010 『私は侑弦一筋だもん』
帰宅後、侑弦は自室で読みかけだった文庫本を読み進めた。
最近美湖と一緒に見たドラマの原作小説で、こちらは描写やシーンがドラマ版よりも多く、なかなか嬉しい。
チラリと、望実にいわれた『文学少年』という言葉がチラついた。
けれどやっぱり、そういうイメージじゃないな、と思う。
読書は好きだが、高尚な趣味やこだわりがあるわけでもなく、選ぶ本はベタだ。
趣味に貴賎はないとは思うけれど、『文学』というよりはエンタメ、という感じがする。
夜には『さざなみ』で買ったパンを食べ、軽い筋トレをしてからシャワーを浴びた。
自室に戻り、今日出た課題を進めようかと思った、そんな折。
『電話したーい!』
と、美湖からメッセージが来た。
既読をつけると、すぐに二の矢が飛んでくる。
『今!』
『侑弦ー!』
間髪入れずに三の矢まで飛んできて、侑弦はふふっと短く笑った。
『いいよ』
そう返事をすると、本当にすぐさま着信があった。
受話ボタンを押して、スピーカーにしたスマホを机に置く。
『もしもーし、侑弦?』
「ああ。どうした、美湖」
美湖はメッセージの文面とは違い、少し子どもっぽく、ぽやぽやした声だった。
電話越しだと、彼女はこうなることが多い。おそらく、部屋でベッドにでも横になっているせいだろう。
いつもの声も好きだが、こっちはなんだか、ますますかわいらしく感じる気がした。
『なにしてた?』
「課題始めるとこ」
『そっか。えへへ、邪魔しちゃった』
「いや、そっちはいつでもいい。俺も話したかった」
侑弦が言うと、美湖は『んふふ』と嬉しそうな声を漏らした。
こういう気持ちを、こまめに言葉で伝える。それは、侑弦が意識的に心がけていることだった。
多少は恥ずかしいけれど、美湖からの評判はすこぶるよいので、付き合い始めた頃からずっと続けている。
まあもちろん、周りに人がいるときは、さすがに控えるけれど
『報告があります』
と、あらたまった口調で美湖が言った。
報告。どうやら、それが電話をかけてきた用らしい。
まあ美湖からの報告といえば、大抵はあれなのだが。
『今日、また告白されました』
「……そうですか」
やっぱりな、と侑弦は苦笑いする。
美湖はもともと相当モテるが、生徒会長になってからはますます、ペースが早い気がする。
『落とし物の子。今日放送で言ってたでしょ? 一年生なんだけど、さっき見つかって、そのままお礼と一緒に』
「ああ……なるほどな」
男子だったのか。しかも、下級生。
なかなか度胸があるというか、手が早いというか。
『矢野くんだって。メモしといてね』
「お、おう……それで?」
『え……それでって?』
「……いや、返事は?」
言いながら、侑弦は自分の胸の奥が、キュッと苦しくなるのを感じた。
が、美湖は途端に『ぷっ!』と吹き出して、電話の向こうで笑い始めた。
「おい……こっちは真剣なんだぞ」
『あはは、ごめんごめん。たしかに、まだ言ってなかったね。でも、断ったに決まってるじゃん』
「……決まってはないだろ、べつに」
いつもいつも、それなりに心配になっている。
美湖にはわからない感覚、なのかもしれないけれど。
『決まってるのー。私は侑弦一筋だもん。少なくとも、今はねー』
最後には少し意地悪なことを言って、美湖はまたふふっと笑った。
だが、美湖の言う通りだ。
恋愛において、理由のない好意はない。
日々新しい出会いがあるし、気持ちだって変わる。
この関係が、いつまで続くのか。いつまで、想い続けてもらえるのか。想い続けられるのか。
それは誰にもわからない。
だからこそ、そうならないように、努力をしなければならない。
俺も。それに、美湖も。
きっとこのセリフだって、美湖は半分以上、自分に対して言っているのだろう。
今仲がよくたって、慢心はしない。してほしくない。
そういう宣言と、戒めだ。
『かわいいねぇ侑弦。ホントに私のこと好きなんだ?』
「……当たり前だろ」
でなければ、こんな気持ちにはならない。
それに、なにかと大変な『天沢美湖の彼氏』を、続ける意味がない。
『そっかそっかぁ。よしよし』
「……」
『ってことで、報告終わり。侑弦も、もし告白されたら、ちゃんと報告してね』
「……了解」
『あ、今、自分は告白されないし、とか思ったでしょ!』
「え……いや、そんな……ことは」
『はい図星! ダメだから、それ。全然普通に、あり得るもん。だって私と付き合う前に……』
と、美湖はそこで、一度言葉を切った。
しばらく黙ったあとで、ふぅと短く息を漏らす。
『そういえば、倉瀬さんとはどう? 最近』
「……なんだよ、最近って」
『だからー、最近。話した? クラス同じでしょ』
美湖の声音は軽かった。
けれど、どこか不安げで、心細そうな響きがあって。
珍しい、と思う。美湖がこの話題を出すのも、こんな声で話すのも。
「なにもないよ。話す用も、機会もないしな」
『……ふーん、そうですか』
「……なんだよ」
『なんでもないもーん。ただ、そりゃ気になりますよ。私だって』
冗談めかした声で、美湖が言う。
いや、本当に冗談なのだろうとは思う。
ただ、そのうちの一割、いや、もっと小さい割合でも、本気なのかもしれなくて。
「俺は、美湖一筋だよ」
それが申し訳なくて、侑弦は言った。
まあ、さっき美湖が言ってくれたセリフの使い回しなのは、少し情けなかったけれど。
『……今からそっち行く』
「えっ……いや、ダメだろ」
『やだーーっ! 会いたい! 行く!』
本当の子どものように言って、美湖はわーわーと喚いた。
思わず呆れて、けれど愛しくて、侑弦は笑った。
とはいえ、さすがに今からは、やっぱりダメだろう。
『会いたーい! ハグしろ! 侑弦ー!』
「もう遅いんだから、家で大人しくしてなさい。また今度な」
『薄情者ーーっ! キィーーーっ!』
そんなことを言いながら、美湖は自分からプツンと通話を切った。
これ以上話していると、本当に我慢できなくなる。侑弦と同じように、美湖もそう思ったのかもしれない。
「……ふぅ」
会いたいな、と口に出すのはやめておいた。
涙を流したハムスターのスタンプが送られてきて、侑弦は美湖とのトーク画面を、指でゆっくりと撫でた。




