1‐4、魔法院院長の注意
文字通り、上に誰かいた。老人らしき魔法使いが宙に浮いていたのだ。腰まである真っ白い長い髪、それと同じくらい長い白髭をこさえている。顔には苦労が現れているせいか皺が刻み込まれていた。かなり年老いた魔法使いだというのが一目瞭然だった。
「そ、空に浮いている? それも魔法箒を使わずに。信じられない」
新入生があちこちで驚いている。
魔法使いは、空を飛べない。普通、飛ぶためには箒などの飛行魔法具を必要とする。自力で飛翔を可能とする魔法は高度で難解であり、誰もが扱えるものではない。一部の優秀な魔法使いにしか使えない。
ふわり、ふわりと、空中を漂うように、老人の魔法使いが新入生の頭上を横断しながら聖壇の上まで来た。動くたびに来ている司祭服が生きているように揺れる。
「紹介に預かった、儂が魔法院の院長をしているグリンデルヴァルトじゃ。エキシャミル・グリンデルヴァルトだ」
大きな歓声が反対側の新入生から上がった。
グリンデルヴァルトの名は、有名だ。魔法研究以外に、実地でも偉大な成果を上げている。特に有名なのは、魔力回路と魔法の発動に関する高等理論についての研究と幻想種討伐への功績だ。その成果を認められ、魔法公社総長にも推薦されたこともある。
子どもから、大人まで、文字通り誰もが知っている魔法使いの一人だった。
「ありがとう。さて、長い話をしてしまってはデイに申し訳が立たない。新入生よ、まずは入学おめでとう。辛いことも、楽しいこともあるじゃろうが、身のある八年間にして欲しい。さて、この魔法院に入学するに当たって、注意する点がいくつかある。それだけを話しておこうかの。遵守する点は四つある。
一つ、この魔法院は全寮制じゃ。この魔法院からの移動は原則禁止する。ただし休日祝日緊急時には認める。それ以外はこの魔法院の領域内で生活をすること。
二つ、自分専用の魔法具や飛行魔法具持込を無断では禁止する。但し申請し承認されれば持込を許可する。魔法具選別の儀式は三日後にやる。
三つ、夜の無断行動は原則禁止じゃ。危険なこともあるが、発見した場合は厳格に処罰する。
四つ、魔法院の中で入ってはいけない場所がある。地下と職員塔と儀式塔じゃ。地下は魔法院のさまざまな施設とつながっているが、同時に危険な場所である。あそこには時たまじゃが、ドラゴンも現れるという。知っておるとおり、ドラゴンは幻想種で最強じゃ。普通の魔法使いには太刀打ちできん。だから絶対に近寄ってはいけないのじゃ。地下はこの聖堂教会にもつながっていて、まさに蜘蛛の巣如く、迷う危険な場所じゃ。絶対に立ち入ってはいかん。職員塔はここから西にある施設じゃが、教師の許可があれば入館することができる。儀式塔は儀式を行う場じゃ。場所は認知できないよう妨害魔術が施されているが、儀式の余波を受けたくないものは、近寄らぬことじゃ。そこに無断で入ったものは重大な処罰を受けてもらう。重大というのは、退学という懲戒も含まれる」
魔法院にはいくつかの領域と場所がある。領域とは、魔法院の陸、商業街の陸、訓練場の陸があげられる。この三つが独立して、宙に浮いている。
魔法院の領域には今いる聖堂教会の他に、学生がすむ学生寮、教員が住む職員塔、中規模授業が行われる大講堂、魔法薬、魔法具を作る工房がある技術塔、授業が行われる魔法院、魔法院の北にある鬱蒼とした裏森、古今東西の魔法書が蔵書されている図書塔など。
新入生が一斉に息を飲んだ。危険な場所ややってはいけないことを聞かされて、浮き足立っていた感情が削がれた形になった。
「心配するではない。これは基本的な規則じゃ。自主的に心がければ、そのような間違いは起こらないじゃろう。ふむ、それはおいおいなれればよい。暗くなったかの?」
空中に佇む院長が指をぱちり、とならす。同時に聖堂内が一斉に明るくなった。その行動が場内の雰囲気を一変させた。聖堂内にあるランプが一斉にともったのだ。ゆらゆらと橙色の灯が燃えている。
新入生も興奮して、喧騒を取り戻す。照明魔法だけでは驚かないが、無詠唱なれば、驚く。ただの魔法でも無詠唱とするだけで、発動の難易度が極端に上がることを皆知っている。どんな簡単な魔法でも、無詠唱となるだけで習得するのが難しくなる。それをいとも簡単にやってのけた院長の実力の一片を表している。
「最後にいっておきたいことがある。これから諸君はたくさんの事に悩むじゃろう。仲間のこと、自分のこと、将来のこと、悩んだらきりがないじゃろう。だが、覚えておいて欲しい。どんな選択をしても、後悔しないこと。自分が後悔しない八年間を過ごせるよう、研鑽を積んで欲しいのじゃ。ここは魔法を学ぶ場所以前に、諸君らが何をしたいかを見つけるための場所じゃ。それを忘るるな」
聖壇前にいた教師が立ち上がって拍手する。それに応えるように周りの教師が賛同するように、手を叩く。生徒たちもそれに習い、拍手を始めた。ぱらぱらとまばらな音がひとつになり大轟音を上げる。
クーイたちも、同様に椅子から立ち上がって手を叩いた。
「ありがとう。諸君。では、儂の話はお終いじゃ。今日はこれで終いとなる。新入生歓迎会に参加するものは、魔法院の中庭に集まってほしい。在校生、上級生たちがご馳走を用意して、歓迎をしてくれるはずじゃ!」
より一層拍手の音が大きくなった。院長はそのまま宙には降りず、もう一度ぱちり、と指を鳴らす。そして煙の如く消え去った。その光景を見たものは少数しかいない。他のものは、これからの歓迎会に興奮して、院長が消えたことなど知りもしなかった。
「移動魔法かな?」
「た、たぶんな。なんというか歴戦の魔法使いらしいし、とんでもない力があるんだろう」
副院長デイが、また聖壇前に現れていた。
「それでは、新入生の皆さん。解散にしますので、新入生歓迎会に参加する人は、中庭のほうへ移動してください!」