64 ただしい いのち
しばらく天を仰ぎ、前を向く。他のみんなが俺を心配げに見ていた。ガーベラも首を傾げている。
「ど、どしたの……?」
「いや……うん……」
なんだこのふざけた世界は。セックスしないと出られないだと? いやそもそも、したって出られるとは限らない。どうして俺なんだ。
不意に親切屋が頷いて、軽く右手を上げた。
「もしかして、神さまってヤツがいわゆる黒幕なんですか?」
「ああ、そういうことだ」
「神さまに目をつけられるなんて、いったい何やったんです?」
「俺が聞きたいくらいだ……」
ただの殺し屋だぞ。そうした性に関する職についているわけでもないし、性欲が強いわけでもない。
「ひとつ言えるのは、どうやら神は異世界人……ピルグリムである俺を誘拐して、この世界でモテてほしいらしい」
「なにそれ……」
ガーベラが訝しげに、目と眉を一直線にした。俺だってそう思う。
茂美がまた抱き付いてきて、俺の肩に顎を添えた。
「なんだかよく分からないけれど……アランさんみたいに魅力的だったら、うふふ、いい人を連れてきてくれたみたいね」
ウォスもくっついてきた。茂美を見て顎を肩に乗せようと背伸びするが届かず、腕にぎゅっと抱き付いてきた。
「神さまと知り合いなんてスゴいな。あ、ありがと、神さま……」
シャーリーは数歩さがって、勢いを着けて飛び上がって前から抱き付いた。ウォスからスカートの中が見えるらしく、「うぉ……おぁ……」と妙な喘ぎが聞こえた。
そうか。俺のこの、『ガチ恋フィールド』とやらも神が勝手に付けてきたものなのか。
「……いいか」
3人と離れ、改めて面と向かう。
「ど、どうしたのアランさん?」
「今までは本当の想いだと思って、お前らを受け入れてきた。だがな……」
ウォスが慌てたように、「く、口調……!」と教えてくれる。だがもう、茂美に対して本性を隠すことはない。
「……そもそも、俺に感じる魅力は全て嘘だ。神がそう感じるように仕組んでいた」
「あ、アランさん。どうしたの? わ、私、怒らせちゃったかしら?」
「違う。これが俺の普段だ。良い子ぶるのも、恋人ごっこも、もうおしまいだ」
茂美とウォスが、悲しげな顔をしていた。言葉の分からないシャーリーも、雰囲気を察してか眉をひそめていた。
悪いが、ハーレムなんていう茶番は終わりだ。
「……俺のために、色々と捨てようとしただろう。捨ててしまったものも。だから、せめてその責任はとる」
「あ、アランさん……」
「すまない。なんとでも言ってくれ」
「……素敵……」
「ああ。…………ぁあ?」
妙な声が出てしまった。それが偽物とはいえ、仮にも恋を思い切り切り捨てたのに「素敵」ときた。あまりにも好意的に解釈しすぎている。
茂美は恍惚の笑みを浮かべ、顔を真っ赤にしていた。
「本当のあなたも、犠牲になろうとしているあなたも、本当に……。一生ついて行きます。アランさん、妻にしてください」
茂美が右手を出してきた。
「あ、わ、わたしも! アラン、妻にしてくださいっ!」
ウォスも右手を出してきた。
「……? つまにしぃ、してぇくだぁいっ!」
シャーリーが見よう見まねで右手を出した。
これだけ言っても駄目なのか。くそ、強力すぎる。
「か、考えてくれ。いいか、その感情は、恋心は勝手に植え付けられたものなんだぞ。神の身勝手でな。腹は立たないのか」
「そ、それは確かには■■■///・・・……あら? いま何を言おうと……」
言葉の途中で彼女が、いやガーベラ以外の全員がなにかのノイズに飲み込まれたように見えた。
――まさか。
「ね、ねえ今!」
「ああ、分かってる。茂美」
呼び捨てにすると、彼女は驚いて目を見開き、恥ずかしそうに目を伏せた。
「はい……あなた」
「いま俺たちは、何の話をしていた?」
「それは……あら?」
彼女は上を見上げたまま固まってしまった。
「ウォスもだ。話の内容を覚えてるか?」
「い、いや、アランにムラってしただ……あ、いや……あの……もう濡れ……」
彼女も恥ずかしそうにして股間を隠した。
いやそんな場合じゃない。いま――。
「……ガーベラ。どうやら、やられたな」
そう言うと、ガーベラが頷いた。
「また、だね。……なんでこんなことするの? 勝手にいじるなんてヒドイよっ!」
ガーベラが天井に向かって怒るのを、肩を掴んで止めた。
「今のはな、警告だ。何を言っても、助けを求めても、リセットすると、見せしめにしたようだ」
「そ、そんな……そんなことのために、記憶を消したりしちゃうの? ――ってゆーか!」
彼女は慌てて受話器を取り出し、どこかに電話を掛けた。
「あ、もしもし! ね! やっぱりいじられたでしょ……え? いやだから……えーっ! もーーー! なんでそーゆーときに見てくれてないのぉおぉおぉお……!」
