麦茶と古都
城内の一画にエルフ達によって美しく整えられた緑の楽園がある。
天井から側面まで全面ガラス張りのその温室は、一年を通して同じ気温、同じ湿度が保たれている。
草木に花々、人工的に作られた小さな泉。
完璧に調和のとれた常春のその温室に設られたガゼボの中、柔らかな絨毯の上に置かれた豪奢なカウチに寝そべりクッションを抱えてペラペラと読書をする女性がいた。
緩やかなウェーブの長い紫紺の髪が身体に沿って流れ、節目がちに開かれた瞳はアクアマリンの様に煌めいた美しい色合いをしている。
人間離れした美しい顔と、嫋やかな胸に無駄な肉のないしなやかな身体の持ち主はレティシア・フォルテア・グランベール。
この城の主人であり、この国の皇帝だ。
そのレティシアの後ろに控えているのは彼女の護衛騎士であり、日毎に立ち替わるが基本的には近衛騎士が側に侍る。
本日は近衛の団長のアルフォードであり、彼は長身痩躯で鍛え抜かれた美しい身体をしており、美しい顔に輝かしい金髪の短髪で、瞳は蜂蜜の様にこっくりとした琥珀色の美男子だ。
因みに、彼と同じぐらいレティシアの護衛をするアルベルトは近衛の副団長であり、アルフォードと負けず劣らず美しく均等の取れた長身痩躯でブルーグレーの長髪を後ろで一つに纏めており、瞳は涼しげな淡い水色だったりする。
「お休みのところ失礼します。工房長サウロより陛下への謁見の申し込みが御座いますが如何致しましょう?」
片膝を床につき、指示を待つ伝令を見やりどうしようかと考える。
おそらくは麦茶の試飲なんだろうけど……
動くの面倒だし、ここに呼んじゃう?
うん、そうしよう。
「ここに連れてきて」
「畏まりました」
パタパタと去っていく伝令を見送りながら、私は本を閉じるとクッションに顔を埋めて身体を丸くした。
暫くそうしていると、ふわりと何かを身体に掛けられる。
何かと思い、ちらりと顔を上げるとアルフォードと目があった。
「起きるんですか? 姫」
「サウロが来るんでしょ、起きるわよ」
私がそう言えば、寝かしつける気満々だったのであろうアルフォードが残念そうに私に掛けていた大判のストールを取り、畳んでカウチの背に掛けた。
アルベルトもそうだけど、アルフォードも私のこと小さな子供とでも思ってんじゃないかってぐらいの態度なのよね……
まあ、2人からしたら私の歳なんて子供と似た様なモノなのだろうけど。
なんて事を考えながら身体を起こすと腰掛けたまま伸びをする。
麦茶制作の依頼をしてから早数ヶ月。
麦を焙煎する機械自体は既に完成しており、今までに何度か試飲はしている。
苦味が強かったり、風味が薄かったり、未だ完成とはなっていないが段々と良くなっているとは思う。
おそらく、今回の試飲で量産の体制を整える段階になると思う。
暫くすると、カイルがサウロを伴ってやって来た。
カイルって髪も黒けりゃ目も黒いし、服も黒系が多いから黒のイメージしかないのよね。
近衛と並ぶと黒と白の対比が面白い。
そんな事言うとカイルはもの凄い目で見てくるから言わないけど。
「ご機嫌麗しゅう御座います、陛下」
「うむ。楽にしていいよ」
跪いて挨拶してくるサウロにそう言えば、頭を上げて立ち上がった。
そして、メイドが準備してくれている間にサウロの話を聞いた。
工房内で新たに試作した麦茶はかなり好評のようで、既にかなり多めに作って冷蔵庫に保管し、飲んでいるのだそう。
サウロが言うには、朝大量に作っても夕方前には空になるそうで量の加減が難しいのだとか。
気に入ってもらえてるようで何よりだし、そこまで好評なのであれば味の方は問題なさそうだ。
「うん、美味しい。これなら問題ないね」
味も香りもバランスがいい、とても美味しい麦茶だった。
カイルも満足そうな顔して飲んでいるし、ちらりと後ろを見ればアルフォードは小さく頷いてくれた。
アルフォードにも満足の味だったのだろう。
「これから量産体制を整えようかと思っているのですが、帝都では工場を建てるにも場所がなく厳しいので何処か他の場所で量産させる方向で考えているのですが……」
「そっか……カイル、いい場所ない?」
