78 他人事の神
三十分。それで本当に、失った左手首が生えきった。
「魔法っていうのはなんでもありなのか」
手首を回しながら言う。さっきまで千切れて無くなっていたとは思えないほどの出来で、いっそあの激痛は夢だったんじゃないかと思えてしまった。
「なんでも、じゃありませんよ? 俺の場合は、色々できるように作られたので」
「そうか。まぁ、なんにせよ助かった。茂美たちのことも」
「いえいえ。アランさんが出ている間はこの路地の辺りに光を屈折させる場を作って、ここを秘匿してました」
また、さらりととんでもないことを言ったな。魔法でステルス技術を上回れるときたか。
「あっ! しーちゃん!」
明るい声がやって来たと思えば、茂美に抱き付いた。
「ヒカリちゃん! 無事だったのね!」
「な、なんか分からないけれど、記憶が飛んでて、遠くにいたわ。ガーベラちゃんが、ここだって教えてくれて……」
茂美が抱き締めると、二人で胸を押し潰しあって、ヒカリは赤面した。
「し、しーちゃん……」
「なぁに?」
「なんか……ドキドキする……」
「うふふ。そうなの?」
「…………しーちゃん」
「なぁに?」
「好き……」
「……うふふ。私も好きよ。ヒカリちゃん」
そうして、抱き締めあったまま、唇を重ねた。
おい。なんでキスした。ただの幼馴染だろお前ら。まさか。
「……ヒカリちゃん。ハーレムに入らない?」
「え。ハーレム?」
「そう。中心はアランさんだけど、みんなで仲良くまぐわるのよ」
言い方をどうにかしろ。言い方を。
というか――サークル感覚で誘うな――。
「アランさんなんだ」
「でも、ここの皆は仲良しだし、本部の子たちもみんな仲良しよ。ね? アランさん」
「まぁ……そうだな……」
死ぬほど仲良しなせいで、ハーレムはまるで自壊する気配がない。どう控えめに言っても険悪とは言えんな……。
いや、本部ってなんだよ。
「だから、ヒカリちゃん。怖いことなんかなんにもないんだから、おいで?」
「しーちゃん……」
それはそんな反応にもなる。カルト宗教の誘い方だろ。というか茂美、ハーレムをカルトだと思ってないか?
だがこれだけ胡散臭ければ、さすがに怪しんで入らないかもしれない。
「うん。入る。ふつつか者ですが、よろしくお願いします。アランさん」
入ったな。でも、なんだろう。もう驚かない。そんな気はしていた。そういえばコイツ、元から陰謀論者だったな。ちょっとでも疑いを抜けたらスルスルと騙されるタイプだ。
だからって、スルスルとハーレムに入ってこんでいい……。
「め、めでたく! めでたく恋人いりだ……な。よろしくお願い……する。ウォスです」
とても不安定な語尾で、ウォスが手を差し出したので、ヒカリは強く握り返す。
「可愛い……。よろしゅうね。ウォスちゃん」
「しゅう?」
「あ……」
ヒカリは「やだ」と顔をポッと赤くする。前から少し口調が変だと思っていたが、訛りを誤魔化していたからだったのか。
「な、なんでもない。えっと、よろしくね」
「ん……さっそ」
「ヒカリ~っ」
シャーリーがウォスの言葉をぶった切って、ヒカリに抱き付く。どうやら、茂美やウォスがどう関わっているかを観察して判断しているらしい。言葉が分からなくても、賢いな。
「あらぁ……。愛らしゅうござり……」
言葉を切り、彼女は周りを見ないよううつ向いたまま固まった。ちょっと油断するとヨタカの方言が出るらしい。
「ヒカリ。エッチ~」
「はぇ!? なん……しーちゃん?」
「話すと長いの。シャーリーはまだ言葉を勉強中なのよ」
「あの……」
この間にも変な声を合間合間に挟み込んで、喋ろうと挑戦し続けていたウォスが、ついに右手で、指が曖昧に折れたままの挙手をした。
「はい」
「いや、まぁ、早速で……だけど。ヒカリ」
「どうしたの?」
「……おしりを叩いてくれない?」
ウォスが上着の背後をめくり上げ、冗談みたいなヒモパンツの尻をヒカリに向けた。
なにやってるんだお前?
