001 「ねぇ……しよ?」
シャツのボタンをはずされているあいだ、彼女は赤くなった顔をふいとそらして、静かに息をしていた。
ひとつ、ふたつと進むたび、シャツの隙間から、薄いベージュのキャミソールが覗く。
早まる鼓動を抑えながら、朝霞侑弦はゆっくりと、手を動かした。
最後のボタンがはずれると、彼女が「ん」と、短い声を出す。
けれど拒絶の意志は見せず、瞳を潤ませたまま、コクンと小さく頷いた。
進んでもいい、ということだろう。
放課後、侑弦は恋人である天沢美湖に誘われて、彼女の部屋を訪れた。
「お父さんもお母さんも、今日は仕事で遅いから」
そう告げられたときには、こうなることもある程度予想していた。
ふたりでのんびりお菓子を食べて、珍しいペットの動画を見た。
しかし、お喋りな美湖の世間話に相槌を打っていると、だんだんと彼女が身体を寄せてくるのに、侑弦は気がついた。
美湖は侑弦の肩にもたれかかるようにして、自分の頬をピトッとくっつけた。
「ねぇ……しよ?」
軽く語尾を上げて、美湖が言った。
彼女の髪の匂いが鼻腔をついて、少し意識がぼぉっとした。
そして、今。
侑弦はベッドの上で、美湖と向かい合っていた。
はずれた制服のリボンが、枕のそばに落ちている。
空調はよく効いているのに、じんわりと汗をかいていた。
「シャツ、脱げるか?」
侑弦が言うと、美湖はピクンと肩を弾ませた。
それから、また小さく頷いて、細い身体と腕をくねるように動かす。
サラサラと衣擦れの音がして、シャツがハラリと落ちた。
「美湖」
思わず、名前を呼んでいた。
美湖もこちらを向いて、侑弦の目を見つめる。
彼女と恋人になって、もう、二年以上が経っていた。
「腕、上げな」
侑弦は言った。
美湖は少しのためらいのあとで、白い両腕をゆっくりと上方に伸ばした。
侑弦がキャミソールの裾に手をかけるのを、美湖は止めない。
そのまま上に持ち上げると、綺麗な形のへそが露わになった。
「美湖、かわいいよ」
キャミソールを脱がせると、明るく艶のある彼女の長い髪が、少し乱れた。
それでも、美湖は信じられないくらい綺麗で、可憐で、息を呑んだ。
美湖の上半身には、もう桜色のブラジャーだけが着いていた。
思わず、手を伸ばしそうになる。
いや、今に限っては、そうするのが正しい。
やめては、いけない。
侑弦は自分に言い聞かせ、一度呼吸を整えてから、美湖の目を見て頷いた。
「好きだ、美湖」
言って、侑弦は美湖の華奢な肩に手を置いた。
そのままその手を背中に回し、ブラジャーのホックに触れる。
うまく、はずせるだろうか。
不安と緊張が、脳裏をかすめる。
構造自体は単純だ。それに、こっそりとイメージトレーニングもしておいた。
それなのに、指先が自分のものではないかのように、すっかり強張っていた。
そして、もうひとつ心配なのは――。
「ひっ……!」
パチン、と小さな音がした、そのとき。
悲鳴のような声が、侑弦の耳をついた。
反射的に、美湖の顔を見る。
不安と焦り、そして罪悪感が、一気に湧き上がってきていた。
「だ……だっ……!」
美湖はいつの間にか、ギュッと目をつぶっていた。
くちびるが震えて、身を守るように両手を縮めている。
まずい、と思ったときには、もう遅かった。
「だめぇぇーーーーっ‼︎」
部屋を、絶叫が包んだ。
嵐が直撃したかのような衝撃のなかで、侑弦は慌てて耳をふさいだ。
ドン、と胸を押されて、身体が後ろに倒れる。
白い天井を見上げながら、思った。
――ああ、今日も、ダメだった。
だが、少しだけ安心している自分もいて。
侑弦にはそれが、どうにも不甲斐なかった。
「はぁ……まただ。なんと情けない……」
ズーン、という音が聞こえてきそうなほどに項垂れて、服を着直した美湖が言った。
そんな彼女の背中を、侑弦はゆっくりと撫でる。
また。そう、まただ。
一線を超えようという試みも、今回が三度目。
けれど毎回、下着をはずす直前に、美湖が限界を迎えてしまう。
今度こそ、と思った。しかし侑弦は、今回もダメかもしれない、とも思っていた。
美湖には、申し訳ないけれど。
「侑弦ぅ……ごめんね」
美湖が涙声で言う。
侑弦は後ろから彼女の身体を抱きしめて、ぽんぽん、と頭を優しく叩いた。
べつに、できないのは構わない。
美湖がいやなら、その気持ちを無視するつもりは毛頭ない。
もちろん、いつかは進めればいいと思う。
しかしそれは、彼女の勇気が出たときにしたい。
男としては、多少強引な方が、とも思うけれど、もう決めていた。
ただ、毎度盛り上がった気持ちがお預けになるのだけは、つらいところではあるけれど。
「元気出しな。ほら、お茶でも飲め」
「……うん。ありがと」
氷の浮かんだタンブラーを渡すと、美湖はそれをグイッと傾けた。
表情は未だに暗く、明らかに落ち込んでいる。
だが、片手ではずっと侑弦の手を握っていて、それが愛しかった。
「はぁ……自分から誘っといて拒否するなんて、ホント最低……」
「そんなことない。求めてくれただけで嬉しいよ」
侑弦が言うと、美湖はまたウルウルと瞳を潤ませた。
実際、拒否されたといっても、その原因は侑弦ではなく、美湖自身の方にある。
なら少し残念ではあっても、悲しみも怒りもない。
むしろ侑弦は、この子を本当に大事にしよう、という気持ちを毎度、新たにしていた。
ただ――。
「なんで……こんなに小さいんだろ」
美湖が、心底不満げに言った。
自分の胸元に、手を添えて。
彼女の勇気と決心が、いつも同じ段階で途切れる理由。
それはなにを隠そう、そのコンプレックスのせいだった。
「……小さくないだろ、べつに」
「小さいの! Bだよ、B! 下から二番目なんだから、小さいでしょ!」
「お、俺は気にしないって……」
「私が気にするのーーっ!」
いつもは元気ながら落ち着いている美湖が、子どものように喚いた。
ブンブン手を振り回して、いら立ちを爆発させている。
かける言葉が難しい。前回もそうだったが、侑弦はむむむと、心の中で唸った。
本当に、気にしていない。
美湖のものであることこそが大切で、それ以外は些事だ。
そう伝えたこともあるけれど、彼女は納得してくれなかった。
こればかりは、本人の問題なのだろうと思う。
「だって……ブラはちょっと、盛れてるし」
「……」
「本物見たら、侑弦だってガッカリするもん! あぁーーー! やだぁーっ!」
また、子どもみたいな声を上げて。
美湖は侑弦に縋りついて、グズグズと泣きべそをかいていた。
やっぱり、しばらくは期待しないようにしよう。
彼女の髪を撫でながら、侑弦はそう心に決めたのだった。




