74 帰宅タイムアタック失敗の殺し屋
ぶっ殺し続けてどれくらい経っただろう。女神は息を切らせ始めていた。
スクリーンからはまだ化け物たちが溢れ出てきていた。
「どうなってんの!? いつになったら終わんのっ!」
こっちの動き方を学んでいるのか、だんだんと複数人でまとめて襲いかかってくるようになってきた。それをひとまとめに殺すが、時おり意識に隙間ができたようになって反応しきれなくなり、危なくなる。
疲労を狙っているのか。だが女神に『逃げる』の選択肢はない。処理で精一杯で、そもそも選択肢があることを思い付けない。
「ちょっと、こんなシーンあった!?」
聞くと立ちすくむことしかできなかった病がハッとした。
「わ、分かりませんでも、だってこんなことは……え」
「なにっ?」
「魔封歴千三百年……!?」
あまりにもいっぱいいっぱいで、女神は聞き馴染みのない言葉を解釈できなかった。耳で受け取ったのは『まふーれき』という意味のない言葉だ。
「わかんない、なにっ!?」
「こ、暦が違います! これ、一万年前の出来事です!」
「一万年前!?」
一万年前といえば、自分がこの世界を発見して支配する少し前だ。この世界が壊された事件の頃だろう。いや――。
「――だからなんだっての!?」
女神の叫びに、病が固まり、ちょっとの間の後に扉を指差した。
「……逃げましょう!」
「あぁ結局そうじゃんもぉ!」
動ける化け物を吹っ飛ばしておき、病が開けていた扉を抜ける。彼女が閉めて鍵をかけると、扉を叩く音とドアノブを下ろそうとガチャガチャ鳴らし続ける音とが物凄い勢いで響き渡った。
「あっはは。ざまあみろバァアアカ!」
「よ、よかったですね……」
顔を合わせる。そのとき廊下の奥、突き当たりの角で誰かが走って転んでいた。
「え……社長……?」
病が呟く。この世界管理の社長だった。あの騒ぎを察してか、転ぶほど慌てた様子だ。
「面倒くさ。誤魔化すのは任せるから」
「はぁ……」
角から物凄い勢いでもう一人飛び出した。そうして、奥の壁に叩きつけられる。
「ちょ……ウソでしょ……」
「あ、ま、待ってください。あの飛んできたの……社員じゃないと思います……」
「え……」
ということは、化け物の方か。やられて飛ばされたのだろう。女神はほっとして、前傾姿勢で膝に手をついた。下着がわりの、垂らしただけの布が機能を放棄し、無自覚に胸をさらした。むしろ病の方が気付いて顔を真っ赤にしながら、指摘できずにもんもんとしていた。
そうそう。この私の作った神なんだから、世界管理は。簡単に負けたりはしない。ゾッとして損した。
叩きつけられた化け物が、ヨロヨロと起き上がった。見るからに瀕死だ。
「ひ……ぃいい……」
それなのに、どうしてか社長は怯えたまま、あの化け物を見ていた。
「あんな弱そうなのになに怖がってんの……?」
そう、思って見ていたら。化け物が社長の胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「わ、わからないっ! なにを返せばいいんだ! ちゃんと言ってくれ! なんでも……」
言葉の途中――社長の身体が、足元から絞られたボロ雑巾ほどに細く、一瞬で捻れ上がっていき、社長の胸から上が破裂するのと同時に周囲の壁や床が粉々に砕けた。
一瞬で瓦礫と肉の山となったあの場所に、怪物だけが無傷で立っていた。
「……ひ……ぁあ……」
病がその場で崩れて、脚を赤ん坊みたいにフワフワと動かし、いつまでも地面を蹴れずにいた。
一方で女神は黙して、冷たい絶望に包まれていた。
力を感じたのだ。皆殺し現場のあたりに感じた、ヘドロを空気にして肺一杯に吸わされるような、チューブで食道に古い泥を流し込まれるような、そんな嫌悪感のある場を。
あれだ。
アイツが、あの世界の、最初の支配者だ。
なんであんな瀕死みたいな動きしてんの。
「……権限っ!」
女神は踵を返して施設の中央――社長室へ向かおうとする。だが病は相変わらず腰が抜けていた。
「あ、あぁ……女神さま置いてかないで……!」
「じゃあ動きなさいバカ!」
言葉とは裏腹に、病の手首を乱暴に掴んで走り出す。病はほとんど転ぶように、どうにかその走りについていった。
