第七十八話 星空の下、窮地至る
オレたちは、「セラは我が邸宅の別邸に連れて行かれたはずだ」と
フィリップの言に従い、屋敷を出て向かっていた。
すでに夜になり、暗闇に包まれた中、
アルとセネカ、フィリップ、クロミアは
急ぎ足でフィリップ邸から別邸へと向かっていた。
手に持つランタンの柔らかな光が
周囲の影を揺らめかせ、不気味な静けさを照らし出す。
周囲には夜の虫の声がかすかに聞こえ、
時折風が草を揺らす音が耳に入った。
セネカが先頭を行き、
心臓が高鳴る音が彼女の耳に響く。
その音は、彼女の緊張感をさらに増幅させるかのようだった。
クロミアはその後ろをしっかりとついていくが、
少し緊張した表情を浮かべている。
フィリップは彼らを引き連れながら、息を切らしつつも焦りを隠そうとしていた。
オレは先を急ぎたい気持ちを抑えつつも、
休憩室でのフィリップの話を思い出していた。
―――回想
「…なぁ、クロードは何故、セラをさらったんだ?」
その問いにフィリップは苦苦しい表情を浮かべしゃべりだす。
「…リーゼルの時と同じだ…兄上は極端な貴族至上主義で庶民を恐ろしく蔑んで見ている…たぶん、貴族である、わたしがセラと親しい間柄だと感じたのであろう…そして、今夜のセラが披露した歌にも問題があった…」
「どういうことだ?」
「セラの歌が素晴らしすぎたのだ…それで、すべての貴族の注目の的になってしまった…ただでさえ、兄上の異常なまでの自己陶酔…あれは、もう病気といってもいい…それ故、己以外が褒め讃えられるのが許せなかったのだろう…そこに持ってきて、セラは庶民…兄上の自尊心を揺さぶるには十分過ぎたのだ…すまない…兄上の暴走を止められなかった…」
「…それは、クロードの性質のせいであって、別にフィリップのせいではないだろう。それは謝る必要なない」
アルの言葉を聞いたフィリップは驚き、目を大きく見開いた。
「卿は我に憤っていたのではないのか? それを、何故?」
その的外れな問にアルはため息をしつつ答えた。
「はぁぁぁ…オレが怒っているのは、オマエが力づくでセラをさらって幽閉しようとしたことについてだけだ。おまえらの兄弟喧嘩になんて興味なんてない。ましてや、クロードが身勝手な理由で暴走しセラをさらったことの方が、腸が煮えくり返っているよ! この点については、おまえのせいじゃない。そこは勘違いするなよ」
「アルレフレクス…」
「さぁ、もたもたしてたら、セラが危ないっ! 案内してくれフィリップ!」
「わかった。案内する。ついて参れ!」
フィリップが先陣を切ると、皆、それに続いた。
―――
暗闇の中、足元もおぼ使い状態では
走ることもままならないため、
夜目が利くセネカに先導してもらっていた。
事細かに、足元に注意を払ってくれるセネカに
感謝しながら、オレたちは急いだ。
「…しかし、フィリップ。おまえ、謝るだけで、言い訳はしないんだな」
その問に即座にフィリップは答えた。
「言い訳をしてなんになる。われは罪を犯した。今までも…犯していた…言い訳をしたところで、それが消えてなくなる訳ではない。なら、言い訳など無用。無粋なだけではないか…」
その答えにアルは驚く。
なんだ、こいつ、今までのイメージと違いすぎて、びっくりする。
潔ぎがいいというか…なんというか…
もっと、言い訳を並べ立てて、「オレは悪くない」とかいうかと思っていた。
オレのはじめのイメージは鼻持ちならない嫌な奴だった。
欲しいものは何が何でも手に入れてやるみたいな?
