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ム限焉転  作者:
第二章 可能性の世界
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第四十三話 密やかな魔術行使

 午後の大通りは、静けさの中に

 穏やかな活気が漂っている。

 石畳の道は人影もまばらで、

 通りを歩く数人の姿が影を長く引いている。

 遠くから教会の鐘の音がかすかに聞こえ、

 風に乗って木々の葉擦れの音が耳に心地よい。


 パン屋の軒先からはほんのりと温かい香りが漂い、

 道端の花売りが咲き誇る花束をゆっくりと整えている。


 猫が一匹、のんびりと日向ぼっこをしながら道を横切り、

 通りすがりの人々の足音だけが静けさをわずかに乱す。

 午後の陽光がやさしく街並みを照らし、

 日常の安らぎが静かな街角に息づいている。


 そんな穏やかな午後の一時に似合わない

 騒々しい声が聞こえてきた。


「だ、だれか!! その人をつかまえてぇ…」


 オレとセラは巡回の途中でその声を聞きつけ、

 何事かと顔を見合わせる。

 二人は同時に頷き、

 すぐに声のする方へと足を向けた。


 通りの先には、ひったくりをしたらしい男がいた。

 男は小柄だが、素早く動き、

 手には明らかに女性のものと思われる

 革の鞄を握りしめている。

 犯人の服装はみすぼらしく、髪は乱れ、

 その目は警戒心で鋭く光り、

 瞬時にこちらに気付いたようだ。


 男は一瞬、怯んだかと思うと、

 次の瞬間には石畳の道を駆け出していた。


 セラはすぐに反応し、

 軽やかに地面を蹴って追いかけ始めた。

 オレも続けて男を追う。

 犯人は通りを曲がり、小道へと逃げ込む。

 その先には、市場の一角が広がっている。

 群衆の中に紛れ込み、追跡を逃れようという魂胆だ。


 それを見たオレは、「ヤクト エスタ(魔術行使)

 魔術発動の呪文を誰も聞こえないように、

 小声で唱えた。


 そして、ダレにも気付かれないよう、風魔法を使う。

 それは、犯人の右足には空気の密度を高め、

 左足には密度を薄め、感覚がズレを起こして、

 転ばそうとした。


 その結果、犯人は突如として足元に不安定さを感じる。

 右足と左足の感覚がずれ、

 重心を維持するのが難しくなり、

 驚きと混乱が入り混じる。


 そして、バランスを崩して転倒する。

 先行していたセラはすぐにその隙を見逃さず、

 駆け寄って犯人を取り押さえた。


 そして、奪われていたカバンは女性に渡した。

 すると、女性は「ありがとうございます」

 と感謝の言葉を繰り返すのだった。


 その感謝の言葉にオレたちも

 「いいえ、これも仕事ですから」と軽く答えると、

 セラとともに男を引き立てて、近くの駐屯所へと向かった。


 そして、オレは「ヤクト アスタ(魔術放棄)」と

 また、小声で呟いたのだった。


 この世界では魔法も魔術も存在しないとされている。

 もしオレが魔術を使えると知れたら、

 面倒なことになるのは目に見えている。

 だから、オレは目立たないように風魔法を選び、 

 慎重に行使している。


 そこで一つの疑問が湧いた。

 何故、魔術が使えて、魔法は使えないのか?

 そして、その理由らしきものに気づいたのは、

 前の世界でクロミアさんの魔術本にあった

 「魔法は開いた紐、魔術は閉じた紐」

 という一文からだ。


 開いた紐は次元を超えられないため、

 この世界に魔法は存在しない。

 一方、閉じた紐の魔術は次元を超えられる。

 だから、この世界でも魔術なら

 使えるかもしれないと考えたんだ。


 ただし、問題は魔力量だ。

 この世界では魔力の回復が遅い。

 たぶん、魔力が薄いのだ…


 それがオレには感覚で分かった。

 だから、極力消費を抑えるよう心がけ、

 少量での魔力操作の練習を重ねてきた。

 その結果、今回の逮捕も成功したというわけだ。


 ただ…今の魔術、よくよく考えたら

 呼吸器系周辺に使うと…

 まったくもって、そんな使い方は

 趣味じゃないし…したくもない…


 まぁ、でも、実際は戦闘や生活でも

 必要なときには魔術を使っている。

 もちろん、誰にも気づかれないように

 細心の注意を払っている。

 とはいえ、毎回使うわけにはいかないから、

 火をつける時とか、少し面倒な時にだけ使っている。


 ―――

 

 オレたちはひったくり犯を捕まえた後、

 警備隊駐屯所に戻った。


 警備隊の駐屯所は、

 町の中心部からやや離れた位置にある。

 石造りの頑丈な建物が並び、

 高い柵と見張り台が配置されている。

 

