第十八話 貴族
夕方前、デグロー子爵の豪華な馬車がシエル村の広場にゆっくりと入ってきた。
馬車は鮮やかな赤と金の装飾で彩られ、
見る者の目を引いた。
車輪の音が石畳に響き渡り、
村人たちはその音に振り向く。
馬車の扉が開くと、まず現れたのは豪華な羽飾りがついた兜をかぶったデグロー子爵だった。
彼は堂々とした態度で馬車から降り立ち、
広場の中央に設けられた臨時の演壇に向かって歩き出した。
「あー、我、テオドル・デグローが来たからには安心して欲しい。魔獣などという害獣は、すぐにでも排除してみせよう」
四〇代半ばのデグロー子爵の鎧は、
普通の兵士たちが着る実用的なものとは一線を画している。
全身を覆う鎧は、豪華な金の縁取りと鮮やかな赤いエナメルで装飾されていた。
頭には羽飾りがついた豪華な兜をかぶり、
実用性よりも美観を重視したデザインだ。
全体として、彼の鎧姿は派手好きで尊大な性格が如実に表れている。
「そして、今隣にいるのが我が息子、クラウス・デグロー男爵である。今回の魔獣討伐の指揮を彼に任せるつもりだ。皆、彼の指示に従うように。よいな。では、息子よ。挨拶をせよ」
「はっ!」
デグロー子爵の息子、クラウス・デグロー男爵は、
父親の影響を受けて育った十七才の青年で、既に男爵の位を持つ。
彼の鎧は父親ほど豪華ではないが、
それでも一見して高貴な生まれであることがわかる。
クラウスの鎧は、深い青色を基調とし、
所々に銀の縁取りが施されている。
腰には鋭い剣を帯びており、
その柄にも銀の装飾が施されている。
クラウスの体格はがっちりとしており、
その鎧姿は一見すると非常に有能で頼もしい指揮官のように見える。
しかし、彼の動きや態度からは、実際の戦闘経験の少なさと、
父親譲りの尊大さが垣間見える。
とはいえ、その外見だけは見事であり、
遠征隊の中でも一際目立つ存在となっている。
「皆、安心するがよい。このクラウス・デグローが指揮を執る限り、魔獣ごとき我らの敵ではない。我らが持つ精鋭の「黎明の守護騎士団」だけで…」
―――
シエル村が魔獣の襲撃を受けた翌朝、ファルニール領の領主館の執務室にて、
ローラン・バーデンシュタット侯爵宛に
シエル村での魔獣襲撃の報告書簡が届けられた。
事態の早急な解決のため、シエル村方面の統治を任されている
テオドル・デグロー子爵に対し、
速やかに事態の収束に務めるよう書簡を早馬で送った。
それを受け、翌日にテオドル・デグロー子爵は
息子クラウス・デグロー男爵と「黎明の守護騎士団」
30名を率いて出立することになった。
―――ガラガラガラ
「何故、わしがこのような辺境の村に遠征せねばならんのだ!」
いかに領主様から拝命を賜ったとはいえ、
わざわざ何もない村に遠征に赴かなければならないことに、
テオドルは納得がいかなかった。
「ま、まぁ…これも統治者としての努めなのですから…」
「うるさいっ! そんなことくらい、わかっておるわっ!」
「お分かりいただけて、恐縮です…はぁ」
側近の侍従であるアルベルトは、
何度目かになるテオドルの愚痴にほとほと嫌気が差してきていた。
「まぁまぁ、父上、覇気を抑えてくださいませ。この不肖、クラウス・デグローが数日中には、父上の胸中の煩わしさを取り払って差し上げますれば」
クラウスの言葉には、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
しかし、その笑みの背後には、
彼の本心が見え隠れしていた。
彼は魔獣の脅威を軽視し、
自分の功績を挙げることにしか興味がなかった。
「おお、よく言った! さすが、我が息子よ! しかし、おまえは魔獣の恐ろしさを理解しておるのか?」
「恐ろしさ? 父上、そんなものは大げさに言われているだけでしょう。なんでも、子供が魔獣を押さえ込んだと聞き及んでおります。そのような相手、私が率いる騎士団がいれば、すぐに片付くことでしょう」
