第九話 人間
「うぅ……」
女は商人の娘であった。
オークの領地で事故に遭遇し、不幸にも家族は死んでしまった。
これもまた不幸なことに、女だけはすぐに死ねず、痛みさえ薄れるほどの意識の中で、じわじわと歩み寄る死の靴音を聞いていた。
あっけないものだがこれも運命というやつかと、妙に落ち着いた心持ちで、女は感覚が遠のくのを感じた。
目を閉じる最後の瞬間、彼女は確かに、誰かの近づく音を聞いた。
「…………」
音。
誰かの話す声。
女が薄目を開けると、一つ目の魔族が、彼女の顔を覗き込んでいた。
「おはよう! キミが起きるのを待ってたんだ……スープでも飲みなよ、人間」
彼女は、人間であった。
この大地で、魔力をもたない唯一の種族。
人と獣の間にいるもの、ゆえに人間。魔族の人々が名付けた、魔術を扱えぬ弱小種族の呼び名である。
「貴様は余が拾った。もう人間の国には帰れぬと思え」
「それは……私が可愛くて誘拐しちゃった、ってことですか」
「傲慢……」
「冗談です。助けていただきありがとうございます」
瀕死の彼女を拾ったのは、魔王と呼ばれるオーガであった。
折り悪く、人間と魔族たちの仲が急速に悪化していて、どうしても生かして返すことができないという話であった。
「聞くに、今や天涯孤独であるらしいな。なれば種族を隠して城の給仕でもするがよい」
国同士の関係をよそに、魔王は彼女に仕事を与えた。
未練はある。しかし帰ったところで、おそらく居場所はない。
女は、魔族たちの文明レベルに少しばかりの不安があったが、見てくれ以上に、魔族達の生活は魔術によってカバーされており、日常生活においては人間達と大差なかった。
そうして女は、人間のメイドとなった。
「わからないことは何でも聞いテ!優しい人たちばっかりだかラ」
知識として頭にあっても、実際に、大きなカエルのような生き物が、自分たちと同じ言葉を話しているのは面食らった。
それでも、共に日々を過ごしている中で、仕事の愚痴を言い、色恋や趣味の話で華やいで、キツイ冗談を飛ばし合う、普通の人達であることに気が付いた。
「あんた本当に肝が据わってるよ。だから今日まで生きてこれたのかもね」
城に馴染んでいく彼女とは逆に、人間と魔族の関係は悪化していった。
やがて人間がオーク領にミサイルを撃ち込み、両国の未来は決定的になった。
メイドも客に姿を見せるわけにもいかず、人目に付かない仕事を割り振られる。
魔王に、食事を運ぶ係であった。
「人間、変な気を起こすでないぞ。余には毒のあらゆるを無効化する術がある」
「メイド長を怒らせると怖いので、やりません」
「うぬ。もう少し余を畏れ敬うよう、メイド長に厳しく躾けてもらうか」
「生意気言ってすみませんでした…………」
魔王は、魔族たちの頂点に立つ存在であると、魔族のメイド達が言っていた。
指の一振りで百人の首が飛び、その拳は大地を粉砕し、魔術を使えば山をも両断するらしい。
魔王は人間のメイドにそうした素振りを見せなかった。寧ろ、どこか冗談めいた振る舞いをすることが多かった。
同時に、仮面の下の素顔だけは、決して見せることはなかった。
「魔王様ハ、あなたを信用してくれてるのヨ」
我がことのように嬉しそうな友人の様子に、こそばゆさを感じた。
「もしかして異種族に欲情してるんじゃないか?あの色ボケじじぃ……」
「バカ、魔王様はまだお若いわよ」
戦争が激化するにつれて、魔王を見かけることが少なくなった。
彼は何度も戦地に足を運び、戦士たちを鼓舞し、ともに戦っていた。
たまに城に戻っても、ろくに食事もとらず会議や賓客への対応に終始しており、一部から体調を不安視する声が上がった。
一方、人間のメイドも食事を運ぶ機会が減ったため、専ら人通りの少ない場所の掃除や、裏庭の草むしりをやらされた。顔を晒しているわけにもいかず、リッチのメイドから予備の仮面をもらった。
「ふふふ、このような髑髏の面をつけていたら、あなたも他のメイドに怖がられるかもしれませんね」
「あなたのお面、格好良かったので憧れていました。もらえるなんて嬉しいです」
「そ、そうですか……」
その日は、珍しく魔王が城にいて、人間も本来の仕事を任された。
通常、魔王の食事中は退出するように言われていたが、前日に大層汚いトイレを掃除させられたこともあり、鬱憤が溜まっていた。
