55 新大陸とかいう地獄にようこそ
どうにか日が上らないうちに浜へたどり着いた。この地域ではまだ人の姿はないが、東の空が明るい。じきに日が差すだろう。
「さぁ降りてください。行きましょう」
「え、で、でも……」
「帰りの船は別で行きます。これは陸に上げておきましょう」
「いえ、そうじゃなくて……」
茂美が顔を赤らめて、胸と股間を隠した。
「全裸じゃ……人前に出られないわ」
「…………服は道中で買います。その間の茂美さんの隠れ場所も探すのでご安心を」
「……し、信じてるわよ?」
茂美もシャーリーの手を引きながら降りた。シャーリーはまだ眠そうに目を擦っている。
そしてもう片手で、船のフチを掴んで引きずり始めた。
「えぇ……」
ひとりで熊を引っ張っただけのことはある。いやどんな怪力だ。
「行くわよ」
「あー……できれば船は持ち上げて欲しいんですが」
浜の跡を消しながら言い、シャーリーの手を取った。
「分かったわ」
そう言って茂美はもう片手でも船のフチを掴み、ぐわんと持ち上げてサーフボードでも持つように小舟を担いだ。
言っておいてなんだが、なんでできるんだ。
「行くわよ」
「は、はい……」
少し浜を上がる。すると少し遠くの海岸に崖と岩場。あそこならちょうど良さそうだと向かった。
着いてみると、思ったより上手く船を隠せそうな、大きな岩が密集した場所だった。少し崖側に凹んだような形状で、陸からも見えにくい。
「ここにしましょう。では僕は茂美さんの服を買ってきます」
「ありがとう。シャーリーちゃんはこっちで預かるわ。シャーリー」
「ん……トミ……」
シャーリーはいつもの笑顔を見せず、切なそうに呟いた。
「シャーリーちゃん……」
「まだ若いですけど、いつかは親しい人の死に直面するものです」
「そうね。それで……きっと、命の大切さを知れたわかもしれないわね」
「お前は命の大切さを知らんのか……」
神父が頭を抱えました。
神父の上着を羽織り、頭が無くなった巨大熊の側で休憩しています。ルイマスなんかは、殺され続けた気疲れのせいか地面でぐっすり眠ってしまいました。
すぐ出発したい所ですが、またもやみーの服がない。なので服屋で手に入れようと神父に提案されました。
が、服屋の店主はみーが始末しました。
「どうしてそう、すぐ殺すのだ」
「だって。みーの貴重な『しゃわーしーん』を覗いてきたんです。マジ、キモいです。ゾワゾワ」
「気持ち悪いのは分かる。だがそれが、殺して良い理由になるわけがなかろう」
「なんも言えねェので正論は止めてください」
「やかましい、悪魔め」
「まだ悪魔呼びですか。もうそういう件はいいでしょう」
「何を勘違いしている? お前は悪魔だ。このお方が味方だからといって、それは変わらん」
思わず眉間をつまみます。まさか神父が敵対したまま、どうにもならないとは思いませんでした。しかもルイマスを崇め始めています。
逆に問題が複雑化してませんかね……。
「…………それにしても、やはり分からん」
「分からん、とは。ハテナ」
「この世界で、ここまでの偉業を成し遂げた者などいなかった。私のものと同じ、主の奇跡なのだぞ。それが、どうして急に……」
「そういうものは、いつ現れても『どうして急に』と言うものです」
神父はみーを睨み付けてきました。
「こればかりは、違うのだ。この世界は、文明が進まない。そういう風にできている」
「誰かが監視でもして、無理に止めているとでも言うのですか」
「それは……分からんのだが……」
「分からないんですか。分かっているような口をききやがりましたね。プン」
「私が受けたのは、異物の排除という神託だけだ」
「…………がっでむ」
思わず頭を抱えました。
「なんだ」
「ゆー、その言い種だと神と連絡が取れないんですね。なーにが天使ですか。ドヨーン」
「く…………そこまで会いたいのか。いったい主に何の用があるというのだ」
「この世界からの脱出です。みーは一度この世界に来て、勝手に脱出する予定でした」
「できるのか。なら今すぐにやれ」
「今はできません。いつもなら否応なしに転移するのに、この世界から転移したと思えばこの世界に着地します。たぶん『るーぷ』しているのです。みーだって、ゆーみたいなアホの天使のいない世界に行きたいんですよ。パタパタ」
