7.彼女と俺の居場所が増えてしまった
「いらっしゃいませ——」
店内に足を踏み入れた瞬間、ふわりとコーヒーの香りが鼻をくすぐった。
外の空気よりもやわらかくて、少しだけ甘い匂い。
「あ、陽斗——」
カウンターの奥から、聞き慣れた声が飛んでくる。
「あ、ミサ先」
「あれ? 今日ってシフト入ってないよね? ……って」
俺の後ろに立つ影に気づいたのか、ミサ先は一瞬だけ目を瞬かせた。
「珍しい組み合わせじゃん」
「大学の友達です」
その一言で何かを察したらしく、ミサ先はにやっと笑う。
店員である俺にかける声音からお客さんに向ける声や表情に変わった。
「はじめまして。朝霧ミサです」
「あ、黒名ルナです。お邪魔します」
ぺこり、と少し丁寧めに頭を下げるルナ。
意外なことに初めて見る、ちょっとよそ行きの表情だった。
「全然お邪魔じゃないよ。陽斗の友達なら歓迎歓迎」
「ありがとうございます」
そう言いながら、ルナはそっと店内を見回している。
木目調のカウンターに間接照明に照らされたテーブル。
騒がしすぎず、静かすぎず、ちょうどいい距離感の空間。
「……思ってたより、落ち着いてる」
「だろ」
「うん。いい」
率直な感想だった。
だけどこの空間や空気感に満足しているのか、周りにはバレない程度にうっすらと口角が上がっているのがわかる。
「とりあえず、奥のテーブル座ろうか」
案内しようとすると、ルナは一瞬だけ立ち止まる。
「……どこ座るの?」
「そりゃ、向かい合いでいいだろ」
「……隣がいい」
即答だった。
「え」
「その、知らない人ばっかだと緊張するし」
「……はいはい」
結局、二人並んで腰を下ろす。
店員として働いているときとは違う、“客席側”の景色。
「メニューは、もう決まってる?」
「えっと……」
ルナは表紙を開き、少しだけ悩んでいる。
「名前が全部おしゃれすぎて」
「慣れるまでそうなる」
うんうんと悩んでいる様子が少しおかしくて思わず笑みを漏らす。
パラパラとページを捲っては戻ってを二、三度繰り返し視線を止める。
「……これ」
「ムーンライト・ミルクティーな」
「うん。それにする」
「ケーキは?」
「おすすめある?」
「……月見チーズケーキ」
一瞬だけ間を置いてから言うと、ルナは顔を上げた。
「自信あり?」
「まあ、だいぶ」
「じゃあ、それ」
注文を取ってもらおうと後ろを振り返るとその視線を察してか、ミサ先がすっと近づいてくる。
「ご注文は?」
「俺は……いつもの、それと彼女にムーンライト・ミルクティーと月見チーズケーキでお願いします」
「はいはい、了解」
“いつもの”が通じることに、ルナが小さく反応する。
「常連だね」
「まあ、働いてるし」
「ふふ」
ミサ先は楽しそうに注文を復唱しながら、カウンターへ戻っていった。
「……あのさ」
「ん?」
「ここ、陽斗っぽい」
意外な感想だった。
今の俺の表情はいかにも「鳩が豆鉄砲を食らった」という表現に適しているんじゃないだろうか。
「どの辺が」
「なんていうか……」
「人の邪魔しない感じ」
一瞬、言葉を探してから続ける。
「居ても、居なくてもいいわけじゃなくて」
「……いる人が、ちゃんと居ていい場所」
俺は答えに詰まった。
そんなふうに考えたことはなかったから。
「……俺は、バイトだからな」
「それでも」
ルナはそう言って、もう一度店内を見回す。
照明に照らされたカップ。
奥で本を読んでいる客。
カウンター越しに厨房の店員に軽口を叩くミサ先。
「……好き」
ぽつりと漏れたその一言が、聞き間違いじゃなかったことを、俺はあとから何度も思い返すことになる。
ちょうどそのとき、タイミングよくミサ先がドリンクを運んでくる。
「はい、ムーンライト・ミルクティーと、“いつもの”夜更かしアイスコーヒー」
「ありがとうございます」
「ゆっくりしていってね!」
「はい」
湯気の立つカップを両手で包み、ルナは一口飲む。
「……あ」
「どう?」
「やさしい」
その一言が、なぜか胸に残った。
ここに連れてきてよかった。
そう思うのと同時に——。
この場所を見せたことは、ひょっとすると俺が思っている以上に、
大きな意味を持ってしまったのかもしれないと。
そんな予感だけが、静かに胸の奥に降り積もっていった。
こんにちは月要です。
この週末はずっとこの作品にのめりこんでいた気がします。これまでは読む側だった自分が、各側になってはじめてわかる書く大変さもそうですが、話の繋がりを考えてこれまでの設定から逸れないように話を組み立てるということがいかに大変かということに気づけました。
皆様に少しでも何かが届けばいいと思いこの後書きを残させて頂きます。
少しだけ遅いかもしれませんが、よい週末を。




