59 ピルグリム/ネクロマンサー
「やっと情報を得たか。で、どこだと?」
みーを睨み付けながら神父が、ルイマスの口を押さえて言います。うるさいので黙らせているのでしょうが、端から見ると少女を誘拐しようとしている不審者です。
「隣のノベナロ町に行ったそうです」
「あの乾いた町か。知っている。行くぞ」
三人で宿を出て、歩き始めます。
「あぁぁぁぁぁあ! また歩きかぁああああ! ねぇまだぁあああああ!? まだつかなぁああああい?」
がっでむうるせえルイマスとの旅にはコツがあります。まずは歩かせるのです。うるさくても、文句たらたらでも、歩かせるのです。
すると、明らかに元気が無くなってきます。
「あぁ~……ゆっくり……ゆっくり歩けぇ~……」
ここで、助けてあげるのです。
「仕方ないですね。乗せていってあげましょう。デレ」
「やったぁ~……」
ルイマスを背中に乗せ、歩きます。ほどなくして寝息が聞こえてきました。これで黙らせ完了。
「扱い慣れているな」
「手に余っても、長くいれば慣れるものです」
「そうかな。私の言葉にはむかついているようだが」
「それもですね。何を言ってももう怒りませんよ。フンス」
神父が挑戦的な顔になりました。
「ほう。では……悪魔」
「はい」
「人でなし」
「へいへい」
「ゾンビ」
「ぞんび系美少女ですがなにか?」
「美少女というよりは不細工だな」
「なんだァ? てめェ……」
ルイマス下ろし案件です。みーの究極目的を破壊させるわけにはいきません。
「ふ。まだまだだな」
神父はやれやれと、先に進みました。やれやれ系主人公ですか。モテねえですよ。
夕方になる頃。土の道の途中で、第一奇妙な人を発見です。カーン、カーン、カーン、と金属音を鳴らしています。
黒い外套の下は真っ白な拘束具を着ていて、腕を身体の前に交差させているように見えます。しかし両腕は解放されていて、空中で構えたノミの後ろに金づちを当てていました。
うーん。格好と相まって、病院を脱走してきたように見えます。
「無視しろ。ああいうのとは目を合わせるな」
神父が先に行こうとしたら、何かの作業中だった彼女が振り返りました。
褐色肌。凄い毛量の灰の毛。犬っぽいケモミミと尻尾。これは萌えキャラかなにかですか。まずモブの群れにぶっこんだら浮きますね。浮く奴はだいたい名前のある奴です。
「やあ。キミたちは……ピルグリムだね?」
女はニコリと笑います。捕まりましたね。同時に神父が何かに気付いたようです。
「ん……貴様、悪魔か」
「ただのピルグリムさ。よそ者、って言えば分かるかな」
「こんなところで異世界人に会うことありますかね。ビクーン」
まれに、異世界で別の異世界からの来訪者に会うことはあります。異世界からゲストを招集して、とかもあります。
しかしただの偶然で、こんなに頻繁に会うことはありません。この世界はやはり、異質な感じがしますね。
「外の世界でどう呼ぶかは知らん。悪魔は、悪魔だ」
「落ち着いてよ」
「落ち着いている。ただ、取り除くべきものを見つけただけだ」
「キミだってそうじゃないか」
得物を抜こうとする神父の腕が止まりました。
……神父が悪魔ですか。あるいは、天界と人間界では『界』が違うのでしょう。
「あれ? もしかして、自覚なかったの」
「わ、私はこの世界で生まれ、育ったのだ」
「肉体はこの世界のステータスで成り立っているだろうけど、中身は外のじゃない。……違ったかな」
彼女は顔の前で両手を合わせ、開きます。そのとき彼女の顔が、油のような、ヘドロのような、おぞましいものに侵食されているように見えました。
「……うん。やっぱりキミもピルグリムだ。仲良くしようよ」
「お前とは――」
「何をしているか、聞かせて貰ってもいいですか。ハテハテ」
熟睡ルイマスを神父に押し付け、会話を奪います。
「この世界を直してる。見た目じゃわからないけど、壊れてるの」
