004 「今度こそしたかったのに……えっち」
「それにしても……またやってしまった」
雨の中、ふたりで水たまりを避けて歩いていると、不意に美湖が言った。
さっきまでとはうって変わり、暗くどんよりとした声音だった。
「いや、またやれなかった、と言うべきか……」
「……もしかして、昨日の話か」
侑弦が尋ねると、美湖はこちらに顔を向けて、力なく頷いた。
昨日、ふたりは美湖の部屋で、関係の進展を試みた。
が、結局今回も未遂。
美湖はあのあともかなり落ち込んだ様子で、むしろ今日の生徒総会などは、よく立ち直ったな、と思うほどだった。
けれどどうやら、やはりまだ気にしているらしい。
いや、それはともかくとして。
「外でそんな話しちゃいけません」
と、侑弦は至極真っ当な注意をした。
しかし、美湖は不機嫌そうに、むすっと頬を膨らませる。
「今度こそしたかったのに……えっち」
「こら、みなまで言うな……」
雨音もあるとはいえ、周囲に人がいないわけではない。
ただでさえ、美湖は目立つのだ。
あまりはしたない会話は、人前では避けるべきだろう。
まあ、そう思ってくれていること自体は、侑弦も嬉しいのだが。
「はぁ……やっぱりヘタレだ、私」
「……べつに、いいだろ、自分のペースで」
度胸も勢いもある美湖が、この件についてはコンプレックスに打ち勝てずにいる。
それは意外でこそあれど、悪いことだとは思わない。
ゆっくり、少しずつ進んでいければいい。
侑弦は本気でそう思っているし、美湖本人にも伝えてあった。
まあ、彼女が悔しがる気持ち自体は、わからないでもないけれど。
「……ごめんね、侑弦」
「謝るなよ。そりゃ俺だって、したいけどさ」
「……うん」
「でも、お前の気持ちが一番大事だ。いつまでも待つし、付き合うよ。だからまあ、のんびりやろう」
「ゆ、侑弦ぅ……」
途端に口元を歪めて、美湖は泣きじゃくるジェスチャーをした。
冗談めかしてはいるが、目元の涙は本物に見えた。
「愛してます、侑弦さん」
「……急になんだよ」
「あらためて実感しました、愛を。いつもありがと」
えへへ、と笑って、美湖は侑弦の顔を覗き込んだ。
抱きしめたい衝動に駆られる。
それに、きっと美湖の方も、同じことを思ってくれているだろう。
恋人同士になって、二年と少し。高校生のカップルにしては、長い付き合いだ。
それでも、未だに気持ちは薄れず、むしろ強まっている。
美湖と出会った日、そして交際が始まった日のことが、自然と思い出された。
が、侑弦の意識を引き戻すかのように、隣の美湖が言った。
「あ、そういえば、告白されました。さっき」
「……そうですか」
うん、と屈託なく頷く美湖。
またか、と思い、侑弦の胸は少しざわつく。
「二組の男の子で、斎藤くん。知ってる?」
「まあ、顔はわかる。話したことはないけどな」
言いながら、侑弦は頭の中の『告白者リスト』に『斎藤くん』を追加した。
告白の報告は、ルールになっている。
いくつかの苦い経験から、そうするべきだとふたりで決めたことだった。
まあ、報告を聞くのは、侑弦にとっていいものではないけれど。
なにせ美湖は、告白されることが多すぎる。
どうやらそれは、侑弦という恋人がいても、そこまで影響はないらしい。
「もちろん、お断りしました」
「……そりゃ、そうじゃなきゃ困る」
そうぼやくと、侑弦の腕を抱えていた美湖の手が、ギュッと力を強めるのがわかった。
止められないものは、受け入れるしかない。
それがわかっているからこその、美湖なりの気遣いなのだろうと思う。
「そういえば、言い忘れてたけど」
「ん、なぁに」
美湖が、ニコッと笑う。
相変わらず、いい女の子だ。
自分には、もったいないと思う。だからこそ、似合う人間にならなければ、とも。
少なくとも――。
「俺も、愛してる」
もらった言葉を返し忘れるような男には、なってはいけない。
簡単なことだ。
できないとすれば、素直さと感謝が足りない、自分のせいでしかない。
「……バイト、行くの?」
「ああ、そりゃ行くよ。シフトだからな」
「なんでー‼︎ せっかく気持ち高まってきたのにっ!」
今度は侑弦の腕を振り回して、美湖が不満そうに喚いた。
自分だって、同じ気持ちだ。
けれど、美湖がそう思ってくれたことへの喜びが、侑弦のなかでは勝ってしまっていた。
「イチャイチャしたーーーい‼︎ 行くなー侑弦ー!」
子どものように、美湖が言う。
愛しさが胸をついて、侑弦は傘で隠すようにしながら、美湖の頭を優しく撫でた。




