第八話 領主、それぞれの事情
部屋の奥で、オークの少年が眠っている。
リッチの主が丁寧な仕草で布をかける光景から、大オークは顔をそらした。
丸テーブルに置かれている空のグラスを弄ぶ。
「ゴブリンの主が、妙な噂を流布しているようだが」
リッチはどこからかワインの瓶を取り出すと、大オークの前に置いた。
ラベルから年代を感じさせるが、狩猟ばかりに明け暮れてきた領主に、具体的な価値は分からない。
「蛮族の流言飛語など恐るるに足りませぬ。吾輩の心配は寧ろ、彼にあります」
白い布をかぶせられている様と、数年前の景色が重なる。
「オレたちが、あの子を支えてやらねばならない」
大オークにとって白は、赤と並ぶ死の象徴であった。
戦場で死んだ同族の多くは、回収もされずに捨て置かれていたが、まれに遺体が戻ってくることがあった。
布にくるまれたそれは、死に価値を得るために、大オークの前に差し出された。
「母親は戦って死んだのだろう。きっと、同胞のために命を賭したのだ」
求めた。
死に意味を、価値を、理由を求めた。
大オークは、彼らこそ英雄だと言った。
「英雄だったに違いない」
そうでなくてはいけないのだ。
オークの領主は、布からだらりと垂れる腕が忘れられなかった。
────
瀉血婦人は焦っていた。
彼女にとっては戦争も、虐殺も、回避するべき事態である。このまま大オークを権力の座に就かせるわけにはいかなかった、
付き人の吸血鬼は、「ゴブリンロード様に何かお考えがあるみたいっす!だから今は味方になるべき人を見極めてください」なんて呑気に話をしていたが、事態を楽観できるほど、冷静ではいられなかった。
婦人は、無力な自分に苛立っていた。
「ふう……いけますわよ、あなたは瀉血婦人。最強の生き物なんて、どうってことありませんわ」
岩陰に隠れ、胸に手を当て一人ごちる。
何度も深呼吸をして、十を数えてから、彼女は陰を抜け出した。
婦人は、谷底に来ていた。
「ごきげんよう星喰らいさん?お元気かしら?」
「元気であれば、今ごろ貴様は消し炭になっているが」
「…………」
ファースト・コミュニケーションは大成功のようだ。
婦人は咳払いをすると、遥か頭上を見ながら一歩前へ出る。
「り、竜は、最強の魔族であると聞いておりますわ。ですから折り入ってお願いがあって来ましたの」
星喰らいはつまらなそうにあくびをすると、そっぽを向いて丸まろうとした。
「あーっ! ちょっと、聞いてくださいまし! これは王位継承に関わる重大なお願いですのよ!」
「拙い古語でわめくな。まこと不愉快である」
このままでは本当に寝入りかねない。
吸血鬼の領主は、額に汗が流れるのを感じた。
「私は吸血鬼の業により魔王の血を見ました! 仮面の下にある秘密を暴く同行者を欲しているのです!」
竜はのそりと首をもたげ、若き吸血鬼を見た。
まるで心臓を鷲摑みにされたような錯覚を受けて、婦人は無意識に後ずさる。
「なにゆえ貴様は、この星喰らいに、あやつの死体漁りを強要するか」
星喰らいは、ゆっくりと顔を近づけた。
灼熱の息遣いが目と鼻の先まで迫り、婦人は緊張のあまり吐き気を催す。
婦人は、魔王の素顔を知る必要があった。しかし仮面に魔術がかけられており、触れたものは呪われるという話である。
婦人が仮面に触れた後、何かあった場合に対処してくれる人が必要だった。
「え!? えーと……王国の未来が関わっているのだから、協力するのは、と、当然でしょう?」
竜がひときわ強く鼻息を鳴らす。
熱気によって、涙さえも蒸発し、ついに吸血鬼は目を開けていられなくなった。
このまま本当に火炎を吹かれれば、骨も残るまい。
「ウソウソ! ウソよ! ごめんなさい理由なんて無いわ! ただ他にお願いできる人がいなかったの!」
思い出すのは、竜とオークの戦闘風景。
爪は楽々と大岩を裂き、炎を吐けば砂いじりをしているように地形が変わった。
並みの戦士であれば、瞬く間に岩のシミと化していただろう。
瀉血婦人にいたっては、戦士ですらない。
「わかるでしょう!? 私は雑魚で、ボッチなの! 最強でボッチのあなたが適任だと思ったのよ!!」
前に突き出した手をバタつかせていると、徐々に指先で熱気を感じなくなった。
婦人がうっすらと目を開くと、目の前にあった竜の巨躯が消えていた。
代わりに、光沢のある黒甲冑を着た長身の人間が立っている。
「お前のようなものを、力なき者と呼ぶのだろうな……」
女の姿をした竜の目には、憐憫と侮蔑の念が垣間見える。
瀉血婦人の消え入るような返事は、彼女の耳に入っているかも怪しかった。
「何をしている、さっさと立て」
そう言われて、婦人は初めて自分が腰を抜かしているのを自覚する。
