第十四話 魔王の虚像
「無理ですわ! 死にますわ! 適材適所という言葉をご存知!?」
仮面が生んだ影を前にして、瀉血婦人が木の枝を振り回している。
後ろで、赤子を抱いた人間が座り込んでいた。
赤子の耳にはリッチによる消音魔術がかけられており、一連の騒動に気が付かず眠っている。
「私は立派な非戦闘要員ですわよ!」
「大丈夫です。心なしか敵も怯んでいるように見えます」
陰の胴体が、斧によって両断された。
音もなく消えゆく魔力の残滓を前に、婦人は呆気にとられる。
「貴様、おぞましい血魔術はどうした」
大オークは斧を肩に担ぎ、周囲に気を配った。
「……人を傷つけるのは、メスで事足りてましたの」
城門の前に、影達が押し寄せていた。
ゴブリンやオーガの戦士のほかに、メイドの一部も応戦している。
包丁を振り、スキを掲げ、折った箒の柄を槍の如く構える集団は壮観だったが、戦況は一進一退であった。
「知識はありますわ」
リッチが編纂した魔術の本に記載があった。
人間との戦争中は館に籠りきりで、時間だけはあったのだ。
婦人は言いかけて、自分の前後にいるのがどういう人物達だったかを思い出し、口をつぐんだ。
「でも、魔力の込め方は知らないし、血だって……」
吸血鬼の血魔術は、名前の通り他者の血液ありきの術である。
一滴でもあれば自在に操り、文字通りの死山血河を築くことも不可能ではない。
君主一族の中には、他者の体内を流れる血すら自在に操る術者もいたという。
オークは、ためらいもせずに斧の刃先で自分の手のひらを切った。
「あっ、えっ、そそそんな、あなたいきなり!」
垂れ落ちる血を受け取る吸血鬼の顔は、いつにも増して蒼白である。
「適材適所だ。オレがガキのころ、老人達は吸血鬼の伝説を語っていた」
一滴の血が滝となり、槍となってゴブリンたちに降り注いだクリストフの夜。
戦場で流れるオークの血が残らず消失したロクスバーグの血濡れ谷。
そして、巨人が口にすることも忌諱する赤き狩猟の月。
すべて魔族を震え上がらせたドラクリヤの伝説である。
「ゆえにオレ達は君主一族を葬り、今のお前がある。それを謝るつもりはない」
積もる恨みもあるだろう。だが今だけは、民を救うために協力してくれ。
大オークの声は低く、くぐもっていた。
彼は、流れる血を拭おうともせず、静かに握りしめている。
「……吸血鬼の君主は、自らの傲慢と残虐さによって滅んだのですわ」
瀉血婦人もまた、オークの血を指で撫でた。
「私は彼らの伝説に加わらない。覚えておいてくださいな」
吸血鬼は、オークの返答を待たずに駆けだした。
リッチのメイドが、魔力に毒されたゴブリンを癒しているのが見えた。オーガの戦士が、逃げる庭師のために影の前に立ちはだかるのが見えた。
影に小石を投げつける、吸血鬼の姿があった。
婦人は立ち止ると、付き人の吸血鬼を呼んだ。
「あれっ、瀉血様! どうしたんすか」
「格好つけて飛び出してきちゃったけど、どうしましょう、これっぽっちも自信がありませんわ……」
歴戦の狩猟者は思う。
吸血鬼に血魔術の戦闘をせがむ日が来るとは、考えてもいなかった。
大オークは吸血鬼の背中を見送ると、斧を持ち替えた。
多少の出血など、彼にとっては問題ではない。
今は、自分にできることをやらねばならなかった。
「また、その目」
背後から聞こえてきた声に、オークは歩みを止めた。
人間のメイドが座り込んでいる。
「星喰らい様達が地下に向かわれた時も、同じ目をしてらっしゃいました」
「オレにかまうな、人間」
「心配されてるんですね」
大オークは何人もの同族を見送ってきた。
死者も、生還者もいたが、苦しみを分かち合うことはできなかった。
彼はいつだって、見送る側だった。
「私も魔王様を見送りました。何度も何度も、戦場に向かわれるお姿を、窓越しに見送りました」
魔王は、竜にすら勝利した魔族の覇者である。
誰も偉大なる統率者の死を考えたことはなかった。
彼女をのぞいて。
「ですから行ってください。皆様と一緒に、帰ってきてくださいませ」
人間は、赤子を優しく抱いた。
「やったー! やったわ! 私やったのよ!」