「壊れている……。だから、異世界人が入りやすいのでしょうか」
「かもね。破損が大きすぎて、もうどんな不具合があるか分かったものじゃないよ。旅行で来ているならここはやめた方がいい」
「そのことなんですが、出ようにも出られないのです。なので、神に連絡して色々と話したいところですが……」
「いいよ」
彼女は上着の下から、黒電話の持ち手だけを取り出しました。電話線はどこかへ消えています。
なんだかあっさりと問題が解決しそうですね。これが『世界管理』に繋がるのであれば、当初の目的どおり病さんを天界に返すことができます。
神父と顔を合わせ、電話を受け取りました。プルプルと、呼び出し音が鳴っています。
少しして、ガチャリと誰かが出ました。
「世界管理、保守課。また破損を発見しましたか?」
ややうんざりした声です。
「どうも」
「え、あ、どうも……あれ?」
「貸してもらったんです。修理屋さんの、えー……」
女を見ると、微笑んで「ガーベラ」とささやいてきました。
「ガーベラさんに」
「あ~……なるほど?」
「みーも異世界人なので、どうぞお気を使わず」
「異世界人? あのゾンビの方か?」
「どうやらご存じのようですね。では、ガーベラさんへの自己紹介を兼ねて……」
シュバっ、シュバっ、と『ぽーず』を決めます。
「みーの名は、ステイシー・ミューイー。みなさんご存じ『ぞんび』、なのです。あい、あむ、ぞんびぃ。ニコ」
決まりました。これを決めねば異世界に来た感じがしません。受話器を耳に戻しました。
「なんだって? よく聞こえなかった」
「ステイシーです」
「あ、そう。受話器は耳のところに置いとくものだよ」
「知ってます。で、神さまということですが、みーを出せたりしますかね」
「ウチの管轄じゃない。それができるところへ繋ぐから待って」
保留にされました。聞いたこともない『くらしっく』です。どこの世界でも『くらしっく』は保留音にされる定め……。
「何をしている?」
神父に電話を奪われます。彼はみーの見よう見まねで受話器を耳にします。
「……音楽? これはどこから……」
「一回返してください。原始人さん」
奪い返しました。音楽が止むと、女の人が出ました。
「世界管理、管理課です。ステイシーさんですね?」
「そうです。ニコ」
「異世界への転移をご希望とのことですが、その前に確認事項が」
「分かります。病さんの件ですね。ドドン」
「……! やはりそちらに?」
「はい。早く回収してあげてください」
「それなんですが……できないんです」
「は」
思ってもない言葉に、地で声が出ました。ずっと表情が死んでいるので声色は変わりませんが。
「どういうことですか」
「見えないんです。こちらから」
「世界を管理していて、見えないわけがないでしょう。みーが『ぞんび』でアランさんが『殺し屋』ってどうやって知ったんですか」
「違うんです。病だけが、見えないんです。観測できないんですよ。隠されているみたいに……」
「隠していますよ。ローズマリー王国の城近くに山があって……」
場所を説明すると、向こうはブツブツと復唱して、唸りました。そして――。
「まぁっ!」
小さい悲鳴です。
「見つかりましたか」
「い、いえ、でも……」
「なんですか」
「あの……」
「なんだってんですか」
「い、言わないとダメですか……?」
「全生物の生死がかかっているんです。嫌でも言ってください。プン」
まさか。病さんの死体でしょうか。この世界の全人類が緩やかに死んでいく運命に……。
「えっと……ほ、豊満な感じのロボット……みたいなのが、いてですね? 腰に……だん……男性器の付いた腰を……こう……へこへこ……」
「…………」
「せ……その、あれです。せ……せっ……あ! せ、性交しているみたいな動きです」
「…………」
「だ、黙らないでくれませんか!?」
「……すみません。えー、色々と。すみません」
まるでみーがセクハラしたみたいですね。すごく申し訳ない。