冗談半分ではあったが、文句の一つでも行ってやろうと、食事中にも関わらず、メイドはお食事の間へと入った。
そして、彼女は魔王の秘密とまみえた。
「このことは他言無用である。もし漏らせば、オークの手によって八つ裂きの刑に処す」
いつもの、とぼけたような声色ではなかった。
この時初めて、人間のメイドは魔王の魔王たるを知ったのである。
だが、不思議なことに、メイドはお食事係を続けさせられた。
「そなたは人間であり、余はそなたを野放しにはできぬ。当然の判断ではないか」
魔王は、なんてことのないように言った。
当然、メイド達がこの出来事を把握しているはずもなく、日常は進んでいった。
一つだけ、大きく変わったのは、魔王が食事中、メイドの入出を許可したことであろうか。
「魔王様、もしかして一人でお食事されるのが寂しかったのですか?」
「おお、冗談であっても、余を侮辱すれば八つ裂きである。今そのようになった」
「ごめんなさい……」
実のところ、冗談ではなかった。
力と恐怖によって国を纏める魔王は、会食以外で誰かと食事をすることがない。
長らく人間社会で生きてきた彼女にとって、寂しいことであるように思えた。
「でも冗談ではありません。誰かお呼びすれば……」
人間のメイドの言葉はしりすぼみになった。
魔王は誰かと並ぶことはない。予想出来ていた話だ。
魔族達にとって無二の王である。各領地の運営を主達に任せながら、王の権威が揺るがぬものであるのは、ひとえに絶対的な君臨者がいるからである。
「孤高は王の真髄である。孤独は強者の特権である。これを解する者こそ、君臨者たりうるのだ」
彼は、骨の髄まで魔族の支配者であった。
「そして王とは、国そのものだ」
「国、ですか」
「死してなお国がある限り、余もまた在り続ける。そこに民が居続ける限り、余は一人であって独りでないのだ」
人間は魔王の死を想像して、顔をしかめた
「私は、魔王様が亡くなった後の国など、考えたくもありません」
ふと、テーブル上のさらに目をやると、魔王はすでに食事を終えている。
メイドが「おさげします」と断りを入れ、皿に手を伸ばすと、腕を掴まれた。
人間は、いきなりのことで身をこわばらせる。
魔王は小さく笑うと、すぐに手を離した。
「余を畏れよ。この国は永劫、そなたのような力なき者のためにあるのだ」
「……女を力なき者って言うんですか?古い考え方だと思います」
「違う、そうではない……」
しばらくして、戦争が終わった。
限定的ではあるが、魔王は人間に王国での商いを許可したため、商機を見出した者たちが流入するようになった。
もっとも、魔族の多くが人間の技術を面妖であると拒否したようで、専ら料理の類が売れたのだが。
「聞くがいい、人間よ」
魔王は、料理を食している手を止めると、ナイフとフォークを傍に置いた。
「魔王城は、それなりに人間の商人が出入りするようになった。道中はかつてより整備され、事故を起こす可能性も減ったであろう」
「…………」
人間のメイドは、魔王が言わんとしていることを理解した。
「商人たちに紛れ、人間の国に帰ることがいい」
人間風に言えばそなたはクビだ、と魔王は言う。
「私が人間だから、ですか」
暫しの沈黙を経て、魔王は一言、そうだと答える。
彼女は、いつものようにつまらない冗談を言ってやりたかったが、何も浮かんでこなかった。
魔王城で目を覚ました時から、いつも覚悟していたことである。厄介者を温情で匿い、必要がなくなったから、今度は厄介払いするのだ。
只、何故かわからないが、最後まで魔王に「人間」という大きな括りで語られたことが、少しだけ悔しかった。
「……承知しました」
「……では、荷物をまとめよ。後のことはメイド長に指示してある」
人間は、一礼の後に退出しようとして、魔王の方に向き直った。
「最後に一つだけ、失礼します」
言うが早いか、人間は、置いていたフォークを掴む。
彼は、何も言わずに目の前の光景を眺めていた。
そして、人間は勢いのままフォークを突き刺した。
「ご覧ください。人間が魔族の料理を食べようとしております」
人間は力強く椅子を引くと、そのまま座る。
彼女は、フォークで刺した魔王の料理を、口に運んだ。
メイドの突然の行動にも驚かず、魔王は顎をさすっていた。
「人間は、強欲なので、二口目も、食べちゃいます」
「そなたが強欲なだけであろう」
魔王は呆れたように、メイドを見ている。
彼女はムキになっていた。
