石田に声をかけてみた。「ちょっと話があるんだけど」そんなくらいの感じで。廊下の端に移動したが石田は別に嫌そうな顔をすることなく俺についてきた。

「……なんですか?」

 石田が先に俺に聞いてきた。顔を近くで見るのはその時が初めてだった。眼鏡をかけていて、髪がやや長く、学生服を着ていて……他にあんまり特徴がない。母親に似ているな、と思った。

「いや、結構久しぶりに学校来たけど、体大丈夫かな、と思って」

「そうですね。はい、テストは受けないと留年しちゃいますし。体も別に大丈夫ですよ」

「そうか、うん。まあ、何か困ったことがあれば言ってくれ……」

「はい。では」

 そう言って教室のほうに戻っていった。速い。

 母親と違って結構はっきりと話す子だと思った。

 それからの数日、テスト最終日から今日まで一週間くらいだが、彼は学校に来ている。遅刻も早退もせずに普通に。テストが終わるとまた来なくなるものだと思っていたからそれが少し意外だった。



 それからさらに一週間が過ぎ。意外もしくは想定通り(?)に彼はまた学校に来なくなった。

 朝のホームルームにも授業にも。

 今日の俺の化学の授業にも。

 はい。

 はいじゃないが。まずいじゃないか。

 どうするべきか、考えねば。

 また石田宅に行っても母親からこの前と同じような話をされて終わりだろう。そもそもあの程度の話なら電話でできたんじゃないのか?といまさら思えてきた。「困ったことがあれば言ってくれ」なんて言ったけど普通に考えて言ってくれるはずがない。ほぼ初対面なんだから信頼関係なんて全然ないわけだし。

「信頼関係か……」廊下を歩きながら小さくつぶやく。

 教師と生徒の間の信頼関係なんてあるのか? 実際。

 少なくとも俺の場合、俺の実体験の場合、教師を信頼したことなんて一度もなかった。小学校のときは怒られてばっかりだったし、中学校のときはひたすら無視していた。高校のときは眼中にすらなかった。信頼できるやつは……脱工の、今では名前も顔も思い出せない仲間たちだった。信頼しなければ他校との抗争に勝つことはできない。お互いがお互いを信じあい、同じ目的のために作戦を遂行する。そこには利害関係なんてなく……

 思考が脱線してしまった。高校時代のことなんて今はどうでもいい。石田をどうするか考えないと。

 ズボンの後ろポケットからメモ用紙を取り出す。そこには塾の名前が書かれている。

「まずは接点を持たないことにはどうしようもないよな……」

 会うこと。それに尽きる。

 会って話をする。細かいこと云々の前にそれしかない。

 塾の名前をスマホで検索。職員室内にはWi-Fiが通っているので難なく検索結果が出た。

 サイトをクリックしてジャンプ。駅から少し歩いたところにあるらしく、予備校というよりは小さい塾のようだ。営業(?)時間は平日午後一時から十時まで。休日は午前九時から午後十時まで。ちらっと職員室の時計を確認すると今は午後六時。

 部活の顧問をしてなくて本当に良かったと思う。時間とれるから。

 それよりもさらに良かったと思うことは。

 その塾が俺の住んでるアパートの真横にあることだ。



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