「え。なんで?」
「き、きもちいから……」
「そ、そう……じゃあ……」
ヒカリはしゃがみこみ、怪力をうまく加減して叩くと、小気味いいパァンという音と、「ぉんっ」というウォスの奇妙な声が響き、小さな尻が波打った。
「ぶっ……く……へへへへへへへへ」
ヒカリが急に笑い始める。なにかツボに入ったらしく、どんどん笑い声が大きくなっていった。
「も……もっかい……」
「へへ……は……ふふっ……はい……」
もう一度、尻の音を響かせた。雨に濡れた石の街の、珍しく暖かい空に届いて、こだまのように帰ってくる。
「うへはははぁ! ひ~……あははははぁっ!」
ヒカリがもうダメになった。声すら出ない笑いと声の出すぎた笑いを交互に繰り返している。
ゲラか……。
すっかり忘れていたが、ずっと黙っている病がその光景を、嫌悪感優勢の『信じられないものを見るときの顔』で見ていた。
一方で茂美や親切屋は、ホームビデオでも見るかのように微笑んでいる。
これは……なんだろう。新種の地獄かな……。
まぁ、あまりピンと来てはいないだろうが、世界の破滅から免れたと嬉しくなっているのかもしれんな。
……世界の滅亡から免れてまずすることがケツを叩いて笑うことか……。
「……すまんが、また行ってくる。あと少し後始末したら、今度こそローズマリーへ向かおう」
「分かったわ。行ってらっしゃい、アランさん。……うふふ」
「…………」
路地から出て、「ガーベラ」と呼ぶ。
来たのは、獣人の方だった。黒い上着を脱いで、ベルトで全身を巻いた白いニット姿になっている。上着に隠れて見えなかったが、見覚えのある工具と、何かも分からない工具が、ベルトにぶら下がっていた。悪魔は来ない。
「はーい……あっ! 治ったね!」
彼女は俺の右手を取り、柔らかい指先でさすってくれた。
「ああ。あの魔法、俺も使いたいもんだな」
「あ~……それは難しいね。アランさんはここの出身じゃないでしょ? だったら、魔法のための構造というかを持ってないと思う」
「知っている。ずいぶん前だが、俺には魔力とやらが一切無いそうだ」
すぐにステイシーたちの元へ行こうかと思ったが、彼女が歩き始めたので、その隣についた。話好きに、少しは付き合ってやるか。
「ついでに世界中も見たのだけれど、伝説は綺麗に消えてたよ」
「木っ端微塵か」
「うぅん。文字通りの消滅。たぶんだけど、伝説は世界と共に生まれたものじゃなくて、誰かが作ったものだと思う。勇者殺しは……伝説が暴走したときに備えての保険だったんじゃないかって思うんだ」
「保険?」
「うん。壊れた伝説に埋まっていた、伝説を消すスイッチだったんだね。絶対に起こっちゃいけないことを、終わりの合図にするのは道理だよ」
「たまたまそれを切った、って訳だ」
ガーベラが「そうだね」と笑う。
今まで気付かなかったが、彼女の笑い方もまた、ソフィアに似ていた。というより、彼女の父親に似ているのか。
「ガーベラ」
「どしたの?」
「お前の母親は、男なのか」
そう問うと、彼女は驚いた顔をして、それからシュンと耳を伏せる。
「いや、答えなくてもいい。反応で大体わかった」
「……ん。ありがとね、気遣ってくれてうれしい」
また、笑った。コロコロ表情が変わるな、お前。
「ステイシーの元に連れていってくれるか」
「はーいっ」
そうして風景が変わると、今度は王都の路地だった。目の前に、ガーベラの黒い上着の前を過剰に閉めたステイシーと、モーニングスター神父がいた。
「来ましたね、アランさん。ニコ」
「大丈夫だったか、ステイシー」
「お陰さまで、不特定多数に美少女全裸をお披露目するハメになりました。どう責任とってくれるんですか。プン」
相変わらずの無表情だが、怒っているらしい。まぁ、それもそうだな。また雑に使ったわけだし。
思えば、殺し屋生活の中でここまで協力してもらったことなど一度もない。異世界に来て、協力者以上に助けてもらったのが、まさかゾンビとはな。
何も言わない内から、ステイシーを抱き締めた。
「こう責任を取る。詫びと、報酬代わりだ」
「…………キュンさせに来ないでください。はーれむ侍らせ上から目線キモキモ太郎のクセに。ドキドキ……」
「俺からお前に、他にしてやれることもないからな。……助けがいるなら、いつでも言え」
そう言うと、彼女はそっと離れた。
「すみません。ちょっと、これ以上はナシで」
「そうか。すまん」
「いえ。……マジで別れたくなくなるので。本当の恋はしたくないのです。シュン」
彼女はまた、表情も変わらないクセに顔を見せないよう背を向けた。
「異世界転移したら、そうそう同じ世界に戻られることはありません。無限にある世界を渡り歩くというのはそういうことです。そういう意味では、不死身のみーでも、ずっと死に続けているのかもしれませんね」
