世間は広いようで狭いって誰かが言っていたんだもんっ
桜野高校の校門を抜け、地獄坂とも言われる急な坂を下ると学生が多く使う小さな駅がある。駅から北へ向かう電車で2駅、そこから自転車で10分こげば私、遠藤桃の家がある。
ここは10年前くらいにできたニュータウンで、数年前に都会から来た、落ち着いて暮らしたい人がこぞって家を建てた場所でかくいう遠藤家も中学入学と同時にここに移り住んだのだ。
まだ、新しい家からは夕飯の匂いがし私の空腹を煽る。
「ただいまー」
「あら、おかえり」
家に帰ってきたのは私が一番早かったらしく、キッチンのドアからお母さんがひょっこりと顔を出した。
私の母、遠藤百合子さんは私よりも随分背が低い。後姿を見れば小学生なのではないかと錯覚してそれを言うと……
「アラヤダ、それってちょっと流行のロリババァよね」
なんて言葉が返ってくる。
お母さん、ロリババァってなんですか。
昔は絵本を書いていたことがあるってお父さんが言っていたけど、今は時々家で仕事をしながら会社員のお父さんを支えている。ただ、お母さんが仕事の時は笑顔が一転鬼の形相になるので近づかないと言うのが我が家では暗黙の了解だった。
「俊とお父さんは帰って来てないの?」
「俊はもうすぐ野球の大会だから遅くまで練習、お父さんは会議で遅くなるって」
もう40歳にもなるのにパステルピンクのフリフリエプロンを着けたお母さんは小走りでキッチンに戻って行く。
私は一旦、自室に荷物を置いて制服から部屋着に着替えると、夕飯を食べようとキッチンに戻った。
お母さんの料理はおいしい。和食にしても洋食にしてもおいしくて、私もお嫁に行く前に教えて貰わなくちゃといつも思う。
それと同時に、相手を探さなくちゃねと少し落ち込むのだ。
今日の夕飯は鶏肉と大根の煮物だった。きっとみんなが帰ってくる時間がバラバラだから煮物にしたのだろう。
「ごちそうさまでした」
「はぁい、お粗末様でした。さ、桃ちゃんお母さんはちょっと縫い物をしなくちゃいけないから流しに入れておいてね」
「わかった」
お母さんはキッチンから出て行ってしまった。
私は流しに皿を入れると、部屋着の懐からそおっと手提げを取り出す。
よく見て見れば、その手提げは高校生には手が出ないブランド“MIZUKI ARANO”のショッピングバックだ。
「もしかして、一ノ宮くんの私服って一着で私の全身コーディネート分くらいするんじゃないかな……ははは」
から笑いが出た後に、その袋を開けようとする。
なんとなく、だ。この高級ブランドショッピングバックの中身が分かっているのだ。
適度な軽さ、そして大きさ。形は限りなく本に近い。だけど本にしては軽すぎて、文庫本より薄い。
そう、この中身はまさしく……
「“まじかる☆ステラ”のDVD……」
ピンクのパッケージにはとてもポップな字体で“まじかる☆ステラ 1巻なんだもんっ”と書かれている。メイド服のような衣装を身にまとった主人公“杏樹ステラ”がポーズをとって愛くるしい笑顔をこちらに向けていた。
よくよく見れば手紙も入っていて、どうやら一ノ宮くんからのようだ。
――遠藤さんへ
さっこみゅ部への入部おめでとう。
龍から聞いたよ、遠藤さんはまじ☆ステを見たことがないんだってね。僕は少々焦りすぎてしまったようだ。(てへぺろ)
しかし、我女神 沙羅スピカを選ぶとはお目が高い。君とは魂のレベルでわかりあうことが出来そうだ。
さあ、これを見て天使たちを応援しようじゃないか。1巻4話目はスピカたんが初登場するのだよ、必見なんだもんっ
おぽんち♪めろんより
あれ? さっこみゅ部って小説を書く部活だよね?
