変わり映えのない1日
国家元首の朝は早い。
なんて事はない。
陽が天高く登り切った頃に目が覚めた私は侍女たちにお世話されながら朝の支度を済ます。
他の国ではこうもいかないだろうが、我が帝国ではこれが日常だったりする。
皇帝ではあるものの、私が国家運営しているのかと言われればノーだ。
王様なのには変わりはないが、仕事をしているのは私に仕えてくれているもの達が喜んで自ら進んで国家運営をしてくれている。
私がする仕事と言えば、上がってくる資料や報告書に目を通して印を押すだけ。
なんて簡単なお仕事なのでしょう。
「姫様、朝食は如何されますか?」
着替え終え、侍女のカテリーナからそう問われ私はふむと顎に手を添えて考えた。
今の時刻は朝には遅く、昼には少し早いぐらいの時間だ。
お腹が空いていないわけではないが、今食べるとお昼が食べられなくなりそうではあった。
とは言え、全く食べないというのもこの後の仕事に支障をきたす気もする。
つまり、軽く食べるぐらいで丁度良いわけだ。
「そうね……軽くつまめるものをお願い」
「畏まりました」
カテリーナは私の言葉を受けて一礼すると部屋から出て行った。
それを見届けると私は窓際のティーテーブルへと移動して椅子に腰掛けて窓の外を眺めた。
龍王の城は巨大な岩山を利用して建てられており、山の麓から城の天辺までは何百メートルあるのか分からないぐらいにはとても大きくて堅牢だ。
私の私室は城の中でも一番高い位置にあり、とても眺めはいいが街の様子は何も分からないから空ぐらいしか窓から見てもない。
なんてつまらない景色なのでしょう。
ふぅ、と息を吐けば朝の支度で使用した物を片付けていたもう1人の侍女のアデリアがクスリと笑って紅茶を淹れてくれた。
「外の景色はつまらないですか?」
「そりゃあ、ね」
「良い景色だと私は思いますけど、姫様はそうでもない様ですね」
「だって空だけよ?つまらないわ」
「左様でございますか」
クスクスと鈴の音が鳴るように笑うアデリアに私は微笑み、香り高い湯気ののぼるカップを手にしてゆっくりと紅茶を口に含んだ。
ほぅ、と息を吐き美味しい紅茶に舌鼓を打っていれば軽食が運ばれて来た。
「簡単な物ですが、サンドイッチをお持ちしました」
「ありがとう」
目の前に置かれたのは柔らかなパンに挟まれた野菜とハーブをドレッシングで和えたサンドイッチとオークのハムとチーズを挟んだサンドイッチの2種類だった。
どちらのサンドイッチにも鶏卵とお酢と調味料を混ぜ合わせた調味料のマヨネーズを使って程よい旨味を演出している。
所謂、野菜サンドとハムチーズだ。
美味しいに決まってる。
美味しいサンドイッチと紅茶で朝から幸せになった私はにこにこと笑みながらぺろりとサンドイッチを平らげた。
料理人達も何年も私の食に対する我が儘を聞いていたからか、軽食でも侮れない程には至高の食事にまで進化している。
うんうん、これでこそ私の求める食事よね。
簡単な朝食を楽しんだ後は、仕事の時間だ。
社長出勤よろしく、既に上へ下へと慌ただしく働いている者達を横目に執務室に向かえば、政務を担っている側近達があれやこれやと指示を出しているところに出会した。
「おや、姫様おはようございます」
「おはよう」
政に関して全てを任せている宰相のカイルが私に気付いて首を垂れた。
それに追従して部屋の中に居た皆が同じ様に首を垂れて私に挨拶を述べる。
今でこそ慣れた光景だが、初めのうちはびっくりしたんだよね。
主上の人への対応って仰々しいったりゃありゃしない。
される側としたら尚更ね。
龍族の王としてそれなりの覚悟はしていたけど、自覚としては全然ないに等しかった。
だから慣れるまでに時間が掛かったし、色々と苦労したなぁと今更ながらに思い出した。
自分の執務机に着くとカイルから資料が渡された。
「こちらが今朝上がって来た報告書になります」
「ありがとう」
渡された資料を読み、確認の印を押す。
嘆願書や計画書なんかも机の上に置かれているのでそれらもきっちりと読み仕分けていく。
私の元へ来るまでにそれなりの数の人の目が入っているから、明らかにダメなものはまず来ない。
重要なものしか私は目を通さなくて良いってのは楽ちんよね。
まあ、その分考えなければいけない事が多いから大変ではあるのだけれど。
「あーぁ、麦茶が飲みたい」
それもキンキンに冷えた麦茶が。
ゴクゴク飲んでもカフェインを気にしなくて良いって素晴らしいよね。
どうしてもっと前に思いつかなかったのかしら?
