3 悪い冗談だと言ってくれ
ドアをそっと開け、寝室を覗く。死体と血の処理を手早くやれたとはいえ、警察犬に発見されない程度の深さまで埋め、木に染み込みかかっていた血を洗い流した上、またシャワーを浴びていたので時間がかかってしまった。
目が闇に慣れきって、家中の明かりが消えた今でさえ、部屋の様子が分かる。
彼女は眠ったようだ。俺を束縛するようでもないので、外へ出ていっても問題はないだろう。しかし外の予備知識が無いことには、右も左も分からない。
全員が日本語をしゃべることから、ここは日本で、白人が住む村ということになるのだろう。しかし、それだけでは何県なのかが分からない。日本の隠れ家は交通の便と人の多さを加味して、東京にしていた。必要なのは、そこへ向かうための情報だ。
扉を閉めようとした、するとソフィアが動く気配がした。
「あの……」
「……起きてたんですか?」
扉を開けると、彼女は起き上がった。
「……あの。い、一緒に、寝てもらえませんか」
「一緒に? でも、ベッドが狭くなりますよ」
「いいんです。……ひとりじゃ……怖くて……」
頷いて、ベッドへ向かうと、彼女は身を引いて、ベッドの中心を叩いた。
「ここがいいです。……いいですか?」
「分かりました」
言われるまま、ベッドの真ん中に横になる。さりげなく枕を探ったが、暗器はない。
すると彼女は俺の右肩に頭を乗せ、抱き付いた。
「……アランさん……暖かいです」
「ソフィアさんも、です」
さて、セックスか。殺しよりも重労働なのだよな。
以前、行為中にうっかり相手を観察し始めてしまい、萎えたことがあった。興奮もしていないのに勃起を持続させるには集中が必要だ。
取りあえず、相手の出方を伺おう。そう思っていると――。
――ソフィアは寝息を立て始めた。
……。
……まあ、たかだか一度命を救ったくらいでは発情はしないか。これじゃまるで俺が期待していたみたいだな……。
ひとまず、助かったからよし。
――――。
――アランさん。
そう呼ばれ、意識が戻った。瞼の向こうが眩しいので、朝になったのだろう。まずは眠ったフリをしておこう。
「…………アランさん、起きてますか……?」
もの凄い小声で聞かれた。こちらが起きていないことの確認か。もう少し様子を見よう。
待っていると、ソフィアはゆっくり身体を動かした。そして、唇に感触があった。
眠っている間にキスか。子どもっぽいことをする。彼女の呼吸を二回感じたところで離れていった。
「ぅうん」
呻きながら身体を動かす。すると彼女がびくんと驚いた。
「ん……。ソフィアさん? どうかしましたか……」
「ななな、なんでもないですよ~? お、おはようございます」
「おはようございます」
微笑み、起き上がった。
すると腕に抱き付いた彼女も一緒に起き上がった。俺の右腕がソフィアの胸の谷間に割り込んでいた。
「あ、ご、ごめんなさい。えっと……」
彼女は慌てて離れ、ベッドから降りた。
「あ、朝ごはん作りますねっ!」
そのまま部屋から飛び出していく。
服越しに形の浮いた尻を見て、ふと気付く。
彼女は性欲が強いのではなく、ああいうファッションか。それをただ好き好んで着ているだけなのだ。
この村と呼べるか怪しいほどの限界集落で、文化が隔離されたことでこうしたことが起こったのだと思えば、何も妙なことはない。
その前提があるならば、彼女が本当にただの農民だと理解できる。
「ごはんですよー」
「はーい」
部屋を出て大机につく。昨日のスープとパンだ。少し食べるが、匂いも味も変わっていない。毒を盛られた可能性は低いだろうと、それを平らげた。
「ふー。お腹いっぱいですねー」
「そうですね。ごちそうさま。美味しかったです。……ところで、話があるんです」
身を乗りだし、彼女の手を取った。
「実は……、貴女に拾われるより前の記憶が無いみたいなんです」
「えっ!? 記憶が?」
「はい。思い出せないんですよ。どういうわけか……」
