65 黒幕
まず、ひと呼吸。いつの間に眠っていたのだろうと身を起こすが、洞窟は暗く、時計もない。
「お目覚めデスね」
ドゥカの声。まだ隣にいるのかと気付くなり、病は言い得ぬほど胸が温かくなっていた。
ずっと、じっと、わたしの側にいてくれた。ステイシーさんですら、受け入れる限度があったのに、ドゥカさんは本当に全てを受け入れてくれる。
だからわたしは、くれたものを返さないと。受け入れてくれただけ、受け入れないといけない。
「……ドゥカさん」
「ハイ。なんでショウ」
「欲しいものは……ありますか。してほしい、でもいいです。……わたし、なんでも言うことを聞きます」
「ワタシの望みは、癒されていただくことデス」
病は切なさに吹かれながら、ドゥカの頬を撫でていた。
「そう……ではないんです。他の人とか……関係なしに……」
「しかしそれデスと、ワタシの存在意義がありマセン」
「…………」
分からなかった。自分が人のように幸せを感じて、本当に自分から幸せだと思えたというのに、彼女にはそれを感じられないのだという。
それが、胸が痛むというか、悔しいというか。
存在意義など関係なく、幸せにはなれないのだろうか。
「病様」
突然名を呼ばれ、ドキリとして顔を上げた。いまだに、名を呼ばれることに慣れていない。
「ひとつ提案がありマス」
「提案……?」
「我々のハーレムに加入しまセンカ」
人間の産物から、天啓を得た。そうなのだ。不貞と思っていたあの関係を利用すれば、ドゥカと共にいられる。恩人の恋人を寝取ってしまうのではない。自分が、恋人の輪に入ればいいのだ。
だが、ドゥカと関係を持ったのはハーレムに入る前。裏切りには違いないのだ。やはり、それをアランに知られるべきではない。
「…………」
そして、なにより。
「いかがなさいマシタ? 病様」
他の誰かのものになってほしくない。誰かを見てほしくない。誰にも見られてほしくない。誰の言葉にも歪められてほしくない。誰の思想にも汚されてほしくない。誰かのために癒してほしくない。
わたしだけの、あなたでいてほしい。わたしだけを癒してほしい。
でも、きっとそうはいかないのだろう。わたしは少しでも、こんなに幸せな時間をくれたドゥカさんへ感謝しなければならない。
そう、仕方ない。
「なんだぁ……!?」
知らない人の声。入り口に、男が立っていた。
「あ……だ、だめ! 来たら……」
腐る。そのはずだ。だけど彼は、洞窟の出口に立って、病とドゥカとを観察するように見ていた。
――病気にならない人間だろうか。いや、まさか――――。
「あの……風邪とか、引いたことはありますか……」
「は? え、いや……それは、まああるだろ。誰だって……」
やはりだ。自分から滲み出ていた菌が止まっている。
ならばもう、誰も腐らせることはないのか。
安堵が押し寄せる。そのはずだった。だが感じるのは焦燥ばかりだった。
もし自分から呪いが消えたと知られたら、呪いを理由に留まるドゥカはどうなる。問題が解決したら、この静かな洞窟で過ごすふたりだけの時間は――。
――嫌だ。
「あー……その、ちょっと探検で入ってみたんだけどお邪魔だったみたいだな。いやほんとう、すまんね」
嫌だ嫌だ嫌だ。
「じゃあもう、行くからさ。お邪魔しました」
知られる、くらいなら。
モーニングスター神父が亡くなった子供たちを埋葬したころ、屋敷を出た。それから大陸の中心、都に向かって歩くこと1日。次の宿までもうすぐというところで、不意にステイシーが口を開いた。
「しかし、いいのでしょうか。ハテナ」
「なにがだ?」
「オウレルさんは、どうにか人間として慣れて、あの子のために生きると言っていました。ですが、急にただの人間として暮らせと言うのも難しそうです」
彼はどうにか呼吸に慣れ、少しはまともに喋られるようになったが、それでも人との関りが薄かったことで生まれた齟齬は中々どうにもならないだろう。
「そこは、あいつを信じればいい。ひとつの目的のためにあそこまでやった奴だ。きっと、どうにかするだろう」
「そうですね。フムフム」
後ろの方では親切屋とカリヤ、茂美で雑談を繰り広げている。話好きのガーベラも混ざって、盛り上がっているようだった。
自分から会話をしないウォスと神父は静かに歩いていて、ひとりでもうるさいルイマスが謎の歌を歌いながら俺とステイシーの間に割り込む。
