025 【回想】「……ううん、だめじゃない」
「わかった。じゃあ、ちょっと考えさせて」
美湖がそう言うと、朝霞侑弦はみるみるうちに、表情を明るくした。
綻んだ頬を隠すように口元に手を当てて、美湖の方を見る。
一度撃沈しかけた告白に、成功の可能性が出てきた。
それが嬉しくてたまらない、という様子だ。
素直な男の子だ、と思う。
ぶっきらぼうに見えて、かわいいところがあるじゃないか。
もちろん、まだ好意を持ったわけではない。
この先そうなる可能性も、きっと今の段階では高くないだろう。
だが、すぐに断ってしまうのは、もったいないと思った。
それなりに時間をかけて、判断してもいいかもしれない。
たとえば、そう。
「なら、一週間欲しい」
「えっ……」
侑弦の言葉に、思わず声が漏れた。
美湖は一ヶ月、短くとも、二週間を考えていた。
それなら、充分だろうと。
けれど彼は、もっと短い時間でいいという。
彼にとっては、損になるはずなのに。
「あんまり時間もらっちゃっても、悪いから。それに、一週間で振り向かせられなかったら、それはもう負けだ」
侑弦が言った。
淀みのない声と、意志の強い目だった。
ああ、もしかしすると、この男の子は。
自分が思っているよりも、もっと、ずっと――。
「……うん、わかった。じゃあ一週間ね。そのあいだは、できるだけ一緒にいる時間作ろ。私にも、その責任があると思うし」
「っ……! そうしてくれるなら、ホントに嬉しい。ありがとう」
侑弦は大きく頷いて、この日一番の笑顔を見せた。
それもまたかわいらしくて、美湖も自然と笑っていた。
それから、美湖は侑弦と連絡先を交換した。
明日からの七日間で、答えを出す。
あらためてそう約束をして、侑弦と別れる。
ひとりでいつもの通学路を歩きながら、美湖は思った。
ああ、あの男の子は、マズいかもしれない。
短いあいだに不意をつかれすぎて、不覚にも、胸が少しだけ、ドキドキしている。
「……だめだめ」
ふるふると首を振って、美湖はざわつく心を落ち着かせた。
なにがだめなのかは、説明できない。
けれどとにかく、持っていかれないように気をつけなければ。
心の中でそう決意して、美湖は家までの道を、なんとなく小走りで帰った。
翌日から、朝霞侑弦との時間が始まった。
とはいっても、休み時間に教室で一緒に過ごすのは、さすがにいろいろと問題がある。
幸い、お互い部活には入っていない。
ふたりは毎日の放課後、人がいなくなった教室で合流する、ということで合意した。
「やっほー、朝霞くん」
最後の授業のあと、少し時間を潰してから教室に戻ると、朝霞侑弦が先に待っていた。
美湖が手を振ると、侑弦も控えめに振り返して、少し恥ずかしそうにはにかむ。
頬は赤いが、堂々としていて、美湖から目をそらしたりはしなかった。
「どうするの? どこか行く? 一応お金は、少しならあるけど」
あらかじめ、予定を聞かされたりはしていない。
だが好きな女の子にアピールするとなれば、きっとおもしろいことや、楽しいことに連れ出してくれるのだろう。
ただ、この男の子なら、あまり無茶なことはしないだろうな、と思っていた。
「いや、ここでいいよ」
「……え」
呆気に取られて、美湖は口を開けたまま固まった。
けれど侑弦の目は真剣で、有無を言わせないような雰囲気があった。
「俺が言うのも変だけど、俺たちはまだ、お互いのことを全然知らないから。まずは遊びよりも、話したいんだ。……だめかな?」
「……ううん、だめじゃない。いいね、おしゃべり」
思わず、語尾に笑みが混ざった。
侑弦の言葉は、美湖の考えにかなり近いものだったのだ。
なにかを楽しむ時間を共有するのも、素敵なことだろう。
けれど一週間しかないのなら、時間はできるだけ、会話に使いたい。
彼のことを知るには、それが一番早くて、確実だろうから。
「じゃあ、なんのお話しする?」
「ああ……まあ最初だし、自己紹介かな」
と、侑弦はまたしても真剣な目と声で、そんなことを言った。
なんだそりゃ、と思ったけれど、流れを遮るのが申し訳なくて、それに残念で、美湖は黙って侑弦のセリフを聞いていた。
「朝霞侑弦です。両親に、姉がひとり。あとペットが犬と猫一匹ずつ。友達は少なめで、一番仲がいいのは、同じクラスの松永玲逢、かな。趣味は読書、映画とゲーム。得意なことは早起きで、苦手なものは絶叫マシン」
「早起き? 絶叫マシン? っていうか、ペット飼ってるの!」
一気に情報が流れてきて、引っかかるところがいくつかあった。
けれど全体的に見れば、おおむねかなり普通の男の子だ。
だが見栄も虚飾もないところには、素直に好感を持った。
侑弦はスマホを取り出して、照れくさそうに犬と猫の写真を見せてくれた。
白いコロッとしたポメラニアンと、青い毛が長いラガマフィン。
どちらもやたらと愛くるしく、幸せそうな表情をしていた。
「じゃあ、今度は私ね! 天沢美湖です。ひとり娘で、両親と三人暮らし。友達はたくさんいるけど、親友はまだいないから募集中。いろんなことに興味があるけど、一番好きなのは人助けと、おいしいものを食べること! なんでも得意で、苦手なことはあんまり……あ、でも納豆は嫌いかも? 以上です!」
侑弦にならって、美湖はかなり、正直な自己紹介をした。
