1‐7、魔法書管理官サガとの出会い
苦い笑顔でクーイはシータに手を振る。飲み物は、一気に流し込んで、近くのテーブルに置く。周りの人ごみを器用に避けながら、中庭を後にしようとしていた。周りの生徒たちは、もうできあがっているらしく、其処彼処で笑い声を上げている。
(どこがいいか…)
中庭の庭園を尻目に、魔法院の通路に入る。この場所は外にむき出しで、雨よけのためのいくつかの石柱が天井を支えていて、棟と棟を結ぶ。中庭をぐるりと取り囲むこの通路は、中庭の陰になっていて、何人かの生徒が静かな場所として、活用していた。その通路を渡りながら、教室の扉をいくつか通り過ぎる。古いような大きな木の扉がいくつも陳列していた。
とりあえず、この中庭の通路から抜けるために、適当にクーイは曲がった。曲がって少し歩くと、あたりが開けた。中庭とは違う、小さな庭園だった。
「いつのまにか、もう陽が傾いて…」
中庭とは違い、空が茜色から、薄暗い灰色に変りつつある。中庭のほうを振り返ると、中庭は、明るく日が差しているみたいに、明るい。どうやら中庭には、生徒が騒げるように照明の魔法がかけられていて、いつまでも明るくなるようになっているらしい。
クーイは思いっきり、新鮮な空気を吸う。標高が高いこともあって、少し冷たい空気が少しだけクーイの心を落ち着かせた。
庭園は静寂で音を立てる者はいない。周りには花壇があり、見たこともない植物や花が植えてあった。夕日に照らされているせいか、花の色が赤みを帯びていた。
「そこで何をしているのかね?」
後ろに何者かの気配と声を聞いた。突然の気配。敵意はないが、クーイは背後に近づかれるまで、全く気づかなかった。背中に変な力がかかったまま、ゆっくりと花壇から目を離し、振り返る。
一人の魔法使いがこちらを見ていた。クーイよりの頭一つ分背が高い男だった。体型は細く、髪は金髪でぼさぼさにしている。格好は白いローブを身につけている。細目で右目に銀縁の単眼鏡をかけていた。雰囲気は見る限りに研究をする魔法使いに近い。身体を動かしているというより本を読むことが似合いそうな魔法使いだった。脇には何冊もの本を抱えている。
「そこで何をしているか、と聞いている。院生か?」
「あ、はい。新入生歓迎会があって、気分を落ち着かせようと」
クーイが中庭の方面を指差す。単眼鏡の魔法使いは視線をその指の先に移動させた。中庭方面は明らかに光が漏れ出している。人の騒がしい声も風に乗って聞こえてきていた。
「これは失礼。不審者かと思った。そういえば今日は今期の入門式だったか。時間にして人通りが閑散としていて変だと思ったが、ここに集まっていたのか」
冷静そうに状況を分析しながら、片手で単眼鏡を直す。
「……ここの教師ですか?」
「……」
クーイの姿を上から下まで注意深く見下ろす。何か粗探しをしているように無言のまま、睨んでいる。答える気はないらしい。気が済んだのか、そのまま引き返そうと離れようとしていた。
「待ってください。あなたのほうが、不審者ですか?」
「…………」
「あなたが、不審者ですか?」
「……それは私のことを言っているのかね?」
当然だというように、クーイが頷く。単眼鏡の魔法使いは、頬を引きつらせた。
「不審者?」
「……何を言うか。私は不審者ではない。私は」
「私は?」
「私は………その、なんでもない」
言葉を忘れてしまったようにそのまま沈黙してしまった。完全に不審者の雰囲気を醸し出している。
「えっと、誰か呼んできてもいいですか?」
「だから、私は不審者ではないと言っている。兎に角私は忙しい。君に付き合っている暇はない。そういうことだ」
明らかに逃げようとしていた。無理な言い訳と逃げ腰姿が相当に格好悪い。容姿は明らかに女うけをするはずだが、行動が大人気なかった。
