地獄の猛特訓
平和ボケした国に生まれ、剣なんか握ったことなかった俺が、『伝説の勇者』と呼ばれたじいちゃんの亡霊に出会って数時間。地獄のような猛特訓も、そろそろ終わりが見えてきた。
《まだまだぁ! ヘルメス、詰めが甘いぞ!》
実体のない『幽霊』のじいちゃんは、俺に触れることができない。だから口頭で指示を出すのだが、それがまた、「腕の振り方が違う」だの、「もっと腰を落とせ」だのと、なかなかに厳しかった。
「じ、じいちゃん……そろそろ休もうよ……」
《何言ってる!? おまえには、もう、あまり時間が残されてないんだぞ? こうしているあいだにも、あの囚われたお姫様は、可哀想に、闇の王のもとで……》
そうだった。俺は、国王夫妻の一人娘である王女様を、闇の王の魔の手から一刻も早く救い出すべく、こうして剣の腕を磨いているのだ。時は金なり。いまの俺に、ゆっくり休んでいる暇なんてない。
「もう一回、お願いします!」
《おう! その意気だ! この調子なら、今日の日付が変わる頃にはC級野生動物を倒すまでには成長するぞ!》
「……って、こんなに頑張って、まだC級かよ! それも今日の深夜!」
《何言ってるんだ。これは、ものすごい成長だぞ? 喧嘩の『ケ』の字も知らなかったおまえが、この短時間で、C級の野生動物まで倒せるようになった――ということだからな。おまえは、もっと自分を誇っていい。おまえは才能があるよ》
まあ、そう言って褒められるのは、悪い気はしない。これも、やはり、18歳の誕生日に受ける一族の『洗礼』のおかげなんだろうか?
「ねえ、じいちゃん」
ひとつだけ、気になったことを彼に訊いてみる。
《なんだ?》
「じいちゃんってさ、なんで死んだの?」
これは、勇者云々とか諸々を知る前から、長年、疑問に思ってきたことだ。
俺のばあちゃんは、子ども(つまり俺の親父)を産んでまもなく、夫を事故で亡くした。それから女手一つ、雨の日も風の日も働き続けて、一生懸命子どもを育ててきた。子どもは、やがて大きくなって妻を娶ったが、その子どももまた、赤ん坊が生まれるとすぐに亡くなってしまった。一家3人で行った南国旅行での船の事故だった。赤ん坊だけが助かったのは、泣いてぐずって、船に乗るのを嫌がったからだ。彼は『乗らなかったから』助かった。けど、船に乗った彼の両親は……。
あのとき、泣いてぐずったりせずに、素直に船に乗っていたら、どうなっていたのだろうと思う。彼も、両親と一緒に死ねたのだろうか。それとも、一家3人とも助かる道があったのだろうか。
じいちゃんのことだって、そうだ。あのとき、じいちゃんが妻と子どもを残して死んでいなかったら、ばあちゃんはこんなに苦労する必要なんてなかったのではないか? じいちゃんがそばにいたら。そしたら、もっと早くから、ばあちゃんを守ってあげられたのではないか?
《お、うまそうな『まんじう』だな》
「ちょっと。話、そらさないでよ!」
まんじうの話なんて、いま、どうだっていいだろ! 俺が聞きたいのは、そんな話じゃなくて……。
《俺は、この、まんじうが大好物でな。ひとつ、もらっていいか?》
「別にいいけど……死んでるのに、どうやって食べるの?」
《なあに。訳はないさ》
じいちゃんは、そう言ってサッと腕を振りかざす。次の瞬間、じいちゃんの手には、ばあちゃんお手製のまんじうがひとつ、握られていた。
カバンを見る。ひとつ、ふたつ、みっつ……減っていない?
《簡単なことだ。ヘルメスは、俺の墓に『お供え物』をしたことがあるだろう? その『お供え物』は、霊体を通じて、俺のもとに運ばれる。だけど現物がすっぱりなくなるわけじゃない――それと同じことさ。だから俺も、そこに「俺に食べさせたい」と願ってくれる人間がいる限り、同じものが食べられるってわけだ》
そ、そうなのか……。
《というわけで、早速、いただくぞ。やっぱり、ジョアンナの作るまんじうは美味いなあ》
さっき、かすめ取ったまんじうをおいしそうに頬張るじいちゃん。よほど、美味いんだな。まあ、ばあちゃんの作ったまんじうなのだから、それも当たり前だけど。なんかちょっと悔しいのは何なんだろう。
《タロウは、まんじうが嫌いだったなあ。わかるか? おまえの、お父さんのことだぞ》
嬉しそうに食べていたじいちゃんが、急に物憂げな顔になって思いつめたようなことを言うので、ちょっと面食らった。
「父さんの……、こと?」
じいちゃんは頷く。
《タロウ。東洋の英雄たちにあやかって、強い子に育ってほしいと思って二人で付けた名前だけれど、どうも、うまくいかなくてなあ。あの子は、どうにも喧嘩が弱くって、剣の腕もからっきしだった。それでも、優しい子には育ったけどな》
東洋の英雄……ちょっと聞いたことがある。
「それって、3分しか戦えないっていう、伝説のヒーローのこと?」
《ん? 何のことだ?》
「あれ? ちがうの?」
じいちゃんが言うには、東洋の英雄というのは、モモという果実から生まれたヤツとか、クマを相手に稽古した少年、村一番の力持ちの男なんかのことらしい。
《まあ、それはともかく、俺は、残してきた息子と妻が心配でしょうがなかった。未だに成仏できずにいるのは、そのためさ。ジョアンナにも苦労をかけて。俺は、本当に、ダメな亭主だよな……》
いままでの豪快さとは打って変わって、ガックリと肩を落とすじいちゃんが、俺は気の毒でしかたがなかった。
「何言ってんだよ! じいちゃんは、死んだあとも、ばあちゃんや俺たちのことをずっと見守ってくれていたんだろ!? じいちゃんは、ダメな亭主なんかじゃない!! じいちゃんは、最強で、最高の、じいちゃんだよ!!」
《ヘルメス……》
「じいちゃんは、俺のことを心配して、俺に稽古までつけてくれた。稽古は厳しかったけど、強くもなれたし、俺は感謝してるんだ。じいちゃんがいなかったら、今頃、闇の王にコテンパンにやられてた――そうだろ?」
肩は叩けないけれど、肩を叩くふりをする。
すると、じいちゃんは、ちょっと元気を取り戻したみたいで、ニイッと笑って言った。
《ヘルメスも、だいぶ自信がついたみたいだな》
言われて気づく。そういえば、いま、俺は何て言った? “強くもなれたし、感謝してる” って? マジか?