まぁ、大方他に目がいってて気にしても居なかったのだろうけど。
それに、海を挟んでお隣の和国に緑茶があったのもデカい。
冷やした緑茶も美味しいから麦茶に思いを馳せることも少なかったように感じる。
うん、きっとそうね。
「ムギチャ、とは何ですか?」
「麦を焙煎して煮出したお茶の一種」
「麦を……」
私の呟きを聞き取ったカイルが不思議そうに聞いてきたので、簡単に説明した。
確かそうだった筈だけど、もうこっちに転生してから何百年も経ってるから記憶も曖昧なのよね。
「冷やして飲むと美味しいのよね。騎士団なんかにはうってつけのお茶だと思うけど」
私がそういうと、後ろで控えていた護衛騎士の気配が揺れた。
この国に私を仇なす者なんて居ないと思うけど、念には念をって常に護衛がついてるのよね。
そもそもの話、龍族に、更にその王に手を出そうなんて考える方が馬鹿な話なのよ。
魔法でも勝てない、かと言って力技でもフィジカルで負けるんだから喧嘩売るだけ損な話なんだからまぁ、まずそんな馬鹿は居ないだろうと思いたい。
「冷やしても美味いのであれば試してみたいですね」
「美味しいよ〜」
「分かりました。工房の方へあとで話をつけてきます。姫様の我が儘だと」
「一言余計なんだけど」
私がむすっとすると、カイルはにっこりと笑った。
まぁ、かなり昔から前世の記憶頼りにあれやこれやと我が儘だったから致し方ないのだけれど。
私が前世の記憶があると知っている者はこの国では結構居たりする。
食生活を良くする為に我が儘放題していた昔に各地へと奔走していた者達然り、私の欲のために己の技術や知識を惜しげも無く使ってくれた者達もそういうものだと理解して対応してくれていたりする。
「その話ってさ、結局私の話を聞かないことには進めないよね?」
「まぁ……はい、そうですね」
「じゃあ、これから話に行こうか」
私がにっこりと笑うと、カイルは諦めたように笑って従僕に指示を出した。
それから指示書やらなんやらを準備してから私達は工房のある階下へと向かった。
階下というか、もう下界よ下界。
私の生活圏が城の天辺付近だから、研究所なり工房なりが集まる地上付近とは言葉通りに天と地。
移動するだけでも一苦労。
けれども、私達の種族は龍だ。
人から龍に変化すれば高低差なんて気にもならない。
それでなくとも魔法に長けた種族だからひとっ飛びで地上まで行ける。
なんて便利なんでしょう。
まあ、私自身は元々が人間だったからか龍に変化は出来ないが魔法で飛べるわけで、でも何故だかそれが許される事はなく、護衛騎士のアルベルトの腕に抱かれている。
何故でしょうね?
うーん、まぁ、楽だから良いんだけど。
工房に入ると、作業してる人たちの熱気が伝わってきた。
それと同時にこちらを向いた人達は先頭にいるアルベルトに抱き上げられた私を見て騒めき、首を垂れた。
うん、私なんでまだ下ろしてもらえてないのだろう?