セラも、そんな感じを受けていたのだろうが、貴族だと
いうことで、気後れしていた感じだった。
それが、話してみると案外いいヤツで良識的だ。
フィリップは過去の過ちをしっかり受け止め、
素直に謝罪している。
とはいえ、貴族臭だけはくっそ高いけど…
それでも、人を見下し辱め貶める貴族に比べれば、
遥かに好感を持てる。
元々、性根はいいのだろう。
ただ、貴族特有のねじ曲がり歪んだ誇りが、
他者を見下させ、こいつを狂わせていたのかもな。
だが、今はそれもなくなって、
本来の意味での貴族の誇りを取り戻したようにオレには見えた。
はは…思い込みで人を見ていたとは、オレも人のことは言えないな。
上辺の人間性だけで、人は分からない…
それを、これから気をつけるべきなのかもしれないな。
それに、もし、オレが逆の立場だった場合、オレは
こいつのように素直に言い訳もせず、謝れるのだろうか…
…無理かもな。
オレは言い訳を並べ立て、自分の主張をしてしまいそうだな…はは
「ははは…」
「な、なにが、おかしい? われの言になにか笑われるようなことがあっただろうか?」
「いや。わるい。ちょっと、自分の思慮の浅さにおかしくなっただけさ。はは」
「そうか…」
フィリップは何を言っているのか分からないかんじで返答した。
そして、アルは小さく独り言を呟いた。
「…セラが許したのも少しはわかった気がするわ」
…と。
「さぁ、急ごう…」
オレがそう言った瞬間、
セネカが素早く手を挙げ、
オレたちを静止させた。
彼女の鋭い目が辺りを警戒している。
まるで獲物を狙う鷹のようだ。
「止まって…」
セネカが低く呟く。
その様子を見て、
クロミアさんもすぐに集中し始めた。
そして…
「…これは…参りましたね…」
クロミアさんが困惑の表情を浮かべ、
焦りの色が滲む。
「どうかしたんですか?」
オレは尋ねる。
「アルさん…わたしたちは囲まれています…」
その言葉を聞いて、
オレは即座に戦闘態勢を整え始めた。
「セネカっ!」
「わかってる。ヤクト エスタ」
セネカが呪文を唱えると、
オレもそれに続いた。
「セネカ。フィリップを頼む」
「うん、任されたよっ!」
そしてクロミアさんはスカートの中に
隠していた小瓶を手にした。
その動作は無駄なく、
まるで長年戦場で鍛えられた手練れのようだ。
…何取り出したんだ…この人…
最近、クロミアさんはまるでビックリ箱のように感じる。
何が飛び出してくるかわからない。
しかも事が起こるまで何も言ってくれないから、
心臓がドキドキする。
しかも、その「何か」が大抵、
予想外すぎて困るんだ…
「な、なんですか、その小瓶は…」
オレは思い切って聞いてみた。
「え…あ、これは…」
その時だった。
闇の中から冷たく低い声が響いた。
「…いけませんねぇ、フィリップ様。貴族たる者が、そのような下賎な者と行動を共にするなど、わたくしとしましては到底感化できません」
その声に、フィリップは硬直する。
「…フォーゲル…」
フォーゲルは暗闇の中から姿を現し、
冷ややかな視線を向けた。
「野良ねずみが一匹紛れ込んでいるとは思っていましたが、あなたでしたか。アルレフレクス様、納得いたしました。下民は所詮、地を這い回り、逃げ隠れするのがお似合いですね」
「フォーゲルゥゥゥッ!!」
アルの怒りの叫びにもかかわらず、
フォーゲルは冷静だった。
「私は言いましたよね。このまま帰って頂ければ何もしないと。覚えていますか?その後に私が言った言葉を…」
「…ああ、覚えているさ。だが、倒されるのはオマエだ! フォーゲルッ!」
その言葉に、フォーゲルは高らかに笑った。
「わはは。面白い冗談だ。最近では一番笑える冗談だぞ。さて、ここにいる皆様、罠にはまっていることを理解していますか?」
と、フォーゲルが指笛を吹くと、
茂みに潜んでいたフィリップ邸の警備隊、
すなわち『クロード親衛隊』が姿を現した。
…ざっと見積もっても、6,70人はいる…
たぶん、全体をみると、
100は超えているんじゃないかと思える…
「くくく…あなた方は罠にかけられたのですよ。玄関前で潜んでいる時から手はずは整えてみました。まさか、ここまで予想通りになるとは思ってもみませんでしたよ…わははっは」
フォーゲルは勝利を確信したように笑い続けていた。
「さて、辞世の句は書き終えましたか? それでは、宴を始めましょうか? 皆様よろしいでしょうか?」
その言葉に、一同は身構えた。
「…っと、わたしとしたことが…フィリップ様。どうぞ、こちらへ。クロード様がお待ちかねですよ」
「く…フォーゲル…この期に及んで、わたしがその指示に従うとでも?」
フィリップの声には、
揺るぎない決意が感じられた。
その姿に驚きつつ、オレは疑問を口にする。
「フィリップ…それで本当にいいのか?」
オレは、何故そこまで強い意志を持って
兄に逆らおうとするのか、理解できずに尋ねた。
しかし、フィリップの顔にはためらいはない。
「…いいのだ。もう、兄上の影に怯えるのは終わりにする。それに…もう『リーゼル』のようなことは二度と繰り返したくない! だから、セラを助け出すぞ、アルレフレクス!」
その言葉には、過去に起こった
何か大きな後悔が重くのしかかっているようだった。
フィリップの強い決意を感じ、オレは力強くうなずく。
「…ああ、了解だ! 司令官!」
フィリップの姿勢にオレは励まされ、
さらに緊張感が高まった。
しかし、そんなオレたちを前にしても、
フォーゲルは冷静だった。
彼は「やれやれ」といった表情で
ため息をつくと、淡々と告げた。
「…やれやれ…残念です…では、そこの下民共々、ここで終わりにさせて存じ上げまするよ…では…皆様方、お楽しみ下さいませ」
そうして、オレたちは戦闘に入ることとなった。




