第三話 魔王会議(後編)
「いいぞ!森の賢者よ!懐かしきオルクホーの再現といこうではないか!」
竜の咆哮が、谷に響き渡る。
魔王城の裏手には大きな谷がある。竜の大きな体は動き回るのも容易ではなく、横に広がる無数の小道は、身を潜ませるのに適していた。
勝負の場所を指定したのは大オークである。これでもやはり、本来の姿に戻った星喰らいを相手取るのは至難の業であった。
「口だけ……達者な……やつめ……」
岩間を踏み越えつつ、オークは、初めて狩りに連れられた時のことを思い出していた。
雪の降りしきる夜、幾つもかすり傷を作りながらも、一心不乱に走り抜けていた幼少のころを。
あれは、部族の長に連れられて、巨人領との境界まで来た時のことであった。
寒冷という大地の洗礼と、見たこともない獣どもの荒い息遣いが、彼の身体からみるみる体力を奪っていた。
それでも、彼は走り続けていた。
族長と別れ、白と黒に彩られる世界を駆けていた時、ふと、木々の合間から光る獣の眼に気が付いた。何匹ではない。何十という獣が、暗がりの中で彼と並走していた。
狩る側と狩られる側の立場が逆転し、自分こそ狙われているのだと自覚した時、初めて強烈な死を感じた。
あれから数十年、幾多の死線を潜り抜けてきたオーク族の領主は、死に対しての感覚がすっかり鈍磨していた。
この日、この瞬間までは。
「むっ……!」
光だ。
疾走してなお逃れられぬ光。あの時と同じように、光が彼を追い立てていた。
咄嗟に、大オークは横の小道に飛び込んだ。受け身をとる余裕すらもなかった。
「ぐ、うぅっ……!」
瞬間、谷間を強烈な熱波が襲う。
竜の放つ火炎が岩の表層を舐めとっていく。
焼けた毛皮を投げ捨てた。これがなければ、オークの背中は黒焦げになっていただろう。
あまりの熱気にむせていると、星喰らいの笑い声が聞こえた。
「オーク、卑怯者よ! その無様はどうした。勇士オルクホーや死んでいった部下が泣いているのではないか?」
大オークは拾い上げた斧の柄を握りしめた。強く、強く、指の感覚が失せるほど握りしめた。
彼は伝説に生きる勇士ではない。彼の父も、母も、族長も、あるいは部下達も、みな勇士ではなかった。
狩りは一人で行うものではないと、族長は年若い彼に言っていた。
獲物を見つけ、獲物を追い詰め、獲物を殺す。子供は、こうやってオーク社会の在り方を学んでいく。最も優れたオークとは、己が在ることの意味を理解し、己の役割を十全に果たす者を指す。
「あいつらは……みな殉じたのだ。オーク領と、魔王様に」
若者たちは、未来のために死地へと赴いた。彼らこそが、真にたたえられるべきオーク達である。
──────────────────────────────本当に?
魔王は死んだ。あまりにも唐突に。
誰が、若者たちの死に意味を与えてくれるのか?
誰が、大オークの生に役割を与えてくれるのか?
竜か? ───────────────────────────否。
ゴブリンか? ────────────────────────否。
他の領主たちか?───────────────────否、否、否。
今や、大オークだけが、若者達の死を識っていた。
彼らの声を、笑顔を、眼差しを、思い出を、戦場への覚悟を無駄にするなど許されていいはずがない。
オークの領主は、他でもない自分の手によって、あの戦争による生死に、意味を与えなければならなかった。
「オレが、意味となるのだ、あの若造どもの……」
大オークは、領主の役割を果たすべく、再び駆けだした。
谷底という場が作り出す暗闇に、星喰らいの黒き鱗は溶け込んでいた。ただ道の奥から、大地を踏みしめる足音と、爪が岩をかすめる不快な音が響くだけである。
一拍、オークの領主は呼吸を整えた。
胸いっぱいに空気を吸い込み、熱気が肺を焼く鈍い痛みを感じた。
痛みを通じて、彼は生を実感していた。
「竜よ! 死んだ同胞の涙は雨となり、豊穣をもたらし、部族の糧となる!オークの振る舞いすべてに意味のある事を知るがいい!」
彼は、斧の柄を木製の盾に激しく打ち付けた。
暗がりの中で、煌々と輝く二つの光がゆっくりと向き直り、オークを捉えた。
「そうか、では己の無様さに与える意味もせいぜい考えておくといい」
巨躯に見合わぬ早さで、竜は距離を詰めてきた。
大オークの腕ほどもある爪が、彼の頭を狙って振り下ろされる。
「ぐおっ!?」
盾が、二つに割れた。
横に流したにも関わらず、見る影もなく破壊された。
