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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

冷蔵庫には赤い猛毒が隠されている

掲載日:2026/04/16

アリエス家の人々は慈悲深いと村で評判だった。

出来の悪い娘を嫁として迎え入れ、遠縁の孤児の少年まで育てているという。

なんと懐が広いことか、嫁と少年はしっかり感謝して恩を返すべきだと村人達は喧しい。

退屈な田舎では噂話が何よりも娯楽なのだ。


家の中とは小さな国であり密室。

壁一枚向こう側で本当は何が起きているかなど、外からは分からないのに。






ルチアが目を覚ました時、とうとう死んでしまったのかという期待で心臓が踊った。

今はどこも痛まない身体、真っ白な空間、それから。


「おはようございます」


歌にも似た軽やかさで頭上から降ってきた声。

横たわっていたルチアを見下ろしていたのは、一人の女だった。

この天も地も無く白い紙めいた空間に、彼女の存在はインクを垂らしたような存在感。

見事なまでに豊かで艷やかな長い黒髪が印象的で、ルチアが知る中で間違いなく一番美しい人間だろう。


比べてみれば、ルチアとは何もかも対照的な容姿であった。

櫛を通す暇もなく絡まった真っ白な髪に、荒れて痩せ細った指先が恥ずかしくなる。

惨めな気持ちが影を差すが、それよりも疑問や質問したいことは山ほどあった。



とはいえ混乱が先立ってしまってどれも言葉にならないルチアに、女は涼やかな赤い目を細める。

その微笑は天使か女神か。


「ここはあなたの夢の中のようなもの……初めまして、あなたの代役の者ですわ」


女の自己紹介はそれだけ、何か真っ白な物を差し出された。

渡されるまま反射的に受け取った瞬間、痛みが一筋。

本のページで指が切れた所為だが滲んだ血は零れ落ちることはなかった。

不思議なことに本はルチアの血を吸って、初めて文字が浮かび上がってくる。

そこに記されていた一つの物語は文字を読んで理解するのではなく、頭の中へ直接流れ込んできた。




その物語の中で、ルチア・アリエスとは悲劇の運命を辿る少女だった。


村では白い髪や肌を理由に気味悪がられ、それでも愛してくれた両親が亡くなるとアリエス家へ嫁がされる。

夫も義両親も人格者として村では評判だが、それは表の顔。

家に閉じ込めて仕事をルチアに押し付け、粗末なものばかり与え、扱いはまるで奴隷。

窮屈な善人の仮面を脱ぎ捨てた義家族は、ルチアを虐げることで溜まった鬱憤を晴らしていた。


ただし孤独ではなく、同じくアリエス家で奴隷として扱われていた同年代の少年が心の拠り所。

彼もまた灰色の髪が老人のようだと気味悪がられ、密かに支え合いながら暮らしていた。



そんな日々を送る中、国では"狼"による事件が続出する。


ここで呼ばれる"狼"とは本物の獣でなく、猟奇殺人犯のことである。

普通の大人しかった人間が短期間で凶暴化し、決まって満月の日に猟奇殺人を起こしてしまう。

「羊の皮を被った狼が本性を現した」という訳だ。



この先は誰も知らなかったこと。

実はルチアこそが"狼"の王族の生き残りだった。


"狼"の正体とは人に擬態した、七つの大罪で憤怒を司る魔族の一種。

密かにこの世界は人間と魔族の均衡が崩れつつあり、その影響で大人しく隠れ住んでいた"狼"達は力が暴走していたのだ。


心優しいルチアは決して怒りに囚われずにいたが、義家族の乗る馬車に轢かれそうだった少年を庇って倒れる。

ここにはまだ本能が眠ったままの獣がもう一人。

腕に愛しい女を抱きながら、必死に名を呼び続ける少年の正体もまた"狼"だったのだ。

見抜いていたルチアは微笑むと、細くなりゆく声で秘密を告げる。


血とは生命と魔力の根源。

そして王の血とは特別なもの。

満月の日、王族の喉に牙を立てて血を啜ることで、その"狼"が次の王となるのだ。