「チチーチチンポ、チチーチチンポ」
「やかましい」
「いや不思議じゃのぉおおお! なんで急に治ったんじゃろぉおおお!」
ルイマスはシャーリーを見ながら言った。鮫肌服が無くなって神父の上着を羽織っている彼女だが、人間らしく服を着るという習慣がなかったせいか、脱いだり前を開けたりしていた。下着はパンツのみ。かなり危なっかしい状態で、少なくとも人前には出せない。
歯が気になるようで、ずっと口をモゴモゴさせている。
「治った、か。獣人は病気なのか?」
「遺伝の異常で起こる不利益じゃからのぉおおお! 広域には病気の類いじゃぁあああ!」
「獣人病、というところですね。キラーン」
「そうか。確かに、それを治療するためにネクロマンサーとして研究していたんだしな」
ステイシーが頷きながら、「ですが」と顎に手を当ててみせた。
「研究しても治せなかったものが同時に全て治る、なんて偶然はあり得ません。と、なると……神の仕業でしょうかね。ハテナ」
「……だがそうすると、どうにも引っ掛かるな」
「ほうほう。それはいったい」
「動機が見えない。神の行動はかなり分かりやすかった。やったのは記憶を消すことだけだが、不都合な情報を消すか、警告として見せつけるかの2通りだ。それが急に、関係のない獣人の治療をする意味が分からん」
「と、思うじゃないですか。でもこういう場合、大きく分けて2通りになるんです。いくつか『くっしょん』を挟んだ動機アリか、動機ナシです。ズギューン」
「動機ナシ?」
ずいぶんと、刑事ドラマか何かのような話をする。そういう世界にも行ったことがあるのだろうか。
「愉快か、事故ですね。前者ならもっと、こう、他の人間を全て獣人にするくらいのことはするでしょう。ですが、そうではない。ただ治療をして終わっています」
「ということは、事故か?」
「はい。意図とは関係なく、何かが起こって獣人病が治されたってことです」
「…………獣人病だけか?」
「んー。いえ、そうとは考えにくいですね。なんなら、全ての病気が一気に――え」
ふたりで立ち止まった。
「……アランさん」
「そうと決まった訳じゃないぞ。もし病が死んだら、全ての命が消えるんだろう」
「ですが、一瞬で全て消えるとは言いませんでした。これからゆっくりと消えていくかもしれません」
それもそうだった。ならば、あの隠れ場所がバレてしまったということか。
「どしたの?」
真っ先にガーベラがやってきて、顔を覗いてきた。
「いま世界管理に連絡できるか。世界で病気がどうなってるか確認してほしい」
「う、うん」
彼女はまたどこからか受話器を取り出し、数度のやり取りで電話を切った。
「……なくなったって。病気が、ぜんぶ」
やはりだ。だが、そうすると話が違ってくる。なぜ俺たちは生きているのだろうか。本人に確認するのが早いが、ここからだと……。
……そうか。彼女は突然に表れたのだから、瞬間移動でもできるかもしれない。
「ガーベラ。行きたい場所に飛ぶことはできるか」
「できるよ。でも、ピルグリムだけだけど……」
全員とはいかないようだ。が、事情を知っている者だけで十分だ。
「分かった。まずはローズマリー王国の近くに行って欲しい」
「うん。いーよ」
キョトンとしている他の面々を見る。
「少し行ってくる。長くはかからないから、ここで休憩がてら待っていてくれ」
誰も反対はしなかった。
「あ、神父も来てください。他人事じゃないですよ。ヤレヤレ」
「フン。全く……」
「じゃ、いくよー」
ガーベラが言った瞬間に、ふっと風景が変わった。映画なんかで見るような演出はなく、瞬きでもするようだった。
ただ肌と肺が、湿った空気と爽やかな風の違いを壁のような違和感として感じていた。
「それでそれで?」
「次は、あの山の頂上だ」
方角を確認し、指差した。
そしてまたも、ふっと風景が変わった。今度は気温と空気の濃さが瞬間的に変わり、耳がキィンと鳴った。
少しだけ山を下って、周囲を探すと、腐って崩れた山小屋を見つけた。この裏だ。
「彼女に何かがあったとすれば、誰かがいるかもしれません。慎重に行きましょう。ピコン」
「そうだな。それと、神父。悪魔だなんだといって面倒ごとは起こすな。もう連れてこないぞ」
「こ、子ども扱いするな!」