あながち間違いでもない。眠っている間に移動させられたなどと思っていたが、そもそも仕事の完了からホテルまで何も口にしていないのに、運ばれても気付かないほど深い眠りに入っていたとは考えにくい。
ならばここへ来てから、何かしらの理由で記憶がなくなったと考える方が自然だ。
「大変です。でもどうすれば……」
「町へ行きたいんです。色々見ていれば、思い出せるかもしれません」
「そうなのですか? だったら、さっそく行きましょうか」
「その前に、色々と教えてくれませんか」
立ち上がる彼女を引き留め、また座らせた。
「色々と?」
「ええ。本当になにもかも忘れてしまったので、国の名前ですとか、ここがどこなのかとか……」
「そんなところまで……。よしっ」
ソフィアは勢い良く立ち上がった。
「き、記憶が戻るまでここにいてくださいっ。お世話しますからっ」
「ありがとうございます。なんと礼を言ったらいいか……」
「えへへ。アランさんは命の恩人ですから」
「ソフィアさんもですよ。お互いさまですね」
お互いに微笑む。だがソフィアの顔が、少し暗くなった。
「どうかしましたか?」
「…………その、ごめんなさいっ!」
ぺこりと頭を下げた。金色の髪が、真っ直ぐ下へ垂れる。
「わたし、実はズルいことしちゃいました……」
「ズルいこと?」
「……アランさんが寝てるときに……その……き……キスをぉ……」
上擦った声でそこまで言って、言葉を切った。
さて、この罪悪感は利用できそうだ。ソフィアは本当にただの農民らしいので、これと、昨日の一件で共犯になっていることを利用して支配できる。
だが――例えば町で、この女が俺を恐れていることがバレたら問題だ。ここは穏便に済ませるか。
頭を上げない彼女の横に立つ。ソフィアは律儀にも頭の先をこちらへ向け直した。変な奴だ。
「頭を上げてください」
「……はい……」
身体を起こし、だが顔をうつ向かせたままの彼女の顎を持ち上げ、キスをした。
「……勝手にキスしちゃいました。これでお互いさま、ですね?」
「はふっ……」
顔どころか耳まで真っ赤にして、崩れるように椅子に座った。
「ず、ズルいです……アランさん……」
これでよし。さて、じゃあまずは国の名前から。といっても、日本だろうが……。
……蹄の音?
外から馬に乗って誰かが来る。かなり遠いが、騎士のように見える。
「お、王国騎士ですっ! でも、どうしてこんな村に……?」
「王国騎士?」
「はい。えっと、国の直属の騎士で、こんな村に用があるとは思えないんですが……」
同じことを言われた。説明が説明の体を成していない。王国の騎士というのは分かったから、それがどういった管轄で動いているのかを教えてくれ。そもそも日本は王国ではないだろう。
「それは……警察のようなものですか?」
「け、ケイサツ? なんですかそれは……」
「え?」
またも耳を疑うような言葉を掛けられる。警察がない? この時代にあり得るのか、そんなことが。
まともな情報も得られないまま、馬が到着した。
隠れても無駄だろう。昨日の戦闘で得たナイフを取り、袖の裏へ刺して引っ掛けた。
「行きましょう」
「え、でも……あ、待ってくださいっ!」
表へ出ると、今度は目を疑う光景があった。
いるのは、女の騎士だ。鎧を着ているが――肌の露出度が異様に高い。
腕から先と膝から先はしっかりと防御しているにも関わらず、肩周りや腹や太ももを露出し、胸と股間はただの布地で、胸は案の定の袋状。しかもソフィアより進化して、片乳ずつに布地が張り付いている。両乳ワンセットの袋ではなく、乳ひとつにひと袋ときた。例によって乳房の先端が膨らんでいるので、かなり薄い素材なのだろう。股間に至っては隆起の形まで浮き出ている。
うぅん、参った。今すぐにでも殺せるぞ。
騎士と言いながらその戦う気の無い格好はなんだ。なぜ急所を隠さん。馬鹿にしているのか。
