008 『お願いをしにきました』
体育でバスケをした、その翌日の昼休み。
侑弦がひとりで昼食を摂っていると、スピーカーから音楽が流れ始めた。
昼休み恒例の、放送部によるラジオ番組だろう。
『生徒、そして先生の皆さん、こんにちは! お昼の時間でーす!』
……ん?
その声に、侑弦は首を傾げた。
聞き慣れない、けれどやっぱり、聞き慣れている声。
つまり、いつもとは違う誰かが、マイクを取っているらしかった。
いや、これは……。
『あ、申し遅れました。私、生徒会長の天沢美湖です。えへへ、お邪魔してまーす』
……なにやってるんだ、あいつ。
「わっ、やっぱり美湖ちゃんだ!」
「なになに? 天沢さんどうしたの?」
「会長! かわいいよー!」
呆れる侑弦に反して、クラスメイトたちは盛り上がりを見せていた。
そんな野次が聞こえているかのように、マイクの向こうの美湖は『どうもどうも、ありがとねー』と返事をする。
『さて、今日は放送部さんに協力してもらって、皆さんにお願いをしにきました。ご飯やおしゃべりはそのままで、ちょっとだけ聞いてください』
少しあらたまった声音を作って、美湖が言う。
ちょっとだけ、というセリフに反して、周囲の生徒たちはほとんど、その声に釘付けになっていた。
『実はさっき、私にひとりの生徒さんから、落とし物の相談がありまして。学校の中にはありそうなんだけど、心当たりのあるところを探しても、見つからないそうなんです』
美湖が、今度は若干声のトーンを落とす。
顔は見えなくとも、抑揚とリズムのせいで、感情の波がよく伝わってきた。
『落とし物は、銀色のキーチェーンです。小学生の妹さんから貰ったそうで、アザラシの形をしたガラス細工がついてます。今日一日だけでいいので、皆さんが下校するまでのあいだ、ちょっとだけ気にして探してもらえないでしょうか?』
美湖の言葉に、今度は教室中がざわめき始める。
隣のクラスの声までが、こちらへ聞こえてきた。
『もちろん、私も歩き回って探すつもりだけど、人手は多い方がいいしね。でも、みんなも忙しいと思うから、移動教室とか掃除のときだけでも、なんとなく探してみてほしいの。もし見つかったら、生徒会室に私がいるから、持ってきてくれると嬉しいです! 部活が終わる時間までは待ってるので、どうか、お願いします!』
パチン、と手を合わせる音で締めくくって、美湖の話は終わった。
途端、クラスメイトたちは口々に、相談を始めていた。
「落とし物だって。天沢さんのお願いだし、協力したいなー」
「あれ、なんか私、今日それっぽいやつ見たかも?」
「駐輪場とか怪しくない? あとで行ってみよっかな」
ううむ、美湖の人望、恐るべし。
そんなことを思いながらも、侑弦はわりと落ち着いた気持ちで、昼食を進めた。
困った人は見過ごせない。助けるための行動は惜しまない。
美湖がそういう女の子であることは、よく知っている。
そして、だからこそ自分は。
――ごめん……今の、内緒にしといて?
「……」
侑弦はふと、いつかの光景を思い出した。
美湖とまだ、恋人同士ではなかった頃。
同じクラスになって、隣のクラスで事件があって。
あのときの、美湖の子どものような笑顔。
それが今でも忘れられず、侑弦はあれからずっと、美湖に恋をしている。
「……ふっ」
思わず漏れた笑みを隠すように、侑弦は窓の方に顔を向けた。
中庭を見下ろすと、数名の生徒たちが声をかけ合いながら、花壇や物陰に目を凝らしていた。
『えー、皆さんこんにちは。天沢美湖です』
終業のチャイムが鳴って、放課後。
侑弦が昇降口へ向かっていると、再び校内放送が流れた。
そばにいた生徒たちと同じく、侑弦は立ち止まってその声を聞いた。
『皆さんのご協力のおかげで、アザラシのキーチェーンが無事、見つかりましたー! パチパチ! 持ち主の子も、すごく喜んでくれています。皆さん、本当にありがとうございました!』
美湖の言葉に、周囲が「おぉー」「おめでとー!」と歓声を上げる。
解決が早い。さすがは全校生徒、おまけに教師陣総出の捜索だ。
侑弦が関心していると、美湖はさらに続ける。
『今回みたいに、困ったことがあれば、なんでも生徒会に相談にきてください。できる限りお手伝いします。まあ、今回はみんなの力を借りまくっちゃったんだけどね、えへへ』
美湖の照れたようなセリフに、今度は笑い声が上がる。
美湖はたしかに、今までも多くの人の悩みや困りごとを解決してきた。
学校の生徒や教師、それに、ご近所さんや友人の家族まで。あらゆる人の相談を受けては、本人以上に真剣に、それに向き合う。
性分、という言葉で片付けるには忍びないほど、美湖の人助けは本気で、全力だった。
ただ、それにしても。
「大規模な宣伝だな……やれやれ」
また、相談者が増えたらどうするんだ。
ただでさえ、生徒会の仕事で以前より忙しいのに。
そう思ったけれど、美湖はきっと喜ぶのだろうという気がした。