「あの……なにを……」
「あの怪物が、ぜんぶ奪いに来たんだから、ぜんぶ返してもらう。ぜったいに奪わせない!」
あんな化け物に支配権を握らせたらどうなるか分かったものじゃない。
「ど、どうするんですか。社長は……死ん……」
「死んでも一瞬で世界が消えるワケじゃない。社長は権限を世界管理にロックする機能しかないの! アイツに盗られる前に取らなきゃ」
着くまでに、あの怪物が追い付いてくることはなかった。フラフラしているだけあって足は遅いらしい。
扉を閉め、大きな樫のデスクの中央に配置された管理機を起動する。管理権限を表示する。そこには管理されている物――生誕や風、マナの増減など――の一覧とその管理者が並んでいる。はずだった。
「…………」
目眩を覚え、まるで現実から剥離するような感覚に見舞われる。
管理者が、疫病の欄以外空白になっていた。つまり、世界管理株式会社の社員は、目の前で怯えているあの病だけしか生き残っていない。
というより――彼女以外は、すでに全員殺されている。
「ど、どうしたんですか……」
「……なんでもない」
病を気遣ってでもなく、うまく言語化できないために誤魔化した。全ての権限を自分へターゲットし、権限が移ったのを確認した。そして管理者システムをリセット……するまでもなく、女神は機械を拳で叩き壊す。
「よしこれで大丈夫」
「で、でも、さっきのがまた来たら……。返せって、きっと……」
「……返さない。いや、奪わせない。この世界は、この私の物だ」
遠くの異世界へ転移しようと思って、ふと気付き、とどまった。もし遠くの異世界へ逃げても、あの化け物たちも来られるかもしれない。この世界を一瞬で見つけ出したのだから。
困ったらどうするか。あのアランの手口を使ってやればいい。
「いくよ。あの世界へ」
「え、でも……」
「あの化け物はこの世界が大事なのに、ぶっ壊すようなことする?」
「……そう、ですね……」
そうして病を抱き、共に転移するのだった。
「もう大丈夫そう?」
ガーベラの問いに、頷きを返す。
あれから、大陸外で復活した神父をガーベラのワープで連れ戻し、あの子をステイシーに任せ、やっと帰ってきた。
ただ伝えて帰ってくるだけのことで、どうしてこんなに苦労しないといけないんだか。
「色々と済まない」
「いいの。お役に立ててうれしーよ?」
彼女は人懐っこく笑った。世界を壊したり平気で虐殺をしているような怪物からこんな子供が生まれるのだから、血の繋がりというのはよく分からんな。
「でも……ほんとにほっといちゃうの?」
「勇者か? 放っておく以外にどうするんだ」
なにか因縁ができたようだがどうでもよかった。これ以上巻き込まれる前に、意地でも、この大陸から逃げる。
この旅はそもそも神父からの逃走が目的だったが、もうモーニングスターは敵じゃない。帰らない理由がないのだ。もう帰ろう。
「それは……ん~……」
「とにかく俺は逃げる。もし縁があったらまた会おう」
背を向けて茂美たちの部屋へ戻る。
「え? み、港までいっしょに行こーよぉ……」
結局、ガーベラも着いてきた。
部屋に入ると、服を着た三人がテーブルで話していた……いや、シャーリーだけは言葉が分からず退屈そうだった。
顔を見た途端、酷いほどに疲労感が出た。彼女たちに出発の準備をしろと言ってから十分たっていないのが嘘のようだ。
「アラン、も、もういいのか?」
ウォスがおずおず聞いてくるので、ただ頷いた。
「さぁ行こう」
四人で部屋を出るとき、ガーベラと茂美が挨拶して、なにかを喋り始めた。例の皆殺し事件の真相のことのようだ。
それを背中で聞きながら歩いていると、階段でちょうど草むしりかなにかしていたらしい親切屋と再会した。
「アランさん。もう行くんですか?」
「ああ。女王はどこだ。これを返さないと」
ライフルの銃身を見せると、彼は下を指した。
「入り口のところです。大変なことになってるんですよ」
「そうか。大変だな。じゃあ俺はもう行くから……」
去ろうとすると、彼はさりげなく立ち塞がった。
「ほんとう、大変なんです。興味ありますよね」
「ない。俺は帰るぞ」
「ヒッピーとヴィーガンが大暴れし始めたそうなんです」