「……そうです。私が強欲だから、魔王様の食べかけ料理に手を付けました」
人間のメイドは、またしても魔王の料理にフォークを突き刺す。
「魔族の料理、やっぱり味が薄いですね。記憶にある人間の料理は、もっと華美で美味にございます」
「……そうか」
「友人と一緒にくすねたパンも、こっそり鳥にあげたスープの豆も、どれも薄くて困ります」
メイドの脳裏には幾つもの笑顔があった。鳥のさえずりや食器の洗う音、そして魔王と交わした会話の数々があった。
どれも、代え難い思い出である。
「すべて、魔王城にいた、ただ一人の人間の話にございます」
人間は、まっすぐに魔王の顔を見た。
彼女はただの給仕である。それでも言わずにはいられなかった。
「教えてください。あなたが見ていたのは『人間』ですか?それとも『私』ですか?」
魔王は、魔族の頂点に君臨する超越者である。
誰かを嫌うことはない代わりに、誰かを愛することもない。あらゆる民を導く巨大なシステムである。
ならば、どうして魔王は、人間を助けたのだろう。
ならば、どうして魔王は、仮面によって素顔を隠すのだろう。
ならば、どうして魔王は、素顔を知った人間を殺さなかったのだろう。
ならば、どうして、どうして。
「あなたは、一度たりとも『私』を見てくださったことはないのですか?」
初めて、彼女はくすぶっていた強烈な感情が、溢れ出すのを感じた。
家族が死んで、魔王城でただ一人の人間として生きていた。誰もが優しく接してくれたが、そこには「人間」のフィルターがあった。
彼女の行動は、言葉は、考え方は、いつだって人間のラベリングをされていた。
魔王だけが彼女を、他と同列に「力なき者」として見ていた。
きっかけは、覚えていない。
最初、彼が人間である彼女を助けたように、彼女もまた魔王である彼に拠り所を見出したのかもしれない。
あるいはきっかけなど、とうに意味を失っていたのかもしれなかった。
「……すみません、出過ぎた真似をしました」
メイドは我に返ると、顔をそらした。
記憶に宿る喧噪は彼方へと過ぎ去り、部屋には沈黙が去来している。
重苦しい静寂を破ったのは、魔王の笑い声であった。
「傲慢! まこと傲慢である! 超越種の竜ならいざ知らず、人間ごときが、己の特別たるを余に求めるとは、傲岸不遜も甚だしい!」
「…………私は、星喰らい様のような力は持っておりませんので」
魔王は、以前よりもずっと優しく、彼女の腕に触れた。
「よい、力なき者が魅せる強さこそ、余の望む輝きである」
「望む? それはどういう────」
間近で見る彼の目は、記憶にあったよりもいくらか柔らかく、魔王と呼ぶには、あまりにもありふれていた。
その日、魔王は彼女の腕を離さなかった。
「ちょっと! 新しいお湯持ってきて! 温め過ぎないでね!」
オークのメイドが声を荒げた。
月日が経ち、魔王城の一室にメイド達が集っていた。
メイド長を筆頭に、産婆経験がある者たちが狭い部屋でてんやわんやしている。
部屋の中央で絶叫にも近い声を上げているのは、人間のメイドであった。
「大丈夫ですよ、大丈夫。あと少しですからね」
ひときわ強く叫んだ後に、小さな泣き声が聞こえてきた。
張り詰めた空気が弛緩し、立ち会ったメイドの一部は、安心したせいか、すすり泣くものも出てくる。
城の医師が、取り上げた赤子をメイドに見せた。
「おめでとうございます、元気な赤ちゃんですよ」
母親は息も絶え絶えであったが、元気に泣きじゃくるオーガの子を見て、優しく微笑んだ。
メイド達は、敢えて多くを尋ねることはなかった。人間は何も語らなかったが、相手が誰であるかは明白だった。
それから人間のメイドには、今までよりも広い私室が割り当てられた。
「全くメイドのくせに良いご身分じゃないか……たまに赤ちゃんの顔見せてよ」
「罪悪感に付け込んジャ、だめヨ……」
メイドは育児をしつつ、食事を運ぶ係も継続した。その僅かな時間だけ、友人に赤子を見てもらった。
城の中で、母子のことは絶対の秘密となった。
魔王が死ぬまでの話である。
────
「彼女、調子はいかがですか?」
「直接見にいけば……ってそうもいかないか、かなり参ってるみたいだね」
「あの図太い人が?想像もつきません……」
「なんだい。いつもみたいに薄ら笑いを浮かべるかと思ったけど、キミってそんな殊勝なやつだっけ?」
「リッチを誤解していますね、サイクロプス」