私がそう聞けば、カイルはそうですねと考え込んだ。
麦茶の生産工場となると、おそらくかなりの土地が必要となる。
帝国内で賄うとしても万を超える民達が居るのだから、それなりの規模で生産しなければならない。
そうなると、必然的に焙煎する機械もそれなりの量を置くことになるだろうし、家庭や厨房で簡単に作れる様に個包装の加工も必要となるからそれらの機械なり手作業だとしても場所が必要となる。
管理する人員も必要となるし、考えることが多くて嫌んなっちゃうね。
まあ、それらを考えたり人事を決めるのはカイルや他の文官たちだけど。
「古都は如何でしょう? あそこは元々農作物の集積地としてそれなりに機能してますし、区画整理で空いた土地もあるので利用するのもありかと」
「古都か……いいね。そこにしよ」
「畏まりました」
決まってしまえば後は早い。
詳細を詰めるということでカイルがサウロと共に去って行き、再び静かな時間がやって来た。
古都か……そう言えば最近、古都近辺の畑で収穫される作物の品質や味なんかが良くなったとか報告受けたんだよね。
作業効率なんかも上がったとかで、農家の人達は家族の時間が増えたと喜んでいるのだとか。
それはいい事だから良しとして、急にそんな事になるのはかなり不自然なんだよね。
私の様に前世の知識を持つものが居るのか、はたまた、別の世界から迷い込んできてしまった異世界人がいるのか。
「古都、か……」
「気になりますか?」
「まあね。最近色んな報告聞くし」
だらりとカウチの背にもたれて天井を見上げた。
視界の端に映るアルフォードはじっと私の様子を見ているようで、今の私の体勢を咎める気もないようだ。
まあ、咎められたところで直す気もないのだが。
ぼーっとしつつも、考えるのは古都の事。
一度気になってしまえばずっと気になってしまうわけで、手っ取り早く解決するには行くのが一番だ。
という事で、いつも任せっきりの視察に今回は同行しようと決めた。
そうすればなんで急に農作物が良くなったのか原因が分かるし、すっきりするしで一石二鳥よね。
****
後日、私は古都を訪れていた。
古都の街並みはかなり質素な印象だ。けれども何もないわけではなく、大規模な区画整理で棲み分けを行い、収穫された農作物を潤滑に各地へと届けられるように考えられた造りをしているらしい。
集積地となってる場所には作物毎に倉庫が建てられ、荷馬車が往復できる程に広く取られた道幅は綺麗に舗装されている。
農地の他漁港も近く、商業地区はとても活気があって賑やかだ。
新鮮な魚と野菜が売られているし、それらを使って料理をする店も繁盛しているそうだ。
活気はあるが煌びやかではない。
必要最低限の煉瓦造りで、店毎に分かりやすく看板を下げているだけで見た感じはどれも同じだ。
見栄えはしないけれども、機能的でいいと思う。
はるか昔の記憶とは違うが、これはこれで趣があっていい。
古都の管理や執務を行う古城から馬車で揺られて工場を建てる予定地へと向かう。
馬車を引く馬は魔馬であり、御者台にカイルが座っている。車内は私が居るからと豪奢で、クッションもふかふかだ。
私の隣にはアルフォードが座り、目の前には古都の管理を任せている内の1人、セレナが座ってる。
セレナは深緑の髪をきっちりと後ろで結い纏めており、知的な瞳は若葉色で森を思わせてくれる。
ここだけの話、セレナとカイルは最後の最後までどちらが帝都で私の補佐をするのか揉めていた。
どちらも忠誠心が高く、私の側で働きたいからとバチバチにやり合っていたのだ。
お互いにボロボロになりながら連日連夜勝負していたらしく、内容は聞いてないが最終的にカイルが宰相、セレナが古都の責任者として決まったとにっこりと晴れやかな笑顔のカイルから聞かされた時は良かったねとしか言えなかった。
そんな事があったからか、今目の前に居るセレナはそれはもう輝かんばかりの満面の笑みを浮かべて私の接待をしてくれている。
うん、もうちょっと来てあげてもいい気もしてきた。
でも2人の口喧嘩を聞くのもなぁ……
目的地へと到着し、アルフォードのエスコートで馬車を降りた私は目の前に広がる更地を見やった。