「……ねぇ、下ろしてもらえない?」
「何故でしょう?」
「何故でしょうってなに??」
身体を少し離してじっと見下ろせば、アルベルトはちらりと私を見やりにっこりと笑った。
そしてその顔を見て私は悟った。
あぁ、これは意地でも下ろす気ないわ、と。
悟ってしまえば後は流れに身を任せるだけだ。
堂々とした態度でアルベルトの頭の上に腕を乗せて手で顔を支えながら目下を見下ろした。
だいぶ生意気で偉そうな格好だけど、事実私は皇帝だ。
偉い人なのだから何も言われる事はない。
アルベルトにも全体重かけてるけど、どこ吹く風の様に平然としてるから何の問題もなし。
「これはこれは陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
奥からやって来て跪き仰々しく首を垂れたのはこの工房の長のドワーフ長のサウロだ。
この工房の多くはドワーフ族だが、それ以外の種族も弟子入りして私の為になろうとしてるらしい。
なんて健気な子達なのだろうか。
「うむ。サウロにはやってもらいたい事があるからちょっと時間もらうわよ」
「やってもらいたい事、ですか?」
「うん。新しいお茶の開発なんだけど……」
不思議そうに尋ねてきたサウロに私は麦茶の事を語った。
私の持ってる知識で許す限り詳しく話す傍ら、カイルがサウロへ予め作っていた指南書や計画書を渡していた。
それ等を含めた指示書には、開発期間や予算、予定される販売元等事細やかに記されている。
カイルが制作したその指示書だが、伝えてはいないが私の希望が反映されている。
長年連れ添った間柄だから分かる事なのだろうが、カイルは何も言わなくても私の希望通りの事を遂行してみせるのよね。
ほんと、頭が上がらないとはこのことよ。
「なるほど……これを成功させて帝国内で賄うのは分かりましたが、採算は取れるとお思いなのですか?」
「んー……考えてみて欲しいんだけど、仮に卸売値が100だとして、それ等を売る先が騎士団や工房、農家……その他希望する家庭に捌くわけで、利益を最大限に下げても我が帝国内ならそれなりの利率にならない?」
「……確かに」
私の言葉にサウロは思案して、そして納得したように頷いた。
我が帝国は広大な敷地を有する大国家なのだ。
貴族制度はないが、国民は多い。
初めは騎士団や工房なんかで試してもらうつもりだが、麦茶の有用性は無限大なのだ。
生産体制さえ確立出来ればあとは無限回収ターンになる。
と言うよりも、私が愛飲してると分かれば龍族は皆飲んでみようと思うだろうし、そんな彼らが飲み始めて常用飲料として認めてしまえばもう、利益なんて考えなくてもプラスになるに決まってる。
帝国民の皆が日常的に飲む飲料になると決まったも同然なのだから。
自意識過剰と言われればそうかもしれないが、それが当然の結末なのだから致し方ない。
だって、帝国民の7割は龍族で、私の眷属なのだから。
「それに、サウロにも利はあるのよ」
「利、ですか?」
「工房内では火を扱うでしょう?そうすると必然と冷たい飲み物が欲しくなる。違う?」
「左様でございます」
「となると、普段は水を飲むところだろうけど水は味気ないから進んで飲む者は少ないんじゃない?」
私がそう問えば、サウロは思案し始めた。
分からなくもないのだ。
私だって水分補給は健康の為に大事だと分かっているのだが、味気ない水を飲むのは気が進まない。
それならば味のある紅茶やその他お茶を飲む。
そもそもの話、紅茶やその他お茶は高価なのだ。
我が国で生産体制の取れているものならば幾らか安く手に入れられるだろうが、今現在では帝国内で生産されているお茶はない。
だから、必然的に国民は常用する飲料は諸々処理された水や果物の果汁を水に混ぜた果実水だけだ。
そんな中に帝国内で生産出来て安価に入手できるお茶が現れればどうだろうか。
しかも、今まで一般的だった温かいお茶で冷めるとあまり美味しくないものとは打って変わって、寧ろ冷やして飲むお茶。
売れるに決まってる。
それに、産出量の限られる茶の葉とは違って麦茶は比較的安価でどこでも育てられる作物である麦が原料だ。
そもそものコストから違う。
「ですが、今までなくても困らないものを新たに作るとは……」
「うるさいわね。私が飲みたいから作れと言ってるのよ」
「……ぁ、はい」
ザ・我が儘を突き通してしまった。
でもしょうがないよね。
だって飲みたいんだもん。
サウロも何度も私の我が儘を聞いてきたからか、諦めた笑いを浮かべていた。
呆れてはいるものの、熱意はあるようで闘志は燃えていた。
流石は職人ドワーフ。
「試してはみますが、試飲はしていただけますか?味はおそらく陛下……姫様以外知り得ませんので」
「もちろん」
にっこりと笑うと、サウロはほっとしたらしく気の抜けた笑顔を浮かべた。
そして、早速試作機を作るとか何とか言い始めて高弟を何人か集めてああだこうだと会議を始めてしまった。
うん、私にできる事はもうないな。
発破も掛けて無事成功したし、これは出来上がるのは早いかもしれない。
「ふふっ、楽しみだなぁ」
完成して喜ばれるのは騎士団や工房で働く人達、その他国民だろうが、私だって楽しみなのだ。
庶民の味方なお茶の代表格の麦茶が飲めるなんて幸せよ。
皇帝だの姫様だの言われる私だが、前世は庶民なのだ。
万人受けされる様なモノが大好きなのだ。
もちろん、TPOは弁えてる。
私をみてる目もとても厳しいからね。
ONとOFF、それをしっかりとできる限り分けて行動してるつもりだからなんとかなってると思いたい。うん。
それはそれとして、できるだけ早く麦茶が完成するといいなぁ。
と、私は相談し合う職人達を見て微笑ましく思っていた。