「パタパタ……?」
「あ、煽りって意味です。パタパタ」
「…………」
神父の手が得物に伸びます。
よしいくらでもかかってこい。
「…………はぁ」
と思えば、溜め息をついて手の力を抜きました。
「悪魔の児戯に付き合うのも疲れるものだ。そろそろ行くぞ」
「どこへ行くんですか」
「材料を集めねば」
「……材料……ですか」
物凄く、嫌な予感がします。
「何をする気ですか。ハテナ」
「決まっているだろう――」
神父は腕を広げました。
「――奇跡の証だ。ここに、このお方のために神殿を建てる」
「うわー」
思わず大の字になりました。また神父が面倒くさいこと言ってます。
って下穿いてねえです。慌てて股間を隠しながら起き上がります。
「……散歩してきます」
「む? どこへ行くというのだ」
「ちょっとバルカン公国まで。密入国でもしようかと」
「フン。勝手にしろ」
あっさりと言いのけました。意外です。
「いいんですか。ハテナ」
「どこへ逃げようと見つけて捕まえる。だがその前に神殿を構えねばな。お前とて、その後光に平伏することだろう……フッフッフ……」
「…………。なるほど。ではお言葉に甘えてそうします。ひとつだけ言っておきますね」
「なんだ」
「心が折れたら、そいつをローズマリー王国に連れ戻してください。で、騎士団辺りに押し付けるといいです」
「何をバカなことを……。そんなことになるわけがなかろう」
みーを蔑む目で見てきます。ですが、今に分かるでしょう。
このロリ妖怪ジジイがいかに手に余るかを。
「だといいですね。それでは。ソソクサー」
彼らに背を向けて歩き出しますが、追ってくることはありませんでした。図らずも解放です。
ではアランさんを助けに行きましょう。ひょっとしたらそろそろ、自力で脱出しているかもしれませんが。
今頃、どうしているのでしょうか。
今頃、命の重さを思い出すとは思わなかった。
海岸をなぞる土の道を歩きながら、そんなことを思った。
殺し屋という職業柄、命は重いものであると知っておかねばならない。それを分かっているつもりで動いてきた。
だがトミーの死でそれを、改めて見せつけられた。ちゃんと思い出すことができた気がした。
それならこの旅の回り道も、無駄なものじゃなかったかもしれない。
少し歩くと町が見えた。朝日が赤く照らしているその町は、どうやら港と直結しているようだ。
幸運だ。漁師の朝は早いから、きっと町の朝も早い。たどり着くとその予感が的中していた。白い石造りの町には既に、活気と呼べるざわめきがあった。
まずは何より、服の入手だ。少しウロウロと見て回っていると、どうやらこの町では全ての建物が似た作りで、看板で見分けなければならないらしかった。
それなのに店が密集していないので、たった一つの店を見つけるのにも苦労した。行ったり来たりして、やっとで服屋を見つけた。その間にこの町の構造を大体把握してしまった。
大方は二つのゾーンに別れている。一つは町で、議事堂のような、大きな石造りの役所が町の中心に構えており、そこから十字に大通りが広がっている。道に分割されてこそいるが、町は店と住居とが入り交じっている。
そしてもう一つのゾーンが、港。港には市場もあり、魚屋だけでなく、様々な日用品や、家具も売っていた。輸入品だろう。
この大陸に来て、最初に来た町が港の町か。いきなり脱出の糸口が見つかるとは都合がいいことだ。
「いらっしゃい」
「どうも。ちょっと変わったお願いがあるんですが、聞いてくれませんか?」
「なんだい急に」
「実はお金がないんです。でも服は欲しい。そこで、なにか仕事はありませんかね」
持ち金は、ステイシーを入れていた鞄の中に入れっぱなしだった。無一文だ。
「仕事……ねえ。そういうのは役所で聞くといい」
「あるんですか?」
「日によるがね。仕事やって、金を貰う。そういうシステムだ。誰がやるかなんかどうせ気にしてないよ」
「へぇ……ありがとうございます。ちなみに、婦人服一式でどれくらいの値ですか」
「銀貨十枚。見繕っておくか」
「お願いします」
「はいよ」
店を出て役所へ向かう。巨大な柱に挟まれた大扉は開け放たれている。
