英雄の子孫はもう英雄です
「勇者よ。よく来てくれた」
ヘルメス・アルフェラッツ・ミルファク、18歳。なんのとりえもない、ただの一市民だが、なぜか王様の命を受けてここにいる。
その理由が……俺が『伝説の勇者』だからだと!?
意味がわからない。勇者とは、悪い魔王やモンスターを討伐するために身を挺して戦う正義のヒーローのはずで……俺はもちろん、戦いなんかしたことないし……そもそも、争いも喧嘩もない『へーわ』なこの国で、戦うなんてこと、最初から必要ないのだ。
「あの、失礼ですが、『勇者』とは……?」
「もちろん君のことだ、勇者殿」
って聞いてねえし。
「あなたのおばあさまから聞いておりませんか。亡くなられたおじいさんのサー・ユピテル・ミルファクという人は、我が国をあの忌まわしき闇の王から救った、それはそれはすごい英雄なのですよ」
今度は、王様の代わりに、王妃様が答える。なんだって。俺のおじいさんが?
「ですから、英雄。あなたに折り入って頼みたいことがあるのです」
「いや、俺は英雄じゃ……」
「英雄の孫は、もう、英雄です。わかりましたね、英雄?」
……こっちも聞いてないし。
「実を言うと、おじいさんのサー・ユピテルが50年前に倒したはずの闇の王が、ほんの数日前、どういう因果か、『復活』してしまったのです。それだけではありません。我が愛する一人娘のメリダが、お付きの者がちょっと目を離した隙に、その闇の王の手下というヤツにさらわれてしまいました。どうか、英雄、娘とこの国を救ってはくださいませんか。報酬なら、いくらでも払います。頼れるのはあなたしかいないのです」
そんなこと言われたって、俺には無理だ。だって、生まれてこのかた、剣を握ったことも、戦ったこともないんだから。
「英雄~、お願いしますぅ~」
知らないよ。ていうか、英雄じゃないし。
「頼むよ~、勇者殿~」
勇者殿でもない!!!
「大体、闇の王の討伐に行くなら、俺なんかより、もっと腕の立つ人間が行ったほうがいいんじゃないですか? 闇の王って、結構強いんでしょう?」
「『へーわ』なこの国で、腕の立つ人間なんかいると思う?」
うむ。それはそうか……。
「だけど、俺には無理です!! だって……俺は……ただの平凡な一市民だし……生まれて18年、喧嘩したことも野生動物と戦ったこともない。剣を握ったことすらないんですよ? そんな俺が、闇の王を倒せるなんて、到底思えません」
弱気な俺に、王様は、にやりと笑って言った。
「勇者殿……諦めたら、そこで試合終了だよ?」
こうして、流されるままに、俺の闇の王討伐が決まってしまった。
今日は18歳の誕生日なのに。散々なバースデーである。
戦うったって、剣も持ったことのない俺にどうしろって言うんだよ……。
* * * * *
家に帰ると、ばあちゃんが俺の大好きな『田舎まんじう』を用意して待っていてくれた。
まんじうとは、穀物を挽いて作った粉を練って蒸し上げた菓子の総称だ。誤解されやすいが、まんじうであって、まんじゅうではない。まあ、東洋の島国には『マンジュウ』という名のよく似た菓子があるらしいが……。
「おかえり、ヘルメス。おまえの好きな『まんじう』できてるよ」
これが、俺のばあちゃん。御年68歳。両親を早くに亡くした俺を、女手ひとつで育ててくれた人だ。料理ができて、頭も良くて……孫の俺が言うのもなんだが、美人だ。そんな大好きなばあちゃんが、俺の、たったひとりの家族なのだ。
「それで、王様からのお話ってなんだったの?」
「ああ、それが……」
闇の王討伐のことを話すと、ばあちゃんは、これはじっとしていられないとばかりに立ち上がる。
「まあ。それじゃあ急がなくちゃ。待ってて、いま、取ってくるから。ああ、そうそう、お弁当も持っていかなくちゃね。田舎まんじうを持っておいき。平気さ、いつもより多めに作っておいたから。腹が減っては戦はできないって言うもんね」
「あ、あの、ばあちゃん」
俺、まだ行くって決めてないんだけど……。
ばあちゃんが持たせてくれたのは、地下の倉庫に眠っていたという、昔、じいちゃんが使っていた伝説の装備だった。重たい鎧と、俺の身長の半分くらいある大きな剣、我がミルファク家の紋章が描かれた盾。若干、赤茶けているのは経年劣化した証拠だろう。それと、1週間分くらいは軽くありそうな、大量の『田舎まんじう』……いくらなんでも、こんなにたくさんは食べられないよ……。
「あと……ほら、これ」
そう言って差し出したのは、古びたメダルに、赤くくすんだリボンのような布がついた『勲章』だった。
「これは?」
「遠い昔、おまえのおじいさんが、闇の王と戦い、わたしを救い出してくれた――そのことを称えるために、当時の王様が贈った、我が家の家宝だ。きっと、おじいさんがおまえの身も守ってくれる。だから、持ってゆきなさい」
ばあちゃんの言葉からは、じいちゃんへの、感謝とか崇拝とかそんな陳腐な言葉じゃ表せないくらいの、並々ならぬ想いが伝わってきた。
「おまえは、あのおじいさんの孫だから。きっと、この国もこの町も救ってくれるよ」
ばあちゃんは、そう言って優しく笑う。
だけどね、ばあちゃん、俺はじいちゃんじゃないんだよ。じいちゃんみたいに偉くも、強くもない。俺は本当にただの平凡な市民だから。
ばあちゃんが、この国の元王女だと知ったのは、つい先程の話である。
まさか、あの、たくましくて、ちょっとおっちょこちょいな、ばあちゃんが……庭にもぐり込んできた野生動物だって、軽くやっつけちゃうような、ばあちゃんが、だよ? まさかお姫様だなんて。信じられない。
でも、考えてみると、いろいろ腑に落ちる部分はある。
たとえば、俺が王様に呼ばれて城に向かうことになったとき。王様の前に出しても恥ずかしくない服装を用意してくれたのは、ばあちゃんだった。こういうときのために、洗練された仕草や言葉遣いを教えてくれたのも、ばあちゃん。失礼のない振る舞いをしつけてくれたのも、ばあちゃんだった。
言われてみると、顔も、どことなく、王妃様に似ているような……?
