第4話 ぬいぐるみ魔王はハグに弱い(確信)
モニターの中、猫耳勇者ちゃんは、もうすっかり小さくなって、街道の先へと消えていった。重力異常は依然として続いているようで、時折パンケーキがふわふわと画面を横切っていく。
「行っちゃいましたねぇ、マスター☆ あの子、どこに行くんでしょうねぇ?」
「さあな……。俺に聞かれても分かるわけないだろ。直接話せないんだから、このポンコツシステムのせいで」
「えへへ~☆ てへっ☆」
悪びれる様子もなく笑う『バグ』を軽く睨みつけ、俺、神代カケルは思考を切り替える。猫耳勇者ちゃんのことは気になるが、今は追跡する手段もない。それより、もう一つの大きな問題――魔王軍はどうなった?
俺はコンソールのマップを操作し、先ほど魔王軍がぬいぐるみ化した地点へと視点を移動させた。そこには、大量のぬいぐるみが折り重なるように転がっており、シュールな光景が広がっている。その中心には、ひときわ大きな、ダークパープルの熊(?)のぬいぐるみ……ぬいぐるみ魔王が、どっかりと座り込んでいた。
「……こいつ、どうすんだ?」
見た目は完全に巨大なぬいぐるみだ。威厳もなければ、邪悪なオーラも感じられない。ただ、でかい。そして、なんとなく不機嫌そうに見える(縫い付けられた眉間のシワのせいかもしれない)。周りには、小さなオークやゴブリンのぬいぐるみたちが、わらわらと集まっている。持ち主を心配しているペットのようだ。中には、小さなフェルトの剣を、ぬいぐるみ魔王の足元にこすりつけている健気なやつもいる。もちろん、何の効果もない。
「こいつ、もしかして……意識とかあるのか? それとも、ただのオブジェクトになっただけか?」
気になる。非常に気になる。ケモミミもそうだが、このぬいぐるみ化も俺が引き起こしたバグだ。放置しておくわけにもいかないだろう。
……よし、試してみるか。
会話ができないのは、猫耳勇者ちゃんで実証済みだ。だが、アイテム生成ならどうだ? さっきポーションは生成できた。もっと別のものは?
「何がいいかな……。魔王って、何が欲しいんだ? 金銀財宝? ……いや、ぬいぐるみ相手に意味あるか?」
俺はゲーマー的思考で、いくつか候補を挙げてみる。強力な武器? ……ぬいぐるみじゃ持てない。経験値アイテム? ……意味不明だ。
「……甘いもの、とか?」
突拍子もない考えが浮かんだ。だって、見た目がこんなにファンシーなんだ。もしかしたら、中身も……?
俺はコンソールのアイテム生成リストを検索する。『ケーキ』……あった。『特大いちごのショートケーキ』。よし、これだ。俺は座標をぬいぐるみ魔王の目の前に設定し、生成ボタンをクリックした。
ポンッ、と。今度はポーションより一回り大きな効果音と共に、ぬいぐるみ魔王の目の前に、直径1メートルはありそうな巨大なショートケーキが出現した。真っ白な生クリームに、真っ赤な苺がたっぷり乗っている。場違い感が半端ない。
転がっていたぬいぐるみたちが、一斉にケーキに注目する。そして、ぬいぐるみ魔王も、ゆっくりとその大きな顔(?)をケーキに向けた。縫い付けられたボタンのような目が、心なしかケーキに釘付けになっているように見える。
お、興味示したか?
ぬいぐるみ魔王は、のそりと重たげに腕を上げた。ケーキに手を伸ばそうとしているようだ。その太くて短い、明らかに綿が詰まっているであろう腕が、ゆっくりとケーキに近づいていく。
とその時。
ぬいぐるみ魔王の足元にいた、一体のオークのぬいぐるみ(ボタン目が可愛い)が、よじよじと魔王の太ももを登り始めた。そして、まるで「魔王様、元気出して!」とでも言うように、その丸っこい体で、ぎゅーっと魔王の足に抱きついたのだ。
瞬間。ぬいぐるみ魔王の動きが、ピタリと止まった。ケーキに伸ばしかけた腕も、そのままの位置で固まっている。まるで、時間停止系の魔法でもかけられたかのように、微動だにしない。
「…………マジか」
俺はゴクリと唾を飲んだ。最初のキャラクター案にあった『抱きつかれると動けなくなる弱点』……あれ、本当だったのかよ!?
しばらく観察してみる。オークのぬいぐるみが抱きついている間、魔王は本当に全く動かない。オークが満足したのか、するりと離れると、魔王は何事もなかったかのように、再びケーキに向かって腕を伸ばし始める。だが、今度は別のゴブリンぬいぐるみが「まぁおーさまー(※効果音)」とばかりに抱きついてきて、またしてもフリーズ。
「……ぷっ、あははは!」
思わず吹き出してしまった。なんだこれ! 弱点、致命的すぎるだろ! これじゃあ、配下のぬいぐるみたちに懐かれれば懐かれるほど、何もできなくなるじゃないか!
「マスター、魔王さん、ケーキ食べたいみたいですけどぉ、みんなにハグされて動けなくなっちゃってますぅ! かわいそうですぅ!」
「いや、自業自得というか……まあ、ある意味、平和でいいのか?」
「もしかして魔王さん、本当はハグされるの好きすぎるとか? バグもハグ好きですぅ~マスター、ぎゅーってしてくださいですぅ☆」
都合よくケーキの存在を忘れて抱きつきを要求してくる『バグ』は無視するとして、俺は一つの確信を得た。この世界の魔王は、少なくとも物理的な脅威としては、ほぼ無害だ。むしろ、配下に愛されすぎて動けない、ちょっと可哀想なリーダー(?)なのかもしれない。
俺はコンソールから視線を外し、椅子に深くもたれかかった。
猫耳が生えた人々。ぬいぐるみになった魔王軍。重力がおかしくてパンケーキが降る空。そして、それを管理(?)する俺と、役立たずの妖精。
「……ははっ」
笑いが込み上げてくる。なんだか、もう、どうでもよくなってきた。いや、違うな。どうでもいい、んじゃない。これはこれで……面白いのかもしれない。
「よし、『バグ』。この世界の他の地域も見てみようぜ。他にどんな面白いバグが転がってるか、探検と行こうじゃないか」
俺は、ほんの少しだけ前向きな気持ちで、コンソールのマップをスクロールし始めた。この奇妙で、バグだらけで、ゆるくて可愛い世界への興味が、ふつふつと湧き上がってきていた。
(第四話 了)