「大体の天使は子供の姿だろう。それより、全員ステイシーから離れるな。ぴったりとくっ付け。訳あって、そうしないと死ぬハメになる。特にガーベラは、抱き着いていていい」
「う、うん。でも手を繋ぐくらいにしておくね?」
4人で足音を殺して、中へと入った。洞窟の中に入ってしまえば、山の風音もすっかり聞こえなくなり、ほんのちょっとした物音もよく響くようになっている。
だから、中での話声もよく聞こえた。
「――――たんだけどお邪魔だったみたいだな。いやほんとう、すまんね」
ステイシーと顔を合わせた。おそらく無事なのだろうが……話している男はどうして大丈夫なのだろうか。恐らくこの中は菌で満たされ、まともならすぐに腐って死ぬはずだ。
どうやらちょうど出てくる所のようなので、捕まえて話を聞くか。
「……れ……」
僅かに声がした。病の声だ。よし、まだ生き――。
「――腐れッ!」
彼女のものとは思えない怒号が、洞窟中に響いた。その残響が消えるか否か、男の悲鳴が響いてきた。
反響か、絶叫か、ひとりかどうかも分からない音が響き続けて、ゆっくりと収束し、やがて消えていった。
「……アランさん」
「ああ、分かっている。離れるな」
どういうわけか、病は病気をコントロールできるようになっていたらしい。操って、人を殺した。まさにその瞬間に立ち会ったのだ。
奥へと進んで、広い空間に出た。いつかここは、木張りの小屋のような風貌だったが、それが岩ばかりの、ただの洞窟になっていた。足元のくぼみには何かのカスが溜まっている。きっと、有機物は全て腐ってしまったのだろう。
「ドゥカ……さん」
「どうして、殺したのデスか」
「もちろん……ドゥカさんを守るため。わたしが守るから…………わたしから離れないでください。もう誰にも手出しさせない。ずっとここに居れば、ずっとずっと安全なんですから……」
ドゥカが来ていたのか。なら……他の面々はどうなっているんだ?
「アラン様。お久しぶりデス」
「あ……」
ドゥカの言葉に病が顔を上げた。ドゥカの目が光源になり、その表情まではっきりと見て取れた。
罪を犯した人の顔をしていた。
「アラン……さん……」
「無事だったようだな。それはよかった」
少し地面を見ていると、ベルトの金具らしいものがカスの中に落ちていた。あれが、さっきの声の主か。
「どうして殺した?」
「そ、それ……は…………」
「責めているわけじゃない。口封じのためなら、上等だ」
「そう、そうです……その、噂が広がったら、大変で……」
「ところで」
4人で固まったまま動く。彼女は、追い詰められた者の顔をしている。いつ、何がきっかけで殺す決断をされるか分からない。
「ドゥカはどうしてここに? 他の奴らはどうした」
「実は城下町で大勢の病人が発生しておりマス。その調査として、原因を突き詰めた結果ここにたどり着きマシタ。ハーレムのメンバーは全員無事デス」
「え……」
誰よりも先に声を上げたのは、病だった。
「町で……? でも……わたしはここに……」
「ここから、呪いがまき散らされていたのデス」
「だが、どういうわけか病気が消えたようだな。コントロールできるようになったのか?」
彼女は俺をじっと見つめていた。答えは知っているが、言うか否かを悩んでいるようだった。
「こんな洞窟で、人殺し以外になにか隠すことがあるのか?」
「…………」
「……はあ。まあいい。ひとり紹介させてくれ。彼女はガーベラ。世界管理とは知り合いだ」
「あ、うん。ぼくは……わわっ」
前に出ようとするガーベラを引き留め、ステイシーの側にいさせる。
「ご、ごめん。えっと、ぼくはガーベラ」
「……」
「世界管理さんからこっちに来ちゃった病さんだよね? よろしくね」
「…………」
「……あ、あれ? どうしたの?」
彼女はただ沈黙を押し通していた。どういうことだ? そもそも世界管理株式会社に戻る手段を見つけるため、ここへ隠したんだぞ。
その事情を知る人間が現れて、解決できるかもとは喜ばないのか。
「お前をここに落とした犯人も分かった。そっちに依頼した、ここの元々の神だ。だが手口もなにも割れたんだから、もうここにいる必要はない。……そうだろ?」
何もない空間へ言った。きっとこの洞窟でも、神は聞いているのだろう。
「だから、もう帰れ。ここへはきっと、二度と連れ戻され――」
