とある生物学者の話
『水のようになりたい 風の様に自由でありたい
そんなこと不可能だと 否定するのは簡単だ
そんなことして逃げてるのだろう そう言うことは簡単だ
でも私は思うのだ
なりたいと思う心が あるからこそ 私達は少しでも前にたって進もうとするのだと
私はそれを信じたい それに光があると信じたい
たとえそれが夢であっても
たとえそれが空想の狭間で生まれた虚無だとしても』 (ナラジャ・ダカル)
とある生物学者がどう言う訳かうちの村へ講演に来た。
過疎の進む村にこのような知識人が来ることなど滅多にない。
暇を持て余していた私は、その講演を聴きに行くことにした。
目的の場所に着いた時にはもう講演は始まっており、
学者の周りには村人数人を中心にして小さな人だかりが出来ていた。
「私たちは海で生まれました。始まりはほんとうに小さな微生物でしたが、
時を重ねるにつれてそれが進化し、今皆様の食卓に並んでいるお魚になったのです。
と言ってもこの時生まれたお魚は、今の魚のように硬い骨を持っているわけではありません。
ぐにゃぐにゃでまるで寒天みたいな骨だったのです。
もちろん、目玉も、鰓もまだありませんでしたしね。」
学者の語るさまは実に堂々としていた。
まるで生命誕生の光景を自らの目で見てきたとでも言うようだ。
彼は次に、何処から取り出したのか長い木の棒で黒板に描かれた図を指して言った。
「やがて、お魚達の中に大地への感触を夢見るもの達が現れました。肺で呼吸する生き物達の登場です。
そうですね、このころはまだ蛙とか井守といった両生類が主ですが、
やがてそのルーツは細かく分化し、昆虫類や爬虫類、鳥類などが登場します。
皆さんの先祖である哺乳類の登場はもっと後になりますが」
私は学者がさしている図をちらりと垣間見た。
そこには魚を初めとして様々な動物が描かれていた。
決して上手いと言えるような絵では無かったが、なぜか皆生きているように見えた。
「さてここで、皆さんの大好きな恐竜の登場です。彼らは爬虫類や鳥類を基とした生き物で、
この時代の象徴といってもいいくらい数多いのです。
しばらく彼らの時代が続きますし、彼ら自身もそれを信じて疑わなかったのでしょう。しかし・・・」
そう言うと、学者は紅いチョークを懐から取り出して何かを懸命に描き始めた。
それを見たとき、私は最初学者が何を描いたのか分からなかった。
彼が黒板に描いたのは、紅い紅い大きな円だった。
よく見てみると、円の弧に沿ってぎざぎざとした棘のような物が沢山生えている。
「紅い災厄……我々はそう読んでいます。
いわゆる隕石という巨大な石がとてつもない速さで星にぶつかりました。
その時の衝撃で恐竜達は滅んでしまったのです。
こうして大地を横臥すると思われた恐竜達の時代は幕を閉じてしまいました。
滅びたのは恐竜達だけではありません、
この厄災によってほとんどの生き物達が死の淵を彷徨様な思いをしたことでしょう。
しかし、この厳しい時代の中で進化を遂げた者達がいました。
それが貴方達、人間の先祖である哺乳類なのです」
言い終わると学者は、肩を落として今度は唸るように静かな押し殺した声で言った。
「……いいですか、あなた方人間は我々と同じなのです。
同じ星で生まれ、同じ者から分かれ、同じように大地を夢見た。
それを、私は分かって頂ければこんなに嬉しいことはありません」
そう言って講演は終わった。
疎らな拍手の音が学者に送られる中
私は唯、彼が描いた黒板の図をずっと見つめたままだった。
月日が経ち、大人になった私は寄寓にもその学者に再会することが出来た。
「人も竜も皆、生まれは同じだということですよ。
星は夢を見る権利を平等にお与えになったのですから」
彼は、どこか遠くの海を見ながら呟いた。
海は今日も穏やかに、寄せては引いてを繰り返している。
「だから私は、今の現実を変えたいのです。
お互いに手を取り合うとまでは言わなくとも、理解することは出来るでしょう?」
そのために進化の物語の記憶を紡ぎ、死んでゆくのが自分の役目だと
この世界でも数少ない竜人学者は語った。
そんな私は今、生物の進化論についての研究をしている。
あの時学者が講演をした同じ村で私は同じように黒板を木の棒で軽く指しながら言った。
「私たちは海から生まれました」
さあ、今日も一日が始まる。(了)