46 死んでも蘇る、ということ
一日目は、あれ以上のことは起こらず終わった。
攻略法は簡単で、常に俺を含め三人以上で行動すれば良い。そうすると一般人を巻き込みたくない神父は動けず、また仮にも人の目を気にしている船乗りたちに露骨にアプローチされることもない。
神父が生き返ると思われる部屋も、確認してみた。隠れられそうな物陰こそなかったが、天井に戸があり、船の裏側に入り込めそうだった。たぶん、神父はそこで息を潜めているのだろう。航路が落ち着いてからは人の出入りが激しくなったので、神父はそうそう出てこられないはずだ。わざわざあの扉を閉じておくこともない。
そうして二日目の朝。また海を眺めてじっとしていた。到着は明日の昼。
神父は少なくとも甲板までは出てこない。なのでエドの頼みを聞くふりをしつつ、こうして海を眺めていれば大丈夫だ。
あとは、いかに船員と二人きりの状況を作らないか、だな。
「今日はどうだ?」
エドが来て、手すりに寄り掛かった。
「まだ見つかりませんね」
「そうか。どこ泳いでんだか……」
「……トミーさんとは、どういう関係でしたか?」
そう言うと彼も海の方を見て、遠くを眺めた。
そのとき船のすぐ側に、また影が現れた。昨日も見たイルカだろう。ずっと着いてきているのか。
「何回か仕事したんだ。それで一緒に酒を飲むようになって、飯なんかも食って。……なんて、仲良くなった瞬間に、いなくなっちまった」
「どうして海に行ったんでしょうか」
「そりゃ、オレが聞きてえことだ」
「……そのことで、少し考えたんですよ、まぁ、話し半分に聞いて欲しいんですが」
「うん?」
「そもそも船が沈んで、鮫がいたのにどうして帰ってこられたのか。気になりませんか」
「そりゃ……鮫がいたって海に落ちなきゃ死にはしないだろ」
当たり前だろと言う顔だ。
「そうなんですが、帰ってきて、海で何が起こったかすら言わなかったのに、鮫の話だけはしたじゃないですか。それほど印象的だったんでしょう?」
「印象的ぃ? バカ言うな。オレだったらもう、三日三晩は寝られねえぞ」
「ええそうですよね。それなのに、海に帰ろうと思いますか?」
「…………あ。た、確かに……」
最後に目撃されたのが海に向かう姿だったので、話の根本がおかしいことに考えが及ばなかったようだ。
「思ったんです。そもそも海に行ったのか。そもそも、陸へ逃げたんじゃないかって」
「そうか、海から逃げるなら内陸の方に行く、か。くそぉそんな簡単なことに気付かなかったなんて……」
「分かります。そういうものほど気付かないんですよね」
「…………ってことは、見てる必要はねえ、か」
あ。墓穴を掘ったかもしれん。
あのむわっとした気配がエドから漂ってきた。このままではベッドに連れ込まれる。
「………………いや。でもまぁ、今のはそうかもって言う話ですし? 本当は海に行っていたら困るのでね?」
「なんだ? どっちだと思うんだ」
「どっちもあり得ると思います。ちゃ、ちゃんと海を見てますよ」
「そうか。無理はするな?」
お陰さまで、無理をしないと無理やりされるんだよ。
当の本人にその心が届くわけもなく、彼はハッと何かを思い出した。
「……ああそうだ、忘れてた。もうすぐ例の国の海域を通る。バルカンって国のな」
バルカンは大陸を丸ごとひとつと、ローズマリー王国のある大陸の一部を持っている。どうやらその間に広がる海もバルカン国の所有らしい。
「あいつらの船が通ると思うが、あんまり見るなよ。海の方見ておけ」
「なんでです?」
「難癖をつけられたら嫌だからな。知ってるか? 神の敵だとか名乗ってるんだぜ、あそこ。正気じゃあない」
「へぇ。神にも難癖を? それはまたどうしてそんなことを」
「知らんな、あんな奴らのことなんざ。それに、国を閉じるくらいだ。ろくでもない秘密を守ってんだろうよ」
確かにそうだった。下手に観察してスパイ容疑がどうとか言われたら、たまったものじゃない。
「分かりました。……ですが、そろそろ休憩にします。早朝からじっと見ていたので、流石に目が疲れましたよ」
「はっ。どうぞごゆっくり」
熱い視線を背に感じながら中へ戻ろうとしたが、ふとあることを思い出した。
「……あの教会、なにか特別なことはしてますか?」
「特別なこと?」
「少し、違和感を感じたものですから。なんでしょうかねぇ」
どうして神父があの教会で生き返ることができるのか。そもそも生き返る時点で理解不能だが、それでも特別な何かがあるのかもしれない。
「うーん……? 分からねえな……」