彼女が言っていた『ろぼっと』はドゥカさんのことでしょう。アランさんの『はーれむ』とかいう異常者の集いのひとり。
病さん、まさか襲われているんですかね。気の毒に……。
「ということは、そこにいるんですね。フンフン」
「そういうことになりそうです。ですが、観測できない事には転移ステータス指定も、指向誘導システムも……要するに、見えないものは捕まえられないんです」
即ち、詰みです。みーと、ドゥカさんでどうにかあの洞窟に封印し続けるしかなくなったということです。
「……話を戻しましょう。異世界転移できるって本当ですか」
「可能です。ええと……はい、それでは良い旅を」
「あ、待っ」
目の前が真っ暗になりました。どこへ行くかも聞かれていないのに。やれやれ、追い出されましたね。
アランさんとお別れも言えずに退場ですか。今までもこんなことはありましたが……はぁ。
目の前が明るくなりました。
目の前に電話している神父がいます。
「…………」
「……貴様」
「……えー……。どうも、みーの名前は……」
「どうして戻って来た」
「知らねえですが」
神父が受話器を耳に当てました。
「おい。戻って来たぞ。いったいどういうことだ。……なんだと?」
なんか話してますね。後で内容を聞きましょう。
「待て、では主と連絡を……なに? ではどうすれば……そうだ伝言は。伝言はないのか。あるいは……伝えるでもいい、悪魔を追い出す方法を…………な!?」
神父の顔が青ざめていきます。
「…………。そうしたのであれば、我が主にもお考えがあったのだろう。……変わる? 何を変わるのだ。電話? これか? これが変わるのか」
「こういうことですよ」
神父から電話を奪い「お電話変わりました。ステイシーです」と言います。神父には満面どや無表情をお届け。
「あ、ステイシーさん? どうして帰ってきちゃうんですか」
「知らねえですが。プンプン」
「では我々もお手上げですよ。どうしようにもありません」
「敗北宣言ですか。検討くらいはしてくれませんかね。オネダリー」
「……はあ。では、少々お待ちを。社長に繋ぎます」
また保留にされました。また聞いたこともない『くらしっく』です。
神父が「どうしたのだ」と聞いてきたのを無視します。すると、受話器の裏側に耳をくっ付けてきました。暑苦しいです。あとガーベラさんに笑われています。恥ずかしいです。
音楽が止みました。
「どうも、世界管理、社長です。えー、ステイシーさん」
「はいどうも。ぞんび系美少女のステイシーです。というかみんな名前を言わないのなんでですか」
「役職がね、もう名前なんで」
「そうですか。それで、話はもう伝わってますか。ハテナ」
「ええ、ええ。では結論から申し上げますとですね。無理です。我々も連絡が取れませんので」
「連絡を。いったいどこにですか」
「我々の雇い主にです」
雇い主。ふと思い出したのはアランさんの、「株式なら、株主がいるんじゃないか?」という言葉。
もっと根本的なことを忘れていました。管理会社なのですから当然、管理を委託した雇い主が存在するのです。アランさんはあの時点で、ほぼ正解していたのです。
「…………それでやっと分かりました。色々と解釈に違いがありましたが、やはり神話はふたつあったのですね。世界を管理する神話。神父に管理を任せた神話。恐らく世界の持ち主は、後者ですね。神父のあとに管理者を雇い、こんなすれ違いが起こった、と」
「そのようですね。……ただ我々は、神というか、ただの管理人ですがね。コントロールしているのは希望でも絶望でもなくて、数字だけです」
「雇われ神の事情はどうでもいいんです。雇い主とは、どうあっても連絡ができないんですか」
「ええ。向こうから連絡してくるしかありません。そういう契約にしてしまったんで。でも、来たことないんです、連絡。も~う……一万年くらいかなぁ、になりますけどね」