ガーベラが滅茶苦茶に地団駄を踏んだ。伸ばす声が震えまくっている。
しょんぼりとしながら受話器をしまった。
「うぅ……ぜんぜん仕事してないじゃん……世界管理……」
「……心中お察しする」
その瞬間、またノイズ。
「え? こ、今度はなに?」
「……ふむ。おい、世界管理って言葉を聞いたことがある人はいるか?」
そう聞くと、誰もが首を捻った。
「少しでも都合の悪いところは消しているな」
「えぇっ。なりふりかまって無さすぎだよそれ!」
「ああそうだ。だからこそ、それが朗報なんだ」
「へ?」
窓辺に立ち、見上げる。神はどこから見ているだろう。この町を覆い続ける雨雲の先か、小雨の先の同じ目の高さか、それとも地中からか。
「手段を選ばなくなった、というか慌てたな。ちょっかいを出さなければ、俺が真相にたどり着いたと確信せずに済んだんだが」
「あ……そーゆーことか。どうして今さらって思ったけど、違うんだ。余計なことしちゃったんだね!」
「ああ。そういうことだ。……なあ、神さま。名前も分からないが、きっと、俺の仕事を見てくれていただろう? その上で、聞いてくれ――」
返事はない。
だが、聞いている。
「――お前を殺す」
ガチャリ。玄関扉の開く音がした。
そこには、ステイシーがいた。その後ろから神父とルイマスと、知らない女もいる。
女が親切屋を見つけるなり、「ボーさーんっ」と駆け寄ってきた。どうやら彼の仲間のようだ。
後からステイシーたちも来る。
神父は相変わらず俺を睨んでいるものの、殺気はない。敵でさえなければ中立でも構わない。
「アランさん、ガーベラさんまで」
「やっほー。ちょっとぶりだね。うれしい」
ガーベラは人懐っこく笑っていた。あの殺意を見せた人と、同じ人間とは思えなかった。
「ステイシー。来たのか」
「お迎えに来てあげましたよ。ま、知らない仲でもないですから。デレ」
「色々とやっておいてくれたみたいだな。ありがとう」
「……アランさんの癖に素直ですね。本当に、本当にちょっとだけキュンとしましたけど、きっと『ガチ恋ふぃーるど』のせいなのでノーカンです。…………キュン。……やっぱ無しで」
「その、ガチ恋フィールドとやらなんだが、一気に真相に近付いた……ん?」
玄関の音を聞いてか、地下からオウレルも上がってきた。彼はステイシーたちを見て、少し怯んでいるようだった。
「……君たちは?」
誰が答えるより早くステイシーが前に出て、咄嗟でもキレのいいポーズをする。
「あ、どうも。みーの名は、すていしー・みゅーいー。ご覧の通りの『ぞんび』なのです。あい、あむ、ぞんびぃ。ニコ」
「ぞ、ゾンビ……?」
場が混乱しそうなので、妙な会話になる前にステイシーの隣に立った。
「大丈夫、彼女たちは味方だ。それとアイツが――」
指差すのはルイマス。するとルイマスはびくりとした。
「少女マンポが入り用かぁああああ!?」
「いやいらない。それより、オウレル。あれがルイマスだ」
オウレルは――表情こそ分からないものの――唖然と固まっていた。
「あ、あれが?」
「信じられないと思うが、あれでもプロだ」
「そ、そうなのか……」
首を傾げるルイマスの元に行き、しゃがんで目線を合わせた。
「あいつと取引をした。あの転生の魔法だが、彼らにかけてほしい。今度は獣人ではなく、人として生まれられるようにな」
彼女は黙って、オウレルを見上げていた。それから、オウレルの目の前に歩み出た。
「……わかった上で言っとるのか?」
「ど、どういう意味だ? 禁忌ならば、犯す覚悟はできている」
「そうではない。構造の違う存在になるということの意味を、よく考えてみい」
「それは……」
「いつかは適応できるじゃろう。だが、それまでは死ぬよりも辛い思いをせねばならんぞ。それでも、人がいいか」
「…………」
ただ彼は、うつ向いて考え込んでいた。
……シリアスなんだがな。どうしてもルイマスが普通の声量で喋ってることに驚きが隠せない……。
「いいですか、アランさん。ついでにガーベラさんも。コソコソ」
ステイシーが俺の肩を叩いて、廊下の奥を示す。事の顛末が気になるが、着いてこようとするハーレムメンバーを振り切り、仲睦まじく話している親切屋と女を通りすぎ、三人きりで奥へと行く。
そうして声が届かないところへ着くなり、切り出した。
「で、どんな用だ?」
「まず、あの方はカリヤさんです。親切な方で、ノベナロ町からここまで案内してくれました。ババーン」
親切屋と親しげに話している女をチラと見る。巨大な荷物だが、よくあれで動けるな。
「次に本題なのですが……オウレルさんは、どうやら大勢殺しているみたいですが、その事情は知ってますか。ハテナ」
「え……?」
真っ先にショックを受けたのはガーベラだった。目を丸くして、尻尾を丸める。
