その女学生、始まる前にオーバーキル
「ない! ない! なーいっ!」
初めから騒がしく失礼します。教室で静かに絶叫しているのは私、遠藤桃。今年春に私立桜野高校に入学したばかりの15歳だ。
顔面蒼白の私が探しているのは小さなリングノートで、可愛らしい林檎のシールが貼ってあるはずなんだけど。
(あれを誰かに見られたら死んじゃう……)
探しているノートの中身は、自分が趣味で書いている推理物の小説のプロットで、入学したばかりの高校で小説を書いているなんて知られてしまったら恥ずかしすぎて華々しい高校生活が崩壊してしまう。
だけど、高校生活は自習時間が多い。そして今は中学校でやった学習の復習ばかりだ。そんな時、思いついたネタを書くのにはちょうどいいのだ。
私は絶叫を聞いて驚き振り向いたクラスメートに、愛想笑いをひとつ。
笑い返したクラスメートを振り切るように廊下に飛び出した。
すぐに探し出さなくては。
ひとつ前の授業が移動教室だから、その道中にあるはずだ。特別教室棟の三階、音楽室に私は早足で向かう。
談笑している同級生たちをかき分けて足元を注視しながら進んでいく。
目立つはずなのだ。ピンクで、授業に使うにしては小さめの、シールでたくさん装飾してある、私のノート。
特別教室棟に繋がる渡り廊下を歩いていると、後ろから強めに肩を叩かれる。
もう、今急いでるんだから! 先生、日直の用事はもうひとりの吉沢君にお願いします!
私が勢いよく振り返るとそこに先生はいなかった。代わりに立っているのは桜野高校の制服を着た男子生徒だった。
「お、鬼塚くん……」
私は小さく彼の名前を呼ぶ。目の前に立っていたのは隣のクラスの鬼塚龍之介くんだったのだ。
「ああ、よく俺の名前知ってるな」
彼は低く、芯のある声で言った。
彼を初めて見たのは1つ年下の弟が所属している中学校野球部の練習試合だった。
応援席の反対側、1塁ベースに立つ彼は、背番号3番ファースト鬼塚龍之介くん。弟と違うユニフォームを着ている対戦相手の選手だった。
崩さないまっすぐな捕球フォーム、スライディング後の汚れたユニフォーム、泥の付いたままの頬、私は目を奪われた。
“一目惚れ”そう言ったらなんだか恥ずかしいけれど、その日から彼の名前を忘れた日などない。
その後、入学式で彼を見た時にその思いが強く蘇ってきた。
新しい制服をその大きな身長でビシッと着こなして、彼は新入生代表挨拶をソツなくこなしていた。
――新入生代表 C組 鬼塚龍之介君
嬉しかった。本当に偶然、隣の市の中学に通っていた彼と同じ高校に入学できたのだ。
私は初めて聞いた彼の名前を頭の記憶メモリに閉じ込めたのだった。
しかし、彼が私の名前なんて知っている筈もなく。
「あ、えーっと……新入生代表だったでしょ? だから覚えちゃったというか、あははは」
苦し紛れの言い訳ひとつ。
「ああ、そうか」
そして信じてしまう鬼塚くん。
「それにしてもどうしたの? あ、私隣のクラスの遠藤桃だよ」
鬼塚くんはごそごそと自分の持つ教科書の中からあるノートを一冊だす。
大学ノートよりも一回り小さなピンク色のリングノート、最近流行のゆるキャラ“林檎のりんちゃん”のシール。それはまさしく私のプロットノートなのでした。
「さっき、そこで落とすの見たから」
硬直する私に鬼塚くんは静かに私の手に置いた。
ミラレタ、ヨリニモヨッテ、オニツカクンニ……
「あ、ああああ、ありがとう……」
今の状況を的確に表すのなら、ロールプレイングゲームの主人公がボス戦なのに回復薬も防具もない状態で来てしまったような感じで、私のヒットポイントは真っ赤の点滅状態だ。そんなHPギリギリの瀕死状態の私に鬼塚くんはそっと止めを刺す。
「遠藤って小説書くんだな」
彼はくるりと振り向き自分の教室に入っていった。
オバーキル、固まった私は二つ下の弟が言っていたゲーム用語を思い出した。
瀕死の敵に追い打ちをかけるどころか必要以上のダメージを与えて倒すこと、それがオーバーキル。
私は鬼塚くんにオーバーキルされたのだった。そう、それはもうボロボロずたずたに。
終わった。遠藤桃子15歳、青春が終わりました。いや始まってもなかったのだけれど。
でもどうしよう、鬼塚くんが“アイツ、小説書いてるんだって”なんてうっかり口にしちゃって“うわーなにそれぇ!引くんですけどお”みたいな、みたいな!!
鬼塚くんに引かれるだけならまだしもだ。活発な女の子にバレてネタにされたらどうしようもない。
廊下で悶々としていると始業のチャイムが鳴りだす。授業は始まるけど、私の青春は花となる前に散っていったのだった。
絶望の中、渡されたノートを見ると林檎のりんちゃんが笑顔全開でこちらを見ている。
「大丈夫! このあたしがいれば桃ちゃんは楽しい創作ライフが送れるんだから!」
そう言わんばかりに。
「うん、そうだね。りんちゃん……」
私は絶対にノートを落とすまいと強く握り、とぼとぼと教室に戻るのだった。
その日の授業がひとつも身にならなかったことは言うまでもない。