第一話 魔王、死す
初投稿です。感想いただけると幸いです。
「魔王様、お待たせいたしました」
眼前に差し出された白い物体を見て、魔王はまばたきを繰り返した。
ちらりと視線を投げかけるも、メイドは恭しく一礼した後、壁際に下がり沈黙を保っている。
建設以来、魔王城はあらゆる場所が極めて合理的に設計され、与えられた役割を十全に果たしてきた。それはお食事の間と名付けられたこの大部屋も例外でない。
しかし今宵は、いつもと違う雰囲気が部屋を満たしていた。
すなわち、困惑である。
「なんだこれは」
「遠く東の国にある伝統料理、モチだそうです」
「モチ……」
率直に言えば、今まで献上された中でもとりわけ地味な見た目をしている。
白く光沢がありつつ、柔和そうな見た目。あまりにも情報量が少ない。魔王の眼には不気味に映った。
人間の食文化は多様だ。風土が違えば扱う道具も違う。
両手に握られたフォークとナイフは切っ先を向けるべき対象を失い、くるくると弧を描いていた。
「そなたは食したことがあるか?」
「いいえ、ですが噂によると、現地の人々はこれを手づかみで食べるとか」
「不衛生……」
ろうそくの火がちろりと揺れた。
薄暗い広間の中で、白いテーブルクロス、白い食器、白いモチがぼんやりと浮かび上がっている。
確かに、モチモチとした外見は鷲摑みするのにちょうどいい。
彼は魔王である。巌のような巨人に力を誇示し、大地をうねるゴブリンの群れを従え、天空を舞う竜の信を勝ち得てみせた。
そこに躊躇いはなく、恐怖もなく、征服への意欲のみがあった。
たとい相手が屈強な魔族であろうとも、人間の献上したものであっても、等しく征服の対象でしかない。
だからこそ、彼は魔王なのである。
「物事の本質はな、見てくれではないのだ。余はな、見てくれを通じ中身をも征服するのだ……」
「魔王様、僭越ながらそのお言葉を賜るのは四度目にございます」
まこと、慇懃無礼なメイドである。
魔王は諫言を聞き流し、モチを指でつまむと、勢いのまま口に含んだ。
「うぬ、なんだこれは、味も何もないではないか」
魔王は、自身の統治する王国を通る商人に対して人間の食べ物を要求していた。
これには文化交流という目的があり、好奇心旺盛な彼らしい試みであった。
すぐさま人間の商人たちの間で話が広まり、商機を見出した者たちは手あたり次第珍妙な食べ物を各地から取り寄せるようになった。
不運だったのは、目新しさばかりを求めた結果、献上する食べ物についてろくに知識のない者も現れ始めたことだろう。
モチを持ってきた人間もまた、背景に根差す文化や食べ方をろくに調べもせず、他のいくらかの食べ物と一緒によこしてきた。
「まだ調理場にもう一つ、余りがございます。処分いたしますか?」
「いや、良い。次までに何か味付けを考案せよ」
厳密には無味ということはないのだが、魔王は美食家ではなく、モチ独特の味を楽しむ感覚を持っていなかった。味付けするべきところを何もしていないのだから猶更である。
彼は新鮮な体験を得られなかったことに落胆しつつ、この退屈な時間を終わらせようと飲み下した。
よく噛まずに、である。
「うぬ…………?」
魔王34歳、王国を一代で打ち立てた偉大な統治者の、最期の言葉であった。
────
「魔王様が亡くなられた」
お食事の間とは別の大広間に集められたメイドたちは、互いに目を見合わせて、何やらひそひそと会話を交わしている。
サイクロプスやサキュバス、オーク、蛇人。ざっと見るだけで多種多様な種族が入り乱れているが、彼女たちの気持ちは手に取るように分かった。
「あノ……本当にお亡くなりになったんですカ? 魔王様ガ?」
ゴブリンのメイドが、おずおずと前に出てきた。握りしめられたスカートは皺ができている。
「検死に立ち会った。医者曰く完全な事故だそうだ」
そんな……という呟きがどこからか上がる。堰を切ったように多くの言葉が飛び交い、動揺へと形を変えて部屋全体に伝播した。
「このことは指示が出るまで他言無用だ。たとえ誰であっても、魔王城外部の者に話すなよ。いいな?」
メイドたちに話をする魔族──オーガの執政役は、側に立っていた同族のメイド長に声をかけ、メイドたちを任せて部屋を後にした。