自分に自信もあったし、そうなれるように生きてきた。今さら謙遜したところで、かえって感じが悪いだろう。
侑弦はパチパチと、小さく拍手してくれた。
それがなんだかおかしくて、また顔が綻ぶ。
「天沢さんは、なんで人助けが好きなんだ?」
「ん? うーん、やっぱり、人の役に立つのって嬉しいしね。それに、自分のことも好きになれるし。あとは、ちょっと偉そうだけど、私ならもっと上手くできるのになーって、思うことが多いから。焦ったくて、ほっとけないのかも」
昔から、お節介を焼くのが癖だった。
周りに馴染めない子を輪に引き入れたり、喧嘩した子たちを仲裁したり。
人になにかを教えたり、手伝ったり、引っ張ったり。
そういうことを繰り返しているうちに、ますます上手くなる。
おまけに、人に感謝されて、相手も喜んでくれる。
こんなにいいものはないと、美湖は本気で思っていた。
あまり、人に理解されるとは思っていないけれど。
「そっか……天沢さんはすごいな」
「ふふん、すごいよー私は。なにせ、年季が違うもん」
「なるほどな……ふふっ、そりゃそうだ」
侑弦は笑って、また美湖の目をまっすぐ見た。
思わず見つめ返すと、今度はふいっと、恥ずかしそうに顔をそらす。
その反応がほほ笑ましくて、美湖は半分いたずらで、侑弦の顔を覗き込んだ。
「この前のいじめの件も、その一環?」
「あー、うん、まあね。でも、あれは反省も多かったよ。もっと早く、止めるべきだった。それに、ビンタし返しちゃったし、あはは」
「……いや、それでもすごい。同じクラスの連中は、誰も止めなかったわけだしな」
「まあ、あんまり身近だと、逆に難しいっていうのはあると思うよ。次に標的にされるのも怖いしね。私なら返り討ちにできるから、その心配もないし」
「……そうか。やっぱり、強いんだな」
セリフに反して、侑弦の声音は少し硬かった。
もしかすると、こちらを心配してくれているのかもしれない。
側から見れば、危険で、無謀に思えるだろうから。
「じゃあ、朝霞くんはどうして、友達が少なめなの?」
今度は、美湖の方から聞いた。
デリケートな話題、かもしれない。
けれど、この子になら聞いても大丈夫そうだと思ったし、だめなら自己紹介には含めないだろう。
美湖の思った通り、侑弦はいやな顔ひとつせず、男子にしては細い指を顎にピトッと当てた。
なんだか、意外とイケメンかもしれない。
真面目な表情で首を捻る侑弦の顔を見て、ぼんやりとそんなことを思った。
まあ、容姿はほとんど、評価には影響しないけれど。
「たぶん、相手に合わせるのが下手なんだよ、俺」
侑弦が言った。
その声には後ろめたさも、悲しみも混じっていなかった。
「浅い関係の相手とのちょっとしたやり取りなら、それなりにうまくやれるんだけどさ。ただ、ホントに気が合う相手じゃないと、仲よくなれない。悪くいえば、選んじゃうんだ、友達。クラスでも、よく話すのはふたりくらいだしな」
「ふーん。でも、そういうものじゃない? 円滑なやり取りができるのと、本当に心が通じ合うのは、また別だし」
「……だとしたら、天沢さんはそれでも、友達が多い?」
「うん。私は誰にでも、基本オープンだし。あとは、単純に友達のハードル低いのかもねー。どこからが友達か、なんて、人それぞれだしね」
「……そっか、たしかに。いいな、天沢さんは。はっきり、さっぱりしてて」
「あ、こらー。これでも複雑な乙女なんだけど?」
「あはは、悪い。失礼しました」
侑弦は軽く吹き出して、ペコリと小さく頭を下げた。
彼が笑ってくれたことが、美湖は自分でも意外なほど、嬉しかった。
「でも、松永くんってちょっとやんちゃめだよね? こういっちゃあれだけど、どうして友達なの? なんか、あんまり合わなさそう」
「よくいわれる。けど、いいやつだよ、ああ見えて。あいつは友達多いから、普段俺といることは少ないけどさ」
「うーむ。なんとも不思議な関係だ」
「それでいえば、変な友達はちょこちょこいるかも、俺。近所のコンビニのバイトの大学生とか、あと片山先生とか」
「えっ、なにそれ! ますます謎じゃん、朝霞くん」
コンビニの誰それはともかく、片山といえば、若手ながらに特段真面目で、あまり生徒と親しくするタイプの教師ではない。
侑弦にとっての友達の基準がかなり高そうなのも含め、その繋がりには驚きを隠せなかった。
「片山先生は、去年近所の図書館で偶然会って、話したんだよ。そしたら、本の趣味が似ててさ。コンビニの人は、一回会計の打ち間違いで返金されたときに、いろいろあって」
「な、なんというコミュ力……」
それも、一般的にいわれているコミュ力とは、かなりタイプが違う。
それからも話を聞いていると、どうやら侑弦のいう「友達を選ぶ」は、「親しくなる相手を絞る」という意味ではなさそうだった。
つまり、同じコミュニティだから、毎日顔を合わせるから、といった理由では、相手と仲よくならない。
立場や属する集団が違っても、本当に気が合えば、自分から親しくなろうとする。
それは簡単なことではなく、けれど、これこそ本当の人間関係なのではないか、と美湖は思った。
そしてそんなふうに人と関われる侑弦のことを、すごいとも、おもしろいとも思う。
やっぱり、変わった男の子だ。
まあさすがに、自分ほどではないだろうけれど。