「しかし、そのような油断が命取りになるのだぞ、クラウス」
「ご心配なく、父上。我が「黎明の守護騎士団」があれば、どんな魔獣もひとたまりもありません。今回は功績を立てる絶好の機会です、父上。私がシエル村の魔獣を討ち取り、デグロー家の名をさらに高めるのです」
「よくぞ、申したっ! そなたを指揮官とし、必ずや魔獣を討伐してみせよ!」
「はっ! 必ずやご期待に添える働きをご覧に入れましょうぞ」
「お、お待ちください。警備隊との連携も…」
「うるさいっ! もう、決めたことだ! それともワシの命に背くと申すか!」
「い、いえ…けっして、そのような…」
アルベルトは一歩後退りし、視線を落とした。
彼の顔には心配の色が浮かんでいた。
クラウスの自信過剰な態度と、
テオドルの即断による無謀さが彼を不安にさせていたのだ。
それだけではなく、若輩であるクラウスが指揮を執ることにより、
警備隊との確執が生まれるのではないかとの懸念も捨てきれなかった。
アルベルトは胸の内で葛藤を抱えながらも、
内心の不安を胸に秘めるしかなかった…
―――
「…すぐにでも魔獣を討ち果たしてみせよう。警備隊などの助けは不要だ。我々だけでこの地を守り、栄光を手に入れるのだ!」
デグロー子爵の演説が終わると、
広場に集まっていた村人たちはしばしの静寂に包まれた。
彼らの表情には不安と疑念が交錯していた。
豪華な鎧をまとった子爵とその息子の言葉が、
現実の恐怖を払拭するには不十分だったからだ。
村人の反応は様々だった。
眉をひそめ、不安げに頭をかきながら「本当にあの方々で大丈夫なのか…」や、
子供を抱きしめながら心配そうに周りを見渡す者、
「俺たちの命がかかってるんだぞ! 無理なことをするな!」と大声で叫ぶ者もいた。
演説を聴き終わったクロミアは、
前にアレンが言っていた懸念が現実となったことに深い溜息をついた。
「はぁぁぁ…」
アレンが前に言っていた懸念が当たったようね…
アレンもアレンで予想より酷い有様に辟易している感じね。
そして、その余りにも目に余る貴族の言動にクロミアが不満を口にした。
「…なにあれ? バカが何か言ってるわよ、アレン」
「何考えてんだ、あのバカ子爵は! あんなガキに指揮を取らせるとか正気か? 話を付けに行ってくる!」
アレンは子爵の采配に危機感のなさと無謀さを感じ、
呆れ果てるのと同時に憤りを感じて子爵に物申しに向かおうとしていた。
そのアレンの行動にクロミアは引き止める。
「無駄よ。あの手の貴族が一度言いだしたら、痛い目を見ない限り、決定は覆りようがないわよ」
アレンは立ち止まり、クロミアの冷静な声に耳を傾けた。
彼女の言葉には真実が含まれていた。
貴族の頑固さと自尊心が
、彼らの判断を容易には変えさせないのだ。
「でも、このままじゃ村の人たちが危険にさらされる」
「それはわかってる。でも、私たちができることは、彼らが失敗する前にサポートすること。彼らの愚行で犠牲が出る前に、私たちが動くしかない」
「その提案には、オレも賛成だ」
アレンたちの近くで演説を聞いていたデュランがクロミアの提案を聴き、同意する。
「そうね、どうせ異論を唱えにいったところで、クロミアさんが言うとおり決定は覆らないし、不快な思いするだけよ」
オーレリアンもアレンたちの近くで演説を聴いていて、
クロミアの意見に賛同した。
「ま、そういうことだ。ということでオレたちはこれまで通りにやっていこうや、アレン」
アレンはしばらく考え込み、やがて深いため息をついた。
「わかった。でも、何かあればすぐに動く準備はしておこう。彼らの無謀さが村を危険にさらす前に」
クロミアたちは静かに頷いた。アレンの決意に同調し、
自警団の仲間たちもそれぞれ準備を始めた。
村の安全を守るために、彼らは一刻も無駄にせず、行動に移る決意を固めていた。