 入口には二重の門があり、

 昼間は片側だけが開いている。

 門の上には警備兵が数人配置され、

 交代で監視している。


 駐屯所の中央には詰め所があり、

 その周囲には武器庫、馬小屋、訓練場がある。

 詰め所の上階には指揮官の執務室と作戦会議室、

 下階には食堂や寝室、装備品の保管庫がある。


 中庭では、警備兵たちが訓練を行っており、

 剣や槍の練習が続いている。

 牢屋には捕縛された犯人が一時的に収容され、

 厳重な監視が続けられている。

 駐屯所の周辺には市場があり、

 夕方には買い物に来た兵士たちで賑わっている。


「せんぱ~い、お手柄ですね!」


 軽い口調で話しかけてくるのは、

 一つ年下の後輩「プティ」だ。

 小柄で164cmほどの身長、栗色の短髪が特徴的で、

 人懐っこい顔つきに、少しキツネ目の目元が印象的だ。

 体は訓練で引き締まっているが、

 全体的に細身で、オレと特にセラには懐いている。


 プティはいつもエネルギッシュで、

 何かとオレに話しかけてくる。

 彼の明るさが、駐屯所の雰囲気を少しだけ軽くする。

 実際、彼がいると場が和むことも多いが、

 時には少々騒がしいとも感じる。


「いやいや、セラが頑張ったおかげだよ」


 そう答えると、プティはさらに調子に乗って、

 口を尖らせる。


「さっすが、セラさんもアルさんも最高のコンビですねぇ! ほら、オレも何か手伝いますよ。なんなら次は、俺も一緒にひったくり犯を追いかける練習でも…」


 彼の話しぶりに、セラが苦笑いを浮かべながら

 小さく肩をすくめる。


 セラもプティのことを嫌いではないが、

 その無邪気さには時々手を焼いているようだ。


 その時、横から乾いた声が割って入る。


「おい、あんな小物捕まえて調子に乗ってんじゃねぇよ。ケッ」


 ギスバルだ。彼は二十歳で、

 少しヤンチャな雰囲気を持つ先輩だ。

 身長は185cmはありそうな大柄な先輩だ。

 顔は…俗に言う輩系だ…

 彼の声にはいつも、どこか挑発的な響きがある。

 ギスバルは腕を組み、冷たい視線をオレたちに向けている。

 彼の口元には軽蔑の笑みが浮かんでいる。


「別に、オレは調子に乗っている訳じゃありません。ただ、街の安全を守っているだけですよ」


 オレはギスバルの挑発的な態度に対して、

 内心で苛立ちを覚えつつも、冷静に対応した。

 ギスバルは鼻で笑いながら、

 今度はセラにいやらしい視線を送る。


「まあ、セラちゃんがいなかったら、どうせあの小物にも逃げられてたんだろうよ。まったく、お前らには頼りないことこの上ないなぁ」


 セラはその視線に気づき、眉をひそめるが、

 言葉には出さない。彼女は冷静さを保ちながら、

 ギスバルの目をまっすぐ見返す。


「ギスバル先輩、私たちはただ、任務を果たしているだけです。それに、いくら小さな仕事でも、失敗は許されませんよね?」


 ギスバルは一瞬言葉に詰まるが、

 すぐに口角を歪ませて言葉を放つ。


「おお、そうかい。まあ、女の子がそんなに頑張ってるのを見るのも悪くねぇけどな」


 ギスバルの視線は、

 セラの全身をいやらしく舐めるように移動する。


「で、セラちゃん、今夜はどうだ?オレと一杯やりに行くか?」


「先輩、それはさすがに無礼ですよ!セラさんはそんな誘いを受けるような方ではありませんからね。次の巡回で追い出されかねませんよ?」


 プティの言葉は少し冗談めかしているが、

 その中に確かな警戒心が感じられる。

 ギスバルの態度に対する明確な非難の意を含んでいる。


「ギスバル先輩、仕事中ですから、そのような話題は控えてくださいね」


 オレはやんわりとたしなめるが、

 ギスバルは意に介さなかった。


「おっと、こりゃ失礼。けど、なぁ、セラちゃん。あんなカタブツとばかり一緒にいると、息が詰まるだろう?」


「いいえ、大丈夫です。アルはとても頼りになりますし、私には充分です」


 セラが静かに答えると、その言葉に、

 ギスバルの顔色が少し変わる。

 彼の軽薄な笑みが一瞬だけ引きつり、

 次の瞬間には、再び挑発的な表情を取り戻す。


「チッ、まあ、いいさ。オレはいつでもセラちゃんの相手をしてやるからな」


 そう最後に言い捨てて、

 ギスバルは立ち去る。


 プティはその背中をじっと見つめて、

 軽くため息をつく。


「ホント、ああいう人、いなくなればいいのに。先輩、なんか方法ないっすか?」


「さぁな、あんまり深く関わらない方がいいだろう」


 オレたちは顔を見合わせ、セラが小さく息を吐き出す。


「ああいう人、時々いるけど…本当に面倒ね」


 セラはぼそりと呟く。

 プティも同意するように頷きながら、

 軽く肩をすくめる。


「でも、次の巡回が待ってますから、気を取り直していきましょう!」


 プティの明るい言葉に、

 オレたちは微笑み、再び街の巡回に向かうのだった。

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