大暴れ、か。閉じ込められて不満が溜まったのか、はたまた……。
「押さえ付けとけ」
「それが……どうしてだか近所の人を一斉に襲い始めて、沢山の方が亡くなられたそうです。それはもう制圧されたとかで、オレが動く前にみんな……」
思わず彼の顔を見た。
ということは、皆殺しの伝説が起動したのか。
「……ガーベラ」
呼ぶと彼女は頷いた。
「次の勇者と魔王が生まれて、始まっちゃったみたいだね」
「始まった……ですか? 待ってください。文明が退化するのは、魔王のせいのはずじゃ……」
「知ってたのか」
思わず口を挟んだ。すると彼は曖昧に微笑んだ。
「アランさんこそですよ。勇者と魔王が現れるとこの大陸が退化するのは、一部の人間だけですけど知ってるんです。それを阻止するためにオレが作られたんですが……。結局、そのためにものすごい資源を投じて、しばらくは文明が止まってしまったんです」
「つ、作る……?」
親切屋が人間じゃないとは踏んでいたが、まさか人工物とは恐れ入った。
俺が頭を抱えるか否かの間を見てガーベラが一歩、親切屋へと寄った。
「実はね、その伝説すらもう、壊れちゃってるんだよ。もう魔王という役割の存在がいなくても、文明が退化するって部分だけ実行されちゃってるんだ」
「そんな。止める方法はないんですか」
彼女は悲しそうにうつむいた。
「……ぼくには、分からないよ。ぼくが止められるのは、この次。今回のは……」
親切屋はうつ向いて、それからキッと顔を上げた。
「止める方法を探します。ね、アラ――」
「俺は帰るが?」
言葉を遮った。口をパクパクさせている親切屋だけでなく、ガーベラや、茂美たちの視線も深く突き刺さる。
知るかそんなもの。ただの殺し屋が、勇者だ魔王だ伝説だの戦いに参加できるか。
「世界を修理している奴が無理って言ってるんだから無理に決まってるだろ。立ち向かうな逃げろ」
「ですが、みんなを見捨てるなんて……」
「俺はな、ただの人間なんだぞ。お前は超人みたいに動けるんだろうが俺は違う。ちょっと運が悪ければあっさり死ぬ。それが世界の終焉だかなんだかに立ち向かえる訳がない」
「……分かりました。そうですよね。無理を言って、すみませんでした」
「よし。とにかく俺は港へ行くからな。来るなら来い」
親切屋だけじゃなく、他の者たちにも言い放ち、振り返らず階段を下りた。困惑に近い、全員のゆっくりとした足音が着いてきた。
そうして城の入り口に行くと、ティア姫が仁王立ちで外を眺めていた。
「ティア女王」
「まぁ。アランさま。解決なさいましたか?」
彼女が俺の抱えたライフルを見て言う。差し出すと、子を抱くように大事に受け取った。
「お陰さまで。仲間が襲われて危なかったところを止められました」
「狙撃の方は……」
「ほとんど狙わなくても、胴体に当てられました。……二倍以上離れた相手の尻にも」
厳密には同じ相手に二発だが、一発で殺せなかったことだの、勇者を射殺しかけたことだので話がこじれそうなので誤魔化した。
それを知っているガーベラは、ただ気まずそうに目をそらさせていた。
「うふふ。敵をオモチャになさったのですね。ああ、アランさまとともに罪人狩りをすれば、どんなに素晴らしいか……」
彼女はそう言って、不意に顔を赤くし、乙女のようにうつ向いた。
「……これは。もしかして……恋なのでしょうか」
「勘違いですよ」
「そう、でしょうか? ですが、このように切ないような気持ちになって、……このように心臓が高鳴るのは、銃器だけでしたし……」
「偶然ですよ偶然。いま狙われたりしませんか?」
言うと彼女はハッとして、ライフルを構えて背後を見る。こんな言葉を真に受ける奴がどこに――。
彼女が引き金を引いた。遠くの高所で、倒れて落ちる人影と、共に落下するライフル銃が見えた。
本当に狙われてたのか……。
「もう。最近はハエが多くていけません。つい先程も、ヒッピーやヴィーガンが暴走したと報告があったばかりなのです。それで胸騒ぎがして、私はここで将来を憂いておりました。来る、魔王との決戦に向けて」
「大変ですね。じゃあ、もう行きます」
彼女はどちらかと言うと唖然として俺を見ていた。
「やはり、行かれるのですか」