連絡を遮断。意図的ですね。どうやっても見つからないようにしているようです。
「まあ、そういうことですのでね、この世界でどうぞ楽しくやってくださいよ。その大陸以外は壊れてないんで、そこ以外でね、楽しくね」
「はぁ……」
「それと病なんですが、是非ともね、よろしくお願いしますね」
「それは身勝手に過ぎますよ。あなた方の不手際で、全生命の命が危機にさらされているんです。これは正式に苦情として申し立てます」
「苦情。クレームならね、サポートセンターがありますんで、そちらに繋ぎますんで」
「いえ待ってくだ……」
保留音です。
キレそう。
「ええい、なんなのだその男は。シャチョウだかなんだか知らんが、するべき対応があるだろう」
「本当ですね。あんな適当でよく社長がやれますね。部下におんぶされてるんですか。ピキピキ」
「お電話はおわった?」
ガーベラがニコニコとしています。
「ええ。まあ」
「うん。じゃあ切るね」
手元で聞こえた「こちらサポートデスクぅううう!」というやたら嬉しそうな声がぶちっと切れました。
もしかしたら苦情受付の数少ない仕事だったのでしょうか。悪いことをしました。
「ほんとう、なんなんでしょうか、この世界は。ヤレヤレ」
「この世界? ひとつだけ教えてあげる。ここは人間本意で出来ているのさ。世界の構造そのものに、人間の歴史がある。……さてと、もし用があるなら、ガーベラって呼んでね。行けたら行くよ」
「それは来ないやつですね。ですが、ありがとうございました。わんちゃん呼びます。ニコ」
「ワンちゃん? ぼくワンちゃん好きだよ?」
「ねー」
「さて、そろそろ行きなよ。おしゃべりできて楽しかった。また会えるといいね」
「ねー」
「世話になったな」
神父も頷いて、乾いた町へ向かいます。背後で、カーン、カーン、カーン、と鳴り響いていました。
森を抜け、親切屋と、ウォスとの三人で街を歩く。雨を避けるため、道の横に連なる屋根の下を辿っていく。
ここは雨の町というらしい。年中、雨が降っているのだとか。湿っぽく、カビのような、泥のような嫌な臭いの町だった。
ウォスは初めて自分以外の知的生命体を見つけた学者のように、前を歩いたり、後ろを歩いたりと、俺に対して自分の収まるべき場所を探していた。
ビスコーサと同じ闇を抱えているが、こっちは人との関わりすらないらしかった。
「こういうの、遠かったから分からなかったけど、こう……強引なんだな」
「なんの話だ?」
「あ……ほら、告白というか」
「そんなわけがあるか。相手を拘束してキスとかどういう状況だ」
そう言うと、彼女は顔を真っ赤にした。日常会話でさえ、追い詰められた焦りと恥が顔に出る。
「わ、わたしは知っての通り、友だちとかいな……できにくい。できにくいから、恋人とかどころか、友だちもよくわかんないんだけど……ほら……」
どんどん顔が赤くなる。間が開くだけでダメのようだが、何かを主張するには説明が下手すぎる。
じゃあ殺し屋と旅なんかできないだろ……。俺も話しかけないぞ……。
「ん? アランさん、あれ」
親切屋が何かに気付いた。視線の先には、革の外套が数人そろって困った顔をしていた。
「ほうっておけ。それより、早いところ女王のところへ向かった方がいい」
「大丈夫ですよ。オレが一緒に行くということは、こういうことで遅れるって分かります」
「そうか。まあ、好きにしろ。俺たちは待っている」
乗ることにした。新大陸は知らないことが多い。裏を返せば、どこで仕事に使える道具を見つけられるか分からないということでもある。銃の密造以外にも、できることを見つけられるかもしれない。
親切屋が話しかけに行き、少しして、またウォスが話しかけてきた。
「な、仲良しなら、手とか繋いだ方がいいかな」
「そうとは思わんが」
「そ、そうか」
「……」
「……くっく……ふっ……ヒハハハ」
笑い方を模索して大転倒している。なんだその笑い方は。