「――嫌です」
凛とした声だった。病はまるで人が変わったように、ゆっくりと立ち上がった。
「わたしは、帰りません」
「……ずいぶんと急に心変わりしたな。ドゥカか?」
「そうです。分かってくれますか」
なら、世界管理に持って帰ったらどうだろう。そう思ったが、ふとドゥカの『ワタシは魔術と世界のあらゆるマナで駆動する、オンリーワンでフォーエバーな存在デス』という言葉を思い出した。
もしマナというものがこの世界にしかないならば、世界管理へ持ち込んだ後に燃料切れになるかもしれない。
……どうするか。
「少し、よろしいですかな?」
神父がいつかのように、紳士然と話しかけた。
「私はモーニングスター。形式上は神父ですが、我が主に使わされた天使です」
「……天使さん……?」
「はい。依頼主の部下ですから、一応は取引先という関係になるのでしょうな。ですからお互いに、冷静に話し合いましょう」
「…………」
なるほど、取引として交渉に挑むようだ。少し見てみるか。
「そもそも、あなたはこの世界の病気を管理している身。それがいなくなっては困りますよ」
「……誰が困るの。病気なんて、なくなったほうがいい。……それで、みんな幸せでしょう?」
「そうとも言えません。さきほど、そのせいで失われた命を見たばかりです」
「…………」
「獣人という病気は、それを前提にした命です。治れば、身体が追い付かずに死に至る。わたしが幼い6つの命を埋葬したのは、ついさっきのこと。きっと、他の場所でも同じように死んでいった命も多いでしょう」
「……どうすればいいの? だって……ちゃんと仕事していても、わたし、殺すことばっかりしか……。なにをしてもわたしは……奪うことしかできないのに」
言葉とは裏腹に、彼女は微笑んだ。
「だったら……病気の無い世界の方がいいでしょう? わたしが消えた方が、みんなは幸せになれるんでしょう?」
「いいですか。ハテナ」
今度はステイシーが口を開く。
「そもそもゆーが全ての生物の命を握っている原因は、権限に『みとこんどりあ』含まれているからです。今はまだ大丈夫なようですが、菌の次に消える可能性は高いですよ。病気どころか、命が全てなくなるかもしれません。ハラハラ」
「…………」
病は、じっとしている無機物を見た。そしてその頬を、そっと撫でる。
「……ドゥカさんさえ、いればいい……」
愛は人を狂わせるとはよく言うが、神まで狂わせるのか。
どうする。仮にも人が来ていたのだから、もうこの隠れ場所も誰に知られているか分からない状況だ。放置するわけにもいかない。
主神は、こうなると分からなかったのか。こんなことになると知って、あえて病を人間界に落としたのか? そんなバカな……。
…………いや、そうか。
「どうしてお前は、そんなにドゥカが好きなんだ」
そう言うと彼女は、闇ばかりをまとわせていた顔にぱっと光を宿した。
「ドゥカさんは……やさしくて、わたしを許してくれて、ずっと、ずっと一緒にいても、ずっと受け入れてくれて…………」
「そうか」
「……分かって、くれますか?」
「ああ、分かった。ドゥカ、そいつを殺せ」
すべての空気が、止まったような感じがした。
「貴様、なにを言い出すんだ」
「アランさん、正気ですか」
神父とステイシーに止められる。病はただ唖然としていた。
ドゥカは、首をかしげている。
「デスが……」
「分かっている。やれるところまででいい。病を、殺せ」
「分かりマシタ」
ドゥカはすっくと立ち、洞窟の端に向かった。
「え……。ドゥカ……さん?」
そこには剣が鞘に収まったままで立てかけられている。
「アランさん。なにやってるんですか。止めてください」
「…………」
「ふざけないでください。早くやめろと命令してください」
「…………」
ドゥカが剣を持ち、病の前に立つ。
「ドゥカさん……。ち、ちがいます……よね? だって、わたしを愛して……」
「ハイ。愛していマス」
スルスル、と、鞘から刃が抜かれた。
「では、命令を実行しマス」
「…………う……そ……」
ドゥカは剣を振りかぶる。
そして、そのままだった。
じっと振りかぶった姿勢のまま、止まってしまった。
「そこまでか。もう、いいぞ。剣を仕舞え」
「分かりマシタ」