「ええ、それはもう。あとは勇者に任せます。ただの人間はやられないよう避難しないと」
「ですが、アランさま。あなたほどの腕が立つ方が戦いの助けとなってくだされば……」
「もし死んでしまったら、まだまだあるアイデアが闇に消えますよ」
俺の頭を人差し指でトントンと叩きながらそう言うと、彼女は親切屋のようななんとも言えない表情で頷いた。
「そ、それはその通り……ですわね。それでは、また」
「はい。また会いましょう。陛下」
もう来ないからなとまた心の中で毒づき、彼女を尻目に城を出ていく。すると、後ろからパタパタと足音が追ってきた。
「アランさまっ」
「どうしました」
「危うく、渡し損ねてしまうところでした」
彼女は少し息を切らせ、両手で包んだなにかを差し出した。
「こちらを」
両手を皿にして差し出すと、ポトリと、一発の弾丸が落ちてきた。よく見れば薬莢が分厚く、側面に薄い彫刻があり、ティアとアランの名が並んでいた。
「うふふ。ライフルにはこめられませんが、ちゃんと撃てますのよ。せっかくですから火薬はパンパンにしておきました」
どうやら渡されたのは弾丸ではなく爆弾だったようだ。
「きっと、いえ、すぐにまたいらしてください。アランさま。ずぅっと、待っていますから……」
「……は、はい……」
たぶん、行かないと誘拐とかされるパターンだろう。なんでこんなことになっちゃんたんだ。本当に。誰か助けてくれ。俺はただの殺し屋なんだぞ。
胃がひっくり返りそうなストレスと共に、また城に背を向けて歩き出した。
そうして都を出て、また旅になって歩き続けて、日が沈んで明けて……。
ようやく大陸北部に差し掛かる。ここから東へ行けば崖を下ってノベナロ町方面から行ける。西へ行くなら一度北の雨の町を経由する必要があるが、東ルートより遠回りになるので行く意味はない。つまり、迷わず東へ行くべきなのだが……。
嫌な、予感がした。
雨の町で撃たれて逃げた勇者はどの方角へ行ったのだろう。普通に考えれば、まだ町に留まって治療なりするだろう。
だが、あのマグナム弾二発を食らって生きているらしい男だ。予想外のことをしでかすかもしれない……。
……いや、考えすぎだ。疑心暗鬼になるな。最速で逃げるんだ。
「崖の方から行くぞ」
「崖の方ですか? 坂の方からならもっと長く旅できますよ」
「いいね~。もっとお話しできるね~」
親切屋とガーベラが意気投合し始めたのを振り返って睨んだ。
「これからこの大陸がほぼ壊滅するってときだ。呑気なことをしている場合じゃない。行きたければ勝手に行け」
すると、茂美が少し怒った顔をして前に出た。
「アランさん? それはそうかもしれないけれど、言い方があるでしょう?」
「例え二人が西に行こうが、俺は東に行く。お願いなどしちゃいない」
「もう。こういうときには素直になりなさい」
シャーリーやウォスの世話をし始めたからか、妙に母親のようになっていた。
彼女の頬に手を添えて、息がかかるほどに顔を寄せた。
「どう思われても構わない。こんな危険な大陸から早く逃げる。そうしないと、お前たちまで巻き込まれるだろう。そうはさせない。――俺が守る」
「まぁ……!」
茂美の顔が赤くなり、身体をクネクネと恥ずかしそうにその場で足踏みをした。
「そ、そういうことなの、ボーさん、ガーベラちゃん。崖の方角で、お願いしていいかしら……?」
「分かりました」
「ん。おっけーでーすっ」
よし。あとは帰るだけだ。もしかしたら、ステイシーたちはもう崖を降っているところかもしれないな。
そうして、雨の町と崖の間くらいに差し掛かったところだった。
遠くに、見たことのある人影があった。誰だか分かった瞬間に、思わず脚を止める。
「どーしたの?」
ガーベラが聞いてきたが、俺の目線を追ってハッとした。
「え、えっ!? あの人って!」
彼女の声に反応し、遠くの影が走ってやってくる。逃げようにも、大人数を咄嗟に避難させる指示を出すことはできなかった。
「た……助けてください……!」
病だった。女神に天界へ連れ戻されたはずなのに、どうしてここにいるんだ。
とはいえ、あの周囲にウイルスをばらまく体質は消えたままのようだ。そこだけは一安心だった。