それなりの広さで区画分けされた場所を2面ほど使って建てられるそうで、基礎工事の段階でもう大きいのが分かる程だった。
隣に並んだセレナから今後の予定を聞きながら、私は作業員達の動きを眺めていた。
途中、突っかかったカイルにセレナが反撃して説明そっちのけで口喧嘩を始めちゃったのだが、私を挟んで両隣で喧嘩しないで欲しいな。
仲が良いのか悪いのか。
美人と美男子の喧嘩に巻き込まれたくないのよ、私。
そんな事を考えていると、一台の馬車が近くに停まった。
誰が来たのかと、不思議に思いながらじっと見ていると中から2人の男が出てきた。
1人は顔見知り、もう1人は初めて見る顔だった。
黒に限りなく近い髪は緩やかにウェーブしており陽の光で茶色く光る焦茶色で、瞳の色は黒だった。
30代ぐらいの見た目で、外によくいるのか日焼けた肌は健康的な小麦色だ。
素朴で特徴のあまりない顔は朧げながらに記憶にある前世の世界のもので、本能で彼が同郷の者だと分かった。
彼らが私達の前まで来ると、セレナから紹介を受けた。
「姫様、彼が我々に農業のノウハウを齎してくれたショウゴという者です」
「はじめまして。ショウゴ・ウエダと申します」
ぺこりと戸惑いながらもお辞儀をしてきた彼、ショウゴに私はうむと頷いた。
そしてじっとその容貌を眺めた。
見れば見るほど日本人だ。
この世界で見るのは初めてでちょっと懐かしくなった。
「貴方日本人でしょう? この世界には慣れたかしら」
私がそう聞けば、ショウゴは驚いた顔で私をマジマジと見てきた。
私の見た目はこの世界のものだし、無理もない。
それよりも、私の背後で魔力を練り上げてるアルフォードをどうしようか。
この後の彼の発言によってはぷちっと殺りかねない。
「どこでそれを……と言うか、えぇ?」
「前世の記憶があるだけよ。おそらく貴方と同郷ってだけだけど」
「マジかよ……スゲぇ偶然もあるもんだな!」
ショウゴはにぱっと笑い、一歩近づこうとして来たがアルフォードがいつ抜いたのかショウゴの首元に剣先を当てて牽制していて動く事が出来なくなっていた。
両手を上げてダラダラと冷や汗を流すショウゴに申し訳なくなったが、こればかりは彼が悪い。
「陛下にそれ以上近付くな」
「は、はぃ」
パチパチと剣から雷が迸ってるのを見るに、本気で殺る気なのが見て取れる。
アルフォードが一番に動いたから良くはないが良かったものの、アルフォードが私の保身に動けばカイルやセレナ達が動いていたのだろうと彼らの纏う空気で分かった。
それはそうと、このままでは何も出来ないので事態を収拾するとしよう。
「アルフォード」
「……はっ」
まずはアルフォードに剣を納めさせた。
不満げだったが、鞘にきちんと仕舞ってくれたので良しとする。
「貴方達も気を鎮めなさい」
「はっ」
これまた不満げなお三方に私は命令だと言って鎮めさせた。
これでひとまずはよし。
後は冷や汗を流して震えている彼を何とかするだけなのだが、どうしようか。
私が謝るのも違うし、かと言ってこのままなのもなぁ。
お詫びになにかしようか。
食の向上にも一役かってくれたし、ご褒美もあげちゃおう。
「また今度話を聞かせてね。今日の所はここまでで、お詫びに麦茶をプレゼントしてあげる」
「麦茶、っすか?」
「そ。工場が出来たら量産体制が整うし、その内帝国内で安く買えて飲めるようになるよ」
私の言葉に戸惑いながらも了承したショウゴは一緒に来た案内役に連れられて馬車へと戻っていった。
馬車が走り去るのを見送ると、不満が爆発したのかカイルとセレナから文句が出てきた。
「何故止めたのですか、姫様」
「そうですよ! 何かしらの罰を与えるべきです」
「嫌でーす。君達短気すぎ。あれぐらいは許さなきゃ可哀想よ」
「ですが……」
「はい、おしまい。帰ろ」
まだまだ言い足りないのかブツブツと何か言う2人に私は手を叩いて止めて、踵を返した。
貶された訳でもないし、あれぐらいで罰を与えるのは嫌なのだ。
別に気分を害した訳でもないしね。
こう言う時は仲が良いなと思いながら私はアルフォードのエスコートで馬車へと乗り込んだ。