1‐6、ルル・レイン
「もう、始まっているみたいね」
中庭は、もう人で埋め尽くされていた。上級生がすでに待ちきれず、新入生を差置いて始めてしまったらしい。上級生も楽しみの行事だったらしい。何人かの新入生も、すでに輪の中に入り、楽しんでいるみたいだった。
「ここも、広いな」
西洋庭園で綺麗に区画化されている。近くには人工的な池があり、周りを石で囲んである。その周りを取り囲むように花壇が無数に広がっていた。芝生も整地されていて、新緑が眩しい。芝生の一角には大きなテーブルがいくつも設置されている。そこには、飲み物と食べ物が展覧会のようにずらりと並んでいた。自由に取っていく立食形式らしい。
上級生はグループを作り、違う一角で店を出している。内容はよく分からないが、怪しい魔法薬やお菓子などを売っていたり、魔法を見せ合ったりしている。その辺りは甘い匂いや食べ物のいい匂いが漂っていた。魔法は基本的な〈魔法の矢〉から〈変身の呪い〉などを掛け合ったりしている。〈変身の呪い〉で動物に変身したりしていた。新入生たちが拍手して、それを魅入っている。
〈魔法の矢〉が弾けて、上空で紫色の粉を振りまいている。何回も上級生が〈魔法の矢〉を放つ。各所で魔方陣が起動していた。〈魔法の矢〉も赤色、蒼色、黄色、緑色、橙色とさまざまな色で打ち上げられていた。これは属性によって色が変る性質を利用している。カラフルな色が空を染める。
「新入生のみんな、おめでとー!」
上級生の何人かが拓けた芝生のところで踊り始めた。合いの手と他の何人かの上級生が、場に乱入して踊り始めた。新入生にも声を掛けて、踊りの場に招き入れている。
「すごい賑やかだ」
「うん。そーだね」
「……なあ、少しはうれしそうな顔したらどうなんだ?」
相も変わらず、無表情を貫いている。
「うれしいよ、私。だって、今笑っているもの。うふふふ」
シータの顔をじっくりと凝視する。しかし、ぴくりとも動かない。真っ黒なローブに包まれたまま、顔色一つ変えず、無表情を貫いて笑い声だけを上げている。
「それで、笑ってるのかよ!」
クーイは我慢できず、笑い出した。
「何が可笑しいの」
「だって、お前。そりゃないだろ。あはははは、はぐっ?!」
シータが無表情でクーイの足を思いっきり踏み潰す。折れるような音が聞こえたが、喧騒にかき消された。痛がっているクーイを他所にシータは近くのテーブルから飲み物を取りに行った。
「あの、こんにちは」
クーイは気だるそうに息を吐いて、踏み潰された足を擦る。
(ああ、来たか。いつもの社交辞令だな。何々家の何とかの何とかです。ご機嫌はいかがですか、と聞かれるのだ。面倒くさい)
うんざりした表情でクーイは振り返った。貴族の戯れごとだ。このような場ではそうやって挨拶して回るのが恒例になっている。すべて家柄に惹かれてやってくる。魔法界の貴族主義のせいだ。
「あれ、いない?」
あたりを見回しても誰もいない。クーイは首を傾げ、もう一度だけ見回す。
「あの…、ここです」
「え? うおっ」
目の前に女の子が立っていた。思った以上に身長が低く、シータと同じかそれ以上に小さい。セミロングの黒髪、うつむき加減で顔がよく見えないが、顔立ちがしっかりとしている。真新しいローブから新入生と判断できる。ローブから出ている透き通るほど白い肌が印象的だった。
「お邪魔してもいいですか?」
「あ、ど、どうぞ」
貴族の挨拶だと思っていたクーイはいい意味で裏切られた。この女の子からは少しも貴族らしい雰囲気はない。鼻につけた自慢するような気配が微塵もなかった。
「…………」
クーイの隣に立った少女は、それ以降何も言わず、口を閉じたままだった。シータと似て、無口なのかと思ったが、身体をもじもじさせていて、恥ずかしがって何も言えないらしい。
「えっと?」
「あ、わ、わたし…」
顔を真っ赤にしたまま、声がどんどん小さくなって、聞こえなくなった。
頬を掻いて、鼻から重苦しい空気を出す。
「あの。私、ルルって言います。ルル・レイン」
「あ、えっと。俺は」
「知ってます。クーイさんですよね?」
「なんで?」
「あ、その。だって、有名ですから。七大魔法貴族の一角で、光属性最強の魔法私兵隊〈神天の天誅〉を一手に率いるミュランフェルト家を知らない者はいません」