そういえばステイシーは、命の臭いを嗅げるのだった。だがオウレルの手に臭いがつく理由は分かっている。
「獣人を救うために、出来損ないになった命に触れたせいだろうな。きっと、死の瞬間にも多く立ち会ったんだろう」
「いえ、それなら、子どもの臭いがキツくなるはずです。ですが彼の手からは、純粋な人間や獣の、それも幅広い年齢の臭いがするのです」
「なんだと?」
ふと考え。答えに至った。
彼は命の研究をするネクロマンサーだという。いままで勝手に、獣人の命だけを調べているものだと思っていたが、そもそもオウレルは生きられない存在を生きられるよう治すために研究しているのだから、獣人である必要はない。
獣人を人か獣へ変えるのも、そのひとつの手段であり、実際にルイマスへそう頼んでいる。ならば正しい形の命の生誕、成長、死没を調べねばならない。
見た目の問題で差別され、医者になれないのでならば、人や獣を殺して回るしか方法は無いのだ。
「……そうか。ひとつ頼まれてくれるか」
「なんでしょうか」
「その事は黙っていてくれ」
殺し屋の俺が、それに関して説教垂れるつもりなどない。オウレルはもう殺さない方法を見つけたのだし、もうこれ以上はないだろう。
だが……ひとつ問題がある。それは、呪術師の噂だった。そもそも有害な存在がいるという噂の解決のために動いていたのだ。
オウレルが殺人鬼であると知られれば、協力するルイマスから俺へと調査の手が伸びるかもしれない。それではまずい。
「分かりました。仕方ないですね。ヤレヤレ」
「すまないな。ガーベラもいいか」
返事はない。ただオウレルの方をじっと見ていた。
それから、なにかを振り払うように首を振った。
「……うん。ふたりに協力するよ」
「すまないな。嫌なものを。だが厄介ごとはもう十分なんだ」
ステイシーが首をかしげ、顎に手を当てた。
「ところでさっき、真相とか言ってましたけど。何が分かったんですか。ハテナ」
「ああ。それなんだが……どうやら俺のハーレムは、神が作ったもののようだ」
「なんとー。まあその辺りですよね。フムーン」
驚いているのか慣れているのか分からないリアクションだ。この無表情は、いったいどんな異世界を旅してきたのだろう。
「と、なると、やはり欲しいのは突然変異だった、ということですね。ピコーン」
「突然変異?」
「そうです。この世界が文化が停滞したままの、『すたっく』している状態だとすれば、欲しいのはやはり変化です。そのために外の人間、異世界人が必要になったのでしょう。ズバリン」
「それで、か。だがどうして俺なんだ? ……そろそろ教えてくれ。もうなりふりかまっていられないんだろ?」
上へ向かって話しかけるが、返事はない。何か理由があるのか、意地になっているのか。
「なりふり、とは。もしやさっきの、何かの力ですか」
「ああ。この世界の住民の記憶を書き換えている。ステイシーも大丈夫なら、俺たち異世界人には手出しできないんだろうな」
「なるほど。なんかその焦りっぷりに覚がありますね。むかーし、アホのポンコツ神がいたんですよ」
「へえ。なら、そいつかもな」
「お、おうどうしたぁああああああ!?」
ルイマスの大声が復活した。ええい復活しなくても……。
見た瞬間、オウレルがふらりと倒れたところだった。
「行くぞ」
走って戻る。
「ルイマス馬鹿こら。何やらかしたんですか。プン」
「わ、ワシじゃないもぉおおおん! まだだもぉおおおん!」
全員が囲んで覗いているのを掻き分け――――。
「な……」
なんだこれは。
顔の骨格が鳥のようで、皮が張るほど痩せていて、異様な鳩胸の獣人が。
普通の人間になっていた。
「ぁ……か……ひゅ……」
上手く息ができず、苦しそうに喘いでいる。
ふと横を見た。オウレルに気をとられて気付かなかったが、シャーリーがパンツのみの裸姿になっている。
そんな訳はないはずだ。シャーリーの服は服に見える鮫肌。身体の一部だったんだ。
「あ……あぅ……わぁあ……!」
彼女は口をモゴモゴとさせ、パニックになり、泣き出してしまった。きっと歯にもなにかを異常が……。
「あ、あら? シャーリーちゃん!? だめよお洋服脱いじゃ……あら? ふ、服はどこに……?」
オウレルが獣人から人になったように、シャーリーも人に……。
…………まさか……。
「親切屋、少し身を起こす姿勢にしてやれ。座って、上半身を受け止めるんだ」
「分かりました。アランさんは?」
「俺は下を見てくる」
「あ、アラン、わたしも……」
「駄目だ来るな。絶対に来るんじゃないッ!」
着いてこようとするウォスと、他にも言い放って駆け出す。
地下へ降り、短い廊下の突き当たり、鋼鉄の扉は閉まっていた。ここは合言葉式だ。
「閉じた扉は只閉ざされたまま」
言ってみるが動きはない。俺じゃ駄目なのか。
……いや、一連の行動がパスワードか?