オークは素早く体勢を立て直し、残る半分でもって二度目の攻撃を受け流した。欠片しか残らなかった盾を投げ捨て、続く三度目を跳ねて回避した。
勢いに身を任せ、竜の指に対して彼は全力で斧を振るった。
「その気概や良し! だがやはり惰弱よ」
斧刃が鱗を傷つけることはなかった。
竜は指先を軽く動かし、大オークを吹き飛ばした。全身を岩に打ち付け、激しい痛みで息をすることすらできなかった。
数十年前と同じように、今の彼は狩られる側であった。
「……優れた獲物は、油断を見せないものだ」
斧を杖の代わりにし、大オークはよろめきながらも立ち上がる。彼の脳裏には、初めての狩りの記憶が蘇っていた。
獣たちは強く、賢かった。ただ狙うばかりでは、到底狩猟など叶わなかった。
──優れた狩人は時に狩られる側にならねばならない。幼少の彼を連れた族長はこう言っていた。
小さなオークは、群れに矢を放った。獣たちはいっせいに飛び出し、自分達よりはるかに惰弱な餌に襲い掛かった。
だから彼は、銀世界の森を駆けていた。
「……勝利の瞬間以外はな」
「貴様、何を言って……?」
星喰らいは、鱗がピりつくのを感じた。
驚異的な反射神経で翼を広げるも、彼女は自らの判断ミスを悟った。
光が、竜を捉えたのである。
輝く文字は魔術陣の刻印であり、空気中に浮かび上がった一つ一つが、抵抗する間もなく星喰らいの身体に刻み付けられた。
「魔術だと!? いや、だがこんなもの今まで……」
言い終える前に、竜は今まで以上に咆哮を上げながら、激しくのたうち回った。
時限式で発動するそれが、容赦なく体を蝕み、全身に激痛を走らせる。
かつての獣たちもまた、同じように疲労困憊のオークを前に狩猟の餌食となっていた。追い詰められたその時に、族長が放った矢が、獣たちを次々と射止めていたからだ。
伝説を体現する星喰らいは、ひとしきり暴れた後に倒れ込み、そのまま動かなくなった。
「頭が高いのは……そちらのほうだったな……」
狩りは一人で行うものではない。
オークは、囮の役割を十全に果たしたのである。
────
「どうしタ、勝負はどうなったんダ」
城より谷へと続く道中の丘に、領主たちは見物に来ていた。
「……なんか静かになったわね」
「決着はついた、ということですかな?」
「あっ! あそこ、あそこに!」
執政役が指さす先、開けた一本道を、大オークが歩いていた。
煤けた毛皮と木片、斧を携えて歩く領主の姿は、まさに満身創痍といった感じであった。
「うっそ、あの竜に勝っちゃったの……?」
瀉血婦人は自らの発言が信じられず、幽霊でも見たような表情をしていた。
「メイドを呼んできます、領主様方も城へとお戻りください」
言うが早いか、執政役は走っていった。
取り残された中で、頭を抱えているのはゴブリンロードである。
「なんト……次はわしがあの筋肉と戦うのカ……」
大オークがいかにして竜を倒したのかはわからないが、あの男の実直さはロードも認めるところであった。
「そういえばロード殿。魔王城でにわかに囁かれている噂をご存知ですかな?」
執政役とメイド長が、大オークに駆けよっているのが見えた。さすがはオーガといったところか、他の魔族よりずっと速く行動できるのは、体格に恵まれた彼らの長所である。
緊張の糸が切れたのか、執政役が肩を貸そうとしたところ、オークの領主は倒れ込んでしまった。
「ウワサ?」
「吾輩も偶然、ぐううぜん、耳にしたのですが、魔王様は生前とんでもない秘密を抱えてらっしゃったそうで」
ロードは、今後のことを考えていたために、満足な返答もできず、オウム返しのように「ヒミツ?」と口にした。リッチの口にするゴシップまがいの話には毛程の興味もなく、態度にも如実に表れていた。
だから、次の言葉を危うく聞き逃すところであった。
「隠し子が、いるとかいないとか」
一方、執政役とメイド長は、左右から大オークを支えながら歩いていた。筋肉の塊のような人物であっても、オーガ二人なら問題なく運んでいけるのである。
オークの領主は、意識がもうろうとしているようで、おぼつかない足取りで歩を進めながら、何かうわごとをつぶやいていた。
「うぅ……、息子、息子よ……」
執政役は、複雑な心境であった。
大オークは、先の対人間戦争で愛息子を亡くしている。世継ぎと期待されていた若きオークは、ゲリラ部隊を率いて人間の軍を相手取り、戦死した。
同じ父親として、心を痛めないはずもなく。
「次こそ……オレが……人間を滅ぼす」
魔王会議は、未だまとまる気配がない。