ギャップ【gap】――大きなずれ。懸隔。食い違い。
次の日、私は文章ファイルが入っている母からお下がりでもらったノートパソコンを持って学校に登校した。
そわそわしながら授業を受けて、待ちに待った放課後。今日はしっかり掃除当番を終えてから、空き教室に向かう。
(今日も、鬼塚くんと二人っきり! ドキドキしちゃうな)
喜びに舞い上がりながら、空き教室のドアを開けるとそこには鬼塚くんがいた。
「よお、遠藤。その荷物はパソコンか?」
「うん、お母さんのお古なんだけど文章書けるソフトが入っているから創作に使ってて……」
一昨日までの自分に“明後日、あなたは鬼塚くんと二人っきりでナチュラルに話しているんだよ”そう言ったらどんな顔をするのだろう。絶対信じない、今の私も半信半疑なのだから。
今ではこんなに近くにいて、自分の密かな趣味である創作の話だってできる。
もしかしてこれって二人の共通の秘密、なのかな?
「さっこみゅには登録したか?」
「うん、待ってね。今ページを開くから」
私の気持ちを知らない鬼塚くんは私に顔を近づけてパソコンを覗き込む。
パソコンを起動して、インターネットを開く。よかった、昼休みのうちに学校のインターネット回線に繋げておいて。
私のページには桃瀬林檎というペンネームにしてある。林檎は勿論ゆるきゃらのりんちゃんから取ったのだった。
「桃瀬林檎、か。古風でいいペンネームだな」
「あ、ありがとう」
褒められて、素直に嬉しい。
気持ちがふわふわして、顔が赤くなるのがばれないように私はパソコンに集中した。
ちょっと貸して、と鬼塚くんはマウスを取ると検索画面から鬼塚くんのページが開かれる。
昨日は注視していなかったけれど鬼塚くんのペンネームは“鬼夜”というらしく、その漢字のシンプルさと響きの固さが鬼塚くんらしいと思った。
「これ、俺のことお気に入り登録してもいいか? 相互でお気に入り設定にすれば互いの活動がマイページで確認できるし」
「うん、勿論。私はまだ何も書いていないけれど鬼塚くんの書いた作品、気になるな」
「俺も短編しか書いてないが、読んでみて気になったところを指摘してくれるとありがたい。遠藤はさっこみゅの作品なんか呼んだか?」
私は、昨日登録した時にちらっと読んだ作品を画面に移した。そこは“今月のピックアップ! 今人気急上昇の作家”というページで特集を組まれていたユーザーの作品だった。
「その……この作家さんなんだけどね」
私はその作家さんを指差した。
普通なら“○〇さんの作品を読んだよ”なんていえばいいんだが、い、言えない。私はその作家の名前を口にすることが出来なかった。消して変な名前ではなく、やましいことでもない。
いや、しかしギリギリセーフな感じの一歩間違えればアウトですよ、な名前を口にするには勇気が必要だった。
「ああ、“おぽんち♪めろん”か」
言ってしまった。鬼塚くんが先にその名前を口にした。
その名前はひらがな相まって少し卑猥な語句に聞こえなくもない。いや、それは私の心が穢れていたからなのだろう。鬼塚くんは意図も容易く、普通の名前だろ? みたいにその名前を口にしたのだから。
「そ、そう! ライトノベル風のファンタジー作家さんで、私はファンタジーというかライトノベルに無縁だったから気になって読んでみたの」
「ああ、悔しいけど文章うまいもんな。でもこういった作風って女子は好まないだろう。バトルもので尚且つヒロインがたくさん出てくるし」
おぽんち♪めろん先生の代表作は“朝起きたら俺争奪戦が始まったようですよ!-異世界動乱編-”という異世界が舞台となったラブコメディだ。どちらかと言えば男子向けのハーレム物のようだが、世界観や心理描写がしっかりしていて元々文学を書くようなユーザーがわざと崩しているようだった。
それでも鬼塚くんがハーレムものを読むと聞いて残念な自分もいる。数多出てくる女の子たちのなかで誰が好みなのだろう。セクシー担当のジュリアお姉様だったらいやだなぁ……なんて自分の胸を見下ろしながら思うのである。ああ、何も障害なく上履きが見えるよ。
「確かに男の子向けだけどスキキライしないで、まずはどんな作品が受け入れられているのか知った方がいいかな、って思ったんだ!」
「遠藤は勉強熱心なんだな。でもよかった、実は今からもう一人部員が来るんだけどそいつは……」
――ガラッ
鬼塚くんの言葉を遮るようにして、扉が開く。そこには少女漫画から出てきたような美少年が立っていたのでした。
そっか私たち二人だけの秘密じゃないよね。分かっていたけど、少し寂しいな。
「おう、遅かったな」
鬼塚くんに声を掛けられた美少年はツカツカとこちらに歩いてくる。
私の目の前に立つと右腕を差し出した。
「龍に聞いたよ。さっこみゅ部に入ってくれるんだってね。僕は1年D組一ノ宮瑞輝。歓迎するよ、どうぞよろしく」
「遠藤桃です、よろしく」
これが少女漫画だったら周囲に白薔薇をまき散らす勢いだ。きらきらと花のトーン貼りまくりだろう。
私は圧倒されながらも、柔らかく微笑んだ彼に握手をする。この部活、顔面偏差値が高すぎる。というより全体的にスペックが高い。それに初対面の人に握手をする人、高校生で初めて見た。
話によると一ノ宮くんは鬼塚くんと同じ中学校の出身で、唯一の創作仲間らしい。
二人並ぶと陰と陽、春と秋、太陽と月、のようなそれぞれ輝かしいオーラがあって、創作をしていると知らなかったら話しかけにくい印象だ。
「へえ、遠藤さんは推理物を書きたいんだ」
「うん、長編はプロットの段階なんだけど、いくつかストーリー案は浮かんでいるんだ」
話していると一ノ宮くんは印象通り柔らかい物言いで、本当にどこかの女性向け作品から抜け出していた王子様のようだ。
鬼塚くんは古風で整っている、と言った感じだけど一ノ宮くんは中性的なイケメンといった感じ。
「そうだ、一ノ宮。遠藤がお前の作品読んだって」
「ああ、そうなんだ。なんだか恥ずかしいな」
ライトブラウンを掻き上げて照れる姿は、本当に絵になる。一ノ宮くんは王道の騎士が出てきて国を守るファンタジーとか、歴史ものを書きそうなイメージだ。童話でもいいかもしれない。
いろいろと妄想を膨らませている途中で我に返る。
「え、私一ノ宮くんのマイページまだみていないけど……」
「何言ってんだ。さっき話しただろう?」
「さっき話した……?ってええええええええええええ!」
この部室に来てさっこみゅ作家の話は一人しかしていない訳で。それは、ライトノベルハーレムファンタジーの作家さんな訳で。
「拝読ありがとう、“おぽんち♪めろん”です」
神様、嘘だと言ってください。少女漫画の王子様のような彼は最近さっこみゅ内で話題のネット小説作家、またの名を萌えの伝道師“おぽんち♪めろん”先生なのでした。
次話は2月3日更新予定です。