かつてルチアの祖先がそうしたように。



血を託して落命したルチアと引き換えに"狼"の王となった少年は覚醒する。

こうして義家族を残らず爪と牙で切り裂き、村を旅立つまでが壮大な物語の序盤。


世界中に散らばる仲間達を群れとして従える為に。

やがて憤怒の魔王として君臨する為に。




渡された本を閉じると、流れ込んできた情報の洪水にルチアは目眩がした。

全身に強烈な痺れが駆け抜けて目の前で星が瞬く。

ただし、それは酒を飲んだ時にも似ている心地良い酩酊感でもあり。


この本にはルチアしか知らなかった秘密が暴かれている。

そしてきっと近いうちに起こることまで。

実に不可思議な体験だったが、同時に強い説得力。


何故って、間違いなく自分ならそうしたろうから。


生きながらにして死んでいるような毎日を送っていた。

家族である筈の婚家に虐げられ、ただ独りになってしまった心細さのルチアにとって少年だけが光。

誓って密通などしていなくとも、生涯ただ一つの純粋な恋だったのだ。



「あの人の為なら、わたしは命を投げ出したって本望だもの」


満たされた気持ちで呟いた、次の瞬間。

顔面に烈火が噴き上がったかのような衝撃と共に、ルチアはその場に倒れ込んだ。


いや違う、女の拳で鼻を叩き潰されたのだ。

そう気付いた時、もう顔は血まみれ。


「……そうやってあなたは愚かだから殺されたのですよ、"冷蔵庫の女"さん」


女が吐き捨てた声はまるで刃物。

冷たく鋭利に、ルチアの心まで斬り付ける。


どうして、何か悪いことをしたのだろうか。

こんな目に遭わされている理由なんて分からない。

痛みよりも無力感で押し潰されそうだ。



「でもあなたが愚かなら却って好都合ですわね、一切の罪悪感なく乗っ取ることが出来ますから」


ルチアの血で濡れた拳をかざしながら女は淡々と呟く。

そうして自分の頬に深紅を塗り付けると、すぐに変化は現れた。

艷やかな髪はまるで炭が燃え尽きるように黒から白へ。

顔を上げた魔物は、ルチアの姿に変わっていた。

自己紹介の時に名乗った「代役」とはこういう意味か。



今度こそルチアは理解する。

目の前の女は決して天使でも女神でもないと。


それならば一体何者か。


「私は魔物、奈落の魔物ですわ」


こうして魔物はルチアをこの空間に閉じ込めた。

今は眠っている身体の主導権を手にして、ルチアとして目を覚ます為に。






満月の翌日、村は「また近隣で"狼"が出たぞ」の噂で騒がしい。

それは次の満月、ルチアが運命の日を迎えるまで一ヶ月ということ。


こうして魔物はルチアの身体を奪って成り済ました訳だが、取り巻く世界は相変わらず。


魔物も何らかの目的があるのだろうが、意外なことにすぐ行動を起こしたりしなかった。

家事をこなしながら虐げられても大人しく耐えるのみ。

誰にも気付かれず、いつも通り地獄の日々は続く。



"冷蔵庫の女"とは他の世界の言葉なのでルチアが知らなかったのも無理なし。

どうやら物語で都合良く殺されてしまう女性キャラクターのことらしい。

主人公の一念発起や成長する為だけに犠牲となり、或いはそれだけの役目を負って生まれた者。


なんて酷い侮辱なのだろうか。

意味を知って悲しみが溢れてきたが、声を上げて泣いても精神の奥に閉じ込められて誰にも届かない。


本来なら身体を返せと騒ぎ立てるところ、もう生きることに疲れ果てていたルチアはただ黙って見ていた。

戻ったとしてまた心身共に酷使されるだけ。

それなら魔物に地獄を肩代わりしてもらった方が良いとすら。



ただ、この酷い結婚生活の中で不幸中の幸いとでも言おうか。

夫も義父も「醜い白髪頭の貧相な女」と蔑み一度もルチアの肌に触れることは無かった。

ただでさえ考えの古い田舎、嫁いで三年子無しは去れが当然とされているのだ。

もう少ししたら子供ができないことを理由にルチアを捨て、夫は愛人を新しい妻に迎えるつもりらしい。


