第六話 第二回魔王会議(後編)
「さテ、執政役殿ハ、どこニ、いるのだったカ……」
老境へと入っているゴブリンの主は、ポリポリと頭を掻いた。
ゴブリンの文化は長いが、周辺地域を含めた歴史を振り返ると、名前が出てくることは極端に少ない。魔族は古来より力を、そして魔術を重視するが、ゴブリンはどちらも秀でているとは言い難かった。
つまるところ、歴史も知られない、実力もないゴブリンという種族は、どこでも軽視された。
こうした事情を背景として、彼と彼の父がゴブリンの国を建国したのは、今からざっと四十年程前である。偶然流れ着いた、人間たちの捨てた書籍からノウハウを学び、湿地帯に王国を築いた。
ある時、魔王を名乗る仮面のオーガが訪ねてきた。
彼はゴブリンロード個人に敬意を払い、新しい王国には労働力が必要であると、そう言った。
ゴブリンの主もまた、大きな権威を欲していた。
「おや、ロード様、どうされましたか」
領主が木の皮をなめして作られた衣を引きずりながら、魔王城の多すぎる回廊に迷っていると、オーガの執政役にばったり遭遇した。
彼はいくらかの書類を小脇に抱えながらも、イボが大量にあるカエルのような、ロードの顔を見下ろしている。
通されたのは、執務室であった。
「それで、話とは?」
「わしの望みハ、ゴブリンの末永キ、繁栄であル。戦争ヤ、種族のイデオロギーに端を発すル、惨禍の起こるるハ、これを望まなイ」
魔王の名声が広まるにつれて、ゴブリンたちへの風向きが少しだけ変わった。
汚いものを見る目に、恐れの感情が混じるようになった。
魔王がオーク連合と小競り合いを起こした時に、ゴブリンたちは果敢に戦った。吸血鬼の君主たちの懐にオークたちを案内したもの、ゴブリンの斥候であった。
人間達との戦争で、降りしきる砲弾の雨を浴びながら、先鋒を開き、死体の山で魔王軍を攻撃から守ったのも、ゴブリンたちである。
若きオークたちは、戦場跡にひっそりと、戦友のために碑石を建てた。
「えート、次ハ……」
執務室を後にすると、ロードは吸血鬼の部屋を訪ねた。
あいにくと領主は席を外しているらしく、付き人が応対した。
二人は、戦争は回避しなければならないという意見で一致し、領主にも、意向を伝えてほしいと頼んだ。
最後に、ゴブリンロードは、魔王城裏手の谷を訪問していた。
「星喰らい殿ハ、魔王様ノ、無二の友であると、聞いていル。ゆエ、尋ねたいことがあっタ」
竜の長は、心底つまらなそうな顔をしていた。
「ゴブリン如きが、何用だ」
ロードは、戦争で積まれた死体の山を見て、種族の限界を悟った。
彼は、争いに見切りをつけた。次に目を付けたのは、知識であった。
「隠し子……?あの唐変木にいるわけがないであろう」
リッチの主が口にしていた噂を、星喰らいは一笑に付した。
「始まりからしてあやつは独りだった。終わりもまた独りであったに違いない」
「なれバ、館長殿ガ、何か企んでいるニ、違いなイ」
「謀は、貴様ら弱者の生きる術ではないか。何をいまさら異を唱える」
ゴブリンロードは、竜が弱者の生き方に対し、理解を示したのに驚いた。
彼は唸った。二日酔いのカラスのような声で唸った。
「わしハ、悔しイ! 館長殿ハ、魔王様の名前を利用シ、好き放題するに違いなイ。あと一歩で悪事を暴けるのニ、時間が足りズ、見届けたところデ、会議が進めバ、悪事はとめられヌ」
土埃で汚れるのも厭わず、膝をつき、地面を叩いてみせるロードを、星喰らいは見下ろしていた。
「わしハ、魔王様ニ、多大なル、恩義を感じていル。にもかかわらズ、目の前ノ、不愉快極まりなイ、悪事を止められヌ! こたび死するハ、魔王様ノ、名誉であル! このままでハ、魔王様ハ、二度死ヌ!」
竜が口を開いたその時、ゴブリンのローブから甲高い音が鳴った。
彼は、懐から何か取り出し、うわごとを何度か呟くと、再びそれをしまう。
「ゴブリンよ、今のはなんだ?」
「あア、人間の作っタ、代物ダ」
ケータイと呼ばれていル。
ケロッとした顔でゴブリンは言った。
────
第二回魔王会議は混沌の様相を呈していた。
リッチは、オークの少年を次期魔王、大オークを後見人兼補佐役として、相応のポジションに着けるべきであると主張したからである。
このような、真偽のわからないままに話を進められないという執政役の指摘に、ゴブリンロードと瀉血婦人もこぞって同意した。
そして今、一同は魔王の遺体が安置されている魔王城下の地下空洞に来ていた。
「城の地下に、こんなところがあったなんて……」
偉大なる統率者は生前と同じように横たわっていた。服に乱れはなく、無機質な仮面も汚れている様子はない。
魔王は絶大なる魔力によって腐敗を免れていた。
空洞は地脈の通り道であり、遺体には絶えず魔力が供給されている。
「ぼさっとするな吸血鬼。お前は自分の役割を果たせ」
大オークがせっつくと、瀉血婦人は渋々前に出た。