遠くで吸血鬼の声が響いた。
宙を漂う血の槍が、大きく直角を描きながら、影を捌いていた。
穂先が幾本にも分かれ、息をするよりも早く魔力の霧を裂いていく。
目を輝かせる瀉血婦人は、人間たちに向けてガッツポーズを取った。
────
極彩色の光が暗闇を飲み込む。
空洞を翔る星喰らいを、いくつもの熱線が追っていた。
肉体を人間のそれに変じさせ、膨大な魔術を布一枚の間隔で躱し続ける。竜の巨体では為し得ぬ神業である。
「死して腕が鈍ったか? いつぞやよりもはるかに手ぬるいぞ!」
リッチの主は詠唱もなしに火球を撃ったが、魔王は岩の壁で打ち消した。
続く二撃目は宙で受け止め、とびかかった執政役に向けて放つ。
オーガに気をやる間もなく、魔王の虚像は館長との距離を詰めてきた。
「まさかここまで……」
魔術の同時展開。
リッチでも指折りの天才しか扱えぬ神技を難なくこなし、なお機敏に動く魔王は館長の首を難なくへし折った。
倒れ込む体を、ダメ押しとばかりに衝撃波で吹き飛ばす。
次に執政役を仕留めようと体を起こし、高速で飛行する竜の体当たりを受けた。
「この星喰らいを軽んじるでない──!」
振り返った竜は目を見開く。
堪えた素振りもない魔王が手をかざすと、七色の光が再び彼女を襲った。
後ろには、意識を取り戻したばかりの執政役がいる。
「────舐めるな、下郎が!」
残っている腕を竜のそれに変じさせ、防御の姿勢を取る。
彼女の鱗によって光線は弾かれ、空洞の天井を貫いた。
ゴブリン達が悲鳴を上げ、落ちてくる岩石に潰されまいと走るのが見える。
真上は調理場だったのだろうか、食器や調理器具が落ちてきた。
「どうした、我の腕はまだ残っているぞ……」
リッチによる対竜魔術の傷は、いまだ癒えていない。
朝方に負った負荷と、傷に由来する疲労が、腕の切断を許してしまった。
そもそも人間の体は、巨体とそれに見合わぬ機動力による戦いを得意とする竜にとって、不相応というほかない。
なにより、相手はあの魔王である。
「貴様は手ぬるい、いつもそうではないか」
突如、瓦礫が動き出し、魔王を包んだ。
息を吹き返したリッチによる攻撃である。
「孤独は強者の特権? よくもまあほざけたものだ」
瓦礫は一瞬で砂へと変わり、中から魔王が歩いてくる。
間髪入れず、竜は炎を吹きかけるも、魔術の壁がこれを防いだ。
「あの、人間の女……あれなるが貴様の解ではないか!」
ゴブリンの戦士が、援護をしようと矢をつがえる。
星喰らいがそちらに意識を向けた時には、すでに戦士の顔面は吹き飛び、魔王が彼女に向かってきていた。
咄嗟の判断で前にかがむと、竜の頭上を衝撃波が飛んで行った。
「孤独に耐え切れず、子をなし、手前勝手に死んでいくとはな!」
この距離では、魔術など悪手である。
竜と魔王の影は、拳を交わらせることを選んだ。
「貴様こそ弱者だ! 己を仮面で覆い、魔王という虚像で守り続ける弱者だ!」
怒りだ。
一人で勝手に死んだ男への怒りが、彼女を突き動かしていた。
燃え上がるような激情だけが、満身創痍の星喰らいを支えていた。
「なぜ死んだ! なぜ置き去りにした! なぜ────」
問いかけは虚空の彼方へと消える。
虚像の腕は、竜の首に届いた。
締め付ける指はあらゆる反撃を許さず、じわじわと気力を奪っていく。
「な、ぜ……」
リッチと魔王の魔術が混じり合い、流れ星のように瞬いている。
かつて喰らった星も、このように輝いていたのを思い出す。あの時の彼女は独りであった。あの時の彼女は、輝きなど気に留めなかった。
ただ、目の前の敵を滅ぼせば、それでよかったのだ。
だからこそ、彼女は魔王の放つ瞬きに負けたのだ。
魔王は独りだった。孤独を恐れていた。孤独がもたらす闇を恐れて光となった。
やがて彼は、孤独にさえ打ち勝ったのだと、竜は気付いた。あの男にとって、それを特権と騙る必要は、とうに失せていたのだと。
その勝利を後押ししたのは、取るに足らない、矮小な人間であった。
竜は自嘲した。
弱さを知らない、あの時の自分を笑った。
「──────────────────────────そうか」