もともとルチアが人形のように華奢な理由は偏食もある。

昔から命を奪われる家畜を哀れに思い、今まで肉や卵をあまり口にしなかったのだ。

そんなもの魔物は知ったことでない。

柔らかい肉も時間を掛けて咀嚼して弱った胃腸に詰め込み、ゆっくりと体温を上げていく。

台所では一人きりなので盗み食いなんて幾らでもできた。


それから、食事に細工するにも好都合。


「扱き使っている人間に台所を任せるなんて命知らずですわね……何を盛られるか分からないのに」


荒れた指先は容易くひび割れる。

そうして毎食、大鍋一杯のスープにルチアの血を一滴隠し味。

義家族は知らずのうち異物を摂取していく。



さて、この行動がどんな効果をもたらすか。


最初、義家族の変化は苛立ち程度だった。

以前からルチアに対して奴隷扱いだったので気付きにくかったが、次第に凶暴性を増していき手が出るようになる。

人格者という仮面を被る彼らは今までルチアを虐げる証拠を決して残さなかったのに。

初めて叩かれた時は背中などの見えないところだったが、頬を殴りつけるようになるまでは早かった。


その後、魔物の方も必ず腫れた顔のまま外へ出る。

さめざめと泣きながら村を練り歩き、今にも飛び込みそうな雰囲気を纏いながら橋の上で佇んでみるのだ。

村人達は嘲笑するかとも思いきや、幽霊でも見たかのように青ざめるばかりで無言。

ただでさえ振り乱した白い髪に、痩せ細った少女の姿は痛々しく映る。


そうこうしている間に、義家族は村人達の前でも魔物を平気で殴りつけるようになった。

周りから気味悪げに見られても、鬼のような形相も行いも隠さず。

それどころか「ルチアが悪いのだからこれは制裁であり、自分は何も悪いことなどしていない。むしろ被害者は自分だ」と唾を飛ばして怒鳴る有様だ。



それにしても、この魔物は大した女優。


酷い顔のまま外へ出ることも、人前で殴られることも、舞台に立って哀れな女を演じている程度のことらしい。

暴行を受ける際もさりげなく急所を外して受け流し、服の下にはダメージ軽減で胸や腹を守る仕込み。

顔を殴られた日には消毒と称して、痛いだの沁みるだのと笑いながらひっそり義父の秘蔵の酒を煽る。




「この村が地獄の底みたいに酷い環境であっただけで、別にあの人も優しくはないと思いますけど」


呑んだ後は気分が良いのか、魔物は精神の奥に居るルチアに絡んでくることがあった。

愛してやまない少年を貶されては聞き捨てならず。

流石にルチアも顔を上げて言い返す。


「一人ぼっちだったわたしに寄り添ってくれたわ」

「それだけですし、犬や猫でも出来ますわね」


そうするうちにふと思う。

見えなかった、いや、見ない振りをしていたこと。


本当に少年は善人なのだろうか。



「みすぼらしい姿を見せるな」と言いつけられて、少年は部屋に閉じこもっていることが多かった。

とはいえ監禁されている訳ではない。

ルチアの作った飯を食い、ルチアの洗濯した服を着て、ルチアが掃除した部屋で一日ぼんやり過ごしているだけ。

その気になればいつでも出歩く自由ならある。


この冷たい家でも村でも、ルチアを虐げなかったのは少年だけ。

労る言葉を掛けて頭を撫でてくれた。

それらはルチアにとって宝物のようで全て覚えているが、魔物の言葉で気付かされたことがある。


「他の世界には"みんな地球を救いたがるが、誰も母親の皿洗いを手伝おうとはしない"という言葉がありまして……あの人、あなたの仕事を何かやってくれました?」


どんなにルチアが多忙な時でも変わらず、手伝ったりしてくれた訳ではない。

虐げられていた場を助けてくれた訳でもない。

口だけ、触れるだけ。

たったそれだけのことだった。


「作品と作者は別だという声はありますけど、作品には作者の倫理観などが無意識で滲むこともありますわ。この物語の作者は"家事は女の仕事が当たり前"という考え方ですから、主人公も家事をするべき立場だなんて思いつきもしなかったでしょう」