扉をゴンゴンと2度叩き、また合言葉を言った。すると扉がギギギと、ひとりでに開く。
中には、何の気配も無かった。
「…………」
数度呼吸を整え、中へ入った。
そして横を見る。
そこには、幼い人間と獣がいた。
紫色の顔。真っ赤に染まった目。
「…………っ」
死んでいた。しかし一匹だけ、痙攣し続ける小狐がいた。まだ助けられる。
実感の追い付かない踏み心地で床を蹴り、抱き上げた。そうして、口に息を入れてやる。少し胸が膨れる感覚。口を離して吐かせ、また吸わせ。
繰り返し、繰り返し。そうしているうちに、ふと気付いた。
いつまで続ければいいんだ。
一向に自分で呼吸を始める気配がない。どうしてなんだ。これじゃ……。
……構造の違う存在になるということの意味、か。
こいつは、呼吸の方法が分からない。身体がまるごと変わったのだ。腹や胸を使わず、足で呼吸しろと言っているようなものだ。
不可能ではない。だが。
無理だ。
俺にできるのは、殺してやることだけだ。
「…………まだだ」
子狐に息を与え続けながら上へ。待っている仲間たちの元へと戻った。
息を入れ続けながら、並ぶ顔たちを見た。
「この子も獣人だった……呼吸の方法を知らない……方法はないか……誰か……」
ルイマスとステイシーは首を振った。
親切屋もカリヤも首を振った。
神父もガーベラも首を振った。
茂美だけが、頷いた。
「やってみましょう」
「どうする……」
「動物はね、できると気付いたらなんでもやるものよ。私たちだってそうじゃない」
彼女は子狐を受け取り、胸や腹をそっと押した。すると、狐の口からふぅっと声が出た。彼女が手を離すとひゅっと息が鳴る。
「だから、願って。気付いてくれるって、きっと、ここが動けば息ができるんだぞって」
また押し、また離し、また離し――。
すると、ぎこちないながらも自分で胸や腹を動かし始めた。ゼエゼエと、自分で呼吸を始めた。
それを交代で補助し続けてやること、何度目だろうか。
いつしか切れたような息が、静かな呼吸音になっていた。
「やった……! やったわアランさん!」
「……ありがとう」
よかった。たったひとつでも、命を救えた。
「「やったぁ!」」
ガーベラとカリヤが同時に言って、勢いで抱き合った。
神父は苦い顔をしている。俺が悪でいて貰わないと困るようだ。
安心しろ。これでも人を殺すプロだ。お前の嫌いな悪人だよ。
「ひょ……ひ……しょ……」
オウレルが喘ぎながら、どうにか声を出した。
「しょぉと……ほは……ほ、か……」
上手く言葉にできないようだった。顔の骨格がまるごと変わり、喋ることもできないようだった。
だが、意味は分かった。『その子の、他は』だ。
「…………この子だけだった」
「…………」
彼は力なく親切屋にもたれた。そして、笑った。
「ほ……ぼ、く……たつぃ……ち……は」
『ぼくたちは』
彼の目からこめかみへ、涙が伝っていった。
「…………うわえ、た……たけなおぃ……」
『生まれた、だけなのに』
「んあ……な……にを……も……まちかっ……て……ない……のに」
『なにも、間違っていないのに』
「……そうだな」
立ち上がった。
「正しくないから正す、か。完全とやらな神さまなら、最初から間違いを起こさない世界にすればよかったのにな」