私はこうなってしまった経過を頭の中に浮かべた。
「一ノ宮、遠藤はそのまじかるナントカは見たことがないそうだぞ」
きっと鬼塚くんは私が困っているのを見て上記の様にフォローを入れてくれたのだろう。
見たことがないと分かれば私にまじかる☆ステラ通称まじステの話で暴走しないようになるからだ。ところが一ノ宮くんはきっと、
「なに? 沙羅スピカたんを選ぶようなセンスがあるのにまじステを見たことがないだと!?なんて、なんてかわいそうなんだぁぁぁぁぁ!」
うん。こんな感じで今日に至ったのだろう。
なんてことだ。これじゃあ見てないとなったら一ノ宮くんがとっても落ち込むではないか。
私は一度廊下に出て、お母さんが鼻歌交じりに縫い物をしていることを確認する。
そして、リビングに戻るとDVDプレイヤーにディスクを差し込んだ。
弟が帰ってくるのはいつも通りだと今から2時間後、お父さんは帰ってくるときに車の音がするから分かる。
DVD1巻に収容されているのは全4話、時間に直すと約120分……2時間。
「……フ、計画通り」
吸い込まれていくDVDを見送るとソファーに座り再生ボタンを押した。
1話目は主人公、杏樹・ステラが不思議な兎に出会い魔法少女になってしまうと言ったストーリーだった。そのストーリー展開もどこか懐かしく、いつの時代も変身アニメはいい意味で変わらないなと思った。
2話は杏樹・ステラの幼馴染であり親友の愛奈・ルナが魔法少女になる話。主人公であるステラのイメージカラーが青なのに対してルナのイメージカラーがピンクだったのには驚いた。私が小さい頃に見ていたアニメは大体主人公がピンクのことが多いからだ。
そして、一ノ宮くんからの手紙やDVDパッケージの“なんだもんっ”という台詞はこの愛奈・ルナの口癖なことが発覚した。
3話目は初めて現れる敵を二人が協力して倒す話、そして4話目がお待ちかね沙羅・スピカの登場だった。
「あの子が魔法少女の素質がある女の子だぴ。早く仲間にすんだぴ」
ステラを魔法少女にしたマスコットの“にょぴうさ”がステラとルナに言う。
だけどスピカはクラスの委員長で一匹狼のような女の子。ステラたちが声を掛けても、冷たく接してしまう。
「私、そういう非科学的なモノに興味はないんです」
なかなかうまくいかないでいるとスピカは敵に捕まってしまう。
無事、助けることができたステラとルナにスピカは俯きながらこういった。
「す、すいませんでした。お手を煩わせるようなことをして……」
「これでスピカちゃんも魔法少女の存在を信じてくれたんだもんっ」
明るく言うルナ、それでもステラは険しい顔をしている。
「ハイ、疑うようなことをしてごめんなさい」
再び俯くスピカの肩をステラはがしっと掴む。
「あのさぁ、謝るんじゃなくてもっと言う言葉あるんじゃないの? ありがとう、とかさ。私もルナも攻めてるんじゃないよ。スピカが助かってよかったって思ってるし、謝ってほしいなんて思ってないよ」
顔を上げたスピカには一筋の涙が流れている。
「そ、そうですね。私、友達とか……あの、いたことがなくて。こういう時になんて言えばいいか分からなくて……あ、ありがとう」
そしてスピカの体が光り、お待ちかねの変身シーンだ。
「あらー、桃がアニメなんて珍しいわねぇ」
私はびくりと肩を震わせる。
振り向くとそこには、フリフリエプロンのままのお母さんがこちらを見ていた。
後ろでは煌びやかな変身シーンが流れている。
「あああああ、あのね、こここれは!」
私が止めようとするとお母さんが目を丸くする。
「アラ、これまじステじゃない」
お母さんは私の隣に座りまじまじとテレビに齧りつく。
まじかる☆ステラは幼児の親世代から男子高校生を越え、40代の主婦にまで人気なものすごいテレビアニメなのかもしれない。
確かに、幼児向けにしては1話1話重みがある気がする。衣装もとっても可愛らしいし。
「ルナね、ステラもスピカちゃんもとーってもいいお友達になれると思うんだもんっ」
愛奈・ルナの台詞で物語のオチが付き、エンディングが流れる。
「お母さん……このアニメ知ってるの?」
「まあ、そうね。このキャラクターデザインお母さんがしたのよ」
あ、そっか。お母さんがデザインしたら知らない訳ないよね。
……今なんと仰いました?
「アラ、そんな驚くことないじゃない。お母さんね、昔は結構有名な絵本作家だったのよぉ。それで縁があってこのプロデューサーに知り合ってね。昔の好だからデザインを頼まれてくれって。私は渋ったんだけどね、好き勝手やっていいって言われたらやっちゃうわよねぇ」
オホホ、なんて笑って見せるけど私は心中穏やかではない。
お母さんは絵本作家だったのだが、活躍していくと大人向けの作品……漫画が描きたくなったらしい。
そんな中私を妊娠、もう創作の世界へは戻らないと決めていた筈だったがセンスを見込んでいた知人のプロデューサーがアニメチームを発足の際にどうしてもと頼み込まれデザインだけ担当したらしいのだ。
確かにエンディングを見て見ればキャラクターデザインの部分に藤田百合絵とお母さんの名前に似たペンネームが表記してある。
「特にね、このスピカちゃんはこだわったのよぉ。このサイハイソックスを最初はストッキングか生足にしろ、なんていうもんだからお母さん怒っちゃった。えへ! アレ、桃? どうしたのよ~!」
どうしよう、どうしましょう神様。
私はこの世界の狭さと、秘密を抱えてしまったことになりました。
「まじかる☆ステラ、次回、私の最高で甘い悲劇、なんだもんっ! 沙羅・スピカ、参ります」
後ろにおぽんち♪めろん先生お気に入り、沙羅・スピカたんの次回予告を聞きながら、力が抜けた身体をへなへなとソファに預けるのだった。
次話は3月3日更新予定です。