遠くの家から、住民が心配して出てきている。そのひとりは老婆だが、胸元は至って普通だ。それどころか、主婦や中年の女も普通の胸元をしている。
ソフィアの格好はこの村でさえ浮いているじゃないか。そのファッションセンスはどこで磨いてきた。ええい。いちいち混乱しては身が持たない。
「我はローズマリー王国騎士団長、アリアンナ! 頭を垂れよ!」
跪いたソフィアにならい、俺も跪く。
ローズマリー王国。それが彼女らがしているロールプレイの、舞台となる国名なのだろう。騎士の跨がる軍馬の首に、広い幅の布がかけられており、そこには刺々しい輪と一輪のローズマリーの花が描かれている。あれが国旗なのだろうか。
それにしてもアリアンナだと? 全員が白人でいて、ヨーロッパ名で、公用語が日本語な訳があるか。
「こ、こんな村に、どんなご用事ですか?」
記憶がない俺を気遣ってか、彼女は率先して話を聞いてくれる。ありがたいものだ。
「うむ。用があるのは村にではない。そこの男にだ!」
「僕、ですか?」
顔を上げる。ファッション鎧の痴女ことアリアンナは、深く頷いた。
「昨日の夜、三人の山賊を退治したそうだな」
――しまった。目撃者がいたのか。
そこの注意を怠ったのはミスだ。俺も腕が鈍ったか。
「はい。でも、自分でも訳が分からなくなっていて……」
「素晴らしいッ!」
強烈な声で賛美された。今度はいったいなんだ。
「混乱の最中にあって、三人のならず者に勝利を収めるとはな。やはり武の才があると見た!」
「い、いえ、でも、自分でもどうしたのか……」
「だからこそだ! 混乱の多い戦場では、訳が分からないままで行動せざるを得ないときが来る。そこで迷わず殺せる貴様を、農民にしておくのはあまりに惜しい!」
クソ。話が通じない上に、徴兵までしようとしているのか。ここは断ろう。動きにくくなる上、正面切っての戦闘は苦手分野だ。
「で、ですが……ソフィアを置いて戦場に行くなど、できません!」
「ふえっ!?」
当のソフィアが間抜けな声を出した。悪く思うな。利用させてもらうぞ。
「ほう……ならば、王国で働かないか」
「王国で?」
「距離ならば気にするな。勤務地はここから馬で十三分だ。通勤は楽だろう」
「近い……」
「そうだろう。近いだろう。……ふんっ」
アリアンナは身体を捻って脚を大きく上げ、馬から飛び降りた。
着地と同時に胸が大きく揺れる。そんなに動く胸元でよく騎士などやっていられるな。
「貴様。名は」
「アランといいます」
「ではアラン。私の部下になれ」
手を差し出された。しかしその手は取らない。
「……返事は、明日でも構いませんか」
「ほう。その慎重さが更に気に入った。良かろうっ!」
騎士団長が脚を開き、堂々と立つ。
「頭を上げよ。この顔が、また明日のこの時間に来る。しかと魂に刻み込め!」
「分かり――」
顔を上げる。ちょうど目の前が股間だった。
……布地でいて、細かな形が分かるほど綺麗に肌にくっついている。何の素材を使っているのだろうか。応用が利きそうなものだが……。
「――ました」
そのまま顔を上げきり、アリアンナの顔を見た。
少し驚いた顔で頬を染め、股間を手で隠す。どうやら一瞬の視線に気付いたらしい。
「よ、よさないか。スケベなヤツだな……」
ぶっとばすぞ。
何を照れているお前。下着姿を見られて欲情するな。服を着ろ服を。
「まあいい。英雄色を好むと言う。意外なところで英雄の卵を見つけてしまったかも知れんな! わはは!」
アリアンナは馬に乗った。
「明日を楽しみにしているぞ! ハイヨー!」
馬を走らせ、行ってしまった。馬で十三分というのだから、いくつか丘を越えれば見える場所にあるのだろう。
とりあえず助かった。振り返ると、ソフィアが頬を膨らませて俺を睨んでいる。
「ソフィアさん?」
「……ふんっ」
プイと顔を背けてしまった。俺が痴女の股間を見たことで嫉妬したようだ。
…………どうしろと言うのだ。