022 「気づいてたのか」
週が明けて、月曜日。
この日の体育は前回とは違い、自分たちのクラスだけで行われた。
バスケの期間はまだ続いており、今回はパスやドリブルなど、基本的な技術をあらためて身につける練習に充てられた。
「じゃ、ふたりひと組になって、チェストパスから順番にやってけー」
言って、体育教師がピーーッと笛を吹く。
クラスの生徒たちはバラバラと動き回り、自然とペアを作って体育館に散っていった。
侑弦も玲逢に声をかけられ、体育館の端へ移動する。
普段玲逢とはあまり一緒にいないが、こういうときにはたまに、どちらかが気まぐれに誘うこともある。
友人になった小学生の頃から、今でもずっとこういう関係だ。
「お前、妙にパス上手いよなー」
「そうか? なんか性に合ってるとは思うけど」
「シュートも打てよ、もっと」
「チャンスで外したら笑うだろ、お前が」
と、他愛もない会話をしながら、お互い胸に向かってパスを出し合う。
そのとき、玲逢の肩越しに、少し気になる光景が目に入った。
「……綿矢」
紗雪が、ひとりでポツンと、体育館の真ん中に立っていた。
彼女の視線の先では、佐野桜花が別の友人と楽しげに話している。
察するに、組む相手がいないのだろう。
紗雪は普段、誰かと一緒にいることはほとんどない。あるとすれば、その相手は桜花だ。
だがその桜花とは、今は仲違い中。
侑弦のクラスの女子は奇数なため、どこかひとつは三人組になる。
が、紗雪を積極的に誘おうとするペアはいないようだった。
紗雪ならどこかに自分で声をかけそうだが、どこのペアもそれとなく、拒絶するような空気をまとっているように見えた。
「……」
パスを出しながら、侑弦は考える。
べつに、男女ごとに組まなければならないルールはない。
玲逢なら、紗雪を引き入れるのもオッケーしてくれるだろう。
しかし、それが紗雪のためになるのかどうかは微妙なところだ。
できることなら、女子同士で組んだ方いい。
自分が声をかけるのは、本当に最終手段だろう。
もう少しだけ、見守ろう。侑弦がそう決めた、そのとき。
「ん……倉瀬?」
少し離れたところにいた倉瀬涼葉が、自分のペアから離れて、紗雪に声をかけた。
涼葉のペアだった相手は、別のペアと三人組を作っている。
どうやらひとりでいる紗雪に気づき、気を利かせてくれたらしい。
「……ありがとな」
涼葉は、昔から正義感と責任感の強い子だった。
今でもクラス委員をやって、いつも仕事をしっかり務めている。
それから、紗雪と涼葉はパス練習を開始した。
ふたりともかなりの美人なので、絵になる光景だ。
まあ、それは余計な評価なのだろうけれど。
その後は、ずっと涼葉が紗雪のペアを続けてくれていた。
無事に授業が終わり、更衣室で着替える。これが六限なので、今日はそのまま放課後だ。
教室に戻り、帰り支度を始める。
ほかのクラスメイトたちも徐々に着替えから帰ってきて、その中には涼葉と紗雪、そして桜花の姿もあった。
「ってかさー。桜花、綿矢となんかあったの?」
と、桜花を含む女子四人の集まりから、そんな声が聞こえてきた。
侑弦は手を止めて、人知れずその会話に耳を傾けた。
「あ、それあたしも思ってたー。最近全然一緒にいないよねー」
「ふたり組作るときとか、大体組んでたのにね。今日もうちらのとこ来たし」
全体的に派手で、賑やかなメンバーだった。それなりに目立つ桜花よりも、さらに一段上の華やかさがある。
昼食を一緒に食べていた連中とは、また別の顔ぶれ。
さすが、紗雪と違って交流は広いらしい。
「べつに、なにもないよー。そもそも、そんなに仲よくないもん」
桜花が軽い口調で言った。
が、その声には少しだけ、硬さがあるようにも思えた。
「嘘すぎでしょ。綿矢と話すの、ほぼ桜花だけじゃん」
「ねー。綿矢さん、マジでクールガールだし」
「もうっ、いいじゃんその話。それより……あっ、葉月ちゃんピアス新しいね。かわいいー!」
「え……あ、ホントだ。見たことないやつ着けてる」
「ん、ああ、いいっしょこれ。高かったけどね」
「わっ、やっぱり! でもセンスいいよねー、相変わらず」
「褒めてもなんも出ないし。にしてもホント目ざといなぁ、桜花」
「えっ!? だ、だって明らかかわいいじゃん! わかるよー!」
と、妙に慌てた様子で、桜花が顔の前で両手を振った。
だが相手の三人には気にした様子もなく、すぐに別の話題に移っている。
それを受けてか、桜花が一度、ホッと胸を撫で下ろしたように、侑弦には見えた。
「……ふむ」
なんとなく、引っ掛かりを覚える反応だった。
緊張している、というか、気を遣っているというのか。
会話にも出ていたが、普段から親しい相手、というわけではないのかもしれない。
それから、四人はすぐに解散して、別々に教室を出ていった。
侑弦はまた帰り支度に意識を戻し、手を動かす。
どうやら桜花と紗雪の変化には、周囲も気づき始めているらしい。
まあ当の桜花本人は、特になにもない、というスタンスを貫いているようではあるが。
「……ん」
と、今度は視界の端で、カバンを肩にかける涼葉が目に留まった。