竜は、魔王の腕を掴んだ。
抵抗する隙を与えず、全身を炎が包み込む。
星喰らいは、影の腕を握りつぶした。
「問いかけなど無意味であったな」
足元の岩が融解する。
彼女の傷が、汗が、全身のすべてが燃え上がる。
「我は黒き鱗の『星喰らい』! 弱者の傍に立つ古竜!」
力とは、弱きを知ることにある。弱きを背負い、孤独を超えてこその力である。
誰かと共に明日を向くことは、弱さではない。
死者は言葉を紡がず、生者の問いは意味をなさないのだ。
今やるべきは問いかけにあらず。道理を示すことにある。
「魔王の影よ、弱きが生んだ虚の像よ! 貴様の死をもって、我が友への手向けとしようぞ!」
星喰らいは燃えていた。
黒い鱗が煌々と輝く。
燃え滾る烈火が空気を焼く。
彼女はまるで、深淵を照らす太陽の化身であった。
「燃えよ!」
星喰らいが、腹の内に貯めたありったけの火を吐き出すと、魔王は応えるように光線を放った。
竜が吐く炎とは、広義の意味で魔術の一種である。
竜族は魔力を自在に操り、術式も詠唱もなく業に変換する。
同時に、これは文字通り命を削る戦い方を意味していた。
(ここで畳みかけねば、消えるのは我々ということですな……)
六度目の死から蘇ったリッチは、目の前で繰り広げられる炎と光のせめぎ合いに眉を顰める。
霊脈から魔力を得ている影と、地力で戦っている館長では出力の点で分が悪い。
荒れ狂う熱風の中で、執政役は近付くことすらできないでいる。
(いかにこちらで魔王の手札を削ぐか、という話にはなりまするが)
絶え間ない攻撃を浴びながら、魔王は平然としている。
館長に応戦しつつ、防護術式を展開し、さらに竜と正面から向かい合っている。
今や、虚像は竜に割いている魔力リソースをさらに増やしていた。
(まだ一手たりませぬ、何か、策を────)
声がした。
遥か天上から、人影が降ってきた。
斧を構えた大オークが虚像まで落下し、肩から腰に掛けてを切り裂いた。
防護術式を利用し、受け身で着地をした後、素早く体勢を立て直す。
「貴様!?」
「問題ない! 上は吸血鬼が対処している!」
言うが早いか、大オークは魔王の虚像に飛び掛かった。
手をかざす虚像の背後に回り込んだのは、炎で身を包む星喰らいである。
三つのシルエットが、光の中で交錯した。
「ウッ……ウゥ……ウ……?」
激突を余所に、うめき声をあげる者がいる。
大オークの咆哮で意識を取り戻したゴブリンロードである。朦朧とした感覚はいまだ抜けず、耳鳴りは止むことを知らない。
老人は上体を起こすと、周囲を見渡した。
そして彼は、近くに落ちている仮面を見つけた。
「あれハ、魔王の仮面でハ、ないカ。なぜこんナ、ところニ……」
触れようとした指先に痛みが走り、思考が明瞭になる。
仮面は、霊脈と虚像の中継点になっていた。
濁流の如く魔力が流れ込み、常人では近付くことすらままならないだろう。
リッチの主は虚像との魔術合戦で手一杯だ。
「いマ、わしに出来ることハ、なんダ」
フライパンや、鍋、空洞にあった石ころ。
あたりにはなんでも散らばっているが、役に立ちそうなものはわからない。
ロードは、仮面を破壊すれば一時的にでも虚像の魔力が途切れるのではないかと考えた。
彼は、偶然手にあたったものを投げつけた。
「息を合わせろ、オーク!」
「言われずともやっている!」
二人の魔族が、交互に出る。
虚像はリッチの魔術をいなし、その余波を利用して二人の攻撃を躱していた。
星喰らいの腹部に、魔王の蹴りが炸裂する。
「ぐぅ……!」
オークが斧を振り下ろすと、魔王はこれを躱そうと上体を揺らし────。
ほんの一瞬、動きが止まった。
一瞬が、運命を分けた。
斧が深々と虚像の頭に食い込む。
魔王の虚像に蹴り飛ばされた大オークは、あらん限りの力で叫んだ。
「吹き飛ばせ! 星喰らい!」
無防備な魔王は、振り向く余裕すらなく爆炎に飲み込まれる。
竜は見た。
仮面が作り上げた虚の像が、魔王の作った恐れの影が、音もなく崩れゆく様を。
彼女は見た。
劫火に呑まれる友の影を。
きっと星喰らいは、この瞬間を忘れることはないだろう。