「どうした?」
平然を装って聞く。彼女の意図がわからない。ただ、大なり小なり俺を恨む気持ちはあるだろう。彼女が愛した者を奪ったあげくに殺しかけたのだ。
まさか復讐か。次から次へと……。
「あの……、わたしは病といいます。怪物に教われていて、困っています、それで……」
自己紹介をした……? 俺を覚えてないのか。
…………記憶が、無くなっている。そうとしか思えないような言葉選びだ。そっとガーベラを眺めると、何かを話そうとして、思い止まったまま困惑していた。おおかた、『無事でよかったです』とでも言う気だったのだろう。
「……この先に女神様がおられるのですが、怪我をしていて……」
「怪物と言うのは、この近くで皆殺しをした奴か」
そう言うと彼女は目を見開き、それからじっと俺とガーベラを見つめて、「あぁ」と声を漏らした。
「あのとき、館にいた方々ですか」
「見ていたのか」
「気になったので……。それに、女神様があなたを気にかけていましたし……」
初めて会ったときより饒舌だな。天界に戻って、話し相手でもできたのだろうか。
「と、とにかく、助けていただけないでしょうか……」
罠の可能性もあるが、病が人を腐らせられるのだから、殺すならもう殺っているはずだ。本当に困っているのだろう。
問題は女神の方だな……。無視したと知れたらまたちょっかいを出してこないとも限らない。少なくとも顔は出しておくか。
どうしてこうにも、運が悪いんだ。
「……分かった」
「あ、ありがとうございますっ。こっちです」
パタパタと走る彼女を追い掛け、いくつかの建物の隙間を縫うように行くと、よりジメジメとした狭い路地ででうずくまっている女神がいた。身体ごと不自然に左を向いていて、相変わらずの布をベルトから垂らすだけを服と言い張る格好のせいで、小さな胸なんかは普通に見えていた。
俺たちを見て一瞬顔を明るくしたが、俺だと気付くなり絶望のような色に染まっていく。
「なんで……よりによって……!」
そうして下唇を噛み、うつ向いた。案内してくれた病は困惑して、俺と女神とを見比べている。
「俺で悪かったな。で、怪物とやらに世界を支配でもされそうなのか」
「それは……」
彼女は口をモゴモゴさせた。図星らしい。
……ということは、この大陸から逃げても無駄と言うことか? 冗談じゃない。
「お前が世界を守ってるんだろ。どうしてこんなにあっさりやられてるんだ」
「はぁ!? アンタには関係ないし帰れよ!」
「そうか。分かった」
そのまま来た道を引き換えそうとする。
「ちょ……待ちなさい」
振り返ると、シッシと手を扇がれる。
「あ、アンタは帰れよ! そっちの、そっちのアンタたち来なさい」
茂美たちを指差したので、その前に立って見下ろした。
「悪いが、コイツらは諦めろ」
「なんでアンタが来んの!?」
「一応、将来の夫ということになってるからな」
「うっざ、アンタだけ帰れっ!」
「行こう茂美、ウォス、シャーリー」
言うと彼女たちは、訳も分からないという顔で、その場を動けないでいた。
「あ、アラン。どういうことなんだ?」
「一応紹介すると、ウォス。こちらがこの世界の神だ」
「えぇ……」
ウォスが困惑する一方で、茂美も分からないと俺の肩を掴んだ。
「アランさん。どういうことなの? お知り合いなの?」
「色々あってな。覚えているか分からんが、お前の記憶を消したりしていた奴だ」
言いながら女神を睨むと、同じ目が返ってきた。
「逆恨みするなよ。この場でお前の止めを刺してやらないことに感謝したらどうだ」
「殺したら世界消えますけどぉ~~~? いいんですかぁ~?」
ため息を返して、残りの親切屋とガーベラを見る。
「助けたければ好きにしろ。俺たちは先に行っているからな。親切屋。詳細はガーベラに教えてもらえ」
「ええ、いいですが……。助けずに行っちゃうんですか?」
「見損なったか?」
「はい」
「そうか。失望されるのは、もう何度目だろうな」
「知りたいですか?」
「いや、いい。それじゃあな、親切屋」
そうしてまた来た道を戻ろうとした。
「ね、ねえ待ってよ……」
またまた女神に止められた。面倒くさい奴だな本当に。
「助けても……いいでしょ」