「次に我を暴力しか能のない竜と言ったら殺す。我の前で惨めな振る舞いをしても殺す。鱗に触れれば勿論殺す、それが守れるなら、同行ぐらいはしてやろう」
竜の背中を見ながら、吸血鬼の思考は停止していた。
「……今すぐ立たなければ殺す」
「は、はひっ」
────
ゴブリンロードはにこやかな表情で、廊下を通り過ぎるメイドに挨拶をした。
口の両端が醜くゆがみ、歯をむき出しにするさまは、威嚇しているととられてもおかしくはないのだが。
魔王城の、ドアが開け放たれた一室で、ロードはゴブリンの付き人と共にいた。
「それでは、本日も共通語の勉強をしましょう」
オーガ領出身の付き人が、文字の書かれた木の皮を取り出す。
「アー、シメンソカ?なんだそれハ」
「むかし異人が歌った詩に由来する、ことわざにございます」
言語は、ゴブリンたちにとって大きな壁であった。
現在使われている共通語は、吸血鬼の古ドラクル語をルーツとして、ゴブリンの言語体系と全く違う文法であった。
これは、他種族との交流を重視するロードを大いに悩ませた。
「違ウ、由来は後回しで良イ。わしが知りたいのハ、意味ダ」
「由来を知らねば、意味を取り違えまする」
ロードが頭を掻いていると、彼の名を呼ぶ声がした。
見ると、出入り口に密偵長が立っている。
ゴブリンロードは、近づくように促した。
『任務ご苦労、報告せよ』
獣の鳴き声のように聞こえるそれは、湿地帯にて受け継がれてきた故郷の言葉である。
『オーク領にて、奴隷の身分で潜入している者たちに接触しました』
ゴブリンは多産である。
魔族でも群を抜いて繁殖力のある彼らは、他の領地に労働力を提供していた。
奴隷の中に、高等教育を受けさせたゴブリンを混ぜてスパイとして行動するよう指示したのはロードである。
『東の村落にて少年の顔を見たという者がおり、話を聞きました』
『正体を突き止めたか、わっぱは何者だ』
リッチの主が連れてきた魔王の息子。
ゴブリンは、館長の話を微塵も信じていなかった。
あの時、会議で最も影響力があったのは、星喰らいに勝利した大オークである。そして、魔王の子もオークであった。両者を結んでいるのはリッチである。いくら何でも出来過ぎた話ではないか。
ロードは、一連の流れがリッチによる出来レースだろうと踏んでいた。
『狩人の両親を親に持つ普通の少年です。父母共に同族の、純血オークでした』
『両親を急ぎ連れてこい。わしがオーガに働きかけて、到着まで時間を稼ぐ』
密偵たちのリーダーは、首を横に振って見せる
『少年の両親は、戦争で他界しております。』
ゴブリンロードは、眉間に指をあてた。
考えてみれば当然である。極力、支障がないようにするには、孤児を選んだ方が利用しやすい。戦争は絶好のタイミングであったわけである。
ロードが思案していると、密偵は「それだけではありません」と言葉を続けた。
『少年も、昨年発生した飢餓が原因で亡くなっているとの話です』
『……なんだと?』
ゴブリンの領主は小声で、死霊術とぼやいた。
密偵曰く、数日前まであったはずの少年と家族の墓が、村人も気が付かぬうちに影も形もなくなっていたという。
魔王死亡から城に至るまでの二日間。リッチの手早さには舌を巻く思いである。
『死霊術の資料を集めよ。こうなれば何とかして奴らの術を暴くほかあるまい』
密偵と付き人を下がらせた後、ゴブリンロードは考えに耽っていた。
彼の目標は、魔王となることではない。王座はただの手段に過ぎず、究極的には誰が座ろうとも問題はない。
ロードの目的は、魔王のしもべとなった時から何一つ変わっていない。
彼は、ゴブリンという種族の地位を向上させたかった。
争いを通じ、ゴブリンたちはわずかに恐怖と敬意を勝ち取った。しかし肉体には限界があり、だから争いに見切りをつけた。
労働を通じ、ゴブリンたちはわずかに居場所を勝ち取った。しかし彼らは奴隷であり、いまだ不当な扱いはどこでも見かける。
ロードは百年先を見据えていた。ゴブリン達の戦果が伝説となり、送り出された居場所が故郷となることを望んでいた。
誰かがチャンスを掴まなければならない。
ゆえに、リッチに負けるわけにはいかないのである。
『お父様……』
不意の呼びかけに、ロードは顔を上げた。
出入り口に、ゴブリンのメイドが立っている。
『おお、どうした。持ち場を離れて大丈夫なのか、娘よ』
城のメイドは、各領地から遣わされた者によって構成されている。
ゴブリンロードは十六人いる子供の中で、末の娘を送り出していた。
メイドはスカートのすそを握りしめながら、俯きがちに立っている。
『私、ずっとお父様に隠していたことがあるの』
事情を抱えているのは、領主だけではない。