「こう、儀式とか。特別な道具とか」
「………………ダメだ。さっぱり。オレはそもそもお祈りとかしねえ質だからよ。心で信じてりゃいいんだろ、ああいうのは」
とはいえ、この世界の様式で出来た教会なのだから、この世界の住民がその違和感に気付くことなどできはしない、か。
「何の違和感だ? それ。まぁ確かに船にあるのは変だが、普通の教会じゃねえか?」
「そうですか……。いえ、分かりました」
そうして背を向けたとき、また「あっ」と思い出す声がした。
「分かった。像を仕舞いっぱなしだ」
「像?」
「ほら。巨乳の神様のやつ。あるだろ」
それはローズマリー城の大教会にもあったものだ。あの、わずな布だけをまとった、やたらグラマラスな女神像。依頼人っぽい格好に嫌な予感がしたので、はっきりと覚えていた。
「あれが無かったからとかじゃないか。揺れて倒れたらあぶねえからって、布でくるんであの台の後ろに置いといたんだよ」
「教壇の裏に?」
それなら、昨日見たときに見た。布で包まれたガラクタのようなものがあった。
「……あの女神像は、どこの教会にもあるんですか?」
「そりゃそうじゃねえのか? まぁ、見た目がエロすぎるせいで、よく分からない裏の方とかに置いとくらしいけど。オレが育った町の教会がそうだったよ」
…………そうか。初めてモーニングスター神父と話をした所は、教壇の下であって、あの女神像の下でもある場所だ。彼があそこにいたのは、女神の近くだったからか。
つまり、神父が生き返るのは教会じゃない。あの女神像がある場所だ。
「……そうなんですね。いや、すっきりしました。道理で妙だなと」
「ああ。ところで、なんでそんなに教会が気になるんだ? その口ぶりだと教会にあんまり行かねえんだろ?」
「教会そのもの、というより、文化の違いですかね。同じ国でも地域で違ったりしますからね。……ところでまたひとつ気付いたんですけど、いいです?」
「どうした」
周囲をキョロキョロと見て、彼の耳にささやく。
「……その像、捨てた方がいいんじゃないですか?」
「え。どうしてだ、急にそんなこと」
「これから通るのはバルカンの海域でしょう? 神の敵を名乗ってるってさっき言ったじゃないですか。ってことは、もし難癖つけられて船を捜索されて、偶像が見つかるのはかなり……不味いんじゃ?」
「まぁ……そりゃたしかにそうかもな……」
「それに、もしかして……トミーさんの船が沈んだのはこの辺りじゃ?」
「え? いや……ん?」
思ってもないことだったのか、彼ははっとして、考え込み、顔を覆った。
「……嘘だろ。そういうことだったのか……」
「あくまでも予想、ですけどね。どうです。像を捨てるのに協力してくれませんか」
「ああ。分かった……分かったぜ……」
よし。これで協力者がひとり。さて神父はどう出る?
ふたりで船内に戻り、そのまま教会の扉の前。音を聞いて先客がいないことを確認して中へ。神父はまだ隠れているようで、部屋の左奥の天井にある戸は動く気配がない。きっと夜を待っているのだろう。
「よし。すぐにやってしまいましょう」
部屋の奥へ行き、教壇と壁の狭い隙間に身体を入れ込んで、奥の布の塊を引きずり出した。
小型で、1メートルといったところだが、石造りのせいか思ったよりも重い。それをふたりで担いで教会の扉を開ける。
その瞬間に、背後で着地の音が響いた。
「え」
エドが驚いて跳ねるように後ろを見た。
神父だ。姿を表すとは意外だな。
「待ちなさい。どうする気ですか」
「し、神父……さん? が、どうしてこんなところに……」
「我らが主のお姿を侮辱なさる気か。お止めなさい」
「あの……す、すみま……」
「エド。彼の言うことを聞くべきじゃない。この船が沈むかどうかが掛かってるんですよ」
「え。そりゃ……えぇ……?」
彼は混乱していた。俺でもそうなるかもしれない。だが、ここで退くわけにはいかない。
「エド。冷静に考えてください。神父が不法乗船するわけないじゃないですか。あれは神父のコスプレをした不審者です。耳を貸さないで」
「……! そうじゃねえか! おい何勝手に乗って来てんだお前!」
「……やれやれ」
神父は大きなため息をついた。そして、微笑んだ。
「門の鍵は開き、国への道は続き、あらゆる番犬が一時の安息に眠り、あらゆる門番が落とした剣に代わりぶどう酒を抱いて待つだろう」
「あ? 急にどうし――」
「我らが主よ。子羊をその傍えにお迎えください」
神父の殺意が露になった。
――まさか。像を引っ張り、エドの体勢を崩させた。その瞬間。モーニングスターの刺がエドの顔を掠める。