どうやらおかしい自覚があったらしく、うつ向いて黙ってしまった。どうしたものかと悩んでいると、やはりウォスの方から話し掛けてきた。
「あ、あの、ハーレムさ、陰キャは……いや陰キャさんはおらっしゃられ……いらっしゃ……? おらる、らるので……すか?」
「なんて?」
「いん……く、暗い、というか」
「いるな。ビスコーサという魔術エンジニアだ」
「い、いるのか!」
彼女は嬉しそうに目を輝かせた。
「お前を見て、真っ先に思い出したよ」
「そ、そうか。仲間がいるなら安心だな」
「……」
「……」
「な、なあアラン」
「なんだ」
「話したいこととかあったら、言ってもいいぞ」
「……そうだな。あのデスゲームだが」
「デスゲームの話かッ!? デスゲームの話ならいくらでもできるぞ!?」
得意分野の話になった途端に声量が跳ね上がった。通行人に見られるが、本人は気付いていない。
「どっちかというと、使った技術の話を」
「そ、そんな裏方話なんかより、ほら、デスゲームの種類がな、本当は色々とあったんだ。けど予算の都合で三つだけになった」
先が思いやられる。いっそ、ハーレムを大増殖させれば分裂して破滅しないだろうか。奴隷商に奴隷を貸してもらおうか。
やっと親切屋が戻って来た。途端にウォスが黙る。
「街のはずれの呪われた土地のどこかに呪術師が居て、病気を広めているそうです」
呪術か。この世界では菌がまだ発見されていないので、呪いが病の原因だとされているらしい。となれば、当然呪術師は恐れられる。
「どうする気だ?」
「とりあえず、お話しましょう」
「妙なことに首を突っ込むのが好きだな、デスゲームしかり」
「ですね」
「お前が始めたことだ。お前に任せる」
「もちろんです」
親切屋について行く。ぬるついた石作の街の郊外、建物は並べど人の気配がない場所についた。呪われたと言われる割には他の場所と何ら変わりがない。ただ、建築の様式がやや違うようだったが。
ふと目に付いたのは、ある洋館だった。15人ほどが住めそうな大きさだ。
扉をノックすると、ほどなくしてノブが下がる。
顔をのぞかせたのは、また奇妙な男だった。身長が高く、顔の骨格が鳥のようで、皮が張るほどやせ細っている。と思えば凄まじく大きな鳩胸を張って立っている。ウォスが息を飲み、口を押えて、モゴモゴと「ごめんなさい」と謝った。
「……君は?」
囁くような声だった。
「どうも。オレは『魔族博士の草むしり大使のSランクの冒険者の親切屋』のボー・ケンシャです」
「親切屋……。噂に聞いたことがあるな。助けてくれないか」
「よろこんで」
「おい待て」
思わず止めた。今から止める相手に、いきなり献身するのは悪手だ。
「なんです?」
「こちらからも要求があるだろう。取引になる」
「それはそれ、これはこれですよ」
「わざわざ回り道をしてどうする」
「親切はそういうものですよ」
「……いいかな」
家主は表情一つ変えず、冷静だった。
「なにを要求する気だったんだ」
「街の人たちが、人を呪うのは止めて欲しいそうです」
「呪っていない。人違いだ」
「そうなんですか。では、あなたの困っていることとは?」
あまりにあっさりと信じたのでまた止めそうになったが、彼が俺の嘘を一瞬で見抜いたことを思い出してやめた。
「子供が行方不明だ」
「子ども? どんな子ですか?」
「女の子。サメの皮を服のようにした、言葉の分からない子だ」
シャーリーだ。全く同じ特徴。ここに来たことがあるのか。
親切屋が言葉を発する前に、腕を掴んで引っ張り、対応を変わった。
「その子なら知っているぞ。以前に見かけたことがある」
「本当か。どこでだ」
「教えてもいい。だがその前に答えてもらう、あの子は一体何なんだ」
「アランさん?」
親切屋が止めてこようとするのを、手でのけた。
「悪いが、俺のは親切じゃない。取引だ」
「……構わないよ。協力してくれるのであれば、この研究を知ってもらいたい。僕はオウレル。オウレル・フォッグツリー」