「……」
「あ、ごめんなさい。その、私、友達に……」
疑いの目を向けられると、ルルと名乗った少女は、また俯いて、小さくなっていた。
ルル・レインという少女を今までにクーイは知らない。だが、何か頭に引っかかるものがあった。それは家柄名だった。
「レイン……光のレイン? 中堅魔法貴族の?」
驚いて、ルルを指差す。レイン家は、ミュランフェルト家の遠い分家筋に当たる光魔法使いの血筋だ。血筋はそれぞれの魔法属性を概ね継ぐ。クーイと比べれば、階級は落ちるが、それでも立派な純血の魔法貴族だ。つまり、クーイとルルは親戚にあたることになる。
「そうです。よろしくお願いします、クーイさん」
このような場で親戚筋の魔法使いと出会うことは珍しい。そもそも血でつながっている魔法界において、親戚は多い。それもかなりの血脈で広がっており、中には何十親等と広がる場合もある。その意味で、ミュランフェルト家とレイン家は意外に近い血筋を持つ。身分的にはミュランフェルト家のほうが上になる。
「いや、失礼。はじめまして。ルル」
「……あの、はじめましてじゃないです」
「え?」
機を待っていたように、ある一角が騒がしくなった。クーイとルルの視線が一瞬逸れる。ルルの不機嫌な声がその喧騒にかき消される。
クーイが視線を戻したときには、ルルはもうしゃべり終わっていた。
「なんでもないです。同じ新入生として仲良くしてください。クーイさん」
「ああ、よろしく。それと、敬語は止めて欲しい」
「お父様にしかられます。ミュランフェルト家の嫡子の前でそんな無礼なことは……」
「まあ、そうなんだけど。とりあえず、同じ新入生として接して欲しい。なんというか、ルルからはそういう貴族っぽさが感じられないし、ちょっと合わない。変な意味じゃなくて、対等に友達として接して欲しい。おなじ光属性の魔法使いとしてさ」
「い、いいんですか?」
初めてルルがクーイの視線と交わった。ルルの顔は童顔だが、目元がはっきりしていて、まつげがクーイの元からでも長くなびいているのが分かった。感無量なのか、ルルの目は潤んでいた。その美しさにクーイは息を飲む。
「あ、ああ。もちろん」
「ありがとうございます!!」
そう言って、突然お辞儀をして猛スピードで走り出して、喧騒の人ごみの中に消えてしまった。クーイが声を掛けるまでもなく、あっという間に消えてしまった。おかげでクーイの右手が所在無く空を切った。
「なんで、逃げるの? しかも敬語使ってるし。意味分からない」
「みちゃった、見ちゃった」
感情の起伏がない平坦な声。クーイが振り返ると、全身真っ黒な服に包まれたシータが飲み物を二つ持って立っていた。何故か首には花で作られた首飾りが何重にもかかっている。
「い、いつから見てたんだ?」
「ずっと。あの子が顔赤らめて、クーイにどうやって近づこうと考えてたときから」
「前すぎだろ?! ちょっと待て。それじゃあ、お前。わざと飲み物を取りに行って、ここを離れたのか? て、少しはためらって頷けよ?!」
一瞬もためらうこともなく、シータは頷いていた。
「いいからいいから、はい。飲み物」
「俺の質問、当然無視かよ?! だから、少しは躊躇って頷けよ!」
「まあまあ。少しは平静を保ったら? ミュランフェルト家の嫡子なんだから、回りも見てるし、ちゃんとしなければだめだよ?」
自分のことを棚にあげず、含みのある言葉でクーイの方を叩く。シータは貴族ではない。作法など自分には関係ないといったような反応だった。
クーイが周りを見渡すと、何人かが注視していた。急に体温が上がって熱く感じる。p白金色の髪の毛を乱暴に掻き毟る。
「くそったれ(ソノブビッチ)…」
「言葉遣いもね? クーイ、どこ行くの? せっかく飲み物持ってきたのに」
クーイはきびすを返して、その場を去ろうとしていた。
「ちょっと、頭冷やしてくるよ。お前と一緒にいると、いつも何故か最後にはからかわれている気がする。偶然じゃなく、こっちの考えを見透かされているような感じがするんだ」
「そんなことないよ?」
シータが今日はじめて唇を吊り上げて、笑った。まるでその通りだというように、その表情に感情が顕れている
「やっぱ、シータのことはよく分からない」