「待て、不審者! え?」
「だから、違うといっている! う?!」
突如、風を切る発射音が二人の耳を切る。二人が一斉にその音がしたほうを振り向く。二人に向かって緑色と赤色の閃光が襲い掛かってきた。
「な、何!」
炎属性と風属性を纏った〈魔法の矢〉が数にして七本直線軌道を描いて、二人を襲う。距離にして十五メートルほど。前方の中庭方面からだった。暗くなった時間だからこそ、その明るい発光に気づけたのだ。
「く、襲撃か。貴様、やはり! ええい、邪魔だ。どかんか!」
「ぎゃぶ」
クーイの首根っこを思いっきり引っ張り、地面に押し倒す。単眼鏡の魔法使いが脇に抱えていた本がばらばらと地面に落ちる。地面に倒されたクーイは鼻を打ち付け、文字通り土を食うことになった。
単眼鏡の魔法使いの行動は早かった。クーイ押し倒し、振り向きざまに懐から真っ白い紙を何枚か取り出す。その紙に魔力を込め、紫色に発効。それを向かってきた〈魔法の矢〉に投げつける。意思があるのか、その紙は〈魔法の矢〉の軌道上にぴったりと割り込む。〈魔法の矢〉がその紙にぶつかると、衝突音とともに発効し、魔方陣が発動、詠唱障壁としての効果を得て、〈魔法の矢〉の威力を殺ぎ、相殺する。矢の七本のうち六本まではその詠唱障壁の紙によって防いだが、残り一本がその障壁の隙間をすり抜けて、クーイたちのほうへ衝突する。
「く、」
距離にして、数メートル。紅い閃光がもう、眼前に迫っている。避けられないと思ったクーイは、目を瞑ろうとした。そのとき、偶然にも単眼鏡の魔法使いが前に一歩踏み出した姿を見てしまった。
(なっ?!)
その魔法使いは自らの意思で、短くなった距離を一歩分詰める。いつの間にか単眼鏡の魔法使いの身体が淡い紫色に発光している。魔力を纏っているのだと気づいたと同時に、単眼鏡の魔法使いはあろうことか、その〈魔法の矢〉を左手で思いっきりはたき、叩き落とした。〈魔法の矢〉の軌道がずれ、クーイがいた地面のすぐ近くに墜落し、爆発して地面をえぐった。
「何やつだ?!」
クーイが視線を上げたときに、その魔法使いはすでに他の魔法の詠唱を終えていて、次の敵に備え、右手に遅延させていた。行動力とともにかなりスムーズに魔法を発動させている。素人のクーイにでも、彼が只者ではないことは一目瞭然だった。
「す、すいませーん!! 上空にあげようとしたら、コントロールを見誤ってしまいました。お怪我はありませんかー?!」
中庭方面からだった。逆光になって、黒いシルエットしか分からなかったが、誰かが叫んでいる。上級生の何人かが、上空に〈魔法の矢〉を放ち、空を彩ろうとしたらしい。その何本かが、見誤って庭園のほうまで来てしまったと釈明していた。
単眼鏡の魔法使いは、危険が無いと知ってか、急に力が抜けて、膝をつく。
「ふー、襲撃ではないのか」
襲撃を恐れている魔法使いは、自分の手を見ている。その手は火傷を負っていた。最後のはたき倒した一本は紅い閃光の〈魔法の矢〉だった。炎属性をまとっていたのだ。その衝撃で火傷したらしい。
「大丈夫か、君」
「え、あ、はい。助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
クーイは、立ち上がって、自分のローブについた泥をばたばたと振り払う。地面を見ると〈魔法の矢〉によって少しえぐられた地面を見る。危険が、すぐ近くにあったことに少し怖くなった。
「怪我がなければよい。それと不審者呼ばわりをしてくれなければな」
苦笑いして、返す。助けてくれたのは確かだが、その強さは一介の魔法使いではない。それがクーイの疑心をさらに膨らませたのは確かだった。だが、単眼鏡の魔法使いにある種の狂気は感じられず、あくまで紳士みたいな雰囲気を出している。
