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貴いお方が裸同然とはどういう了見だ  作者: 能村龍之介
殺し屋、なんか転移するの章
6/116

1  とても農民とは思いがたい

挿絵(By みてみん)


 目が覚めたとき、俺は見知らぬ場所にいた。


 ここは、いやに古い意匠の部屋だった。木造建築のまま、壁紙もなく、おそらく大量生産によるものではない手作りの木製机や木製椅子といった、木の家具がある。昔、ペルーで仕事があったとき、依頼主との待ち合わせ場所がその街でもっとも古い、数百年の歴史を持つ宿だったことがあった。そこがちょうどこのような内装だった。


 自分は木製のベッドに寝かせられていたようだ。日本で仕事を終えてホテルで眠った俺をどうやって連れて来たかは気になるが、まずは今が安全な状況であるかを確認する必要がある。


 それには、ここの主と会うのがもっとも早い。俺を生かす理由があり、あえて拘束をせず見張りもない状況にしたのは、それでも逃げられる心配がないか、そもそも逃げられても問題がないかだ。


 起き上がり、扉をノックした。


「……だ、誰か、いませんか」


 この訳の分からない状況に混乱しているフリをしておく。冷静すぎればむしろ不自然になる。


「あの……」


 もう一度声をかけ、返事がないことを確認して扉をゆっくり開ける。蝶番以上の感覚はなく、開けきっても罠は無し。モーションセンサーもないか。


 これだけのことをしておいて、いきなり罠で殺すなど普通はありえないが、殺し屋業界にいると普通ではない人間に狙われるのが常だ。警戒を怠って良いことなどない。まぁ、殺し屋相手にこんな状況になったのならもう死んだも同然なのだが。


 部屋を出た先はリビングダイニングで、大きな机にそれを囲う椅子と、羊毛などを紡ぐのに使う紡毛機と、石造りの暖炉。暖炉以外はやはりと言うべきか、木製のハンドメイドだ。


 それにしても、センサーどころか電気機器すら見当たらない。家を古いスタイルで統一するこだわりがあるのだろうか。


「あ、起きたんですね」


 日本語で声を掛けられ、初めて自分が開けた扉の後ろに人がいると気付いた。扉を閉め、確認する。


 そこにいたのは白人の女だった。金髪の長髪をまとめて右肩の前から垂らし、大きな目と小さな顎。おそらく少女だろう。服装は古めかしいスカートと、胸元をヒモ締めするコルセを着ており、どうやら中世の農民の格好をしているようだ。


 だが彼女の胸がかなり大きく、明らかに小さなコルセで絞めているので溢れだしそうになっていた。しかも下側は生地が乳房にぴっちりと張り付いているようになっている。どうやら胸の部分に乳房入れとしての袋をわざわざ作ったようだ。一種のバニースーツのようなものだろう。彼女の顔を見ると、頬が少し赤みかかっている。化粧ではなさそうだ。


 なるほど。ここは娼婦館らしいな。


 どうしてここに至ったかの謎は深まるばかりだが、まずは話をできる状況に持っていかなければ。


「あ、あの……」

「大丈夫ですか?」


「ええ。でも僕はその、ここに来た記憶が全くなくて……」


 彼女は微笑んで、俺の頬に手を当てた。顔と手が近くなって、少なくとも同業者ではないと分かった。あの独特の空気がない。


「落ち着いてください、ね? ほら、ぎゅーってしてあげますから」


 言うなり彼女は俺の頭を引き寄せ、胸に抱いた。全くもって不気味だが、こういう場合は逆らわないに限る。彼女がどのような人であり、どのような目的を持ち、俺とはどのような関係であるか。そうした情報を疑われないよう自然に聞き出す必要がある。


「落ち着きましたか?」

「……ええ。おかげさまで。ありがとうございます……」


「よかったぁ。安心しました。わたし、農民で、作物とか羊毛とかのことしか分からなくて……。あっ、もしまだ不安だったら、ベッドとかでナデナデしてあげますからね?」


 言いながら彼女は俺の右手を取って握った。


 ……妙だな。彼女の振る舞いは恐らく、そうしたロールプレイであって、セックスを盛り上げるための一種のショーであると思っていた。だが、彼女には“嘘臭さ”がない。


 こうした場合大きく分けて、


 1、嘘をつく天才。

 2、嘘をつく訓練を受けた者。

 3、嘘を本当と思い込んでいる。

 4、本当にそうである。


 この四つに分けられる。1であればいわゆるサイコパスに多い部類で、2であれば潜入捜査に慣れた法的機関の人間あるいは同業者。3であれば異常者であり、4であれば……彼女は農民である。


 今回の場合、もっともあり得るのは4であり、農民として働く側で何人かと関係を持ち、関係を保つために嘘をつくことに慣れきった。娼婦と言うまともな職に所属するならまだしも、このタイプはかなり厄介だ。