「帰れと言ったろう」
「……言ってない」
「下らない嘘をつくな。そもそもだな……」
彼女の側でしゃがんで見下ろす。すると右半身を隠すように動く。
「何を隠してる」
「ちょ……」
彼女の肩を掴んで覗く。
右足の膝から先と、右腕が肩の少し先で無くなっていた。
「お前……!」
ちぎれたり切れたりというより、割れたような具合で、血も肉も出ていない。その傷口はまるで、陶器のようだった。
「…………ねえ」
見られたからか女神は浅いため息をひとつつき、初めて顔を歪ませ、泣き顔を作った。
「…助けて……お願い……」
「…………何を助ければいいんだ? 相手は大勢を一瞬で皆殺しにして、お前をそんな状態にする奴だろう。俺に何ができる」
「考えてよ……ねぇ……! もうわかんないよぉ……!」
「…………」
何も思い付かず、ガーベラを見た。
「弱点はないのか?」
「…………お父さんだよ。お父さんが止めたら、ゼッタイやめてくれる。でも、ここにはいないよ」
「他の弱点は?」
「その……無い。と思う」
「そうか」
なら無理か。どうしようもない。帰れもせず、ここで滅亡を待つだけ、か……。
「あ、あの……」
病が女神をチラチラと気にしながら、口を開いた。
「世界管理で、凄いことが起きてたんです……」
「どうした?」
「あの皆殺しのあったところで、その瞬間を見ようと映像を確認しようとしたら、映像から人が出てきて……」
まるで日本のホラー映画だな。そんなことがあったのか。
「それから?」
「それから、社長が目の前で……殺されてしまいました。他の方は大丈夫でしょうか……」
どうやら世界管理はもう攻略されたようだ。世界が滅ぶまであと一日もないんじゃないのか?
「あのとき、なんですけど、妙なことがあったんです」
「というと?」
「確認した映像が、ずっと昔、一万年前のものだったんです」
「一万年前? というと、陰星歴より前か」
「はい。魔封歴千三百年です」
そう言われてもピンとは来ないんだがな……。そう思って、ふとガーベラを見ると、彼女は顔を真っ青にしていた。
「どうした?」
「じゃ、じゃあ、……最初の伝説の瞬間だったってこと?」
「そう……ですかね? すみません、わたしは……分からないです」
「……そっか。ってことは……やっぱりそうなんだ」
俺の呼びかけにも、病の返事にも無反応だ。なにか心当たりがあるのか。
「おい」
「んひゃぁっ!?」
考える彼女の肩を叩いただけで、まるで存在しないはずの人間が急に飛び出したかのように跳ねて驚いた。
「教えてくれ。何が分かったんだ」
「あ、え、っと……えっとね、お母さんはもうこの世界にいないし、入ってくることもできないはずなんだよ。っていうのも……簡単に言うと、サイズが大きすぎて入れないの」
「そうだったのか。じゃあ、あの化け物は?」
「最初はシャドウかなって、思ってたの。えっと、自分の影を別世界に投影させるみたいなものなんだけど、それならエネルギーがこの世界での限界で制約されるはずなのに痕跡が強すぎで、どうなってるんだって思ったんだけど、もしかしたらシャドウだけじゃなくて今ある伝説を遡及させて……」
「解説はいい。結論は?」
「伝説を無理矢理起動して、都合いいように再現させてるんだよ。だから――伝説を無くせたら止められる」
「止められるのか。滅亡を」
俺が言い切る前に女神が起き上がり、膝立ちでガーベラにすがり付いた。
「ど、どうすればいいの? 権限ある。あるから、なんでもできる」
「落ち着いて。えっと、たぶん……そのね、どうなるかぼくも分からないから、解決できるかもってくらいなんだけど……」
「いいから言って。なにすればいいの。ねぇ言ってよ」
必死な形相の女神に、ガーベラは何度かの震えた息の後に、やっと口を開いた。
「伝説はね、勇者の物語なんだよ。もう何度も何度も繰り返されてきて、色々なパターンや出来事が起こったりしたけれど、ひとつだけ、一度も起こっていないことがあるんだよ。勇者物語に、起こるはずのないこと。きっとそれが、伝説の一番壊れちゃいけない部分だから」
彼女はまだ躊躇っていたが、やがて、小さな声で呟いた。
「…………勇者を、殺しちゃうの」