「てゆーか、いい話で終わろうとすな!! 俺の質問は!? 俺の質問はどうなったんだよ!!!」
いけない、いけない。雰囲気に流されて、肝心の質問の答えを聞き逃すとこだった。
《質問……? そんなのあったか?》
「あったよ!! けど、じいちゃんが、話、そらしたんじゃん!! じいちゃんが死んだ理由。まだ聞かせてもらってないよ」
《そうか……。それ、聞いちゃうか……》
じいちゃんが、急に声のトーンを落とす。え。なに。もしかして、聞いちゃいけなかった?
「なに。聞いちゃダメなの?」
《いや、そういうわけじゃないんだけどな……うん……まあ、いいか。わかった。話してやろう。じいちゃんが死んだのはな》
――実は、『まんじう』を食ったからなんだ。
え??? まんじう???
まんじうを食って、死んだ? どういうことだ? ていうか、まんじう食ったくらいで、人って死ねるのか?
《じいちゃんが、まんじうを好きすぎたのがいけなかったんだ。まして、あの頃は、国じゅうで英雄扱いで、それこそ毎日のように手紙や差し入れが家に届いてな。その中に、件のまんじうもあった。何の疑いもなく食べたよ。思えば、それが間違いだった。あの、まんじうの中には……》
「まんじうの、中には……?」
じいちゃんは、そこで、目を伏せた。
《あの、まんじうの中には……『毒』が入っていた。俺は、それを知らずに食べたんだ。英雄扱いでいい気になっていた俺を妬ましく思ったヤツがやったのか、それとも別のヤツなのか、それはわからない。けど、ひとつ言えるのは、俺は毒入りのまんじうを食って、あっけなく死んじまったということ。まだ22歳だった。子どもも生まれたばかりで、人生これからと思っていた矢先のことだ。ああ、人生ってのは、こんなにもあっけなく終わってしまうものなんだなあと、しみじみ思ったよ》
俺は、早くに死んだじいちゃんを一時でも恨んだことを、強く後悔した。じいちゃんは死にたくて死んだわけじゃなかった。むしろ、もっと長く生きたいと思っていた。その証拠に、いまも成仏できずに、亡霊としてこの世をさまよっている。俺や、俺の父さん、ばあちゃんたちを見守るために。
「じいちゃん……ごめんな」
《おまえが謝る必要なんてないだろう。謝るとしたら、じいちゃんのほうだ。ごめんな。守ってやれなくて、いっぱい苦労もかけて、本当に、悪いことをした》
謝らないでよ、じいちゃん。そんなの、俺まで悲しくなってくるじゃんか。
《さ、湿っぽい話はナシだ! 俺たちには泣いている暇はない! 囚われのお姫様を助けに行かなきゃならないんだからな。ヘルメスも、だいぶ力がついてきたし、そろそろ敵陣に向かうぞ》
「おう!!」
俺たちは気持ちを切り替えて、ハイタッチ――実際にはできないので、した “ふり” だけど――を交わす。
じいちゃんが指笛を鳴らすと、どこからか、翼の羽ばたく音が聞こえて、1匹のペガサスと、羽根が生えたユニコーンが飛んできた。
《こっちは、俺の相棒のペガサス。そっちは、コイツの友達のユニコーンだ。これに乗って行こう。振り落とされるなよ》
そう言って、じいちゃんは軽々とペガサスにまたがる。伝説では、ペガサスもユニコーンも凶暴だというけれど、じいちゃんは相棒をすっかり手なずけてしまっている。
俺はというと……早速、凶暴なユニコーンちゃんに苦戦させられていた。
《何やってんだ! しっかりつかまれ! 絶対に放すんじゃないぞ!》
「う、うん……!」
俺は、じいちゃんの言うままに、なんとかユニコーンの首に飛びつき、絶対に振り落とされないようにしがみつきながら、じいちゃんとペガサスのあとを追った。
この先を進めば、闇の王のアジトが見えてくる――さあ、いよいよだ。