「私は、サガという。さっきは失礼した。私は魔法図書館で魔法書管理官をしている」
「魔法書管理官?」
魔法界での図書は、一般書とは別に魔法について記された魔法書がある。さまざまな秘匿が隠されている魔法書の中で特に危険なものは、管理官によって個別に管理されるという習慣があった。
クーイは散らばったままの本を見つけた。サガが投げ飛ばした本だ。拾おうと、散らばった本に近づく。
「魔法書管理官に会うのは初めてかね? そもそもふつう魔法書や魔導書は図書館によって厳しく管理されているからね。会うことが少ないといえば少ないか。私たちは本を管理している。危険な本をね。まあ私自身には害は無いから怖がる必要は無い」
はは、と姿に似合わず豪快にサガが笑う。何かをごまかそうとしている雰囲気だ。
「そういえば、君は何という名前なのかね?」
「あ、はい。名前は……え?」
突然サガが口をぱくぱくして、指差していた。今までの態度と明らかに違う。あまりの驚愕に言葉を忘れてしまっているらしい。単眼鏡がずり落ちて、地面に落ちた。それもサガは気にしなかった。
「な、な、な、な、な、何をし、して、している?」
「は? 本を拾おうと」
そしてクーイは一冊の本に手をつけてしまった。妙に表紙が凝った作りになっていた本だった。次の瞬間、その触った本から眩い黒い光が発せられた。光量が猛烈な勢いでふくらみ、クーイとサガを飲み込んで、辺りを黒く染めていく。
「え?」
クーイは、強烈な眩しさに目を瞑りながらも、本の表紙、題名が書かれている下に、何かが浮き上がって着たのに気づいた。魔法語で名前のようなものが浮き出てくる。
本は一通り黒い光を発すると、輝きが褪せてくる。少しした後には何事も無かったように、黒い光は消えてしまった。また、庭園が暗くなった。もう完全に陽が暮れたらしい。
サガはまだ口をぱくぱくして、混乱していた。
「あの、これって?」
「あ、あ、あああああ、ああああ、あああ。な、なんて、何てことを、何てことを」
ぶるぶると、震えるサガ。手が壊れた機械のようにひどく震えている。動揺してる姿に、クーイはどうしたらいいか、迷ってしまった。
「サガさん?」
だが、ぴたりと震えが止まった。今まで震えていたのが嘘のように、下を向いたまま石のように硬直している。今度はすぐに笑い出した。
「うふふふふふふ、ふははは、ははははっ、あっはははは!」
サガの足元に紫色に発光した魔方陣が浮く。紫色の湯気みたいなものがサガの身体にまとわりつく。魔力を身体に纏わせて、笑って立ち尽くしている。
魔力は普通魔法のために消費するものだと考えられている。それを身体の強化に使うのは最近になって使われ始めた。
サガが右手を握る。その部分だけ他を纏っている魔力が一段と濃くなる。魔力の紫色が濃い。握る音がするぐらい力を入れている。そして振り上げた。
「ぼぐっ??!」
その右の拳はクーイの腹を正確に捉えた。振りぬかれた突然の一撃は、受身を取ることさえ許さず、クーイを壁まで吹っ飛ばした。意識を飛ばすほどの衝撃に、クーイは視界がぼやける。突然の一撃と壁に当たった衝撃で、脳震盪を起こしている。腹はずきずきと、吐き出してしまいそうなほどの激痛だった。クーイがサガを視界に捉えたときには、サガの第二撃目が来た。クーイの眼前にサガが笑いながら迫り、左手をすでに振り上げている。このコースは間違いなく、
(顔に、ちょく、げ、き?)
その攻撃が当たったかどうかも分からず、クーイはそれで意識がとんだ。最後にクーイの視界が捉えたものは、狂気的に笑うサガだったという。
何の説明も無く、ただ一方的に殴りつけられたクーイだった。