 ……いや、今のところは邪推でしかない。もっと情報が必要だ。


「あの……どうして僕はここにいるんでしょうか」

「わたしが連れて来たんです。街にお買い物へ行こうと思ったら、倒れていたから……。実はいま、お医者様のところへ行く準備をしていたんですよ」


 彼女の無茶な胸元と、医者のところへ行くという言葉があまりにも合致せず、危うく情報を取り落とすところだった。


 彼女は医者とも関係を持っているのだろうか。


「そうでしたか……それは救われました。ありがとうございます。命の恩人ですね」

「いいんですよ。それよりも、大事にしてくださいね? また倒れちゃったら大変です。いつまでも……居ていいんですよ?」


 彼女は薄紅色をした頬を更に赤くして、優しげに微笑んだ。なるほど。誰にでも発情するなら道理で嘘も上手くなる。


 ……ただ。この発情に乗る手はある。現在地どころか、倒れたところを拾われたという真偽も分からない情報しかないのだ。もう少し探るならば、股間でしかものを考えられない男として振る舞うのも手だな。


「すみません、いま、何日でしょうか……」

「へっ? えっと、待ってください……」


 彼女がカレンダーを見に行ったのに乗じてついていく。到着と同時に「何日くらい眠っちゃってたか気になってしまって」と付け足した。彼女は「あ、そういうことだったんですね」とカレンダーを指した。


「三日間眠ってたんです。で、今日がここだから――」


 そこには、“陰星歴8020年10月”という見たこともない表示があった。そして彼女の指は、12に当てられている。


 指先をずらし、9を指す。


「九日に連れて来ました」

「三日も! ……そんなに大きな病気は持ってないと思っていたんですけど……」


 すると彼女は俺の額に手を当て、顔を両手で持って背伸びし、額同士をくっつけた。何かあるごとに触れてくる。


「……お熱はないですけど、不安ですね……」


 不安げな顔になった。ころころと表情が変わる様は妙に芝居っぽい。というのに、全く嘘を吐いているサインは出ていない。


 得体の知れない人格が目の前にある。しかしそれくらいのことは殺し屋の世界では良くあることだ。


 殺しの依頼主は普通の性格が大半で、しかし普通だからこそ、抱えきれない殺意に精神をおかしくしてしまう。最初から異常な者は自分で殺しに行くので、わざわざ頼むことはしない。


 そうした者への攻略法は単純だ。ひとりひとりの特性を理解し、学んでいく。コミュニケーションにおいてごく当たり前のことだが、基本を重んじることは重要だ。


 いま目の前の女は発情しているものと見て間違いない。ならばそれを利用しない手はない。


 彼女の手を取り返し、両手で包んで握った。


「きっと、大丈夫です。貴女みたいに優しい方が側にいてくれるから、なんだか全然不安じゃないんです」

「はわわ……」


 驚いたような表情で、顔を真っ赤に染め上げた。これで情報源は確保。簡単に懐柔できた。


 分かりやすく口説くことで、口説けた場合はこちらが有利となり、見抜かれた場合は騙しやすい男として認識されるようになる。どちら道、利用しやすくなる。


 目下の問題は彼女の地雷がどこにあるか、だな。踏み抜いてはならないことはなにか。これには常に気を配らなければ。


「わたっ、わたしみたいな、農民の……田舎者なんかに……そんな……はぅう……」

「その優しさに、農民や田舎者なんてことが関係ありますか? 命を救ってくれたのですから、それで十分ですよ。そういえば、田舎者だったのですか。大人びているから、てっきり都会の方かと……」


「はっ、はのぉっ、あのっ、あんまりからかわないでくださいぃっ……!」


 顔を両手で覆って、へたれこんでしまった。


 少し笑って見せながら、ごめんなさいと彼女の両手を取った。


「からかっていたつもりじゃなかったんですが、言い過ぎないように気を付けますね」

「ふぅ~。もうっ、恥ずかしいところ見せちゃったじゃないですかっ」


「ふふっ。すみません」


 ここで、あえて黙った。少し口を動かし、言いたいことがあるように見せる。やはり、目の前のアレが気になって仕方ない。


 すると彼女はそれに乗った。


「……どうか、したんですか?」

「いえ……その……。不快にさせてしまうかもしれませんので……」


「大丈夫ですよ? なんでも言ってくださいっ」

「それでは。その、どうしても気になるのです……」


「なにがですか?」

「その服の、胸元……」


「……!」


 彼女はまた顔を赤くしてうつむき、胸を腕で押さえながら上目遣いで睨んできた。


「…………もう、えっち……」


 お前はなにを言っておるのだ。


 危うく口をついて出そうになって、咳で誤魔化した。彼女にはあまりこちらから性欲の気配を見せるべきじゃなさそうだな。


「……んんっ。そ、そうだ。お名前を聞いてませんでした。聞かせてくれませんか」


 すると彼女はいつもの調子に戻って、はいっ、とハツラツな笑顔を見せた。


「ソフィアです」

「ソフィアさんですね。僕は――」


 ソフィアはアメリカ人またはヨーロッパ系に多い名前だな。アメリカに合わせるよりは、ヨーロッパに合わせた方が齟齬の生じるリスクは少なくなる。手術で白人と黄色の中間の見た目にしているので、こうした名乗りがしやすい。莫大な金をかけてよかったと、名乗るたびに思ってしまう。


「――アランです」

「アラン……素敵な名前ですね」


「貴女も、名前より……おっと。言い過ぎない約束でしたね」

「も、もうっ」


 また顔を赤くして、ソフィアは頬を膨らませた。

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