第九十話 新たなる一歩
―――昨晩、フィリップ邸、収監仮病棟の一室にて
「…ぐぁぁ…ぐっ…はぁ、はぁ…」
「………」
「…がぁぁぁ!! アルレフレクスゥゥ!!」
―がばっ!
熱にうなされながら、悔しげにアルの名前を叫び、
フォーゲルは急に上体を起こした。
「…ここ…は…?」
「目が覚めたか、フォーゲル。ここは収監所兼病棟だ」
フィリップは、まだ状況を
理解できていないであろうフォーゲルに静かに告げる。
「…びょう…とう…」
フォーゲルは周りを見回し、
自分の体を確認すると、
ふっと目をつむり、笑いながら言葉を続けた。
「…そうか…私は負けたのか…はは…わはは…」
自嘲するように笑い始めたが、
次第に悔しさがこみ上げ、
拳をベッドに叩きつけた。
「がぁぁぁ!!」
―ドンッ!
「…それで、負けて惨めな私の姿を見に来たというのですか? フィリップ様?」
「違う! 武人を馬鹿にするような趣味は我にはない!」
「では、なぜ、わざわざここに?」
「単刀直入に言おう。フォーゲル、私の専属の執事にならないか?」
その言葉にフォーゲルは目を見開き、
唖然とする。そして、しばらくの間があり、
「…はは…あはは…それはいい、冗談もそこまでいけば立派に笑えますな…私は惨めな敗残者ですよ。それを、なぜ、登用されるのですか? それに…私はあなたを…」
そこまで言いかけたフォーゲルの言葉を、
フィリップは遮って語り出す。
「今まで、おまえが我をどう思ってきたかはどうでもよい。我はおまえの能力と、今まで研鑽してきた努力を見てきた。その強さは一朝一夕で得られるものではあるまい。だが…我も貴殿も、兄とマルタン家の長年にわたる毒に侵され、歪んだ権力の渦に巻き込まれていた…その結果、今回の事態を招いてしまった。…おまえを巻き込んでしまったことを、すまないと思っている」
「………」
「おまえが、どうしても拒否するというのなら、私は引き下がろう。…だが…もしその気があるのなら、共にこの歪みを払拭するために、我に仕えてもらえないだろうか?」
「…ふふ、ははは。お忘れですか、フィリップ様? 私がリーゼルを攫い、クロード様にお渡ししたことを」
その言葉にフィリップの表情が一瞬曇る。
しかし、彼はそのまま口を開いた。
「…知っている。だが、そのことも含めて…お互い前を向いていかないか? 正直、私にもその件について含むところはある…だが、それを乗り越えなければ、一生このまま、足踏みするだけではないのか? そうは思わないか?」
その言葉に、フォーゲルの顔には驚きが浮かぶ。
「…ふふ。お変わりになられましたな、フィリップ様…いや、変わられようとしているのですね………わかりました。この身が必要とあらば、あなたに従いましょう。今日から私は、フィリップ様の忠実な執事としてお仕えいたします」
―――時は朝の続きに戻り、
「…その件はそれで分かった。話を戻そう。それで、マルタン家はどうなるんだ?」
「…まだ審議中ではありますが、お取り潰しにはならないでしょう。ただし、何らかの処罰は免れないと思います」
「まぁ、そうだろうな…」
フォーゲルの話にオレはそう相槌を打った。
その後、フィリップが説明をし始めた。
「…もともと、取り潰す意図があるならば、三年前の暗殺事件を公にしていたでしょう。しかし、それをしなかったのは、マルタン家を残す判断をしているからだ。我が家は影響力が強大で、代わりを務められる他貴族がいない。…領主もそれを承知しているため、譴責に留め、我が家を支配下に置きながら影響力を抑え、他の貴族たちへの影響力を削ぐ狙いがあるのだろう。我はそう見ている」
一同はフィリップの冷静さと鋭い洞察に、
しばし言葉を失っていた。
「お、おまえ、すごいな…」
「なにがだ? この程度は我らの世界では、当たり前だぞ」
「………」
いや、こいつは一体どこまで先を見てるんだ…
普通の貴族なら、
もっと慌てふためいて責任のなすりつけに走るところだぞ…
そう考えていると、
セネカも小声で俺に話しかけてきた。
「すごいね…フィリップさん。さすが貴族って感じなのかな?」
「いや、あいつが普通じゃないだけだ…」
そんな会話をしていると、
フィリップが話を締めくくった。
「…今後、領主様とクラウス様の報告次第でどうなるかは分からぬ…が、大きな変更があるとは思えぬ」
そう言って話を終えようとしたとき、
ふと気になったことをフィリップに尋ねた。
「そういえば、クロードやフォーゲルの兄、フィーゲルはどうなるんだ? それに、フォーゲルはどうなる?」
「…兄上は謹慎させられるだろう、その後は父上の判断に委ねられる。フィーゲルは三年前の毒殺の件が公にはなってはいないが、内々に何らかの罰は下るはずだ…フォーゲルについては、我が何とかする。それでよいか? フォーゲル?」
「はっ。フィリップ様のお心のままに従います」
「…随分しおらしくなったな」
「フィリップ様も変わられようとしている。ならば私も変わらねばな…そういう事だ」
「…そうか」
その柔らかで穏やかな言葉に、
フォーゲルの本気が伝わってきた。
そして今度こそ話が終わろうとした時、
セラが話しかけてきた。
「…なぁ、フィリップ。その…気になってたんだけど、結局聞けなかった『リーゼル』さんって人について、話してくれるか?」
「………」
リーゼルの名を出した途端、
フィリップもフォーゲルも口をつぐんでしまった。
「…ご、ごめん…言いにくいよな。亡くなってる人のことを聞くなんて…悪気はなかったんだ、すまない、フィリップ…」
「…いや…亡くなってはいない」
「え? それってどういう…?」
フィリップは遠い目をしながら、
静かに話し始める。
「これはフォーゲルも知らぬことだ。誰かに話すのは…これが初めてだ」
その言葉に、フォーゲルは驚きを見せた。
「だが…あれを生きていると言えるのか、私にも分からない」
そう語るフィリップの表情は、
重苦しい影が差していた。
「どういうことなの!?」
「………」
セラに詰め寄られ、フィリップは何かを思案した後、
覚悟を決めたように話す。
「…明日、リーゼルがいる場所へ案内しよう。そこで全てを話す…いや…むしろ、皆の知恵を借りたいと思っている」
「…わかった。必ず…な」
「ああ…よろしく頼む…さて、話も終わった。今日は皆の者、各々好きに過ごしてくれ。警備隊には我の方から連絡をしてある。存分に羽を外してくれ。街へ繰り出すのであれば、馬車を用意しよう」
フィリップがそう言うと、各々部屋へと戻るのだった。
オレもセネカと一緒に部屋へと戻るのだった。




