第1話「社畜おっさんログアウト不可能」
『じゃあベータテスト開始しまーす』
──桐谷正彦は、四十五歳。IT会社の社畜エンジニアだ。
出社したら、いきなり上司に呼び止められ、半分拉致みたいな感じでVRMMO開発ルームに連れてこられた。
で、無駄に未来感ある椅子に座らされ、HMDを装着され……
気がつくとなぜか血の匂いがする石造りの廊下に立っている。
視界の右端には生配信のコメント欄。
左耳からは、運営スタッフの慌ただしい声が飛び込んできた。
『えー、桐谷さん。ちょっととトラブルが起きまして……』
「トラブルってなに?ていうか俺にとっちゃ現状がすでにトラブルなんだが」
『言いにくいんですが、シンクロシステムのエラーでログアウト不可能になりました』
「ログアウト不可ってどういう意味だよ!」
『まぁ……このダンジョンをクリアすれば強制フラグで戻れますよ』
「俺、これ被る前にゲーム初心者って言ったよな?クリアできなかった場合は?」
『えーっと。まあ最悪、死にます』
「死ぬ?! ……いや、ゲーム内でだよな?」
『もちろん。でも死人はログアウト操作できないので結果的には似たような……』
「現実に戻れないってこと?!おいおいソードアー○なんとかと同じじゃねーか!じゃあずっと仮死状態?ふざけんなよ!」
『桐谷って名前ちょっと似てますよね?いけるんじゃないですか?』
「俺はただのオッサンだぞ!あいつは廃ゲーマーだったろうが!」
『まあ、でも労災は出ると思いますよ。勤務中なんで』
「まてまてまて!俺まだ住宅ローンが三十年も残ってんだが!」
コメント欄:
【ローンw】
【配信者死亡エンドか】
【盛り上がってきた】
チャット欄は爆笑。
そんな中、別の声が割り込む。
管理者A『とにかく視聴者の前でほぼほぼ死亡事故なんて起こしたら、このゲームお蔵入りなんでお願いします』
「お願いしたいのはこっちだよ!ヤヴェだろ?超ブラックかよ!」
管理者A『とりあえず使えそうな能力やスキルは全部ぶっ込んでおくので』
管理者B『おいおい、許容範囲超えたら精神崩壊しちゃうからちゃんと選ばないと』
管理者A『でもあと十五秒でゲームスタートしますよ』
管理者B『あー、じゃあしょうがないな。このベータ版スキルも入れとくか』
(……こいつら何言ってんの?)
ピコン、と頭の中に妙なアイコンが並ぶ。剣術、怪力、魔力、忍術……中には「???」という不穏なやつまで。
『桐谷さん!急いでスキルを選んでください!マックス状態で実装されますので』
「異世界ラノベみたいに、全部選んで俺TUEEEEすればいいのか?」
『いいえ、できればひとつにしてください。精神崩壊しちゃうかもしれないんで』
「いきなり精神崩壊とか絶対いやだわ!」
【ゲーム開始まで 3…2…1】
(やけに眩しく光っているのは──たぶんベータ版のスキルだな)
「……あーもう、どうにでもなれ!」
桐谷は、半ば自暴自棄になりながら、一番激しく光っている「???」という不穏なスキルをタッチした。
【ゲーム・スタート】
黒い画面に荘厳なBGMが流れ始める。
『かつてこの世界は、虚数と実数が交差する“位相界”として存在していた……』
どこかで聞いたような、聞いたことのないような壮大な語りが始まる。
浮かび上がる、回る地球みたいな魔法陣と、背景にうっすら映る神様らしきシルエット。
『七つの鍵を巡り、十三の種族が千年戦争を繰り広げた果て、ついに"境界の門"が開かれたのである――』
【現在、このオープニングムービーは再生できません(ライター入院中)】
【強制スキップします】
「って、そこ手ぇ抜くなよ!! せめて入院じゃなくて“メンテナンス中”とか言えよ!」
桐谷が全力でツッコむのと同時に、画面がホワイトアウト――
次に視界が明るくなった時、彼はもうゲーム内に立っていた。
ゴォォォォオオオン!
突然爆音と共に、骨だけでできた巨大な狼が地平線の彼方から飛んできた。
「おい! チュートリアルどこ行った!? 普通はスライムとか、せめてゴブリンだろうがあああ!」
全長5メートル超、赤い眼窩に青い炎を灯したドクロウルフ(命名は脳内)。
そのビジュアルは明らかに中ボス級、というかラスボス前座クラスである。
しかし――
スピードは、まるで再生速度0.25倍のYouTube動画だった。
「えっ、……なんか遅くね?」
空気を割って迫ってくるはずの咆哮も、低速再生ボイスのようにノロい。
それでも完全に動きが止まっているわけではない。こちらに着実に近づいてくる。
ピコンッ!
【超スキル『虚数分解(ベータ版)』を発動しますか?】
└YES
NO
「まったくスキルの効果がわからんのだが!!」
ツッコミながらも、桐谷は迷わず【YES】を選択。
スキルエフェクトが展開される。視界に現れた複雑な数式と、空間に浮かぶ光の陣。
【虚数分解(ベータ版)】
説明:
対象の存在座標を虚数軸にて再定義し、構成情報をベクトル単位で分解・消去します。
※β版のため、対象がバグる可能性があります。
※このスキルはクールタイムがとても長いです。
「普通は使う前に教えるんもんだろ!」
次の瞬間、巨大な狼はまるでゲームのポリゴンがバグって崩れるようにパキパキッ……!という効果音と共に分解され、無数の光の粒子となって空中に霧散していった。
その光景を、桐谷は呆然と見つめるしかなかった。
「お、おお……。なんか勝ったけど……え、これチュートリアル終わった感じ……?」
初戦闘にして初撃破、そしてスキル発動によるラスボス級エネミーの瞬殺。
だが、画面上部には謎のログが浮かんでいた。
【エラー:分解対象にストーリーフラグが含まれていました】
【再構築処理を開始します……】
【警告:時空間エリアが不安定です】
「なんかバグってんじゃね?!」
コメント欄が一瞬静まり返る
運営スタッフの声がめっちゃ低いトーンで入る。
『……桐谷さん、それ……使用禁止スキルなんですが』
「知らねーよ!お前らが入れたんだろうが!」
【警告:禁止行為により、最下層『奈落』へ強制送還となります】
いきなり床が崩れ、無限に続く、まさに奈落が広がる。
「……まってくれ、俺の住宅ローンがぁぁぁ」
コメント欄:
【おっさん必死やな】
【え、ステージ飛んだ?】
【チートじゃなくてバグやん】
そして視界が真っ暗になる。
【緊急クエスト:『生存不可能領域』発生】
謎の声『──プレイヤー桐谷正彦、君はここで死ぬだろう』
― To be continued ―