入ると中では行列が作られていた。少し時間がかかりそうだ。
「あら、あなたは初めてのお方ですね」
話しかけてきたのは、列の整理をしていたスタッフだった。ずいぶんと現代的な役割の人間がいるものだ。
「はいそうですが……」
「ギルドカードは持っていますか?」
「いえ。この国に来るのは初めてで」
「あら? 入国の時に仮発行されるはずですけど……」
そう言う彼女へ、驚く顔をしてみせた。
「え? そうなんですか。そんな説明なかったですよ?」
「まぁ……大変ね。言いにくいのですけど……そのままだと出国できません」
「なんですって?」
ここも大袈裟にリアクションを取る。不法入国したことを悟られないよう、会話に集中させねば。
「じゃ、じゃあオレは、どうすれば……」
「……実はいい考えがあります。ここでは無理ですけど、隣町ならギルドカードを発行してくれるかもしれません」
「そうなんですか」
「ギルドマスターが――こう言ってはなんですが――変わった方なんです。面白いと思った人に発行しちゃうみたいで」
「そうなんですね。ありがとうございます、ご親切に」
彼女に会釈をし、引き返す。となるとまた少し時間が掛かるだろう。まだ少しの間は茂美たちと、文明から離れた生活をしなければな。
そして、大扉を潜る瞬間。
「ヒヤッハァ!」
見るからにチンピラの大群が、目の前の広場に押し寄せてきていた。
夢でも……見ているのか……?
「突撃ぃーーーー!」
「早くブン盗れェっ!」
そして突っ込んできた。慌てて横に避ける。
強盗団かなにかか。その格好は船乗り崩れのようだった。まさか海賊か?
「うわぁああ! 親衛隊が来るぞ逃げろ!」
一人の絶叫と共に、一般人たちはパニックになって逃げ惑う。強盗たちはあっさりと逃がし、中へ入っていった。
これが……親衛隊……?
「おい早く逃げろ! どうなっても知らんぞ!」
「え、ええ……」
俺の返事も聞かず、男は逃げていった。
上手く事態が飲み込めていないと自分でも分かった。それなのに気になるのは、強盗団の行動。
人質にできたはずなのに、誰も彼もを無視して金か何かを探している。
まるで、慌てているような……。
……いや、俺も逃げないと。面倒事はごめんだ。
そして踵を返した瞬間。
「総員ンンン! 盾を構えッ!」
見るからに騎士の軍団が、目の前の広場に列を成して集っていた。
広い金属版の上側が真っ二つに割れたような、巨大な盾をこちらへ向けている。
「バルカンに蔓延る虫ケラ共が……。総員! 砲身折れェエエ!」
割れ目を上からなぞるように、盾の裏から棒状のものが飛び出す。
あれは――――。
「殺虫剤にはマスケットォオオオオ! 総員てェエエエエエッ!」
号令と同時に横へ飛ぶ。強烈な発砲音と共に館内の壁や柱や机に着弾して破片を散らした。
そして、運悪く中央に立っていた強盗がひとり、蜂の巣になった。
「なんてこった! マコーミックが死んだ!」
「上がれ! 上がれ!」
男は死体から何かを取り、階段を駆け上った。
やはりバルカンでは銃が普及している。それが分かったのは良かった。よかったのだが、あいつら市民の確認もしないで撃つのか。
それに……。
ちらりと外を見た。金属鎧の騎士たちは、じっと構えていた。
マスケットならばリロードが必要なはず。それでもじっとしているのはまさか、マガジン式だからか。
「さぁ出てこい……出ておいでェ……!」
犯罪者の射殺しか考えていない声だ……。
どうする。飛び出ても蜂の巣にされるか。裏から逃げられるか。だが裏口に続くらしい廊下は正面玄関口を横切らなければならない。
「おぁあああタマシイ輝いてるッ!」
二階で珍妙な叫びが聞こえたと思えば、上から人が降って列の中心に落ちた。そして――。
「待避ィイイイイッ! ドわァアアアアっ!」
大爆発した。近くにいた騎士が巻き込まれて倒れ、ピクリとも動かなくなる。
なんだか分からんが今がチャンスだ。急いで扉を横切った。
ちらりと、カウンターの裏に金が落ちているのが見える。
「悪く思うな」
金貨や銀貨を一掴みして、裏口へまた走り出す。
「上を狙えェエエエエ!」
「もういっぱぁああつ!」
「むわァアアアアアっ!」
命が……命が軽い…………!