「ぬぉおおおおっ!? なんだぁ!?」
危機と知ったら無関係の人間を巻き込むのか、生臭神父が。
武器を振り切って隙だらけの彼を蹴り飛ばし、像を引く。
「行きますよ! 早く!」
「な、なんなんだよ! 意味が分からねえ!」
エドは混乱しながらも、像を担いで走ってくれた。それでいい。像を捨てさえすれば勝ちだ。
廊下を行き、角を曲がる。
船員のひとりとすれ違って僅な後に、今度は像を引かれた。
「って待て。やばいぞアイツ! おいトマス!」
すれ違った男が、苦笑いしてこっちを見ていた。
「なーにしてんだお前ら?」
「そっちはヤバい! 早く逃げろッ!」
「ヤバいって?」
「いいから――」
トマスの頭がブルリと震え、動きが止まった。
床へ崩れ落ちる。その後頭部には、モーニングスターが刺さっていた。
「――くそぉおおッ!」
エドが女神像を下ろし、神父へ向いた。
「アラン! アイツを倒すぞ!」
「ここは逃げた方がいいです!」
「うるせぇ二体一だ! 仇をとってやるッ!」
仕方ない。ひとりでも像を持っていくしかない。
言い合っている前でも神父は焦る様子もなく、黙々と凶器を引き抜いた。俺たちの背後では慌ただしい気配。エドの叫びを聞いた仲間がやって来たんだろう。
好都合だ。これで神父の正体を全員に知らしめられる。
そう、思っていたら。
モーニングスター神父が自分の首に刺を刺した。
「あ……?」
エドが妙な声をあげる。
このタイミングで自殺か?
……ああ、そういうことか。死んだら姿が消える特性は本人がよく分かっている。
なら、それを利用する手口もよく分かっているのだ。
「な、なんで急に……え?」
神父が倒れたタイミングで、エドが目を見開いた。
「き、消え……た……? え? え?」
「おい大丈夫か! どうした!」
ほとんど同時に、甲板から数人がなだれ込んで来た。
彼らに見えるのは、俺とエド。トマスの死体。それだけだ。神父の死体は見えていない。
ひとりがトマスに駆け寄る。
「な、なんだ……おいトマス!」
「き、来てくれたか。よかった。聞いてくれ。さっき神父がそこにいて、トマスを殺したんだ」
「神父が?」
「そうだ。それが……なんか消えちまった」
「……はぁ?」
ひとりが、顔を思い切りしかめた。
他も同じような顔だった。
「ほ、本当なんだ。この、ほら女神像あるだろ。これをあの部屋から持って行こうとしたら、急に神父が……」
意味不明の主張に男たちが顔を合わせる。
「……誰もいねえぞ」
トマスの死体を見ていた男が、どうやら奥まで見てきたらしく、訝しげに俺たちへ寄ってきた。
「エド、何をした?」
「お、オレじゃねえよ! 神父がやったんだ!」
「訳の分からねえことを……おかしくなっちまってる……」
エドの顔がどんどん青くなっている。それはそうだ。
そもそも、この状況を言葉で説明されて納得できる人間などいない。
「……お前の方か?」
誰かが言った瞬間に、注目が俺に集まった。
「……違うって言っても、信じてもらえるとは思えません」
「認めるってことだな?」
「認めませんよ。殺すなら、もっとバレない方法があるでしょう。こんなバカみたいな殺し方はしません」
「…………」
男たちが目配せをする。
まずいな。有罪確定を避けられても、無罪確定とはいかない。あとは船乗りたちの裁量次第だ。
「……おい! これを見ろ!」
いつの間にか、部屋から俺の鞄を持ち出されていた。
「中に死体が詰まってるぞ! そいつが犯人だ!」
男たちの殺気に似た気配が突き刺さってくる。エドさえ、唖然として俺を見ていた。
……これは無理、だな。
「ルイマスを迎えに行け」
死んだフリを続けるステイシーに言った。俺を庇おうとするなよ。共倒れになる。
「あ、アラン?」
「いや、何でもありませんよ」
男たちがまた、訳が分からないと顔を合わせた。
「さっきから意味の分からねえヤツだ」
「海に放っちまうか」
「ところで……像を捨てる作業だけやってもいいですか?」
「ダメに決まってるだろ」
「いや待ってくれ。像を捨てるのには理由があるんだ」
エドが俺と船員の間に割って入ってきた。
「バルカンの奴らに見つかったら、船を沈められるかもしれねえ。だから捨てて証拠隠滅しようってこった」
「見つかりっこねぇよ」
「いやいや。トミーの乗ってた船がどうして沈んだのか、分からず仕舞いだったろ? でもあれ、きっとバルカンの仕業なんだよ」
「またトミーか。流石に違うだろ」
「……でも、あり得なくはないな」
ここは意見が真っ二つに割れた。よほどバルカンは嫌われているらしい。