王妃様は先代の王様の娘で、ばあちゃんの姪にあたる人、だという。ちなみに、あのちょっと頼りない王様は婿養子だ。ばあちゃんが先々代の王様の娘で、先代の王様の妹なら、王様と王妃様の娘は俺のはとこということ? うわあ、王女様が親戚! それもまだ信じられないよ!
ちっぽけな俺が、闇の王を倒せるかどうかはわからない。
でも、どうにかしてあの子を助けたい。まだ顔も見たことがない王女様。俺のはとこでもあるあの子を、なんとしても救い出すんだ。
* * * * *
決意した俺は、とりあえず、剣を握って振り回してみることにした。
そして、案の定、バランスを崩して倒れこんだ。
やっぱり、たったひとりで戦うなんて無謀すぎたか。でも、『へーわ』なこの国で剣術を生業にしている人なんて、そうそういそうもないし……。
勢いで飛び出してきたけれど、もう無理かもしれない、そう思ったときだった。胸につけていたじいちゃんの勲章が、突然光り輝き、ボヤッとした影を作り出した。
声が聞こえる。
《ふん! そんなへっぴり腰じゃ、闇の王なんて倒せないぞ!》
誰かいるのかと思ったけれど、辺りを見回しても誰もいない。
《こっちだ。よく見てみろ。ここにいるだろう》
じっと目を凝らしてよく見ると、ぼやけた影の向こうに、誰か、恰幅のいい男が立っているのが見えた。俺と同じ鎧――まだ真新しくて、鮮やかな青い塗料がピカピカと光っている鎧――を身に着けている。
「ま、まさか、俺のじいちゃん!?」
《そうだ。孫よ。こうして会うのは初めてだな》
じいちゃん……。かつて、この国を救った英雄。勇者とも呼ばれたその男が、いま、俺の目の前にいる!? なんで!?
《その前に、誕生日おめでとう、ヘルメス》
「あ、ありがとう……って、そうじゃなくて! 説明しろよ! じいちゃん!」
じいちゃんっていうか、見た感じはどう見ても二十歳くらいの若い男だが。
《一説によれば、我がミルファクの一族の男は、18歳の誕生日を迎えると、『洗礼』を受けるという。ヘルメスはこのたび、めでたく18歳を迎えた。それで、なんらかの『洗礼』を受けたのだろう》
へ、へえ……そうなんだ……って、なんだよ、それ! 初めて聞いたよ!
《それと、もうひとつ。いま、おまえが身に着けているそれだ。おまえは、おばあさんから、俺の『形見』である装備一式を譲り受けた。特に、その勲章。そいつは俺の勲章だ。これらの『モノ』に宿る想いが、きっと、俺の魂をおまえのもとへ導いてくれたのだろう。言っている意味はわかるな?》
わかるけど……まさか、そんな……そんなことが、本当に起きるなんて……。
《少々オカルトチックだとは思うが、まあ、そういうこともあるってことだ。だけど、ヘルメスにとっては、却って良かったんじゃないか? 闇の王を倒すための剣術を指南してくれる人間が欲しかったのだろう?》
そう言って、じいちゃんは思わせぶりに笑う。
「ま、まさか、じいちゃん……」
《剣術の指南役に、かつて国を救った『伝説の勇者』本人に来てもらえるなんてこと、そうそうないからなあ?》
じいちゃん!!! 俺、あなたの孫でよかったと、いま、心から思うよ!!!
《そうと決まれば、特訓開始だ! 俺の指導は甘くないぞ!》
「はい!!」
こうして、俺と――幽霊? 亡霊? になったじいちゃんの、地獄のような猛特訓が始まった。
待ってろ、闇の王。絶対におまえをぶちのめしてやるからな!!!