ドゥカは刃を鞘に納め直した。病はまた、唖然としていた。今度は目に涙を溜めている。
「ドゥカには、いわゆる安全装置がついている。簡単に言えば、間違っても人を殺せないようになってる。振り下ろさなかったのは、躊躇いでも愛でもない。ただの機能だ」
「……ちがう……だって…………ちがう…………」
ただその言葉を繰り返し、呼吸を乱しながら彼女は嗚咽しはじめた。
ステイシーたちは明らかにほっとしていた。ハラハラさせて悪かったな。
「ドゥカ、それをくれ」
「ハイ、分かりマシタ」
彼女から剣を受け取る。近くで見ると、やや豪華な装飾がほどこされていた。
「これは、誰の?」
「アリアンナ様デス」
「そうか」
ステイシーを促し、皆で病の前に立つ。
「苦しいか、病」
「…………」
「戻る気に、なったか」
「…………嫌……です……」
まあ、根本的に解決とはいかないか。それならそれでいい。
解決方法ならもう、思いついた。
誰かに察せられる前に剣を抜き、病の腹に刺した。ぐっと、重い手ごたえだった。
「……ぁえ……?」
「まあ、楽にしてろ。じきに死ぬ」
病は腹を抑えながら、仰向けであえいでいる。
横から衝撃があった。神父とガーベラが同時に突進してきたようだった。
「な、なにやってるの!?」
「狂ったか、押さえつけろ!」
ふたりがかりで抑えられる。ステイシーが応急手当をしようとしているのが、ふと見えた。
「ドゥカ、ステイシーを捕まえておけ」
「分かりマシタ」
「は。何を……」
白い機械が、ステイシーにがっちりと絡みつき、完全に押え込んだ。
「あと、そうだな、10秒足らずで世界が終わる。ちゃんと祈ったか?」
見えずとも、感覚で分かる。剣先はきっちりと、彼女の中心を突いていた。
「ぅうあ、あぁあああ」
絶望の中、ステイシーの言葉にならない呻きが響いていた。
さて、お前の大事な大事な世界が終わるぞ。もうあと数秒で。なりふり構っていられないんだろ?
「……出て来いよ。そろそろな」
そう呟くと同時か、小刻みに動いていた病が、まるで一時停止でもしたかのように、ふっと止まった。
ドゥカも止まったようで、ステイシーは難なくその拘束を抜け出した。
「病さん。病さん…………ん」
その異常事態にステイシーも気付いたようで、俺をじっと見降ろし、ため息を付きながら首を振った。
「……おふたりとも、離していいですよ」
「む? だが……」
「作戦か何かのようでした。それも、成功ですね」
ふたりの拘束も解かれ、ようやく立ち上がれた。
同時にステイシーがやってきて、手のひらで俺の顔を叩いた。
「それはそれとして、仕返しはします。クソ野郎」
「……悪く思うな。だがこうでもしないと出てこない。そうだろう?」
周囲を見る。案の定、入口にそれはいた。
モーニングスターがはっとして、即座に跪く。
「…………狂ってるの? あんた」
ローブを着た彼女は、ソフィアと同じ顔をしていた。
「お前の支配する世界の、全ての命。流石に効いたか。天使も神も、人質に弱いとは勉強になったよ」
「ふざけないで。普通に考えて分からなかったの? 病が異世界人だったら救えないって」
「普通に考えたら、病どころか世界管理自体、異世界人の団体じゃないと分かってな。こんな危険な状況でも放置できたのは、そもそも止められるからだ。お前が干渉できるのはこの世界の存在、つまり、お前が生み出したものだけだ」
「…………」
彼女は黙ったが、その目に宿った憎しみが図星と物語っていた。
「もっと根本的なことからも分かるぞ。どんな馬鹿でも、自分の世界の管理を請け負いに任せるわけがない」
「……そうでもありません」
答えたのは、ステイシーだった。
「バカに限度はありません。確実に大丈夫じゃなくてもやるバカもいますし、問題を一つ解決するのに問題を増やすバカもいますし、間違ったことに気付かないバカもいますし、気付いたあとに間違いを重ねるバカもいますし、特に何も考えてないバカもいます」
そうして、女神を指さした。
「そこのポンコツは、バカの『こんぷりーとぱっく』です。本当にゆーが犯人だとは思いませんでした。シラー」
思わず、ステイシーと女神とを見比べた。
「知り合いか」