なんだこの国は……! 身が持たない……!
突き当たりの扉が開く。
向こうには騎士。
「く……!?」
「死ね危険分子ィイイイイ!」
相手が盾銃を構えるのと同時に横へ避ける。着地と同時に反対側へ。そのまた反対へ。ジグザグに走る。
「く……と……止まれ!」
いわゆる長物銃は拳銃と違って全長が長い分、銃口を大きく動かさねばならない。その上、彼らの盾銃はシールドが重くて横への狙いの融通が効かない。
どうやら銃に関しては俺の方が詳しいようだな。
盾に飛び付き、押し倒して乗り越えた。
構えが間に合っていない背後の騎士たちの間を抜け、またジグザグに走りながら近場の路地へ逃げ込む。
それから大回りで大通りへ出る。どうやら撒いたようで、広場では役所の強盗と騎士とでやりあっていた。
堂々と大通りを横切り、さっきの服屋へと歩を進めた。
あの騎士どもが親衛隊か……。恐らく、護衛の対象は役所の人間なのだろう。それだというのに、避難の確認もせず撃ち始めた。それが逃げろと叫んだ理由か。
この異常としか言いようのない状況に、市民が慣れ過ぎている……。
服屋に着く。店主が騒ぎを聞き付けてか、表でキョロキョロと首を振っていた。
「……ど、どうも……」
「あれもう戻ったのか。なんか騒ぎになってないか?」
「ええ、強盗が来たんですよ。それで親衛隊とかいうのも来て……」
「へぇ。よく生きて帰ってきたもんだ」
「はぁ……ところで」
金貨や銀貨を見せる。
「強盗の死体から貰うのは悪いことだと思いますか?」
「いいんじゃない? ちゃっかりしてるなアンタ」
銀貨十枚を渡すと店主が奥に戻り、服を持ってきた。
「そら。これだ下着もついてる」
「ありがとうございます……あ、すみません忘れていました。子ども用の下着もいいですか」
「ああいいよ銀貨一枚だ」
支払って、受けとる。シャーリーにはちょうどいいくらいのサイズだろう。
「強盗と騎士には気を付けなよ」
服を抱え、岩場に戻っていく。
すると、何人かの少年が岩場の方に集っていた。
「おいお前ら……」
「あ、逃げろ!」
声を掛けただけで散っていく。何かあったのか。
慌てて同じ場所から覗く。
ちょうど、岩の隙間から裸の茂美が眺められた。
…………悪ガキめ。
岩場を乗り越え、声をかける。眠っていたようで、うぅんと声を漏らしながら起き上がった。
「あら……ごめんなさいねアランさん。お日さまが気持ちよくって……」
「服ですよ」
「あら……ありがとう。久しぶりねぇ、ちゃんと着るの」
言いながら茂美は、下着を無視して上着から着ようとした。
「茂美さん、こっちこっち」
「……あ、あはは……本当に久しぶりなのよ」
そうしてまた着なおした。今度はちゃんと着られたようだ。
…………今までずっと全裸だったから、着ている姿に違和感が……。
「……あれ、シャーリーちゃん?」
茂美がキョロキョロと見回した。そういえば姿が見えない。
「ど、どうしようアランさん……!」
「落ち着いてください。探しましょう」
岩場を出て、浜を上がる。するとさっきの少年の姿がちらりと見えた。何かに釘付けになっている。ということは……。
「茂美さん、あっちです」
「え?」
怪訝な顔の彼女を連れて子どもたちのところへ行く。すると……。
「は~な~♪」
綺麗に咲く花を、ツンツンと押しているシャーリーがいた。
四つん這いで尻を突き上げているので、下着のないスカートの中身が丸見えだった。
「すげぇ……」
ポツリと、少年が呟いた。