隠し子であった立場上、少年には血筋を示す証拠が何一つない。では如何に証明しようかという話になり、リッチから提案があった。
すなわち、吸血鬼の血魔術だ。
彼らは血の道に通じ、魔族たちの身体情報を伺い知ることが出来た。君主一族が皆殺しにされる前、吸血鬼たちは医療者として重宝されていたのである。
「ごめんなさい、血をくださるかしら」
瀉血婦人は、魔王の隠し子の前でしゃがむと、笑顔を作ってみせた。
オークの少年は何も言わず、館長を見る。
魔族の中でも、混ざりものは稀有な存在である。生態も文化も違う中、よほどの事情でもない限り、交わりは無いに等しい。
魔王にオーガの血が流れており、また少年にオーガの血が流れていれば、これが答えであると、館長は主張した。
本来、オーガは出不精な種族である。オーク領に頻繁な出入りをしていたのは、魔王ぐらいなものであった。
「あ、瀉血婦人様、どうか魔王様の仮面には触れぬようお気を付けください」
婦人は少年の血を採取し、次いで魔王の傍に来ていた。
魔王は、自分の首が獲られることを警戒し、仮面に触れたものを呪い殺す魔術をかけていた。死後も周辺の魔力を吸収し、その効果を残しているのだという。
遺体に手を付けるのは、当然反対の声も出ていた。しかし「白黒つけねば始まりますまい」という館長の一声で最終的に意見がまとまった。
「さてさて、注目くださいな」
婦人は、少年と魔王の血を含んだハンカチを広げる。
「紫に光れば、間違いなくオーガの血筋ですわ」
噂では、魔王の皮膚は竜の牙も通さないという話であったが、実際は婦人が持ち歩いているポケットナイフで簡単に傷がつけられた。
死んで数日が経っているが、生前と同じように鮮血がドロリと垂れた。
「光よ────」
魔術とは、魔力に対し、特定の文字列によって指向性を与える技術である。
中でも吸血鬼たちは、古からの言葉を用いることで、彼ら独自の「血の魔術」を完成させた。
「結果がでました。け、けれどこれは……」
実のところ、この場で血魔術の理屈を知っているのは瀉血婦人のみである。
つまり、魔術の結果を偽ったところで、誰にも分らないのだ。
魔術に深く通じるリッチの主は、それを理解したうえで婦人にやらせていた。塵殺された君主の傍系が、魔王会議においてどのような立場をとるか見定める目的である。
もちろん、館長の嫌らしい思惑など、婦人は知る由もないのだが。
「…………紫ですわね」
隠し子の血は、紫と緑の色が入り乱れるように光を発した。緑色はオークの血を示しており、つまるところ子供は、間違いなくオーガとオークの混血である。
領主たちの視線は、隠し子と魔王の血が放つ、紫の光に吸い寄せられていた。
────
「さあて、こうと決まればさっそく今後の王国について……いやその前に戴冠式、いやいやまずは前魔王の葬儀を執り行わねばなりませぬな!」
館長が、勝ち誇ったように声を張り上げる。
空が橙色に染まるころ、領主たちは地下空洞から会議場に戻っていた。
「魔王国の節目にございます、人間たちに威容を知らしめるためにも、荘厳な式を開かなければなりますまい」
陽気なリッチに対して、周囲の反応は重い。
館長は大オークの肩を叩きながら、「今後はますます忙しくなりますな」などと語っている。
「オークの子ハ、幼少より狩りに出るト、聞いタ」
ゴブリンロードが、聞き取りにくい共通語で話した。
「竜ヲ、相手取れとは言わなイ。ただご子息ガ、魔王様の子であるならバ、やはり相応の武勇ヲ、示すべきでハ、ないか」
魔王の子は身じろぎもせず座っていた。少年の視線は誰とも交差しない。
館長はロードを何度か見返すと、二、三歩ほど前に出た。
「あなたの口から武勇の語が出るとは傑作だ。これからの時代に必要なのは、暴力ではなく団結ですぞ」
「見てくれだけノ、団結なド、人間の技術の前でハ、無力ダ」
「先の戦争で、リッチの魔術は空飛ぶ鉄の塊を破壊した。吸血鬼は夜闇に紛れ敵を翻弄し、オークの勇気は小手先の戦術を粉砕した。オーガこそ指揮官として素晴らしい働きをみせていた。そしてゴブリンは……あぁゴブリンだけは、無力であったやも知れませんな?」
ゴブリンロードは、館長がつけている髑髏の仮面を見る。穴の奥で、二つの眼がいやらしく笑い、ロードを見下ろしていた。
「今こそ、魔族再興の時にございます! 先代魔王様が築いた礎を、我々がさらなる高みへと──」
リッチの言葉は、轟音によって遮られた。
会議場の天井が突如として崩れたのである。
咄嗟にオーガの執政役がゴブリンと吸血鬼を、オークの領主が隠し子をかばい、リッチの主は見事な反射神経で防護結界を張った。
頭上の穴に広がる空から、太陽の代わりに竜が顔をのぞかせる。
「魔王は二度死せず。ゆめ、忘れるでない」
突然の破壊者は言葉少なに舞い上がり、再び去っていく。
領主たちは、言葉も忘れて顔を見合わせた。