動揺しているのは彼女たちだけではない。領の運営を取り仕切る執政役もまた、頭を悩ませていた。
魔王城はオーガ領に存在する。立場としては魔王こそ領主にあたるのだが、専ら政務の経験がある他の魔族に運営をやらせていた。執政役とはそういう役職だ。
だが、そんな彼もただのオーガである。
久しぶりの休日であった。家にも帰らず仕事を続け、ようやくまとまった時間ができたために休暇を取り、近頃会話も減っていた妻子に家族サービスをしようと思っていたら、呼び出しを受けたのだ。
国家の危機と家庭の危機、最悪二つまとめておじゃんになるかもしれない。
何度めかもわからないため息が漏れた。
「ふふふ、くたびれたご様子ですね、執政役殿」
気が付かぬうちに、死霊術師の出身であるメイドが傍らに立っていた。
ひどく平坦な声である。無感動は種族の特徴らしいが、彼女は魔王の死を悼んでいるのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎるも、給仕の正装と別に身に着けている、リッチの仮面によって表情をうかがうことはできなかった。
「部屋に戻っていろ、指示が出るまでは待機だ」
「まあそう仰らず、各領主様方にご連絡なさるのでしょう?道中お供いたします」
執政役は肩をすくませると、何も言わずに歩き出した。
「一大事ですね、ことが露見すれば人間たちも黙っていないでしょう」
リッチ・メイドの言葉に対して、彼は何も返さなかった。
対人間戦争の終結から二年半、魔王国はいまだ傷が癒えていないのが実情だが、相手も同じであるとは限らない。
現在、魔王城は人間の出入りを禁じてある。
平生であれば三日に一度くらいの間隔でやってくる来訪者達は、異変を自国に伝えるだろう。
くたびれた中年オーガは、小さな息子の顔を思い出していた。
「不測の事態です、今こそ魔族六領が団結すべきだとは思いませんか?」
メイドの言葉を、執政官は鼻で笑い飛ばした。
我の強い領主たちが手を取り合うなど、魔王亡き後に果たして可能だろうか?
「ご安心ください、我々の『館長』は既に新魔王擁立に向けて行動しております」
リッチの歴史は陰謀の歴史である。彼らの語る「行動」の裏に潜む暗闇に、先程から一転して背筋の凍る思いだった。
彼は家族を、オーガ領を愛している。他の魔族達が如何に考えているかなど知る由もないが、手前勝手な理屈を振りかざし、愛する者が危険にさらされるなど到底許せない。
長い廊下もあっという間で、二人は伝達室に到着した。
「陰謀、暗躍、大いに結構。だが覚えておきたまえよ、いわゆる緻密な計画など、突如降りかかる災厄の前には無力なのだ」
「災厄? 何の話ですか?」
「いろいろあるだろう……空から降る星とか、火山が爆発するとか、モチとかな」
執政役は、困惑するメイドをよそに、大きな音を立ててドアを閉じた。
伝達室と呼ばれる部屋では、特別な調整を施された石が壁に貼り付けられており、交代で番をしているオーガが退屈そうにしていた。
魔力を込めると光る双石は、リッチたちによって開発された。片方の石に魔力を込めると、連動してもう一つの石も発光する仕様だ。これを伝達する側と、される側の双方が持っていることで、石が光る具合をどちらも確認できる。
発光のパターン化による暗号連絡の確立。これにより情報伝達の速度は飛躍的に上昇した。
戦争中、魔王はこれを大いに活用し、人間との争いを優位に進めていた。
魔王……。
魔族たちを力という紐で束ねていた統治者がいなくなった今、誰が、どうやって紐を握れるだろう?
あるいは誰が、団結の号令でもって人間たちが再び鳴らす軍靴の音をかき消せるというのだろう?
かつての王国なき領地には回帰しえない。魔王が、世界を変えてしまったのだ。
「あの、何を伝達しますか? 無言で立っていられても、その……」
過去と未来に馳せていた思いは、突然に引き裂かれる。
まだ何も知らない伝達役のオーガが、額に生えた小さな角を搔きながら、迷惑そうに執政役を見ていた。
「……」
────
オーガ領は魔王城より、各地に伝達がなされた。内容は以下のとおりである。
魔王死す、至急参集されたし。
王国の歴史上、いちばん長い日々が幕を開けた。