魔物が現れた日に見せられた本の内容を思い出す。

あの時、ルチアの頭に流れ込んできた物語は飽くまでも序盤。


これから少年はルチアの血で無敵の魔力を手に入れ、同族を従え着々と魔王としての道を進む。

その旅の途中で何人もの魅力的な女達に出会い、慕われることになる。

ルチアを想いながらも「それでも構わない」と抱き着く彼女達を拒まず、何人もの子を産ませる結末。


「あぁ……あなたのこと出汁にして、何人もの女性と美味しいスープを作る訳ですわね」


魔物の嫌味がルチアに突き刺さる。


少年には幸せになってほしい、それは本心だ。

この先に起こることを本で知ってから、美しい思い出として少年の記憶に残れば良いと思っていた。

そうすれば忘れられない女になる。


だが自分が死んでしまったら繋ぎ止めることなどできないのも事実だ。

それどころか、他の女と楽しむ為の一味にしかならないなんて。


「あ……あれ……?」


鈍器で殴られたような重いショックを受け、ルチアは目の前が揺らいだ。

魔物の赤い目は黙ったまま静かに問い掛けてくる。

どうして少年に惹かれているのか。

この感情も物語の強制力でしかないのではと。


ルチアにとって不変とばかり思っていた物の輪郭がぼやけ始める。

目を擦ってはっきりと見開こうとしても、一度抱いた疑念はこびりついたまま。





そうして満を持して迎えた満月の日、村は大騒ぎ。

アリエス家の三人が"狼"だったと。


夫は恐る恐る別れ話を持ち掛けてきた愛人の細首を絞め上げ、そのまま真っ二つに引き千切った。

義父は職場で注意してきた上司を殴りつけ頭をスイカのように砕いてしまった。

義母はカジノで負けて大暴れし、客や従業員に重傷を負わせて用心棒達により実力行使された。


今日は朝からルチアの血を垂らしたスープが最も力を発揮する日でもある。


血とは生命と魔力の根源。

そして王の血とは最も特別なもの。

怒りに反応する"狼"の血は人間にとっても効果は絶大。

満月の日には他者をボロ布のように引き裂いてしまう超人的な怪力を与え、恐るべき脅威になった。


さて、この家に残るはルチアともう一人。




「お前、転生者だな!」

「いいえ、魔物ですわ」


入口に罠を張って待ち構えていたところ襲ってきた少年は簡単に引っ掛かった。

両足を叩き折られて俯せに床へ伏せ、刃物を突き付けた魔物が上に乗って身動きが取れない状態。


一日中こうして立て籠もっていた台所は、すっかり魔物の城となっていた。

ここは食料庫であると同時に武器庫。

鈍器となるフライパンや鍋やミートハンマー、刃物なら肉切り包丁から皮むき器まで。

火に刺激物に、やろうと思えば拷問だってできる。


女の細腕でそんなことが可能かと言えば、ほんの一ヶ月でも生活改善の影響は出ていた。

暴行を受けていた割にルチアの身体は前よりも健康体。

それに加えて、何よりも魔力という武器がある。



「畜生!畜生!俺が主人公の世界だったのにブチ壊しやがって!」

「皿の一つでも洗ってから言いなさい」


怒りは理性を奪い、本音を暴くものでもある。

魔物と名乗るだけあって女はその魔力を上手く扱っていた。

少年の頭に血を昇らせて冷静な判断力を奪う。

彼にだけはスープを与えていないので何も変化はあらず"狼"として未完成。


魔力の操作には精神の安定が不可欠。

そしてルチアの場合、精神までも痩せ細っていては怒りも起きない。

だからこそ覚醒せずに息を引き取る運命だったのだ。


襲撃してきた時、少年は殺意を燃やしながら刃物を手にしていた。

ルチアを始末して血を奪う為に。



「ルチア……まだ"そこ"に居るんだろう?なぁ、お前は俺のこと愛しているよな……なぁ?」


ふと、少年はルチアの名を呼ぶ。

怒りや刺々しさを捨てて甘く語り掛けてきた。


「そうだ、子供を作ろう……俺が主役になれなくても、俺とお前の子供が主役になれば良い、お前を守るって誓うよ……だからこんな魔物なんかに負けるな、目を覚ませルチア!」