「はい。過去にちょっとしたことであのバカの後始末をしたのです。久しぶり過ぎてソフィアさんの顔を見たとき気付けなかったのですが、あのバカっぽい喋り方で思い出しましたし、それで、どうしてみーが呼ばれたかも分かったのです。また助けて欲しいと呼んだのでしょうが、そこで恥ずかしさだかでちゃんと会って話さず、勝手に放り込んだ結果、こんな事態になった」
当の本人は黙っていた。その代わり、神父が立ち上がる。
「えぇい黙っていれば! このお方は、まぎれもなく我らが主。それを好き勝手に――」
「モーニングスター」
「はっ」
主が名を呼ぶだけで神父が黙り、また跪いた。お前、よくそんなバカを慕えるな。
「…………真相に辿りついたのはいいわ。それを言いふらして、私に辱めを受けさせて、楽しかった?」
「……? おい、まさか」
「はぁーあ。神はつらいわね。こんなアホもちゃんと生かしてあげないといけないんだから。はぁー」
たったの一言で、ステイシーがポンコツ呼ばわりしている理由を察した。
そもそも、俺がハーレムに襲われることになった理由は『この止まった世界に変化をもたらすため』だったはず。それをわざわざ隠したのは――。
「――恥ずかしかったのか。たったそれだけのことで、こんな状況に?」
死を直前にしたまま止まった病を顔で指す。
「それ以外に理由なんてあるの?」
「お前……馬鹿か……?」
「……っ! 人間のくせにバカにしてんじゃないバカ! そんなことも分かんないなんてあんたの方がバカじゃないのっ?」
涙目涙声で叫んだ。
ああ、ヤバい。
こいつは『マジ』だ。
「ってかさ、全部用意してあげたよねぇ? こんなにちゃんと用意してあげてさ、働かなくてもいいようにさ甘えられるようにしてさ、ちゃんと設定したのにさ、なんで働くの? 殺し屋とかしてないでなんでこう、ほら、スローライフみたいなさ、ことしないの? ねえ」
そういえば、初めてソフィアとあったときにお世話するみたいなことを言われたな。しかも無条件で発情されていた。本能的に仕事をしてしまっていたから、あれが、神から子作りしろというメッセージだとは――――。
「――――いや気付けるか馬鹿。なんで殺し屋誘拐した」
「~~~っ! バカって言うなバカぁッ!」
「そういうのはいい。どうしてお前よりによって殺し屋を……ああもう」
現実は非情だったり、つまらなかったり、酷いものであることが大半だ。だが限度がある。
今までのことは、バカの茶番だと。眩暈がしてきた……。
「だって……殺し屋だったら元々いないみたいなものだし、ぬす……さらってもバレないし、なんか色々知ってそうだから文明とかなんかできそうだし……」
「バカにしてはちょっと考えてるな……」
彼女は怒りをこらえ、数呼吸。最後に大きな大きな一息をついた。
「ふぅ~~~……ねえ、もう分かったでしょ? もう分かってるんだから、あのハーレム使ってよ。できるでしょ、全員妊娠させるくらい」
「嫌だと言ったら、どうする?」
どうせこのバカのことだ。何かを達成すれば、また違う何かをやれと命令し、それを繰り返し続けるのは目に見えている。
女神は顔を真っ赤にさせ、プルプルと震え始めた。
「……もういい」
俺たちを無視し、病を抱き上げた。自分より大きな身体を持ち、フラフラとしている。
「やめろ馬鹿。転んだらどうする」
「うるさいっ! ――モーニングスター!」
「はっ!」
「帰るよ!」
「な……!」
彼はゆっくりと立ち上がった。
「よいのですか……」
「帰るって言ってるの! 早く来て!」
彼は噛み締めるように一拍置き、女神の隣へ。
女神のすぐ隣に、ポータルが生まれた。空間に開いた穴、その向こうには別の風景が映っている。建物の中のようだった。
「罰として、もう二度とここから出してあげないから。ずっとあがいてれば?」
「最初から、出す気なんかないんだろう」
「ちっ、バーカ! ……ほらモーニングスター、押して」
神父が病を抱える女神を手伝い、彼女をポータルの向こうへと押し込んでやった。
そうしてこちらを向く。彼はまさに、勝ち誇った顔をしていた。
「ふ、まぁ貴様らもせいぜいくじけずに過ごすことだ。いつかは報われるだろう。ふふふ……」
そうして、ポータルへ向いた。
同時にポータルが閉じた。
「…………」
どうやらあの女神は、帰るからまたぐのを手伝ってという意味で言っていたらしい。そんなところまでポンコツなのか。
神父が、ゆっくりと、膝から崩れ落ちた。