入って、と扉を開けた。洋館に入り、彼の後ろをついて行く。ウォスは俺の袖を掴んで、引っ張られながら歩いていた。
「知っているかもしれないが、僕はネクロマンサーだ。生に関する研究をしている」
「生に関する、か。死霊術師と言うからには死の方を研究しているかと思っていたが」
「死も研究している。死は、生という機能の一部だ。火を学ぶため発火、燃焼、消火のプロセスを学ぶように、生を研究するということは誕生、成長、死没を研究することに他ならない」
「生と死は対義語じゃないのか」
「そう使われている以上は対義語と認めざるを得ないが、厳密には死を生が包含するはずなんだ」
地下におりて短い廊下の突き当り、鋼鉄の扉が迎えた。オウレルはそれをゴンゴンとノックする。
「閉じた扉は只閉ざされたまま」
すると扉が、重くギギギと鳴りながらひとりでに開いた。今のは魔術だろうか。
「ただいま。今日はお客さんがいるよ」
中は魔術灯に照らされ、明るい。しかし返事はない。彼は気にせず、中へと入った。
後に続いて入り、横を見る。
「……」
目の前の光景をただしく認識できず、言葉が出なかった。
人とも、動物ともつかない異形の存在がうごめいていた。中には人の肉と皮を持っていながら、どこがどの部位だかも分からない塊もあった。
「これは……」
「獣人は知っているか」
「獣人? 獣に、人と書くのか」
「そうだ」
オウレルの顔をじっと見た。彼は顔を背けようとして、止めた。
「その通り。僕は獣人だ。そしてこの子たちもまた、獣人。獣と人間の間に生まれた子どもたちだ。ただ僕に限って言えば、獣の血はほとんどない。最初のひとりから暫くの家系は秘匿され、直前まで人間が生まれていたものだから、獣の血が混じっていたとは誰も思わなかった。僕はきっと、恐ろしく運が悪かったのだろう」
獣と人で子供を作るのは不可能なはずだ。染色体の数が違えば、そもそも受精ができない。子どもとして育つことなどありえないはずだ。しかし目の前では現実に起こっている。
この世界ではそうなのだろうか。あるいは――。
「――お前が生み出したのか?」
「違う!」
突然の大声に、真っ青な顔になっているウォスがひっくり返った。オウレルは咳ばらいをする。
「すまない。だが、断じて違う。この子たちは、生まれたのちに捨てられた。それを人目の付かない場所に保護しただけだ。呪われた土地と言われたここならば安全だ」
親切屋を一瞥した。彼は俺を見返して、うなずいた。ならば嘘を言っていないのだろう。
「獣人は、身体構造の異なる存在同士の子になる。どちらの親の形質を引き継げるかはコイントスになる。当然、中身もだ。生まれてすぐに死ぬことが大半であり、そもそも生まれることなく死を迎えることもある。デザインされたような外見になるのはありえない。まさに奇跡なのだ。しかし――」
彼は奥の本棚から、一冊のボロボロの本を取った。経年劣化によるものというより、頻繁に使われたのだろう。
「――これは古い文献の写しだ。これによると、歴史にも残らないほどの過去には人として生きられるほど、完成された形をしていたという。数々いる伝説の勇者。その一人もそうだったという。すなわち、不可能ではないということなんだ」
「少し、いいか」
「もちろん構わない」
「そもそも、それは伝説だろう。本当だったかどうかは分からない」
「どうしてそう言える?」
「滅多に生きた状態で生まれないのなら、人は皆そうだと知っているはずだ。それでも獣との子を作り続ける理由はない。気の遠くなるような低い確率で、子どもを作り続けようと思うか?」
「その考えなら当然、僕も至った。だが、他に何の情報もない。縋れるものは、これしかなかった。だけどね、この記録を事実たらしめる存在がいる」
「……シャーリーか」
そう言うと彼は驚いたように姿勢を正し、「そうか……」と呟いた。