「だったら……」
危うく、ハーレムの輪を広げるようなことをいいかけ、口をつぐんだ。
……いや、今はもう、何人だろう、たぶん十五人弱いるな。もういいか。ステイシーなら来ないかもしれないし。
「……だったら、一回一回を生きればいい。短い人生でも、長い人生でも、そうやって生きるものだろ」
「その生を終わらせる人にそう言われるとは思いませんでしたね。というか、それって告白のつもりですか。ジロ」
「いや、この回はお前には相性が悪いんだろう。次回からでいい。異世界転移したくないと思えるように、生きてみればいいんじゃないか」
「ケッ。やはり上から目線ですね。上から目線なので、実はだいぶ恋してましたがノーカンです。プイ」
ステイシーは後ろを向いたまま、首を振って髪を揺らしてみせた。以前より恋されてるのか。
ふと横を見ると、ガーベラが頬をピンク色に染めて、イタズラっぽく俺をじっと見ていた。その肩を小突こうとすると、彼女は笑いながら避ける。
モーニングスター神父が、いかにも疲れたように片手を肩に乗せ、首を捻って筋を伸ばした。
「天使使いが荒いと言われたことはないか」
「悪魔使いが荒いとは言われた」
「誰にだ」
「悪魔にだ」
「やれやれ。まぁ、お前なら何でも利用するか、殺し屋」
「そう言う割には、落ちてくるときに女神を蹴っただろお前」
彼はムッとして、俺を指差す。
「あ、あれはだな! そもそもお前があんな無茶ぶりをいきなりしてきたから、仕方なくそうせざるを得なかったのだ! 私の責任ではない!」
「……そういえば、あのポンコツには会ったのか。蹴ってから」
言うと、彼は苦々しげな顔をした。
「お前だったら、会いに行けるのか?」
「…………無理だな」
「なら聞くな……」
「今からアイツにも会いに行くが、来るか」
「……一応、行く。ちゃんとお前の責任であることを言うのだぞ。お前の口から」
ガーベラを見ると、彼女は頷いて、風景が変わった。
目の前に、あの黒い怪物がいた。
「な……!?」
全員が構える。だが目をよく見ると、赤い一つ目ではなく、黄金色の両目をしていた。
その足元では女神が、左手左足のみで、喧嘩しているときの子どもみたいな動きでバタバタしていた。
「やだ……やだぁ……! 殺したら世界消えるから……! 消えるもん……!」
顔をくしゃっとさせ、俺たちにはさっぱり気付いていない。
「…………悪魔。趣味が悪いぞ」
「ハッ! 殺し屋に言われるとはな」
彼は怪物の姿をやめ、知らない誰か、丸メガネの小男に変身した。
今のやり取りで女神が気付き、俺たちを見付け、また顔くしゃっと潰して泣き始めた。
「笑いに来たんでしょ! どいつもこいつもバカにしやがって! バカはぁ……アンタたちのぉ……! アンタたちの方がバカだもぉおん……!」
本格的に泣いていて、特に神父がオロオロとし始めた。とりあえず、大丈夫そうだ。
「ずっと悪魔とやりあってたのかお前」
「だって! だっでぇ! あいつがぁ……! あ"い"つ"が"先"に"ぃ”っ!!」
喧嘩を制裁された子どもみたいに悪魔を指差した。ステイシーが天を仰ぐ。
「……懐かしい気分にさせられましたね。ヤレヤレ」
「前に会ったときもこんな調子だったのか?」
「体感うん百年かうん千年前の話ですからほぼ覚えてませんが、実際に目の当たりにするとハッキリと思い出せます。今さらの言い訳ですけど、同じ顔のソフィアさんを見て思い出せなかったのは、このポンコツ囃子とは程遠い存在だったからです。フゥ」
「そういえば、そうか」
大泣きの波を過ぎたところで、しゃがんで女神と目線を合わせる。
「ソフィアの顔がお前と同じなのは、計画の最初の一人だったからか?」
彼女は泣きながら頷く。ずっと乱れた呼吸で「え……」とか「うひ……」とか声を漏らし続けていた。
「……そうか。で……まぁ俺に発情してくる奴らがいるのはまぁ、分かる。そういう計画だったからな」
だが、と言葉を続ける。やっと、気になってしかたが無かったことを聞ける。
「俺のターゲットに限って名前が変だという法則……。あれにはどういう意味があるんだ」
言うと、女神は頭にハテナマークを浮かべ、俺を見上げた。
「……知らない……けど……? スン……」
「え?」
「え……?」
嘘だろ。あれがコイツの仕業じゃないならいったいなんなんだ。
「ま、間違ったこと言った? 言ってない……」
「マイキー・マイク・マイケルとか、ダンビラポイント・タナカとか」
「し、知らないってば……ケフン……」
「お前じゃないのか」
「だって、そんなことしないといけない……ワケじゃないし」
「それは……そう……」
じゃあ偶然なのか。本当に? ただの偶然でこんなことになるか?