俺としてはここが、最後の賭けに出るチャンスだ。あまりにも難しい賭けだが、僅かでも可能性があるなら逃したくはない。
「下手なリスクを追うくらいなら、良いじゃないですか。像を捨てるくらい。最後のお願いです」
「サイコ野郎の願いなんか聞きたくねえが、エドが言うなら……」
「いいか。エドの願いだから、だぞ」
「構いませんよ。ありがとうございます」
礼だけして女神像を担ぎ上げた。
「なぁアラン。言えばきっと分かってくれるって、神父のせいなんだ。全部アイツが仕組んだんだろ。オレには分かるよ」
「どうやって説得するんです? エドさんが分かってくれるなら、もうそれで十分です」
「そんなこと言うな。トミーの次なんていらないよ。なぁ」
無視して甲板へ出た。仲良くするつもりなどない。これからすることで、お前は俺を恨むだろうからな。最悪は全員死ぬ。
周囲を見回す。少し遠くに、別の船が見えた。
ここが海域の境目なら、当然バルカンは不法侵入を防ぐために見張りを置く。
そして、バルカンは神の敵だという。
船の右後方、落ちるギリギリまで近付いて、像をくるむ布を取り払って捨てる。
そのまま、女神像を掲げて見張りへ見せつけた。
「お、おい何やってんだ!」
エドが像を掴み、下ろさせてきた。
「何って、喧嘩を売ったんです」
「いや喧嘩をって……」
彼を含めた船員が、バルカンの帆を見て口を開けた。
国章の旗が一気に降り、その船首が真っ直ぐにこっちを向く。
「おいおいおい……! やべぇぞ!」
「ああそうだ。ヤバい。このままだと全員が殺されるだろう。もう女神像を捨てても手遅れだ。今から何か手を打てばどうにかできるかもな」
青くなっていく男たちを横目に、女神像から数歩だけ退いた。
「例えば、不死身の戦士がどうにかする……とかな。どうする? モーニングスター」
「あなたと言う人は、何て卑劣なことをなさるのですか」
いつの間にか、神父が俺の隣に現れていた。
「うわぁああ! ど、どっから出やがった!」
「神父だ! ほら言ったろ! 居たんだよ!」
「ま……マジかよ……」
船員たちが一斉に後ずさっていく。
「卑劣? お前にだけは言われたくないな」
「私が出てこなければどうするつもりだったんですか」
「皆殺しにあったろうな。だがお前に出ない選択肢はない。俺は正義なんて信じちゃいないが、お前は正義の中でしか生きられない」
「やれやれ。悪魔の味方らしいやり口です」
「どうだかな」
「全て計算通りのつもりでしょうが、ふたつ誤算があります」
神父がモーニングスターを取り出す。
「ひとつ。私は主を信じておりますが、バルカン公国と敵対などしておりませんよ。主を敵視していようと、主の世界の人間です。むしろ私は、彼らを守らなければなりません」
「知っている。お前の敵は悪魔だけっていうのもな。第一、例の短銃はそこで手に入れたんだろう」
「ええ、そうです。そして、もうひとつ――」
どこにいたのか、鳥が一匹手すりに飛んできて留まり、にゃあと鳴いた。
「――どういう状況であろうが、私はあなたを殺す選択をします」
姿勢を低くして突っ込んでくる。落とす気か。神父の服を掴んだ。
が、彼ごと手すりを飛び出した。
「アラァアアアンッ!」
エドの叫びを聞きながら背中を叩き付けられ、水に沈んだ。
彼はモーニングスターを取り出し押し付けてくる。それを片手で掴んでいなし、腹に拳を叩き込んだ。
怯んで動きが鈍くなる。蹴りを入れて離れようとするが、彼が強固に掴んでいて逃げられない。あまりにも固い握り拳だが、強く握るほど早く疲れる。
苦しいが、少し待てば逃げられる。少しの間耐えれば……。
神父が思い切り息を吐き、優しげに微笑んだ。
そして首にモーニングスターを叩き付けて自殺した。
神父の手足が力なく投げ出されたというのに、拳だけは強く握られたままだった。
人が死ぬとき、疲労が貯まっていると即座に死後硬直が始まるのだという。そんなことまで利用してくるのか。
襟を絞られていて服が脱げない。
海面は遠い。早く浮かないと。
だが死体が重い。肺から空気を抜いて水を吸ったか。
まずい――どうにか――――。
――――――。
――――波の音。青空。
…………。
……目覚めたということは、まだ死んではないか。
…………やたら身体が重い……。
首を起こして下を見る。
俺の身体の上に、少女が寝そべっていた。
俺の顔をじっと見つめている。
「――――オキタっ!」
嬉しそうに笑って、俺に抱き付いてきた。
…………。
…………また面倒なことに巻き込まれたな……。