少し迷ったけれど、なにも言わないのも気持ちが悪いな、と思った。
「倉瀬」
声をかけると、涼葉はビクッと肩を弾ませた。
勢いよくこちらに振り向き、侑弦と視線が重なる。
途端、涼葉の小さな口元が、わずかに歪んだような気がした。
「朝霞くん……なに?」
「ちょっといいか」
「……う、うん」
コクンと頷いてくれた涼葉を伴って、念のため教室の隅に移動する。
クラスメイトたちは各々部活へ向かっていき、だんだんと人が減っていった。
「……どうしたの?」
涼葉は少し顔を伏せて、上目遣いでこちらを見た。
身体の前で組んだ両手が、どこかいじらしく思えた。
心の中で、苦笑いする。
まるで、今から自分が告白をするような雰囲気だ。
「大したことじゃない。ただ、綿矢の件、ありがとな」
「えっ……綿矢さん……?」
不思議そうに口を開けた涼葉に、侑弦は今の状況を軽く説明した。
紗雪が唯一の友人らしい桜花と喧嘩して、孤立気味であること。
美湖が本人からその件で相談を受けて、今調査中だということ。
その紗雪をペアに誘ってくれて、侑弦個人的にもありがたかったということ。
「助かった。いや……俺が気にすることでもないんだが」
本来、相談を受けたのは美湖だけで、侑弦はこの一件には無関係だ。
だが例によって、事情を知っている以上は、やはり気になってしまう。
バイト中、ガチャガチャコーナーで紗雪と話してからは、特に。
そういう意味では、自分が出せない助け舟を代わりに出してくれた涼葉には、感謝しかなった。
「そういうこと……。どおりで最近、ちょっとあの子達、おかしいと思ったわ」
「倉瀬も気づいてたのか」
「まあ、なんとなくはね。綿矢さんと佐野さんって、もともと……少し変わった関係だし」
「……変わった関係、か」
友人だが、一緒にいるときはいつもふたり。
桜花が別の友人に紗雪を引き合わせたり、まとめて一緒に行動することはない。
涼葉が言わんとしているのは、おそらくこのことだろう。
侑弦は知らなかったが、やはり女子同士だとよくわかるらしい。
「用は……そのお礼だけ?」
涼葉が言った。
心なしか、声に残念そうな響きが混じっているような気がした。
が、勘違いである可能性も充分あって、侑弦はそっちを支持することにした。
それはそれで罪悪感もあるけれど、どうしようもなかった。
「佐野って、どんなやつなんだ?」
さっきの桜花の様子を思い出しながら、侑弦は尋ねた。
人をよく見ていそうな涼葉なら、例の違和感の正体を暴いてくれるかもしれない。
「……そうね。明るくて、いい子、だとは思うけど……」
涼葉は、そこで一度言葉を切った。
チラチラと侑弦を見て、なにかを言い淀んでいるように見える。
まあ、無理もないだろう。
もし内容がネガティブななら、積極的に他人に話すのは気が引けるものだ。
「……あざとい? っていうのかしら……。誰にでも人当たりはいいけど、その中にもしっかり区別とか好き嫌いがあって、相手によってけっこう、態度が変わる。まあ、そんなの誰でもそうだとは思うけど……佐野さんは、ちょっと顕著かも」
「……なるほど」
つまり、表向き愛想はいいが、内心では打算的、というようなことだろう。
たしかにさっきの桜花には、相手の顔色を窺うような、媚びるような調子があったように思える。
だが涼葉の言う通り、程度の差こそあれ、人間誰しもそんなものだ。
相手に合わせて、態度を変える。それは一種の処世術であり、自己防衛でもある。
「でも友達も多いし、それこそ綿矢さんとも親しいのはすごいと思う。誰とでも仲よくするって、簡単じゃないもの」
「……だな。まあ今は、なぜかその綿矢を拒絶してるみたいだが」
「なにがあったのかしらね……」
「原因には、倉瀬も心当たりはないか?」
「う、うん……さすがにね。ふたりとも、友達ってわけじゃないから」
「……そうか」
そのわりには、紗雪の孤立を見て、すぐに行動していた。
涼葉がいてくれてよかった、とあらためて思う。
「部活前に引き止めて悪かったな。いろいろ助かった。ありがとう」
「えっ……う、ううん! いいの、これくらい。またいつでも……」
と、涼葉はそこでセリフを止めた。
少し待っても続きは出てこず、またふいっと俯いてしまう。
ついこの前、提出物を一緒に運んだのが、三年ぶりの会話だったのに。
次が来るのは、ずいぶんと早かった。
嫌われているだろうし、必要がなければ話すべきじゃない。
気まずさにかこつけてそういうことにしておいたけれど、いつまでもそのままではいけないのかもしれない。
そもそも侑弦にとっては、あの出来事はすでに、過去の失敗として消化できているのだから。
「じゃあな。機会があれば、また話そう」
「え……ええ。そうね」
教室を出ていく涼葉に、侑弦は小さく手を振った。
最後にこちらを振り返った彼女の顔が赤く見えたような気がして、侑弦はまた、はぁっと小さく吐息をついた。
なにが正しいのか、わからない。
正しい距離感などというものが、本当に存在するのかどうかすら疑わしい。
本当に、人間関係は厄介だなと、あらためて思った。