「じゃあどうして、親切屋はボー・ケンシャなんてふざけた名前をしてるんだ。てっきり俺は、アイツまでターゲットになるかと思ったんだぞ」
「だって、アイツは偽名じゃん。兵器なんだから名前なんかない……」
「あ……そうなのか……」
本当に偶然らしい。
えぇ……。
獣人ガーベラが、「はいはーい」と右手で挙手した。ウォスよりもハキハキと、指が伸びていた。
「ぼくもお話させて! ガーベラさん!」
悪魔は舌打ちで返事をした。しかし獣人は怯まない。
「ずっと気になってたんだ。ね、ぼくの名前って、ガーベラさんから付けられたんでしょ!」
「さぁ~どうだかなぁ」
「知ってるくせにぃ。ね、お父さん知ってる? よね? だってさっきお父さんの身体だったし。お話、聞かせてよ!」
「嫌だねぇ。なんの義理があって教えねばならんのだ?」
悪魔は嫌いなものランキング一位と二位だと言っていた。このままだとひと悶着ありそうだな。
そう思ったが、悪魔は気が変わったのか、なにか思い出した顔になって笑顔に戻った。
「ガーベラぁ。しかたない。教えてやろう」
「やった!」
「お前が逃げたあと、パパがどうなったか、知ってるか?」
「え。知らないけど……。ど、どーしたの?」
悪魔はすでに笑いをこらえきれないで、何度か台詞を言い直した。
「それが傑作なのだがな……くく……」
「……ウソ……。だいじょーぶだよね!? お父さん、捕まったり……」
「残念。異世界へ逃げた後、セックス三昧だ! フハハ!」
「え」
獣人ガーベラは一瞬喜びそうになったが、その父親の動向に困惑していた。
父親も父親かもしれんな……。
「えぇ……でも……えぇ……?」
「まぁ、お前のママはお前に逃げられ、愛する者に愛想を尽かされた挙げ句に、パパを寝取られたってワケだ。いい気味だな」
「それはそうだけど……」
それはそうなのか。いや、気持ちは分かるが、あの優しいガーベラを持ってしてもいい気味だと思わせるのか。あの怪物はきっと、叩けば叩くほどホコリが出る。
「たまには、会ってやるとしようかねぇ」
「……あ、あの、お願いがあるんだけど」
「なんだね」
「会ったら、ぼくはもう絶対に、帰らないって言ってくれますか」
「フン。下らん頼みだ」
「ついでに! お父さんに会ったら、早く会いたいって伝えて欲しいです!」
悪魔は微笑んで、獣人に顔を寄せた。
「そっちは、ぜぇ~~~ったいに、嫌だねぇ」
悪魔がパチンと指を鳴らすと、悪魔の姿が霧に包まれ、そして女神が喘いだ。
なにかと思えば、無くなっていた右手と右足が生えていた。まるで最初から失っていなかったかのようだ。
「……? ……??」
しかし彼女は頭の処理が追い付かないのか、何かぼうっとしていた。神父はそれに「なんと喜ばしいことでしょう」と励ましを入れる。獣人ガーベラはしょんぼりとしていて、ステイシーは肩をすくめていた。
というか、どこかに消えると思っていた悪魔はまだ普通に立っていた。
「と、思うだろう? お前にしか見えていないぞ、兄弟」
……そういえば、誰に見られるかを選べるんだったな、お前。
「ま、そういうことだ」
悪魔へ向くと、あのケモノの少年が、ヘラヘラと笑っていた。
心を読めるのか。なら、話が早い。お前にひとつ、聞きたいことがある。
「そーなの? いーよ。なんでもきいて?」
アイツは……あの怪物は、俺とどういう関係なんだ。
「やっぱりそこだよねぇ。トクベツに、教えたげるっ。でもその前に、先に聞きたいことがあるの」
彼は俺の目の前に来て、前傾姿勢で俺を見上げ、妖しい微笑みを湛えていた。
「――この世界の神になれるって言ったら、どーする?」