「あの子に、名前を付けたのだね」
「ああ、すまん。呼ぶのに不便だったからな」
「いや、いい。彼女が言葉というものを、名前というものを理解してから名付けるつもりだった。だけど、……シャーリー。とても素敵な名前をつけてもらったのだね。僕も、そう呼んでいいかな」
「俺が決めることじゃない」
「……それもそうか」
檻の中の、『命』としか呼べない何かたちを見た。
……こうなると知って、獣とセックスする存在がいるのもまた事実、か。
「それより、どうしてシャーリーが必要なんだ」
「人と獣の血が一対一であり、形質が競合せずに整合したモデルがあれば、それを基準に研究を進められる。理論は常に現実に従うものだからね。その研究の中できっと、あの子たちの不整合を治していけると思う。言葉を理解できるようにして、人間にするでも、獣にするでもなく、少なくとも文明の利を享受できる存在にしたい。そうでなくても、自らの選択を自ら選べる存在に」
彼は自らの手をじっと見つめた。
「この世界は異常だ。失敗すると分かって、歪んだ命を生み続けている。まるで何かの運命に踊らされたようじゃないか。だけど、どんな理由があったって、生まれたことが間違いであるということは決してあってはならないんだ。これが世界の意思でも、自然の摂理を歪めたとしても、僕はこの運命を否定する」
「そうか。もうひとつ、いいか」
「もちろんだ」
「ずいぶんと喋り慣れているな」
そう言った瞬間に、彼は俺から一歩下がった。親切屋が首をかしげる。
「どういうことです?」
「出会った時から引っかかっていた。呪われた土地、呪いを専門にする者、そして――こう言うのも悪いが――人間と言うには怪しい骨格。これだけの条件が揃っていたら、そうそう誰かと話すことはないはずだ」
「そうでしょうが、ひとりだと独り言も多くなるものでしょう」
「そうだな。だが――」
ウォスを見た。突然みられて彼女はびくりとした。
「――人との会話に難が出るものでもある。オウレル、お前は会話のリズムも、語彙も、問題はないようだな。それに、この場所。呪われた土地なんて言うぐらいだから長い間放置されていたんだろう。それにしては、よく管理されている。この建物だけでなく、ここの一帯全てだ。お前ひとりでできる仕事量じゃない。そうだな?」
彼はただでさえ白い顔を蒼白にし、うつむいた。
「これは取引だ。裏でどこの誰と繋がっているか分からない状態で、シャーリーを引き渡すわけにはいかない。誰と話していた?」
「…………ガーベラだ」
彼は呟いた。
「ガーベラという、悪魔が居る。彼がよく来るのだ。この土地を気に入っているとかで」
「悪魔?」
「そうだ。だが、僕は決して魂を売ってなどいない。この館を使わせてほしいと頼んだだけなんだ。出された条件は話し相手になること。ただそれだけだ。だから――」
彼は俺の目の前に立った。
「――どうかお願いだ。他の人には言わないでくれ。僕はどうなってもいい。でもあの子たちには何の罪もない。誰かが、世話をしなくてはならないんだ。頼む……」
「いいですよ」
親切屋が答えた。そして俺を見た。
「すみませんね。ですけど、このお願いを断ったらオレは――本気でアランさんを許せなくなる」
「気遣うことはない。どうせ言う気はなかった」
「そうでしたか……意外と優しいんですね」
今まで鳴りを潜めていたウォスが、親切屋の裏に回って俺をジトリと見ていた。
「……優しくないぞ。さっきわたしを、さりげなくバカにした……カノジョなのに……」
「そうだな。そろそろ別れるか」
「そ、そういう話じゃない! そうは言ってない……でもそういう風に聞こえた……?」
「いえ、大丈夫ですよウォスさん」
「だよな親切屋! ほらアラン、コミュ力おばけがこう言ってる。優しくするんだぞ。優しく……手をつなぐ……とか。……違う? 違うかな……」
天を仰いだ。
…………先が思いやられる……。