血を吐くような熱を持った叫びだった。

内容は吐き気がするほど最低だが。


「……そうね、目を閉じずによく見なさいな。本当にこの男を愛しているのかを」


魔物もまた内なるルチアに向かって呼び掛けた。

勿論、見えているとも。

情けない姿ならまだしもなんたる醜態。

それが良い案だと信じて、聞くに耐えないことを必死で喚いている。


これが、恋していた男の真の姿だというのか。



少年を愛したことが自分のアイデンティティだと思っていた。

この世界で、ルチアが抱いた生涯ただ一つの純粋な恋だと。

彼に血を捧げることが存在理由でも良いとすら。


何故って、両親にそう言い聞かされて育ったからだ。

従順で忍耐強く、清く正しく生きて、見極めた強い男に血を捧げよ。

そうすれば我らは魔族でもきっと天国へ行けると。


悪魔の囁きに耳を傾けてはいけないと人は言う。

巧みに真実を混ぜ込んだ都合の良い言葉で惑わすからだと。

自分の中に現れた魔物と会話を重ねるうち、信じていたものが足元から揺らぐとは恐ろしいこと。

それでも目を逸らしてはいけなかった。


果たして、自分は本当に愛されていたのだろうか。

両親ですらルチアに死のありかたを説くだけで、強く生き抜けなんて望まなかったのに。


「転生者」と聞き慣れない言葉を口にした辺り、彼もまた少年の身体を乗っ取った誰かなのだろうか。

いや、もうどうでも良いことだ。

目の前の少年がルチアを殺そうと刃物を向けてきた事実は変わらないのだから。



「冷蔵庫を出る意思はありますか?」


そんな時、魔物の声は差し伸べられた手。

この冷たい世界で初めてルチアに生を呼び掛ける。

自ら選べと、閉じこもっていた場所に光を差す。


それならば返事は一つ。



浮上した意識に伴って、一ヶ月ぶりにルチアは確かな身体の重みを持つ。

義家族に殴られた顔や身体のあちこちが痛むものの問題ない。

すぐさま少年を引っくり返して仰向けに。

必死の叫びが届いたという期待で彼の表情は笑みに歪んだが、見下ろすルチアの目は冷え切っていた。


どうしてなんて、そんなの。


少年に対する憤怒は牙を尖らせる。

獣の顔でルチアは彼の喉笛を喰い千切った。



「……消えろ、わたしの世界から」


自らの牙で、初恋の息の根を止める。

初めて口にした血肉の味に涙は混ざらなかった。

この世界に欠片一つも残すものか、"狼"として覚醒した身体はそのまま骨までも噛み砕いて腹に納める。


満月の日、王族の喉に牙を立てて血を啜ることで、その"狼"が次の王となる。

交代制だというのならばこれも正当だろう。


今この時をもって、主人公の座はルチアのものだ。




静かになれば少年もただの肉袋に過ぎない。

床の血溜まりも舐め尽くして膨れた腹、粗末な服は真っ赤に染まってある意味立派なもの。


覚醒した今は全身に強い魔力が満ちていた。

白い髪は真珠の艶、雪の肌からは生気により擦り傷一つ残さず消え去った。

王たる煌めきが宿る金色の双眸をルチアは閉じる。



もう精神の奥へは自分の意志で行き来できるようになっていた。


そこで待つ魔物の方は黒髪の女に戻っている。

赤い目を細める微笑は、相変わらず天使か女神の美しさ。

そうして襟を開き、白い喉を露わに。


「私は御役御免のようですので、どうぞ」


どういう意味かなんて訊くまでもなかった。

牙を立てろ、喰い千切れ。

少年と同じように殺せという催促だ。


「ここは二つの精神が混ざったような空間です。どちらか一人が死を認識したら消えて、残った方が身体を独占する仕組みですわ」


消えるとは、一体どこへ。


「私は魔物ですので奈落に帰らなくては。そうしてまた違う物語の"冷蔵庫の女"を乗っ取って、運命を変えるだけです」


潔いというより、何でもないとばかりに魔物は告げる。

言葉の通りならば旅の途中でしかないのだろう。

ルチアのこともその程度か。


いいや、そんなことは許さない。



「この身体あなたに半分あげるから、わたしと生きて」

「宜しいので?」


伸ばされたルチアの手は魔物を掴んだ。


生きることを諦めていたルチアにとって初めての望み。

魔物の方は追い出されて当然とばかり思っていたようだが、今更そうやって驚かないでほしい。


どうして魔物はルチアの中に現れたのだろうか。

何も知らないままなら、幸福に死んで両親のもとへ行くことができたのに。

この責任は自分が死ぬまで果たしてもらう。

肉体の檻に閉じ込めてでも、決して逃すものか。


だから、独りにしないで。

どこにも置いて行かないで。




「ではそろそろ村から逃げましょうか、路銀なら家中のお金を掻き集めておきましたので」

「いつの間に」

「良い女の子は天国にしか行けませんけど、悪い女の子はどこにでも行けますもの」

「それも他の世界の言葉……?」


これから魔物と話し合わなければいけないことは山ほどあった。

彼女が何者でも構わないが、一番最初は。


「魔物、あなたにも名前くらいあるでしょう」

「あらまぁ……悪魔は名前を知られたら、相手に服従しないといけなくなるのご存知?」


首を傾げてながらも魔物はどこか楽しそうだった。

ルールなら仕方ないと、ルチアの前に跪く。


「改めて宜しくお願いします、我が女王。私の名は……」



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