Vlog#1 白井ヒナタ
『今日さ、前も話した大学の友達のバイト先に連れて行ってもらって——』
“私”、白井ヒナタは今日も現実で見せる姿とは違う仮面をつけて、画面の向こう側の世界で生きる“ワタシ”として、いつもより少しだけ張り切った笑顔を声に乗せる。
『なんていうの? おしゃれだった!』
『めっちゃ落ち着く感じで、静かでね〜』
カメラの向こうにいる顔も名前も知らない誰かを意識しながら、声の高さとスピードを、無意識に“いつもの位置”へ戻していく。
不用意に近づきすぎないように。
踏み込みすぎないように。
〈え、どんなとこ?〉
〈カフェ?〉
〈大学の友達って例の?〉
『そうそう、カフェ!』
『あのね、たぶん……長居しても怒られないタイプの場所』
“その人”の名前が、喉元まで上がってくる。
でも、そこで一度飲み込む。
名前も、性別も、立場も。
いらない情報は、ぜんぶ削ぎ落としておく。
それでいい。それが、白井ヒナタだ。
『名前も可愛くてさ』
『月っぽい名前っていうか……』
——ルナリア。
その単語を口にしかけて、慌てて言葉を選び直す。
出してしまったら、なにかが危うくなる。
配信という“ここ”に、現実が流れ込んできてしまう気がした。
それだけじゃない。
“私”と“ワタシ”の線が、曖昧になりそうで怖かった。
〈雰囲気よさそう〉
〈ヒナタ、楽しんでるね〉
胸の奥で小さく息をついた。
どうやら、この一瞬の躊躇は悟られなかったらしい。
『うん』
『……楽しかったよ』
ほんの一瞬、言葉の前に間が落ちる。
自分でもわかるくらいには、はっきりと。
『別にお客さんが少ないとかじゃないんだけど』
『静かで落ち着いてて、でもちゃんと人の気配がある感じ』
配信用としては、少し抽象的すぎる表現。
でも、どれも嘘じゃない。
カウンター越しに差し込む光。
カップから立ちのぼる湯気。
静かにページをめくる音。
……そして。
隣に座っていた、その人。
思い出してしまって、視線がほんの少しだけカメラから逸れる。
『あ、でもね』
『その友達がさ』
慌てて声のトーンを切り替える。
『なんか……その場所に、すごく馴染んでて』
『ああいう顔、学校ではあんまり見ないかも』
〈惚気?〉
〈それ好きな人の話では?〉
『ち、違うってば!』
『そういうのじゃないし!』
少しだけ、否定が強くなる。
笑い声も、ほんのわずかに高い。
でも、“そういうのじゃない”って、じゃあどういうのなのか。
自分でも、まだ言葉にできていない。
“黒名ルナ”としても、“白井ヒナタ”としても私は今日、陽斗の知らなかった一面を見た。
その人が、誰かの居場所である姿。
そして、その居場所に、自分がいてもよかったという感覚。
『なんていうか』
『……初めてだったかも』
一瞬、言葉に詰まって視線が泳ぐ。
『友達の“大事な場所”に連れて行ってもらったの』
『そういうの』
それ以上は言えなかった。
言えるはずがなかった。
この気持ちは、説明するものじゃない。
今はただ、胸の奥に置いておきたい。
『ま、そんな感じ!』
『美味しいミルクティーも飲めたし!』
〈いい日じゃん〉
〈ヒナタ、声やわらかい〉
〈よっぽど良かったんだね〉
『そう?』
『気のせい気のせい!』
笑って、ごまかして、いつもの終わらせ方を選ぶ。
『じゃ、今日はここまで!』
『見に来てくれてありがと!』
配信終了のボタンを押す。
画面が暗転してスピーカーの向こう側にいた誰かの気配が消える。
白井ヒナタという仮面を外した私《黒名ルナ》は、椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。
「……楽しかった」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
配信だけじゃなく、現実としても、確かに満たされていた。
今日、私はひとつ居場所を知ってしまった。
それが誰の場所で、どんな意味を持つのか。
まだ、はっきりした言葉にはならない。
でも。
次にあの場所へ行くとき、私はきっと、もう少し違う気持ちで扉を開く。
——それが、良いことなのかそれとも危ういことなのか。
今は、まだ分からない。
私の覚悟とは裏腹に、今日の配信は少しずつ、私の意図とは違う形で注目を集めていくことになる。
言葉を飲み込んだ、その一瞬。
うまくごまかした、あの間。
一部の視聴者はそこにあった“白井ヒナタではない何か”を、確かに感じ取ってしまっていた。
その火種の大きさを、私が本当に知るのはもう少し後の話だ。




